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第一部 30

冷えた身体が自然と温もり熱くなる寸前、貴史の腕を押すようにして美里は顔を上げた。

「ごめん」

 目を伏せたまま、両手で目を擦った。だいぶ落ち着いたように見えた。貴史も少し身体を離すように座り直した。

「聡子姉ちゃん、ばらすかなあ」

「さっきも言ったでしょ。大丈夫だよ。それよか」

 ひとしきり泣いた後はすっきりしたのか、美里は大きく息を吸い込み、

「立村くんのことだけど」

 鼻水をすすり上げた。手探りで何かを探している。たぶんティッシュだろう。バックミラー側のものを手渡した。今度は礼も言わずにしゅっしゅと引き出した。

「今日のことは、言わないでおいてくれる?」

「言うわけねえだろ」

 言い切って迷った。つまり、この場でふたり話をしたことか、それとも。美里が答えを続けた。

「私も、立村くんに、今日のこと見たってこと言わないでおくつもりだから」

「そっちのことかよ」

 どうやら美里は、昼間の修羅場について話しているらしかった。

「うん、たぶん立村くんは、杉本さんのことばっかり考えていて気づいていないと思うんだ」

 いったん鼻をかんで、美里は数回咳払いをした。

「明日の朝、そんなことあったっけって顔して通すつもり」

「おいおいそりゃまずくねえか? 立村が気づいてなくてもなあ、他の奴がお前いたこと見ているかもしれねえだろが」

「そっか、そうだよね」

 貴史の言葉にあっさり美里は頷いた。

「どちらにしても、居心地悪くなることは確かだよね。立村くん。明日から、うちのクラスで何言われるだろ。今日のこと知ってる人絶対いるだろうし」

「古川は知ってたな」

「こずえは私が黙らせるから大丈夫。それより、クラスの女子たちが立村くんに何か嫌味言ったりしないかなって、そのことが心配。たぶん男子たちはあまり気にしてないと思うしそのことに不安はないんだけど」

 いったん話し始めると止まらない美里に、貴史もしばらく相槌を打つのを忘れていた。

「たぶんね、立村くん、何も考えてないと思う。杉本さんのことで頭いっぱいなはずだから、自分がどう言われようがそんなの気にしてないよ。でも、うちのクラスでまたいろいろと問題が起きてしまったらどうしよう。後期評議委員に選んでもらえないかもしれないし。評議委員長に決まってるのに、その前にクラスで選んでもらえなかったらお話にならないよ」

「ああ? ちょいと待て。美里、お前なんで振られた相手にそうもこだわるんだ? ま、立村もどういうつもりか知らねえけどよ」

 貴史はたしなめた。もちろん立村が自分の親友であることに変わりはないが、だからといって美里もそう鷹揚な対応ができる心境じゃないはずだ。長年付き合ってきた彼氏に露骨な形で裏切りを見せつけられてしまい、はたしてそこまでマリアさまのような気持ちでいられるものか。

「振った振られたは関係ないの! 貴史、あんたならわかるでしょ!」

「説明されねばわからねえよ」

「じゃあ言うからちゃんと聞いて!」

 美里が金切り声をあげた。同時に軽い箱のようなものが顔にぶつかった。さっき美里に手渡したティッシュケースだった。


「あのね、仮に私と立村くんが付き合うのやめても、三年D組のクラスメートでいることにはかわりないよね?」

 ティッシュケースを膝に置いたまま貴史は頷いた。

「そりゃまあそうだ」

「でしょ? それに立村くんが評議委員でいることにもかわりないよね?」

「選ばれればな」

「選ばれなくちゃいけないの! もちろん後釜になる奴なんていないと思うし、よっぽどのことがなければそんなことないと思うけど、でもね、女子たちの中には貴史、あんたになってほしいって言う子もいるのよ」

