第一部 27
美里がはりきって菱本先生のお祝い企画を進行させはじめたのは、ちょうど生徒会役員改選の行われる一週間前からのことだった。
すでに古川こずえや奈良岡彰子のふたりにも協力依頼を済ませ、当然貴史も手伝ってくれるものと決めつけたかのように、
「じゃあ、貴史、急いで計画立てるからね! わかってる?」
あごでこき使おうとする気配を感じたので即、反論しておいた。
「悪いが俺が計画立てるって言ってるだろが! お前がなにかやらかしたらまた尻拭いするの俺だぞ」
「なによ、いきなりいばんないでよ!」
「いばりちらしてるのは美里の方だろうが!」
もちろん貴史も菱本先生のお祝いをするのには何も抵抗などない。もう少し美里が女子らしく、
「ね、貴史、あんたの力がないとうまくいかないんだ。だから手伝ってくれるとうれしいな」
くらいリップサービスしてくれれば、もう少し気分よく協力してやれたものを。
ーーそれに、妙だぞ、美里。
うまく言えないし、どこがどうというわけでもない。美里をよく知らない奴なら気づかない程度のことだろう。
疾風のごとく走り回る美里の性格は今に始まったことではない。だがしかし、今回に限って言えばやたらと行動が早すぎる。
「だから貴史、聞いてる?」
いらいらしながら机の側で囁く美里。大声でしゃべりたいんだろうが、それができるのは立村がいない時だけだ。
「先生の結婚式、十一月末だって聞いたけど、私たち呼んでもらえないみたいね」
「しゃあねえだろ。まあ、なあ」
密かに呼んでもらえることを期待していたのは貴史も同様なのでそこは頷く。
美里は頷きを返しつつ続ける。
「だから、お祝いを渡すのはやっぱり、教室にしようと思うんだ」
「帰りの会にでもやるのかよ」
「ううん、違う違う。ロングホームルーム」
いきなり囁き声のみ。聞き取れない。
「わりいがお前しゃべってるの聞こえねえよ」
「じゃあいいよ、筆談しよ。いつものパターンだよね」
教室で内緒話をするというのが根本的に間違っている。教室には幸い、美里の彼氏でもある立村の姿がないのでやっかまれずにはすんでいるものの、やはり休み時間女子とふたりで真剣に語り合うというのは、男子としての珍現象とも思う。
美里はノートを取り出した。大学ノートの新しいものをちょうど持っていたらしい。すぐにめくって貴史のカンペンケースからシャープを取り出した。
ーーそろそろ委員の改選があるよね?
あるとは思うが、事実上は前任者の再任だ。たいしたことじゃない。
美里は首を振り、また小さく書き込んだ。
ーーその時のロングホームルームの時までに、プレゼントをこしらえて、寄せ書き集めて、それから渡すの。
「寄せ書きかあ?」
こくこく頷いて美里はさらに下の段へ書き記した。
ーー真ん中に菱本先生の似顔絵書いて、太陽みたいに線を引いて、みんなにおめでとうメッセージ書いてもらうの。
「俺も寄せ書きがどんなものかぐらいわかるぞ」
ーーあと、彰子ちゃんがクッキー焼いてくれるって。
「賛成だ、奈良岡に全部任せろよ。美里、余計な手入れるなよ」
「すっごい失礼!」
とか言いつつも肝心のことはすべて書き込んで行く。ばたばたしているようにも見えるが、文章で読めばすでに美里は計画を着々と進めているようだ。奈良岡へクッキーの件を相談したのもそうだし、事情通のこずえにも話を通しておいたところみると、もう半分以上は片付いているのではないか。何も貴史が手伝う必要なんてなさそうなくらいにだ。少々そのあたりはむかつく。
ーー女子たちにはみんなでマスコット作ることで決定してる。本当は男子たちにも何かしてほしいんだけど、いいのが思いつかない。
