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第一部 4

第一部 4


 立村とゆっくり話ができたのは次の日の放課後だった。

 同じクラスでありながらなぜか、なかなかゆったりと語り合う暇がない。

 男同士何を気持ち悪く語るのかと問われればそれまでだが。

「立村、これから暇か?」

「一応は」

「じゃあ、学食でなんか食ってかねえか?」

 かすかに迷惑そうな顔で俯くのも奴のくせだ。気にしてちゃあ話なんてできやしない。ただでさえ泣く子も黙る青潟大学附属中学評議委員長という肩書がまぶしい立村のこと、そうそう簡単に引き下がってはいられない。

「いいけど」

 いつのまにか隣には我が三年D組の下ネタ女王・古川こずえが陣取っている。黙っていればいいのに茶々を入れてくる。

「いやあ、どうしたのさ、あんたたちデート? ねえねえ私も混ぜてよねえ」

「古川さんは羽飛だけが目当てだろう?」

 ずいぶん立村も切り返しがうまくなったものだ。立村と美里が学校内の公認カップルであることと同様、古川こずえが貴史にほれ込んでいるというのも隠し切れない事実。もっとも貴史なりに誤解を招く言動は控えるようにはしている。妙に期待させたくはない。なにせ貴史の愛はすべて、我が愛する……。

「鈴蘭優には負けないもんね。あっそうそう、美里も一緒でもいいけどさ」

「悪い、今日は野郎同士で語りたいことが山ほどあるんだ。おなごどもには用がないのだよ」

「おなごとは何よねえ。まあいっか。立村、私が身を引いてやるからさ。貴史に思う存分甘えてきな。どうせ本条先輩とはまだ顔合わせてないんでしょ」

「余計なお世話だ」

 かすかな不機嫌が、こずえの言葉でさらに増幅されているようだ。幸い美里は教室にいない。美里に絡まれたらまた面倒だ。さっさと逃げ出した方が得策だ。

「じゃあ行こうぜ、立村、うるせえ女子連中から逃げ出すとするか」

「同意」

 だいぶ暑苦しい襟元のボタンをひとつ外し、それでもシャツの裾をきちんとベルトの奥に収めたまま立村は席から離れた。鞄を肩にかけるようなしぐさが妙に似合っていない。悪ぶっているのかそれとも威嚇しているだけなのか。それなりに男子の気迫を見せ付けたいお年頃らしい。もっとも全く効果はなさそうだ。貴史から見たら付け焼刃、単なる、

 ──おぼっちゃまの背伸び。

 でしかない。


 いつもなら立村の場合、評議委員会関係で他クラスの男子評議委員たちとつるみ、あれやこれやと語り合うのが常だった。委員会という世界に貴史は最初から首をつっこんでいないので、具体的にどういうことを語り合っているのかは美里を通じて伝え聞くしかない。美里も立村と一緒に評議委員を三年務めているわけだし、それなりに貴史も愚痴を聞かされる。その内容から、かなりややこしい展開が繰り広げられているという事実関係だけはだいたいわかる。ただ、立村自身はあまり評議委員会に関する話題を口にすることはなかった。

 ──本条先輩がいないからだろうな。

 一年上の先輩で、前任評議委員長だった本条先輩。別名、立村の本当の恋人……もとい「ホモ疑惑」の相手。いやいや真実は立村の兄貴分なのだが、今年から公立高校へ進学してしまったこともあり、連絡がなかなか難しいらしい。同じ青潟大学附属の高校に進んでくれていればまた事情も違ったのかもしれないが、私立と公立との距離は想像以上に隔たりあるものらしい。立村も口に出すことこそなかったが、かなりしんどそうだった。貴史が気付くくらいなのだから、相当なもんだろう。

 いつものように大学の学生食堂へと向かう。

「ああ、腹減ったなあ」

「もうそんなに空いたのか」

「立村、お前消化不良?」

「そんなわけでもないけど」

 一階のカフェテリアで注文するのはいつもカツ丼だ。そのくらい腹に収めないと気合が持たない。一方立村といえば飲み物かせいぜいおにぎりくらい。よくもまあ家まで自転車漕いで帰ることができるものだと感心する。

