第二部 41
第二部 41
羽飛貴史宛の年賀状は元旦、三通しか来なかった。
ーーめんどくせえなあ。
日頃より年賀状はもらってから二日以降にのんびり返信するものと決めている。
小学校の頃からその方針で通してきたので、自然と出してくる奴も減る。
もっとも小学時代の友達については、年賀状なんか面倒くさいもの出さなくてもすぐに顔を合わせて「あけましておめでとう!」の挨拶を交わすのが常だったし、大して不便などない。たまに、お年玉年賀ハガキ目当ての同級生から嫌味を言われたりもするがそんなのは知ったことじゃない。自慢じゃないが、生まれてから一度も美里宛の年賀状なんぞ書いたことはない。
貴史は母から三枚白地の年賀ハガキを分けてもらい、さっそく黒々と筆ペンで書きなぐった。
「賀正 今年もヨロシク!」
この一言で十分お釣りがくる。
三人分、約三分で完成だ。
次にもらった年賀状をひっくりかえし、住所を確認する。ひとりは原色使いの版画形式でたっぷりハートマークが描かれているもの、もうひとりは黒で印刷済みだが一言がやたらと長くみっちりつづられているもの。そしてもう一人は、
ーーあのなあ、立村。
人のことは言えない。貴史と同じパターンと言えばそれまでだ。やたらと高級そうな和紙に金のラメみたいなのを貼り付けた私製ハガキに、どこかの和歌を嗜む平安貴族雰囲気のくずし字で送りつけてくるというのはどんなものだろうか。
「謹賀新年 昨年は誠にお世話になりました。本年も何卒宜しくお願い申し上げます」
どう考えても、同い年の男子中学生が自ら出したがるような内容の年賀状ではない。
去年も、一昨年も同じような内容だったので問いただした。母親か誰かに書かせているのかと疑ったからだ。
「立村、お前ほんっとに、こんな風に書いてるのかよ? なんじゃありゃ」
答えの代わりに立村は、ノートへサインペンでもって手早く、同じ文字を再現してみせた。
疑うところなし、あれは立村上総、本人の直筆だ。
正月三が日が過ぎ、テレビで放映されている大学駅伝中継も一段落したところで貴史は葉書を持って外に出た。
年末にようやく雪が根付き、中途半端なべったり感もなく、さくさく歩いていける路が広がっていた。大抵、家の前は綺麗に雪が慣らされているかもしくは削られているかしている。毎年恒例、町内会の獅子頭手伝いでくっついて歩いたりし、結局年賀状なんてしち面倒なことは後回しにしてしまう。腹にたっぷりおせち料理と雑煮を押し込んで腰が重くなったとも言える。また清坂家と合同で初詣に行ったりその流れで夜遅くまでしゃべったりなんかしていると、十五日以降の準備などはどうでもよくなる。
青潟の冬休みは成人の日で一段落する。それまではしばらく、仲間ともそうそう会う機会がない。
美里を除いては。
青大附中に入学してから三年目、正月はほとんど学校の連中と遊ぶことがなくなった。
ーー美里、暇もて余してるかもな。
なんとなくそんな気がした。元旦に顔を合わせた時はさすがに親兄弟姉妹の前、あまり立ち入ったことは話せなかった。
どうしても諸事情を隠さねばならない状況だと知ってからはなおのことだった。
今だに美里は、家族に立村との交際についていい顔をされていないと聞くし、清坂姉妹とも最近はあまりうまく行っていないようだ。
さすがにそんなことを美里の両親および姉妹は臭わせることなどしないけれども。
ーーちょっくら、誘ってやっか。
太陽が少しずつ黄色く染まり出した空を見上げた。一月四日、もう通りにはおめかしした初詣客も見かけなくなった。
小石を拾い、清坂家の二階窓に投げつけた。もちろん加減して、こつんと音がする程度に放った。
ふたりの、いつもの合図だ。
「ちょうど大学駅伝終わったよね」
テレビにかじりついていたのはどこも一緒だ。ジーンズに白いフード付きコートを羽織り、腰のちゃらちゃらした金ベルトをやんわり縛った美里が飛び出してきた。
