第一部 5
第一部 5
立村と美里との間は相変わらずくっついたり離れたりの繰り返しのようだった。
貴史もべったり様子を伺うわけではないにしても、それなりに状況を把握はしていた。なにせ美里が一方的に貴史を捕まえ、ぺらぺらとまくし立ててくるのだ。受けざるを得ない。
「もう、立村くん何考えてるのかほんっとよくわからない!」
勢いよく夏休みへと突入し、毎年夏恒例で行われる「羽飛家・清坂家合同家族旅行」の企画を立てている時も、暇さえあれば美里が愚痴をこぼし続ける。これが知らない女子だったら無視するのだが、何せ縁を切りたくとも切れない距離にいる貴史だけに、聞き流すこともできないわけだ。
「おいおい美里、そんなことよか早く、行きたい店とか食いたい料理とか選べよ、早くな」
「うんわかった。けどさ、でも聞いてよ!」
いつのまにか貴史と美里が旅行時のスケジュールを決める役割を押し付けられていた。小学校六年あたりから互いの母たちがそういう風に仕向けて来ているようだった。いつものことだし面倒ということもないが、他の連中に言うとまたひゅうひゅう勘違いしたことを言われるのでそこらへんがわずらわしいだけだ。
夏休み中だとそんな鬱陶しいことなど気にしないですむので、楽ではある。
美里が貴史の用意した旅行会社パンフレットを両肘で押さえ込むようにして覗き込む。
「だって、変なんだよ、立村くんってば。この前南雲くんと彰子ちゃんが珍しくけんかになっちゃったことあったじゃない? 彰子ちゃんと私、東堂くんの彼女のこととかちょっと気になったからちょっと話しただけなのに、いきなり私に噛み付いてくるんだよ? 変じゃない、それ。私はただ、東堂くんの彼女が不良でその、いろいろ悪いことしているし、だったらむしろ私たち先輩がアドバイスした方がいいって」
「だから美里、いいかげん学習しろ。何事にも、アドバイスってのは余計なお世話だってな。立村も何度も言っただろ。かまわれてたくないから放っておいてくれってな。まああまりにも目にあまるようだったら話は別だが、いいかげん人の色恋に口出しするんじゃねえよ」
「だってさ、東堂くんの彼女って、いわゆる、あの、ほら、その」
口篭もるなら何も言うなと思う。終わらせるために貴史は答える。
「売春してたんだろ。どこぞの親父様たちとか」
「貴史!」
「お前が言いたいことったらそんなことだろが。あーあ、いいかげん人のこと考える暇があったら、自分の分担分しっかり片づけろ。お前がこれから地図、書くんだろ」
「わかったってば、けど」
「うるせえ、とにかくやることやれ。話したいならそのあと聞く」
美里はふくれっつらのまま、睨みつけた後即座に旅行予定地の地図とタイムスケジュールを丸っこい文字とカラフルサインペンでもってで一気に仕上げた。こういうイラスト描きが美里は得意なのだ。
──だから人の色恋に口出しする暇あったらなあ、もっと立村とうまくやれよな。
二人の仲が危機一髪に瀕したきっかけは、クラスメートの東堂の彼女の問題だったらしい。「らしい」というのはもともと貴史が東堂と親しく話をすることがないのと、もっというなら東堂の親友である南雲とは天敵同士であるがゆえの意味合いだ。
厳密に言うと、入学当初から南雲と貴史とは気が合わず、ことあるごとにつっかかってきた。それでいて殴りあいのけんかなどでぶつかりあうことはない。あくまでも口げんかの範疇だからこそ、なおのこと引きずりまくっている今日この頃だ。
南雲の親友ということは、価値観も当然合わなくて正解。話をすることも必要最小限のみだった。意外だが立村が南雲と相性合うというのは、正直解せないこともあるのだがそれはそれで人のこと、知ったことじゃない。
どちらにしても、貴史にとって東堂の彼女が不良であろうが大人相手に売春だかなんだかして金を貰っていようが知ったことではなかった。趣味が悪い奴だとせせら笑うだけで十分だ。
なのになんで、美里はそんなことにくちばしを突っ込みたがるのだろう。
何を考えたか美里は東堂に対して、例の彼女を先輩の愛でもって更生させたいなどと思ったらしい。しかも、その案に我がクラスの肝っ玉母さんこと奈良岡彰子も載ったらしく、そのあたりで立村たちとドンパチやらかしたというわけだ。
ちなみにその件については、立村本人から一切聞かされていない。
バトルをやらかした、ということすら口には出していない。
むしろ、立村は黙りこくっているだけだ。周囲の女子連中が騒いでいるのと美里の自己申告によって貴史も聞き知っただけだった。
「さ、描き上がったよ。あと注文ある?」