 いつもの真四角なテーブルに陣取り、近くで大きなテーブルを占領して騒いでいる大学生たちを横目に見つつ、まずは食った。

「よく食べられるよな」

「お前が食わなすぎるんだよ」

「夜のごはんが食べられなくなるしさ」

 グレープスカッシュを紙コップですすりながら立村は鞄を脇の席に置いた。

「それにしても、疲れるよな」

 ぼそりと呟いた。

「なんでだ?」

 美里のことか?と本当は問いたい。前日の諍いを側で観察していた貴史としては、少々おせっかいしてやりたい気持ちもある。ぎくしゃくしているカップルを眺めるのは他人事だと面白いのだが、貴史の場合美里から多大なる迷惑をかけられるのでできればよりを戻してもらいたいものである。

「評議委員会でさ」

 立村は全く別のことを口にした。

「天羽たちと話をしているんだけどさ、なかなか意見が合わないんだ」

 奴にしては珍しい。立村はあまり貴史に評議委員会に関する話題を振ったりしない。最初から話にならないと割り切っているのか、それともあまりにも面倒なことが多くて思い出すのもいやなのかのどちらかだろうと思っていた。

「へえ、天羽がたとか」

 もっとも貴史も、先日の修学旅行を通じて複雑な諸事情を知らないわけではない。

 いきなり四日目、立村と轟琴音とのデートに関する手伝いをさせられたり、かと思いきや天羽と難波、更科の評議委員三名に取り囲まれて美里との関係について揶揄されたらりと、それなりにかきまわされてはいる。もう一週間以上も経てばそれは過去。すっかり忘れていたのだが、立村にとってはまだ現在進行形らしい。

「羽飛、今の評議委員会と生徒会との関係って、なんかいびつだと思わないか?」

 貴史が口の中に箸をつっこんだままでいると、立村はゆっくりと語り出した。

 本当にこれは、稀に見る展開だ。美里のことなどどうでもいい。立村評議委員長の内部事情を直接聞き取るチャンスでもある。

 ──相当、きてるってことだなあ、立村の奴。


 静かな口調で、しばらく立村は囁き続けた。本人は真面目に語っているつもりなのだろうが、貴史からしたらさやさや呟いているだけに聞こえる。もっと腹から声出してもこの場で盗み聞きされる心配はないと思うのだが、立村にもそれなりに考えることがあるのだろう。

「俺が評議委員会に入った時も変だと思ってたんだけどさ。評議委員会の言い分に生徒会が何も言い返せない状況って、不思議だったんだ。学校の代表としてまず生徒会が存在していて、その内部組織として評議委員会をはじめとする委員会が繋がっている、それが普通の形じゃないかな」

「まあそうだ」

 小学校の児童会でもそんな感じだった。委員会がこれだけ威張っている学校はそうそうないだろう。

「でも、青大附属の場合は違う。評議委員会がとにかくトップに立っていろいろと行事を司っている。それはそれで悪くはないけど、やっぱり不自然だよな。生徒会の仕事を取ってしまったようで、何か違和感があるんだ」

「けどそれでうまく行ってたんだったらそれでいいんじゃねえの」

 詳しいことはわからないので適当に相槌を打つ。曲りなりにも立村は評議委員長なのだ。自分で口にしているくらいだから自覚もあるのだろう。自分が生徒会を追い抜いたトップの地位にいるということを、認識はしているだろう。こういっちゃ何だが、自分が一番と人差し指立ててポーズを取ってもいいくらいだ。

「何言ってるんだよ。立村、その自信ない態度なんとかしろよなあ。だから天羽らにもやいやい言われるんだぞ。余計なお世話だって言い返せねえじゃあねえだろが。せっかく評議委員会でトップに立ってだ。生意気言ってた新井林を黙らせて、あとは怖いものなしだろが」