「針と糸は勘弁な」
ーーそれでお願いなんだけど。
ここで美里はノートを閉じ、貴史の顔を見つめた。
「貴史には、男子たちが一斉にお祝いメッセージを送るような演出を考えてほしいなって思うんだ」
「なんだそりゃ」
「ほら、たとえば誰かがひとりひとり立ち上がって、ハッピーバースデーの歌を合唱したり、お祝いの言葉を読み上げたりとか、いろいろあるでしょ。そういうのっていいなって思って」
「だせえやり方だよなあそれ」
だいたい美里の言いたいことは理解した。つまり美里としては、男子連中の単純にまとまってしまう性格を活用して、合唱とか踊りとかいろいろなイベントを行ってほしいと言いたいのだろう。女子たちにその「一丸となって」という行動を求めることは難しい。それも貴史はよく理解しているつもりだ。そこで美里なりに頭をひねったのが、「動は男子、静は女子」の役割分担ということだろう。
「けど、それが一番いいと思うんだ。みんなで何か一緒にお祝いの言葉を言えば、盛り上がると思うし。歌ってもいいよ。鈴蘭優はなしにして」
最後の一言は余計だが、美里の案には乗るのが正解だ。縫い物させられるよりはましだ。
「わかった、じゃあ、考えておくか!」
どうもみなばたばたしている。今に始まったことではない。評議委員長の立村をはじめとし、委員会にからんでいる連中が走り回るのは珍しいことでもなんでもない。休み時間に立村の姿が見えないのもまた、いつものことだ。
「清坂さん、ほら」
美里が女子たちから陰口を叩かれるのも、また日常茶飯事だ。そのきっかけが立村の言動であることも一日一回はかならず伝わってくるものだ。
「立村が二年の子とまたべたべたしてたよ」
「ああ、杉本さんのことでしょ。今、いろいろ大変なの。だから」
あっさり流しつつ美里は無視を決め込んでいる。
「評議委員の女子たちはみんな杉本さんのことを心配してるの。だから、立村くんも同じよ。それより今私、ものすごく忙しいの!」
ーーなるほど、忙しい、な。
附属高校への進学も決まり一安心といったところか。みなそれぞれ何も考えず好きなことばっかりやって過ごしているようにも見える。
貴史もそのひとりだった。
美里の手伝いを除けば別段何か準備をしなくてはならないこともない。勉強はかったるいが適当にやっておけば赤点は取らずにすむ。金沢のお誘いで金のかからないギャラリーに連れていかれたり、奈良岡からはなにかかしら文集作りの手伝いでカロリーたっぷりのクッキーを差し入れされたりと、それなりに忙しくはある。あるのだが、立村や美里のように目を血走らせて走り回っているわけではない。
ーーしっかし、八つ当たりしまくってるな美里。ありゃあ立村がぶち切れても知らねえぞ。
とにかく美里の突っ走りぶりで一番被害を被っているのは立村だと思う、断言する。
顔を観る度、美里の言葉はひとつ、
「私、ものすっごく忙しいの。だから話は後にしてね!」
実際わさわさと動き回っているのだから否定はできない。立村も半ば諦め顔で頷いている。慣れているのか、それとも立村自身が猛烈に忙しいのかのどちらかだろう。
せっかくの菱本先生お祝い行事を、評議委員の立村外して話すのも正直どうかと思うので声をかけてみても、
「ごめん、俺も今、行くところあるんだ。また埋め合わせする」
の一言で走り去っていく。美里にその旨伝えたら、
「いいのよ、立村くんはどうせ、ああいう人なんだし、事後承諾でいいよ!」
とまあ、彼氏相手とは思えない発言をかます。
ーー暇な奴って、もしかして、俺だけなのかよ?