「すっげえデットヒートだったよなあ。もろ鼻の差じゃねえか」
「けど、こんなに寒いのに走らなくちゃなんないなんて大変よね」
美里はピンクの手袋をはめて、指先をつまみ伸ばした。貴史と隣り合い歩き出した。
「青潟大学が駅伝に出ることなんてないと思うけど、もし出られたら旗もって応援に行きたいよね」
「そりゃあもう中学・高校・大学全校総出の大騒ぎになるだろ、すっげえ楽しいなあ」
笑い合い、同時にくしゃみした。
「どっか行く? 言っとくけどバッティングセンターはやだからね!」
「俺もスーパーでお前の服の買い物なんかに付き合いたくねえぞ!」
お互いさまである。お年玉で懐はそれなりに暖かいけれど、実はそれほど使いたいという気持ちもない。野郎連中と遊べばそれなりにゲームセンターでたむろったり、漫画本を大量に買い漁ったりそのくらいはするのだろうが、今日は美里が相手だ。ただでも十分時間を潰すことができる。つまり、しゃべる。それだけでいい。ただ暖かい場所を見つけないことには落ち着かない。互いの家では学校事情について話すこともままらならない。となるとひとつ。
「そうだ、貴史、今日五百円くらい持ってる?」
「持ってるけど」
「じゃあ、美術館行こっか! もうお正月から開いてるって新聞に出てたよ。入場料五百円だって」
ーーまあいっか。
青潟市立美術館、学生料金がまだまだ通用する。今はなんだか有名な外国の絵画がずらっと並ぶ展覧会らしい。
「金沢くんあたり来てるかもね」
「そうだな、じゃあ行くか!」
美里に誘われるというのもなんだかしゃくだが、嫌なところに行くわけではない。
屋根のある場所に入ることができて、できれば家族や他の友達と顔を合わせないですみそうなところであればベストだ。
自転車ならすぐにたどり着くはず場所だが、いったんもどって引っ張り出すのもめんどうくさく結局たらたらと歩くはめとなった。
しばらくは大学駅伝の話を交わしつつ、美里の様子を揺さぶってみた。
「美里、お前うちでずっと正月の間こもってたなんて言わねえよな? 誰かかしらいねかったのか?」
首を傾げつつ、美里はかぶりを振った。
「みんな、高校受験だもん。遊んでくれるわけないじゃない! それにうちの学校の人だってみんな田舎に帰ったりしてるし。こずえは弟の面倒みなくちゃいけないからってずっとうちにいるんだって。遊びに行ってもいいかなって思うけど、やっぱり、ちょっとね」
「そっか、受験だもんなあ」
すっかり青大附中に浸かっていると自分がすでに高校受験を考えなくてもよい立場というのを忘れてしまう。合否うんぬん以前に、もう決まったこと。
「三年前、私たちがいっぱい勉強しておいたから、今楽できるってことよね」
「そりゃまあそうだ」
「けど、遊ぶ友達のいない楽、って気持ち、寂しいよね」
「そういうもんか?」
美里は頷きつつ、手袋をはめた手を握り締めて頬に置いた。
「去年から今年、誰とも遊ばなかったな。貴史は?」
「もう年末年始遊びまくり」
「男子って楽でいいよね」
寂しげにつぶやいた。
ーー相当まいってるな、こいつ。
美里がこの年末年始、静かに家でおこもりしていたことは知っている。
なんだかんだ言って貴史は美里の顔を毎日覗きに行っていたが、必ず会えたというのがその答えだろう。
とにかく、誰とも遊ぼうとしない。
「あ、そうだ。近江さんと喫茶店でケーキ食べたりもしたけどね。それだけかな」
「ああ、天羽の彼女な」
少し深めの雪を探してスニーカーで踏み潰す。美里もそれに倣った。足首までの柔らかそうな茶の皮ブーツを履いていた。
「でもおもしろいの、近江さんと天羽くん、いつも寄席の会があると一緒にチケット買って出かけるんだって!」
「寄席? 落語かよ」
「そうなの。近江さん、天羽くんに落語の会へ誘われて、そのセンスが気に入ったんだって。その後近江さんも自分でいろいろ勉強して今では、若手お笑い芸人の卵を見つけて情報集めることが趣味になっちゃったんだって!」
