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第一部 32

 

「おばさん、美里が帰ってきたら絶対電話よこせって言っといて」

 先に帰った貴史は、まず清坂家に立ち寄り言伝しておいた。

 やはり当事者である美里から話を聞かないことには何も始まらない。

 すでに始まっているのかもしれないが、それこそ「霧の中」。道徳の授業で読まされたドイツかどこかの詩人の一文が身に染みてよくわかる。真っ白で本当に何も見えない。他人事だから「闇」ではない。ただ何が何だか分からないというそれだけだ。


 結局、貴史は委員会に関わっていないのでどうしても霧の中から抜け出せないままだ。

 今までは三年D組の中で起こる出来事として、立村および美里との「友達」として首を突っ込んできたけれども、一歩教室を出るとそこからは異世界だった。

 ーー結局なんもわからねえままじゃねえかよ。

 評議委員会がきわめてややこしい組織であることくらいは聞き知っているし、暗躍する奴らとも話をよくする。たとえば天羽、難波あたりなど。

 でも最初から「友達」としてつながっているからこそ、語ることができるもの。

 ーー立村もあの調子じゃあがんとして口割らねえな。

 奴の性格が一筋縄ではいかないことを、貴史はいやというほど思い知らされている。

 生徒会改選がらみの騒ぎで立村がどん底に落ちたまま這い上がれずにいることくらいは見えるが、はたしてそこから貴史がどう関わっていけばいいのかがわからない。かかわりたいとは思っている。でも、どうやって?


「貴史、うちに来たんだって?」

 三十分も経たないうちに、今度は美里が家に飛んできた。息切らしている。走ってきたのだろう。

「わっけわからねえだろ、お前に聞かねえと明日からどうすりゃあいいんだよ。修羅場だぞ、まじで」

「そう、そのことで話があったんだ。外、行こう」

 うちの中で話せることではない。それはそうだ。だいぶ暗くなってきていたが、とにかくふたりきりでしゃべることのできる場所を見つけるしかない。朝っぱらではないし草むらに隠れてどうのこうのというわけにもいかない。外は猛烈に寒いので屋根のある場所を探すしかない。

「じゃ、デパート行こうよ。あそこなら夜七時くらいまで開いてるし、あまりうちの学校の人こないし」

「こそこそする必要もねえと思うがなあ」

「あんたはよくても私が困るの!」

 もやっとするものが腹にたまる感触あり。返事をせず貴史は外に出た。制服のままで茶色のコートを羽織っている美里、その横顔をちらっと見た。

 ーー相当、何かどんぱちやらかしたな。

 