暇とは言われたくない。むしろ、時間に余裕があるだけ、ゆとりがあるだけ、それのどこが悪い。
のんびり過ごしているうちに台風が青潟を直撃するとの気候情報が流れ始めていた。
登下校時間に当たれば臨時休校になるのではと微かに期待したが、青大附属はたくましい学校だった。
まったく変更なしとのこと。もっとも午前中は雨模様で傘がチューリップ化する程度の風が吹いているだけ。もし直撃されたらその時は下校時間を繰り上げるはずだったのに、とうとう放課後まで問題なく台風が足踏みしてしまった。残念ながら授業はぴったり出ることになってしまった。
ーーで、雨の中、ずぶぬれになって俺は帰るってわけかよ。
生徒の安全を実はあまり大切に考えていない学校なんじゃないだろうか。思わずそういう疑惑を感じてしまった。
くわばらくわばら。さっさと貴史は帰りの会が終わってから即、家に直行した。さすがに台風の真っ只中水浴びして喜ぶような気分にはなれない。
最後ののんびりした一日だった。
ーーそう、最後の。
電話がかかってきたのは夜十時頃の、もうすでに部屋へこもって漫画片手にひっくりがえっている時間帯にだった。
「誰からだよ」
せっかく毎週連載作品のおもしろいところまできたところなのに邪魔されてしまい、かなりダメージを受けている。
「古川さんからよ」
相変わらず何も考えていなさそうな母に告げられ、受話器を渡される。
ーーなんで古川なんだよ。
思いっきりぶっきらぼうに返事をした。
「ああ、何だ?」
ーー羽飛、悪いんだけど。
こずえもやはり、申し訳ないという気持ちはあるらしい。しおらしく謝るところから入ってきた。
「ちょうど今、『砂のマレイ』外伝読んでる真っ最中なんだけどなあ」
「砂のマレイ」と言えば、こずえもわかってくれるだろうと思ったのだがさにあらず。
ーーああ、じゃあ暇ってことね。悪いけど、私の話を優先してよ。今回に限っては。
「おいおいなんだよ、本読んでいるだけなら暇人かよ」
ーー緊急の用事。単刀直入に言うと、立村の一大事。
「立村の?」
あいつの父さんが事故か病気で緊急入院したのだろうか。それともあいつ自身が何かしくじったのだろうか。
もしそうだとすれば連絡があってしかるべきだが、なぜこずえからなのか。
ーーあんた、まだ今日の放課後のこと、何も聞いてないよね。
こずえが念押しした。
「放課後なんて台風に巻き込まれないうちに、さっさと帰ったしな」
ーーじゃあ、まったく知らないね。
かなりおもしろくないがイエスの答えを返す。
こずえは笑わなかった。いつぞやの、夏の日と同じ口調だった。
ーー今日、生徒会役員立候補の締切り日だたんだよ。
「そんなこと知るかよ、藤沖の後任が誰になるかとかだろ。ほら、霧島の弟が」
ーー違う!黙って聞きな!
こずえの声がトーン高く聞こえた。耳障りだ。
ーー生徒会長に立候補したのは、二年の佐賀さん。新井林の彼女。
聞きなれない名前だ。黙っていると畳み掛ける古川こずえの声。受話器の外にもれそうなほどでかい。
ーーゆいちゃんの弟は副会長どまり。それより問題はそのとばっちりで立村がね。
「立村とどう関係あるんだ?」
まったく話が見えない。二年生から会長、一年から副会長が出るのならそれは自然なことだろう。会長が女子というところだけは少々男としてわびしいところもあるが、それはそれでまた別の話だろう。なんで直接関係のない話をこずえは持ち出そうとするのだろうか。
「単刀直入じゃあねえだろ、はっきり言っちまえ」
ーーだから言うよ。立村の過去が、他の人の前で、明るみに出ちゃったんだよ。結論はそういうこと。
「なんだそりゃ」
ーーだから補足説明、必要でしょうよ。つまり、立村が小学校時代にやらかした事件の裏事情を、たくさんいる前でばらされちゃったってこと。
「裏事情というと、まさかあの」
言いかけた言葉を取り、古川こずえは即答えた。
ーー時間の問題、と言えばそうだけどね。今までばれていなかった方が不自然だったのかもね。