「はあ?」

 露骨に美里が嫌がるのは目に見えている。

「私、何度も何度も言われて耳にたこできてるの! でも、立村くんにやっぱり最後まで評議でいてほしいよね? 男子たちは少なくともそうでしょ?」

 まあ、これ以上面倒は起こしたくないだろう。立村評議委員長で最後まで通してほしいことに変わりはない。

「私もそうなの。そりゃ、もちろん、いろいろあるのはわかるけど、でも立村くんがどんなにがんばっても杉本さんはなびいたりしないから片思いのままのはずなの!」

 美里が話していたことを思い出した。その杉本という女子の想い人は他校の男子だと。

「むくわれねえということな。あれだけ騒ぎを起こしておいたにも関わらず、どうしようもねえと」

「そうなの! だから、立村くんはどちらにしてもひとりぼっちなの。私がもし別れることOKしたら、たぶん立村くんはクラスでも孤立しちゃうよ! 男子たちはみな気にしてないし貴史も南雲くんもいるし、それに評議のみんなもいる。けど、女子の嫌がらせで学校休んじゃったりしたら大変だよ。それに」

 口ごもった。

「なんだよ」

「菱本先生のことだってあるし。菱本先生はきっと立村くんをなんとかしてクラスの仲間に溶け込ませて卒業させたいと思ってるよ。だからあんなに嫌われても一生懸命声かけてるんだろうな。無視し続ける立村くんにも問題があるけど。でもどっちにしても私、立村くんにはクラスのみんなと仲良く、先生とも笑顔で話ができるようになってほしいの。卒業式ではみんなひとりも欠けることなく、参列してほしいの」

 美里が息巻いている間、貴史はぽつりとつぶやいた。たぶん聞き取れなかったのだろう。美里の返事はなかった。

「美里、お前さ、勝ち目のない戦いはしねえんだな」

 ーーつまり立村が振られることを知ってて、その上で待つといった魂胆かよ。


 もちろん美里の言い分は正論だ。そのことに不足はない。

 クラス女子たちが何かかしら立村を攻撃していることも、そのとばっちりで貴史もしょっちゅう評議委員を勤めろという圧力を受けていることも。

 公私ともにパートナーとされてきた美里も、そのことを心配するのは当然のことだろう。

 だが、露骨に振られた挙句、別の女子に熱を上げている立村をかばうにはやはり無理がありすぎる。

 となるとひとつ理由が浮かんでくる。

 すなわち。



 ーー立村は杉本に振られて、あっさり美里の元へ戻ってくる。

 それを見越しての保護者的振る舞い。そう考えれば筋が通る。


「D組男子代表としては、美里がそういう大人のやり方してくれるのは助かるけどな」

「でしょ、でしょ! 立村くんだけじゃない、他のみんなにもプラスになると思うの!」

「けど、立村には知らんぷりで通せると思うか? あいつだって馬鹿じゃねえよ。よくわからねえけど生徒会役員改選に伴うごたごたで大立ち回りしちまったわけだろ? ばれてねえとは誰も思わねえんじゃねえの? 特に美里、お前がなーんも知らねってのは通じねえぞ。あとでばれたらさらにあいつへそまげるだろ」

「そうなんだよね、そう」

 美里は小声でつぶやいた。空気の塊が揺れた。貴史の頬にぶつかる。

「わかってる。私だって、きちんと話さなくちゃって思ってる」

「じゃあどうするんだよ」

「話して、その後で、ちゃんとけじめつけるつもりではいるよ」

「けじめ?」

 言いかけて気づいた。お付き合いしている同士のふたりが使う「けじめ」とはひとつしかない。

「別れるってこと。しかたないよ。それは、仕方ないけど、でもね」

 美里が低くつぶやいた。微かな言葉が貴史の耳元に流れ込んだ。肩をぶつけてくるのがわかる。

「卒業するまでは、私が彼女でいた方が絶対いいの! 立村くんも、それに杉本さんにとってもね」

「ああ?」

 なんと美里は、浮気相手の女子にまで思いやりを持って接したいらしい。信じられない話だ。

 こういう心理を下ネタ女王の古川こずえはどう分析するのだろう?


「杉本さんは立村くんと付き合いたいなんてこれっぽっちも思ってないの。大好きな人のことばかり思って毎日写真を見つめているような一途な子なの。立村くんんが一方的に杉本さんへ片思いしているのかもしれないけど、もし強引なことをしたら今度こそ居場所がなくなっちゃうよ。あの非常識な評議委員長の立村くんは女子なら誰でもいいと考えてる最低の女たらしだって」

「非常識な評議委員長って、その言い方ねえだろうよ」

 髪をぶんぶん振っている。ぬくもりも一緒にぶつかる。

「一年の頃からいろいろあったから、立村くんがいじめられっ子になっちゃう可能性は今、ゼロじゃないはず。杉本さんとの間でまたごたごたあったら今度こそ総スカン食っちゃうよ。立村くんだけじゃない、きっと杉本さんも同じく嫌われ度増してしまうよ。そうしたら、ふたりとも悲劇だし」