 繁華街は不良の溜まり場と言うけれど、貴史にとっては金のかからない打ち合わせ場所に過ぎない。

 意外とデパートには学生が少なく、しかも何時間座っていても追い出されない。階段踊り場のトイレ前椅子が一番ベストだ。その辺は美里も心得ていて、即席を発見してくれた。

「取り急ぎね、あんたに協力してもらいたいこと、言うね」

 コートを着たまま美里は座るや否や切り出した。

「来週、生徒会役員改選で結果が出たら、すぐクラス内の後期委員選びをロングホームルームでやるよね? その時、菱本先生のお祝いをやりたいの」

「いきなりかよ? 早くねえかよ。びびるぞ先生」

「うん、予定では二学期の終業式にみんなでお祝いの会を開こうと思ってたけど、今回は特別。びっくりさせたいの」

 てっきり立村のことで、委員選出の根回しを頼まれるのかと思っていたのに、調子が狂う。

「けど、委員選びが先だろ? あっという間にたんたかたーんたんたかたーんのお祝いが終わっちまうのはもったいねえよ。もっとな、派手にぱーっと」

「もちろん正式にはあとでもっと楽しく時間とってやるつもり。でも、どうしても来週でないとだめなの」

「なんでだよ」

「立村くんの」

 美里は言葉を切った。指をぽきぽき折っている。指が太くなるぞとつっこみたいがそんな雰囲気ではない。

「選択肢を選ばせたくないの。立村くんがそのまま評議のままでいるためには、それしかないの」

 ーー古川に入れ知恵されたな。

 放課後、古川こずえのささやきにかき乱された何かが、ふっと浮かんだ。


「古川も言ってたな。立村を無条件で評議に選出するにゃあそれっきゃねえと」

「そう。こずえの提案なんだけど、でも、そのままだと無理。わかるよね」

 わかるわけないが、頷いておく。

「これで決まりです、終わり、って風にあっさり進めばそれでいいけど、中にはいやだって子もいるよ。立村くんの存在自体が許せないって言ってる人だっているし。それに藤堂くんも立村くんの態度にむかついたみたいで、友達としても縁を切るとか言ってるし。だんだん味方がいなくなってるよ。もし私が無理やりロングホームルームで委員選びを進めたら、きっと誰かが怒ると思うんだ。だから、そのために」

「話が全然見えねえんだけど、つまりこういうことかよ」

 わかるようでわからない。貴史なりにまとめてみた。

「普段なら一時間みっちり委員選びに使うところを、今回は菱本先生ご婚約おめでとうパーティーに回して、残りの時間でちゃっちゃと終わらせるって企みかよ」

「そう。あんたの言う通り」

 ーー哀れだよなあ、菱本先生、だしに使われてるじゃねえの。

 笑いがこみ上げるが美里がふくれそうなので黙っていた。

「こずえの案を半分もらって、できるだけてきぱき決めるように進めていくつもりなの。今回、立村くん以外に誰かが委員として入れ替わるってことはないはずだから、たぶん大丈夫だと思うの。で、なんでそうしなくちゃいけないのか、その理由が必要なの」

「菱本先生、おめでとうございますの時間にまわすということかあ」

「そう。菱本先生へのお祝いはどちらにしても私たち三年D組一同で何かする予定だったものね。立村くんだけは死んでも参加しないと思うけど、来週サプライズでいきなり始めたら、いやおうなしにその場にいなくちゃあいけないじゃあない? 立村くんだって、逃げるわけいかないよ。形だけかもしれないけど、クラスメートとして全員がお祝いするって形には持っていけると思うの」

 前もって準備をするのではなく、びっくりさせるといった寸法か。

「悪くはねえけどな、けどあと一週間だろ、何ができるんだ? お祝いプレゼントとかなんか作るのか? 食い物出すのか? 余興はなんかやるのか?」

「まさか! 貴史あんたなんかやりたいんだったら二学期の終業式までに仕込んどいてよ。今のところ考えてるのは彰子ちゃんの手作りクッキーと、女子みんなで手作りの安産マスコットを作ることくらいなんだけど。女子たちには私じゃなくてこずえと彰子ちゃんたちから協力をお願いすることにしてもらえばたぶん、大丈夫だと思うんだ。あとは、そうだそうなの、貴史、あんたに頼みたいことってそこなの!」

 両手を膝の上で握り締め、美里はまっすぐ貴史の顔を見据えた。今にもぴょこんと跳ねそうなうさぎのような眼差しだ。

「女子はなんとかするけど、男子全員で何かできないかなって思ったの。たとえば、あんたの大好きな鈴蘭優の歌を合唱するんでもいいし、その場で全員阿波踊りしてもいいし、とにかくお祝いしてますって雰囲気の何か、やれないかなって」

「お前俺が何を考えてると思ってるんだ?」

「もちろん、お祭り。悪いけど獅子頭は無理だからね」

 きっぱり美里は言い放った。反射的に貴史も美里の頭をはたいた。間髪入れずに足で蹴り返された。

「三十分くらいは先生へのお祝いで時間を潰したいの。そうすれば残り二十分から十五分くらいで委員決めることになるでしょ? なんでそんなに急いでいるのかって言われたら、菱本先生のお祝いですって言えばすむじゃない? 理由が必要なの。一瞬でも立村くん以外の人が評議委員になるって可能性を感じさせたくないの。そのためには、考える時間を短くしなくちゃいけないの!」