特にない。貴史は美里の描いた地図をそのままひっくり返した。
「約束通り、話、聞いてやる」
「その、聞いてやるって言い方なによ、何様のつもりよ。貴史さあ、私に対していっつも命令口調使うよね。その偉そうな態度ったらなに?」
「お前がそういう風に仕向けるからだろうが。それよか、立村にまたお前噛み付いたのか?」
「私噛み付いてなんかないよ。筋道通したつもりだよ。なのにね」
──どこが筋道通したってんだよ。
悪いが美里の言い分には全く同意できなかった。
男からしたら人の好みをぐたぐた言われるなんてたまったもんじゃない。
たとえ札付きの不良女子だとしても、惚れてしまったらそれまでだろう。
いや、美里にはそんなこと死んでも言われたかないだろう。
美里の相手のことを考えれば、決して。
なのになぜ想像しようとしないのか、よくわからない。
「東堂のことなんか知ったことじゃねえ。それよか立村、なんて言ったんだ?」
貴史はまず、部屋の窓を開きっぱなしにし、代わりに入り口の戸を締めた。クーラーのない部屋だし当然暑苦しい。本当だったら開けっ放しにしたいところなのだが、美里の口から出てくる内容によっては、やはり家族にばれるとまずいものもある。
「あんたが言ったことと同じ。邪魔するなって。何にもわかってないのにね」
「だろが。俺の言った通りだろ」
もう一度戸を開けた。やっぱりそうだ。立村の考えは間違っていない。男だったら当然関わりたくないと思うはずだろうし、立村自身がそういう経験を山のようにしているのだから、むしろそうでなくてはおかしい。
「けど!」
「けどもくそもねえよ。美里、いいかげんぐちぐち言うのはやめろ。無視して気にしなけりゃいいんだ。ったく立村もそうだけどな、お前らどうしてそんなくだらんことばかりにつっかかってるんだろうな。俺にはとんと理解できねえ」
「貴史、人のこと言えるわけ?」
しばらく貴史の言葉を聞いていた美里は、肘の下に敷いていたイラスト地図を抜き取ると、ぐちゃぐちゃに丸めてぶつけてきた。仕方なく受け止める。書き直しだ。
「あんたさ、鈴蘭優に彼氏ができたって噂流れた時、私にさんざん愚痴りまくったくせに!」
「優ちゃんにあんなアホな俳優なんか似あうわけがねえって言っただけだろが。どこが愚痴ったんだ? たわけってんだ」
「ふうん、あんたはぜんぜん気付いてないってわけねえ。へーえ」
美里が投げつけてきた地図を伸ばし直した。コピーすれば使えるだろう。
「美里、お前、描き直すか?」
「そんなのどうでもいいじゃない! どうせ見るのうちらの家族だけなんだから」
ふくれっつらをそのままにして美里はオレンジジュースをストローでするする飲んだ。真っ白い袖なしワンピースを、肩出しっぱなしにして着こなす姿はもし鈴蘭優だったらかなりがっつきたくなるものだろう。しかし目の前で行儀悪くジュースをすすっているのはどうみても幼なじみの美里に他ならない。
「貴史もそうだけど立村くん、ほんっとどうでもいいことばっかり口突っ込んで来て、本当に話さなくちゃなんないことって全然話してくんないじゃない!」
「俺にとっては、優ちゃんはどうでもいいことじゃねえもん」
「あんたのことはどうでもいいの!」
ストローを引っこ抜き、美里は貴史の顔に拭きつけた。少しだけ水が飛んだ。
「きったねえなあ」
「うるさい! だってほんと頭くるじゃない! 立村くんいつも男子連中と評議委員会の話してるけど、女子には何にも話してくれないんだよ。修学旅行でもゆいちゃんが物凄く怒ってた。私たち女子だって一生懸命委員会のためにがんばりたいって思ってるのに、全然活用しようとしない男子たちの姿勢ってなんなのって!」
「おい、美里、それ明らかに勘違いしてるぞ。ついでに言うと霧島もだ」
全く持って女子の発想にはついていけない。立村の名誉のために言い返すことにする。
「立村はレディーファースト主義だってことお前だって知ってるだろが。あいつはな、美里たちに敬意を表してそうしてるだけだろうが」
「そんなの嬉しいわけないじゃない! お姫様扱いされて嬉しいなんて誰が思うってのよ、そんなことじゃないの。私が言いたいのはね、立村くんは評議委員長でしょ? けど周りの人たちは立村くんよりも天羽くんを実質的評議委員長だと思い込んでるんだよ。それって変じゃない? どうしてそう言われてしまうかわかる?」
まあ、確かに、天羽の方が行動目立つのは事実だ。後輩たちがそう感じるのも無理はないだろう。が、ちゃんと立村は評議委員長の座を得ているではないか。何をわけのわからないこと言っているのだろう?