 気弱なことを言う立村ではあるけれども、それなりに結果は出してきたんじゃないだろうか。傍から見てもまず、一年後輩で高い評価を受けてきたという新井林健吾との勝負をそれなりに決着つけ、上下関係をしっかりと教え込んだことは立村の成功例としてあげてもいいんじゃないかと思う。また二年の冬から三年春にかけては、評議委員会と生徒会との合同交流会……つい五日くらい前に行われたばかりだが……を行い、一般生徒たちも集めてかなりの盛り上がりを見せたともいう。貴史はたまたま小学校時代の友だちと用事があったので参加しなかったが、立村が提案して始めた企画がそれなりに評価されていることは聞き知っていた。

 もっと威張ってもいいのだ。

 もっとそっくり返ったって誰も文句を言わないのだ。

 ──なのになんでだろうな、こいつは。

 ずっと本条先輩の弟分だった頃と変わりなしの気の弱さに、一発どやしたくなるのもわかる。美里がぎゃあぎゃあわめくのもほんの少しだが、理解できる。

 またこうやってわけのわからないことを言い出したりもする。

 

「俺が言いたいのはつまり、これから先のことなんだ。評議委員会をこのまま独立した組織のままで置いておくのは、よくないと思う」

「よくないって何をだよ」

 立村はジュースの入った紙コップを机に置いた。相変わらずさやさやささやき声で続ける。

「今まで評議委員会がトップの立場のままで走ってこれたのは、委員長が結城先輩や本条先輩だったからなんだ。特に本条先輩がやりやすいようなしくみで、周囲がみな納得してしまうような人だったからこそ、うまくいったんじゃないかな」

「まあなあ、本条先輩はすげえよなあ」

 確か、ふたり彼女がいてどちらともよろしくやっているという話を美里から聞いている。ひとりでも面倒くさそうなのにずいぶんエネルギーのある先輩だと思う。

「本条先輩だったら、生徒会を押さえ込んで評議委員会が主流でいろいろなイベントを企画できるんだ。先生たちも受け入れるし、全校生徒も盛り上がるし、生徒会側もそれなりに頭下げるしさ。けど、今は違うよ」

「立村、お前だからか?」

「そう、そうだよ」

 ひとつ、大きな溜息を吐いて立村は頷いた。

「今までうまく行っているのは、本条先輩が作ってくれた道をそのまま歩いていられるからであって、これから先俺が仕切ることでうまくいくとはどうしても思えないんだ」

「だから、なんでお前こうもぐらぐらしてるんだよ、ったく誰もそんなこと思ってねえだろうが!」

 いらいらする。悪いが天羽たちの苛立ちがよくわかる。こんな評議委員長を頭にもっていたら、そりゃあつんつん突っつきたくなるのも最もだ。

「だから、俺が考えているのは」

 言葉を切った立村が、暫く天井を見上げてネクタイをいきなり締め直し始めた。

 かなり蒸している室内で何を考えているのかわからない。

「俺は、そろそろ評議委員会と生徒会が同じ立場で活動する時期に来ていると思う」

「同じ立場ってどういうことだよ」

「つまり、評議委員会が独占していたイベントとか行事とか交流会とか、そういうものを生徒会と一緒に切り盛りしていく時期に来たんじゃないかなってさ」

「とっくにやってるじゃねえかよ」

 ──この前の水鳥中学との交流会はそうじゃなかったのか?

全くよくわからない話を立村は長々と続け、言い切った。

「そのためには俺の任期の間に、きちんとした『大政奉還』を、評議委員会から生徒会に対して行う必要がある。羽飛、どう思う?」


 『大政奉還』

 いきなり歴史の重要事項が飛び出したのには驚いた。

 立村の口から、テスト後の答え合わせ以外ですべり出てくるとは思わなかった。

「おい、立村、『大政奉還』って徳川幕府から江戸幕府へ最後の将軍徳川慶喜が返したあれのことだろ?」

「そう、ちょうど今の状況って、幕末の混乱時期に物凄く似ている。絶対的な権力を持つ将軍がいなくなって、民衆がみな不安でばたばたしていて、それで黒船とペリーが乗り込んできて、なんかこのままじゃまずいと生徒たちもみな感じているというかさ」