あの、たわし頭の気取った女子がお笑い芸人に夢中とは誰も想像できないだろう。
「なんか、天羽がベタ惚れする気持ちが少々分かるような気がしてきたぞ。俺も優ちゃんが」
「はいはいそこのロリコン、静かにしなさい」
はっさりはたかれ、しかたなく黙った。美里は手を叩いて喉で笑った。
ーーだんだん美里も、調子取り戻してるってことか。
ーー立村がいなくても。
すでに周囲では、「立村上総と清坂美里との交際は、評議委員長選挙のどたばたにより、結局自然消滅した」とする見方がほとんどになりつつあった。
三年D組の連中もほとんどはそちらに与しているだろう。
実際は何事も起こらず、今まで通りの静かな流れだと聞いているが、実際は美里も最低限の会話しか立村とは交わさないようにしているしそう思われても不思議はないような言動を続けている。立村も露骨に避けるわけではないが、できれば静かな方を望むような顔をするので自然とカップルめいた行動は減っている。
ーー今年はやらねえみたいだもんな、例のビデオ演劇も。
立村が去年、一昨年と頭を抱えていた「評議委員会製作オリジナルビデオ演劇」も同じく自然消滅と相成ったようだ。
もともと二年上の先輩が持ち出した企画を育てていって受け取っただけのもの。詳しいことは知らないが、目立つことがいやな立村にとっては苦行だったと考えるのは正しいと思える。決めたのはもちろん、現評議委員長である天羽忠文だろうが。
ーーそうだ、天羽が決めたんだわな、全部。
評議委員会で立村がどんな苦渋を舐めているのかはわからない。貴史もあえて首を突っ込もうとはしなかった。
したことといえばひとつ、菱本先生に確固たるアドバイスを行っただけ。
「先生さ、悪いけど、立村はしばらくほっといたほう絶対いいぞ。あいつ半端でなく落ち込んじまってるだろ? 天羽たちもなんとか立村の立場守ってやろうってしてるけど、そこで余計なこと言ったらこの世から消えたくなっちまうもん。俺なら平気だけど立村なら絶対再起不能になっちまうよ。ま、だからしばらくそおっとしておいて、少し元気になってからしゃべったほうが絶対絶対いいって!」
菱本先生は最初口をへの字に曲げていたが、最後は納得してくれた。
「羽飛がそう言うなら、まあいいだろ。それなら羽飛、あとはお前が責任もって面倒みてくれよな」
「へ、責任?」
「そうだ、うちのクラスについて少し、面倒をってとこだ、だろ?」
別に面倒を見るなんてことをしたくはないが、そのことを伝えて以来貴史は菱本先生からしょっちゅう呼び出されて、
「羽飛、実はな、文集のことなんだがな」
「羽飛、実はな、水口のことなんだがな」
「羽飛、実はな、奈良岡の受験のことなんだがな」
さまざまな相談を持ちかけられるはめとなってしまった。期待されるのは結構うれしいので苦にはならないのだが、ひとつ疑問なのは、
「先生、こういう相談、今まで立村相手に持ちかけたことねえの?」
これである。本来、クラスのよしなごとに関しては評議委員たる……委員長ではないが……立村が対応すべき問題のはずだ。
菱本先生の返事はあっさりしていた。
「あまり、ないなあ」
ーーあっさり無視されちまうもんな。
「貴史、あんた、ポッケからなんか落ちたよ。はい、これ」
美里がいったん後ろに駆けていき、拾って持ってきてくれた。出していない年賀ハガキだった。
「あんた、まだ返事書いてなかったってわけ?」
「おお、サンキュ」
「私なんかちゃんと一日につくよう出したもん」
「俺にはよこさねえくせに」
「ばっかじゃないの? お正月一番に顔合わせるあんたになんで書かなくちゃいけないのよ!」
まったくもってもっともな理由を語り合い、笑い合った。手渡しして受け取ろうとすると美里が首を振った。
「どうせ出すんだったら、そこのポストに入れてってあげる。そうしたら出すの忘れなくていいでしょ!」
「やってくれるんなら手間省けてありがたいけどな、じゃあよろしく!」