 膝に一枚、ガムを載せた。いわゆる賄賂という奴か。貴史はすぐに口へ放り込んだ。


 こずえからあらましを聞かされた時はかなりむかついたが、こうやって美里から新しい提案を受けるとなるほどと頷けるところもある。

 実際、菱本先生の結婚祝いについてはなんらかの形で派手にやりたい気持ちは持っている。

 もし、きっかけ作りの一端とするならば、それはそれでいいのかもしれないとも思う。

「しっかし、手回し早すぎるんじゃねえのか? そりゃ、まあ、奈良岡お手製クッキーはすげえうめえけど」

「でしょ? さっき彰子ちゃんにはいいよって返事もらってきたよ。こずえにも話したし。あとは男子だけなんだ。私があんまりでしゃばると、また関係ない人たちがああだこうだって騒ぐからめんどうなの。貴史たちがやってくれれば、問題なく事が進むと思うんだ」

「まあなあ、立村のことを考えると、やるっきゃあねえだろって気もするけどな、ただ」

 貴史はひとつ、気になることを聞いてみた。

「万が一、立村が評議委員長にならないとしたら、代わりに誰がなるんだ? ま、そんなことねえと思うけどな」

「たぶん、新井林くん。去年も候補に上がっていたし、新井林くんが本気で委員長になるって思っているんだったら厳しいと思う。それに、生徒会改選の結果にもよるけどもし佐賀さんが生徒会長に当選したら、その時は新井林くん、がむしゃらになって委員長になりたいって思うんじゃないかな」

「男の面子って奴かよ」

「うん」

 美里は大きく頷いた。目を伏せた。

「去年立村くんが委員長に指名してもらえたのは、本条先輩が後ろ盾についてたからよ。本当は立村くん、先輩たちからも頼りないって言われていたし、できれば天羽くんあたりに委員長をって話が出てたらしいもの。けど、本条先輩が反対を押し切って決めちゃったの」

 ちょっと待った、今、美里は「天羽くんあたり」と言わなかったか?

 何か小石がどこかの血管につまったようだ。もろ、ひっかかる。

「美里、ちょい待て。最初、天羽が委員長候補だってのは本当なのかよ」

「そうだよ。特に二学年上の結城先輩がお気に入りにしてたの。私たち女子評議もなんとなく、次は天羽くんかなって思ってたし。けど、本条先輩がずっと立村くんをひいきしてたから、いつのまにか忘れてたけど。あ、でもね、天羽くん、立村くんのことを応援してくれてるしやっかんでなんかないと思うよ。男子評議って気持ち悪いくらい仲がいいもん、私なんかおっぽり出されてる」


 ーー気のせいかよ。

 そうだ、たぶん、気のせいだ。

 なんでひっかかったのか自分でも見当がつかない。

 立村が評議委員として頭角を現してきたらしいという噂を耳にしたのは、確か一年の後半あたりだったと思う。

 評議委員会は別名「青大附中の演劇部」と評されていて、年に一回、主に冬休みを使って「ビデオ演劇」と称する作品をこしらえるのが常だった。

 一言で片付けるならば、「下手な演技を台本通りに演じて、それを家庭用ビデオカメラでそのまま撮影する」だけのもので実に退屈な代物だ。

 ただ、誰も「ビデオ演劇」を作品とはみなしておらず、評議委員の誰それの変貌した姿をネタにしておもちゃにするのが目的のもの。

 一年冬の「ビデオ演劇」で、なぜか……当時評議委員長だった結城先輩の趣味で……忠臣蔵を題材として取り扱った際、立村の役割が浅野内匠頭だったことが、ひとつのきっかけだったのではとも噂されている。貴史もあまり覚えていないが、その際美里が本条先輩と組まされて「落人」のお軽だったこと、他の同期男子たちが四十七士にあっさり組み込まれていただけだったことを考えると、大抜擢だったのではとも思う。