 恋のライバルをそこまで心配する余裕があるとは思えない。謎だ。

「けど、もし私が今まで通り付き合っていたら、そんな噂は気の迷いなんだよってことでごまかせるじゃあない? 結局は私と付き合ってるんだから、杉本さんとのことはたいしたことじゃないんだって言えちゃうでしょ。立村くんがどう言うかわからないけど、私とつながってさえいれば、少なくともひとりぼっちにはならないよ。卒業して、高校に進んで、クラスが別々になったらそれはその時考えればいいし。貴史、私の考えてること、間違ってるかな?」

 間違っているも何も、貴史にはまったく理解できない思考回路だ。

 だから女子ってややこしい。


 ーーけど、ま、美里の言う通りではあるよな。

 目が闇にすっかり慣れ、今では美里の見せる細かな表情も伺える。

 第一報をこずえから聞いた時と比べると貴史もだいぶ落ち着いた。

 聡子姉ちゃんに見つかったことは仰天ものだが、美里が言う通りお互い後ろ暗いところがあるらしいし、なんとかごまかしはきくだろう。あとは家に戻った時どう言い訳するかだが、見つからなければなんとかなる。

 ーー美里はどっちにせよ立村と別れるつもりねえってことか。

 それさえわかればあとは楽勝だ。立村の「浮気」とも言える行動を許す太っ腹なところを見せて余裕を持たせ、その上で来年三月の卒業式まで持たせる。その間に美里なりの努力を行い、その上でなんとか立村の気持ちを取り戻すつもりだろう。美里の性格上、そう決めたからにはとことんベストを尽くすに違いない。

 成功するかどうかは立村の反応しだいだが、あの優柔不断野郎が美里の想いをあっさりはねのけるとは思えない。もちろんそれなりの……修学旅行で一夜を明かした仲である以上の……感情は動くはずだし、なによりも美里の言う通り、

 ーー卒業までは絶対に波風立てる気ねえだろ、立村も。

 恋愛云々ではなく、評議委員長としての野心として、決してそんなことはしないだろう。

 男子ならば当然だ。せっかく手に入れたトップの座、もっというならクラス内での代表としての誇り。

 貴史からしたらどうだっていいことだが、いじめられっ子の過去をもつ立村にとっては決して手放したくないものに違いない。美里の言い方を借りれば「居場所」をこしらえたというわけだ。

 いじめられることのない、もう戦う必要のない「居場所」。

 美里の友としては難しいところもあるが、立村の立場を慮ればしがみつきたくなる気持ちもわからなくはない。多少の問題は別として、なんとか守ってやりたい気もするのが貴史の本音だった。

 ーーうちのクラスで卒業ぎりぎりになってわけのわからねえいじめ問題なんか起こしたかあねえよな!

 

「貴史、あんたどう思う?」

 一通り話し終えた美里の呼びかけに貴史は簡潔に答えた。

「お前がその覚悟なら、協力するっきゃねえだろ」

「よかった」

「やっぱし、みんなで卒業してえだろ」

「そうだよね。あんたならわかってくれるよね、貴史」

「あとな、美里」

 そろそろ脱出の時刻。そっと音を立てぬよう車の後部座席ドアを開け、貴史は尋ねた。

「最近お前と新井林とができてるって噂聞くけど、ガセだよな」

 何気なく口にしたつもりだった。一瞬間が空いたが、いつもどおり美里のあっさりした声が聞こえてきた。

「まさか! 誰そんなこと言ったの? そんなこと言ったら私何人の男子と付き合ってるのよ。立村くんと、あんたと、それに新井林くん? そんなに私だって暇持て余してなんかないわよ! どっかのお姉ちゃんと違うんだから」


 ーー立村くんと、あんたと、それに新井林くん? 


 笑い飛ばす美里には曇りなどない。

 ーー当たり前だ。なんだよガセネタ流してるの、シャーロック・ホームズ、てめえだろが、ほれ難波。

 難波のわけあり口調で伝えられた「美里と新井林との交際疑惑」なんてあっさり却下だ。

 滑るように車から降りた。風は完全に収まった。今のうちに駆け出そう。


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