見られて困る私信ではない。美里はすぐ脇のポストに投函した。
「あのさ、貴史」
再び貴史の隣に並び、ちらりと見やった。
「あんた、いつもあんなシンプルすぎる年賀状書いてるの? ちらっと見たの悪かったけど、あまりにも寂しすぎるじゃないあれじゃ」
「あれ以外何書けばいいんだ?」
「みんな、年賀状には工夫してるんだよ? 家族写真載せたり、かわいいキャラクター入りのもの使ったりしてるんだから。それを何? あれ? もろ有名人のサインですって雰囲気じゃない。一般人があんなことするとわびしいよ」
「いいじゃねえか、俺、スターだもん」
「だったらもっと年賀状に気を遣いなさいって言ってるの! そういうとこが喜ばれるんだから。絵くらいサインペンでさらさらっと描けるでしょ。それにさ、あんた」
さらっと言ってのけた美里。
「せっかく筆ペン使ってるなら、芸術的な文字書けばいいのに。あんた得意じゃん、そういうのちっちゃいころから」
「はあ? 俺、書道はあまり興味ないかなっと」
「ばーか。よく小学校の書き初め大会で賞取ってたじゃない!」
「そんなっことあったっけか」
素手を見つめ思い出した。確かに何度か賞はもらったことがある。廊下に張り出されたこともある。太い筆で大きく「初日の出」とか「謹賀新年」とか書いてかっこよく決めることは嫌いではない。ただ、年賀状なんぞにそんな真面目なこと書いて何が楽しいかとも思う。たとえば、
「あのな、美里、それ立村みたいな奴ならとにかく俺がやってどうするんだって」
雪が細かくちらついてきた。空がだんだん雲で薄暗い色に整えられていく。早く美術館に走った方がよさそうだ。
美里が黙ってそっぽを向いた。
「あいつの年賀状、見ただろ? 毎年恒例のあのどっかのお公家さんがなよなよチックに細い筆で和歌書いているような世界じゃんかよ。あれってどうよ。悪いが俺も本気で年賀状、書道勝負で書いたら勝つ自信あるけどな。けど、こんなくだらんことに力出したくねえよな。やるならたとえばドッジボールとかだな」
もちろん、受け狙いだ。笑ってもらうのが目的だった。
美里は笑わなかった。
「そうだね、立村くんの年賀状、三年連続見たけど」
空を見上げ、唇を噛んだ後続けた。
「女子でもあんな綺麗な文字書くことできる人、そうそういないよね。お母さんにちっちゃい頃からああいう風に書くようにって言われてたんだって。だから小学校の頃からずうっと、あんな年賀状を送ってたんだって。変だよね。あんな年賀状送られたら、綺麗かもしれないけどびっくりして逃げられちゃうよ。それに名前がまずいもん。女子からきた手紙だって、思われちゃうよきっと」
ーーまあ、りつむらかずさという女子がいてもおかしくはないな。
吹き出しそうになり、白い息を思いっきり吐き出す。よく立村が「俺の名前を勘違いして、よくダイレクトメールが届くんだ。化粧品とかのがさ」などと愚痴っていたことを思いだした。中性雰囲気の名前ならばそれはさだめだ。
「美里、立村から年賀状来たのかよ」
「来ないと思ってたけど、届いたよ」
「返事書いたのか?」
貴史がさらに畳みかけると美里は首を振った。
「私だって、ちゃんと一月一日に届くよう年賀状出したもん」
「じゃあ返事か」
「ううん、立村くんちゃんと、元旦に送ってくれた」
ーーと、いうことは。
「年賀状書くだけのつながりはあるってことだよね、きっと」
美里はうつむいたままつぶやいた。貴史も頷いた。
雪を踏みしめつつ、滑らないように厚みのある路を選んで歩いた。
うっかりつるつる光ったところに足を載せると尻もちついてしまいそうになる。
「あのさ、美里」
「なあに」
「結局立村とはどうなんだ?」