「じゃあ誰だ? 立村は坂本龍馬にでもなるつもりかよ。それとも西郷隆盛か勝海舟か。青潟の時代を変えるつもりなのか? 似あわねえよおめえには。やめとけやめとけ。お前がそんなことしでかすよか、もっと将軍として堂々と立ってろ。朝廷が生徒会とするなら、そのまんまお前が三代将軍立村として君臨すればいいことじゃん。生徒会だって、B組の藤沖、ほら、あの会長、奴もそんなに文句言ってねえようだしいいじゃんいいじゃんいいじゃねえか。泰平の世が一番だぞ。もし血迷って『大政奉還』なんてやらかしてみろ。あっという間に生徒会から身包み剥がれてただの委員会に成り下がっちまうだけだぞ。そうなったら全然お前いばれねえじゃん。もったいねえなあ」

 ばかばかしすぎる。立村が何を考えているのかわからない。美里がいらだつのも最もだ。こんな話を美里はデートの真っ最中にも聞かされているのだろうか。甘い会話もなく、ただ「青大附属評議委員会の先を憂い」などと語っているのだろうか。たまったもんじゃない。

「それにだ、天羽だっておもしろかねえよ。そんなことされてみろ。せっかくいろいろビデオ演劇やら交流会やら遊んでこれたのが、全部生徒会に奪われたらたまったもんじゃねえだろ。立村だけじゃねえぞ被害被るのは。それよかもっと他の奴の立場も考えろってんだ。ま、俺としては天羽にひとつ恨みあるんで、奴をかばう気ねえけどな」

 理由なんて説明するつもりはない。かつ丼のご飯粒を残さずかきこみ、すとんと丼を置いた。満腹満腹、満たされた。


 立村は紙コップをつぶし、ゴミ箱に捨てた。立ち上がり腕時計を覗き込んだ。

「そうだな、妙なこと言って悪かった」

「んなこと考えてるよかお前、美里とどうやって仲直りするつもりなんだ?」

 本来の第一議題をぶつけてやった。どうやらその言葉はすり抜けたようで返事はなかった。

「羽飛の意見、参考になった、ありがとう」

 ちっとも参考になんてなってないと顔に書いてある。立村にとって満足行く言葉を返すことはできなかったようだった。しかしそんなこと言われても貴史としてはあれが精一杯だ。評議委員会の話なんて、いきなり振られてもどう答えろというのだろう。「大政奉還」なんてこと考えているよりも、もっと足元の問題を考えるべきじゃないかと思う。たとえば相変わらず険悪な菱本先生との関係とか、美里のご機嫌伺いとか、美里の不機嫌の一因である一年後輩の女子の件……確か杉本梨南とかいった、性格の悪すぎる女子のことだ……にもう少し手加減しろとか、いろいろ問題はてんこもりのはずだ。

「それはそうと、お前結局写真、買わなかったのかよ」

 背を向ける立村を追いかけて貴史は尋ねた。肩を並べた時立村はぼんやりした表情のまま、あっさり答えた。

「清坂氏の獲った分から追加注文した」

「あ、美里から買ったのか」

「あとが面倒だしさ」

 もっともだ。やっぱり立村なりに美里のご機嫌伺いの方法は考えているようだった。

「それ、美里に言ったのか」

「言わないと注文できないだろう」

 学食の入り口でふくれあがるざわめきにかき消されて、立村の答えはそれ以上聞き取れなかった。


 立村が青大附属中学評議委員長としての意志を貴史に伝えたのはこれが初めてだった。

 いや、聞かせてもらったことがあっても記憶してはいなかった。

 「大政奉還」の話題も自転車置き場へ向かう間に貴史の頭から霧散した。

──ったく立村の奴、自信喪失してやがるしなあ。黙ってればこのまま評議委員長で卒業できるってのに。何いきなりあせってるんだ?

 そちらの方が気に掛かるものだった。まあいい、美里とはよりを戻したようでなによりだ。これで貴史も、美里から愚痴の飛礫をぶつけられなくてすむ。お互いまずは「今」の問題を片づけられてなによりだ。



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