「どうしてだ?」
「それはね、立村くんが委員長として何をしたいか、全然教えてくれないからだよ!」
美里が握りこぶしを作ってテーブルを叩いた時、かすかに風の音が勢いよく天井に響いたような気がした。もちろん、気のせいだろう。
「貴史、あんたにも前話したよね。立村くんが、杉本さんのためにわざわざ交流関係のポストを用意して、あの子が評議委員から外されても活動していけるように手配したってこと」
よくわからんが、いろいろあったことは聞いている。尋ね返すと面倒なので頷いた。
「結局、他の先生たちが杉本さんをE組に引き取ってまるく収まっちゃったけど、立村くんがそうしようとしたこと、私、全然気付かなかったんだもん。全然教えてくれなくて、気がついたらごたごたってしてて。大変だったんだよあの時」
──大変だったのは美里の文句を黙って聞くしかねえ俺のほうだがな。
言いかける。身の危険を感じてやめる。また天井でがたごと物音がする。風がずいぶん強いものだ。
「私が言いたいのは、立村くんって何事においてもそうなのよ。二年の宿泊研修の時もそうだし、最近だってそうだし、もう、何もかもいろいろ。けど、本当にやろうとしていることを一言も言ってくれないじゃない? そしていきなりわけのわからないことするじゃない? こちらだって頭くるじゃない?」
「男はなんも考えてねえよ。そんな暇ねえし」
貴史がまぜっかえすと、美里はぶんぶん首を振った。
「この前の修学旅行で立村くん、いろいろと評議委員会のことで考えてるんだなってことはわかったのよ。それだけは、なんとなくね。けど、具体的にどうするかとかこうするかとか、全然教えてくれないの! 水鳥中学の人たちとの交流会をしたいってだけなら私もわかるよ。けど、なんというか、そのね、あのね」
「なんだその、あのねそのねってのは」
「黙って聞いてよ! なんかわかんないけど立村くん、何か考えているような気がするんだ」
言葉を切った美里は、ストローの先を加えてそのまま俯いた。指先で伸ばした地図の角を何度か折った。
「何を考えてるんだ」
「わかんない。けどね、ただなんとなく、誰にも言えないことをまたひとりで計画立ててるんじゃないかなって気がしてなんないの」
「ふうん」
ストローを反対側からまた吹いた。
「何がってわけじゃないんだけど、うまく言えないんだけど」
「お前ら女子に言えねえだけで天羽たちには話してるんじゃねえの」
「言ってるとすれば本条先輩くらいかな、とは思うんだ」
美里が溜息をつき、ストローをグラスに戻した。また頬杖を突いた。
「どっちでもいいけど、ただね、立村くんが何かを企んでいる時の雰囲気だけは、なんとなくわかるようになったな」
その言い方は非常にうまい。納得する。
「そうだな、立村がやたらと愛想いい時は何か計画してる時だわな」
「でしょ、でしょ?愛想なんてよくないけど、でもなんか考えていそうでしょ?」
「具体的にはどういうとこだよ」
「どういうとこったって、わかんないけど、ただ、勘なの」
女の勘、なんて当てにはならない。
だが今だけは、ちょっとばかり気に掛かる。
一言、尋ねてみた。
「美里、評議委員会ってどうなんだ。生徒会の奴らとはうまく行ってるのかよ」
「普通に話してるだけだけど。会長の藤沖くんともうまくいってるし」
たいして気もなさそうに美里の答えが返ってきた。
立村が密かに考えていることがあるとすれば、「大政奉還」計画のことだろうか。
ばかばかしすぎて一笑に伏してしまったとはいえ、記憶には残っていた。
そのくらいのことならば美里も知っているかもしれない、そう思ったからだった。
──美里、知らねえのか。
しかしどうでもいいことだからこそ、話してないという気も正直する。
美里は何も言わず、黙って地図を描き直した。もちろんカラーサインペンをふんだんに使用した華やかなイラスト入りのものだった。
──男のロマンをそうやすやすと嗅ぎ取れるような女じゃねえよな美里は。
貴史はもう一度天井を見上げた。さっきから風の音と入り混じるように、どこかの泥棒が散歩しているような音が響くのだが、なんなのだろうか。