怪訝な顔で美里が立ち止まった。驚くのも無理ないとは思う。貴史はしばらく美里から立村との交際について話を聞いていなかった。様子を観察することにより、すっかり縁が切れた=別れた、わけではないと判断してはいたが美里自身からは聞き出していなかったからだ。美里も評議委員長改選以降、、腫れ物に触るように接しているしそれは貴史や菱本先生その他一部の男子連中もそうしている。付き合い云々はとにかくとして、これから先の交際についてはあやふやなままにつないでいきたいようだった。
「どうもしないよ。今まで通り」
「年賀状よこすくらいだもんな」
「あの人、嫌いになったら絶対年賀状出さないよ。そういう人だって知ってるじゃない」
美里は言い切った。
「でも、どうでもいい人だから出したってことも、あるよね」
「はあ?」
「少なくとも私たち、立村くんがあんな品のありすぎる年賀状を送りつけてきても、こいつ馬鹿じゃないのとか思って無視したりはしないよね。そういう相手だってこと分かってるから送ってくるんじゃないの。悪いけど立村くんみたいな年賀状なら、普通の女子、縁切りたくなると思うよ」
「ひえ、そこまで言うかよ、こええなあ」
「怖いから言ってるんじゃないの! とにかく立村くんは変なの!」
断言した後美里は黙った。そのまままっすぐ歩き続けた。雪が本降りになる寸前、無事美術館のエントランスへたどり着いた。肩と腕の雪を払い、さっそく中へと入っていった。思ったよりも人が入っているのに驚いた。見上げると巨大な奴凧が天井からぷらぷらぶら下がっていた。
「あれ、あそこにいるの、小春ちゃんじゃない?」
凧に手が届くかどうか、無理を承知で手を伸ばしていたら美里に尻をはたかれた。
「あんた何やってるの、猫じゃないんだから」
「ああ? 誰かいるのか?」
聞いていなかったので尋ね返した。
「ほら、A組の西月小春ちゃん。評議委員会で一緒だったけど。あれ?」
言葉をひそめるように美里は、貴史の耳元に囁いた。
「A組の、片岡くんじゃない? 隣の男子」
ちょうど第一展示室の奥の戸から出ていこうとする四人組に目が留まった。観察しなくてもすぐにそれと気がついた。
コート姿の男ふたり、女ふたり。
ーーそうだそうだ、A組の片岡だ。それと西月かあ。
三年前期までは女子評議委員だった西月小春。しかし天羽への想いを露骨に拒絶され、その弾みで言葉が発することができなくなったと聞く。
A組の女子たちは天羽に全責任があると訴えるが、ほぼすべての男子たちは「あそこまでしつこくアピールされたら、男は大抵逃げる」と口を揃える。
その、ある意味「お荷物」だった西月小春を引き取る格好となったのが、クラスメートの片岡司だと聞く。
いろいろ訳ありの、しかし天羽からすると「性格のいい」奴らしい。貴史も直接しゃべったことはないのでノーコメントとしておく。
なお、もうひとりやたらと背が高く、エントランスの奴凧をもしかしたら引きちぎれそうな女子については顔を見た記憶があるだけで、何者なのかはわからない。これも知らないことにしておく。
「小春ちゃん、可哀想」
美里がつぶやくのを聞いた。返事はしなかった。
「だって、ひどいよね。天羽くんもひどすぎるよ。いくら小春ちゃんのこと嫌いだからといって、下着ドロした男子に押し付けるなんて。許せないよね」
小柄であどけない眼差しの片岡は、貴史たちに背中を向けるようにして、西月小春の側に寄り添っていた。その側には一回りまあるい長髪の男性が、スーツ姿でいろいろ話しかけている。三人で仲良く美術鑑賞を楽しんでいる様子に見えた。
「別に、楽しんでるんじゃねえの?」
貴史が答えると即座に否定された。
「楽しめるわけないじゃない! 好きな人に嫌われて、好きでもない人に好かれたって何もうれしくないに決まってるじゃない!」
前の三人を五メートル後ろからじっと睨み据え、美里は貴史に告げた。
「小春ちゃんたちに気づかれないよう、少し離れて見ようよ」
「面倒なことになるのはごめんだもんな」
貴史も異存はなかった。のんびり、ゆっくり、途中休みながらしゃべることにした。混み合っている館内、うまく距離を取れば気づかれずにすみそうだった。