 ばりばりぶっちぎり野郎の本条先輩がどうして立村を気に入ったのか、その辺は今だに謎だ。

 本条先輩の後ろ盾あっての立村評議委員長。

 とすると、やはり。

 ーーかなり、やばいってことだわな。

 美里の不安がる気持ちは確かに、わからなくもない。

 ーーけど気づいてねえよな。美里の奴。

「けどね、大丈夫。いったん委員になればみんな、あっさり立村くんに協力してくれるよ。立村くん自身はやる気全然ないけど、他の男子たちはなんとかして委員長のままで卒業させようって気持ちあるみたいだし。難波くんだって、更科くんだって、天羽くんだって。みな、裏で手を回してなんとかしようとしてくれてるよ。立村くんには腹立つけど、しょうがないよね!」

 ーー本当に分かってねえな。美里。

 今の美里は目の前の出来事しか考えていない。貴史からするとこれから先一番の難関は評議委員長に再選されてからのちのことだろうと思うし、立村もその覚悟はしているはずだ。もちろん立村は評議委員長として生徒会と評議委員会との間で「大政奉還」かなにかを企んでいるのだろうし、まだまだやりたいこともあるだろう。しかし、美里たちにかばわれるようなみっともない真似をはたしてしてほしいと思うだろうか。貴史だったらごめん被りたい。それこそ「男の沽券」に関わる。

 ーー止めるべきか。

 珍しく貴史は迷っていた。

 早口で勢いよく計画を並べ立てる美里に対して、どう答えたらいいのかわからない。

 実際、立村はそういう風に面倒を見なくてはならないタイプの奴だから、仕方ないと思えるところも正直あるのだ。

 委員長向きではない、むしろ誰かの引き立てがなくては動けない、そういう奴にも思える。

 美里の考えは間違っていない。ただ、男子としてはむかつく。

 

「美里、万が一だぞ」

 念を押してみた。もちろん美里には感づかれないように、何気なく。

「もしな、立村が評議委員長になれなかったとしたら、どうなる?」

「何言ってるの」

 振り切るように、しゃべるスピードをさらに上げて美里は答えた。

「新井林くんが立候補すればまずいけど、天羽くんたちがうまく何かしてくれるよ。いつもそうだったもん。立村くんの陰でいろいろごまかしてくれたのは天羽くんたちだし。むしろうちのクラスで選ばれるかどうかが一番の難関よ。委員会まで行っちゃえば、あとは、三年同士でなんとかする。評議男子って、ゆいちゃんのことについてはすっごく冷たかったけど、男子同士のことならもう気持ち悪いくらい支え合うから大丈夫」

 ーーま、そういうもんか。よくわからねえけど。


 最後に美里は、怖い顔で貴史に張り付き確認をしてきた。

「今のことだけど、絶対に、立村くんには内緒だからね! それと絶対、立村くんには例の事件のこと、聞かないでね。落ち着くまで、知らん顔通すから。そんなことあったのって顔しててちょうだい!」

「いつまで黙ってりゃあいいんだよ!」

「私がいいって言うまで!」

 ーーってことは卒業までかよ。めんどくせえの。

 

 一段落したところで貴史は家に戻り、即、クラス男子の一部に電話をかけた。

 すでに菱本先生ご婚約の件はある程度知られてきているようなので、話はあっさり通じた。

 約十五分間かけて、いくつかのイベントが決定した。


 1、天才画家・金沢による祝・結婚の絵画。題材は本人に任せる。

 2、男子一同の余興は単純に全員立ち上がり「おめでとうございます」の合唱と拍手のみ。それだけでも迫力あり。

 3、プレゼントは女子に任せ、あとは当日ぎりぎりまで秘密を保つため、少人数で予定を組み立てる。もちろん立村には内緒。


 ーーそんな美里が深刻がるほど、面倒なことでもねえだろが。

 本来立村のすべきことなのだろうが、貴史が代わりに片付けてもまったく問題なさそうなことばかりだった。

 自分で事を進めた方が早い。実感した。

 


 

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