知らないわけではない。
立村が小学校卒業間際に起こしたと噂される、ある事件。
クラスメートとのぶつかり合いで傷を負わせてしまったとは聞いている。
その後トラブルが尾を引きさまざまな出来事に影響した。そのことのひとつには、貴史や美里も巻き込まれている。
今でも、その事実についてクラスメートたちが噂しあっていることも知っている。
それでも立村は、あいつなりに苦しみつつも、怪我をさせてしまった奴と友情を培おうと努力しているはずだ。
男子クラス対抗リレーで、少しでも足を早くするためにプライドを捨て、その男浜野に対して、教えを請いに行ったはずだ。
それだけ立村は、自分の罪を悔い改めようと努力している。
貴史からするとその事件は、不可抗力だったろうしすでにクラスの連中も男子に限っては許しているような気がしている。「許す」なんて偉そうなことは言えない。立村の精一杯の努力と反撃を受け入れたい、そういう気持ちの奴が多いのではないかとも思う。
ただしそれは、クラスのみの限定条件だ。
仮に詳しい事情を知らずに、その事件そのものを説明された場合、十中八九、立村を加害者とジャッジするだろう。
「で、誰だ? まさか杉浦か?」
ーー違う、二年の女子。立村と同じ小学校に通ってたんだって。その子がさ、事実関係をぜーんぶしゃべっちゃったんだよ。私たちが知ってること以上の話をさ。みな、びっくりだよね。藤沖なんてぶち切れちゃってさ、立村に絶交宣言しちゃうし、杉本さんには愛想つかされちゃうしでずたずた。
「ちょっと待て。つまり立村が、その二年女子に昔のことをべらべーらと暴露されちまって、他の連中に嫌われたってことかよ!」
ー単純に言っちゃえばそういうこと。立村、相当ショックが大きかったみたいで、側で観ていた私たちのこと気づかないまま、すーっとどっかへいなくなっちゃったしね。美里が止めようとしたけど、聞こえなかったみたいでさ。
「美里がいたのか? その現場に!」
ーーそりゃいるよ。最初に言ったでしょ。生徒会改選そりゃ気になるよ。たとえ今日、台風がきてたとしても、美里は気になるにきまってる。
「そういう意味じゃねえ! 美里が、そのことを全部聞いてたのか?」
こずえが黙った。かすかに受話器を指で叩くような音が聞こえた。
「美里は何も言わなかったのかよ!」
ーー言えるわけないじゃん。
一呼吸置くとこずえは、声を低めて続けた。
ーー立村が杉本さんのことしか見てないってことが、あの場で証明されたんだよ。杉本さんのためなら何でもするって、たくさん人が集まっている生徒会室の前で、あいつ叫んだんだよ。それを、彼女の美里が見てて、冷静でいられるわけないじゃん。
貴史は受話器を置いた。
こずえに謝ることも忘れていた。
「どうしたの貴史、あんたこんな遅くどこ行くのよ! 台風でその辺水浸しだしそれに夜遅すぎるよ!」
母の呼び止める声がはるか遠くのエコーと同じく聞こえる。どうでもいい響きだった。
考えの言葉が頭に走っていない。自分の体も頭もからっぽのまま、ただ身体だけが前に進もうとしているようだった。
「すぐ帰る」
一言だけ残し、貴史は外に出た。踏み出して駆け出した。ポケットに水に濡れた小石を詰め込んだ。自転車をひっぱり出すのもかったるく、そのまま駆け出した。足元に水浸しが多くぬかるんでいるのは靴の感触ですぐにわかった。
清坂家の前に立っていた。
小石をふたつ握り締めた。
音が二回、重なってぶつかるように二階の窓辺目指して投げた。
ーーあいつは気づくはずだ。
ふたりだけの秘密の合図、窓が開いたのを確認し、貴史はぐいと顔をあげた。
美里らしき影が揺らぎ、同時に小さなものを投げ落とす気配を感じた。
拾いに向かい、手で何度か地面を触れると布の財布らしきものに指先が触れた。
開いて、中を確認した。
素早い返答だった。
ーー車庫。
美里の家は車庫が大きい。家の中から出入りできる。
今までここで遊んだことはない。
貴史は清坂家の車庫のシャッター前で立ちすくんだ。
音を立てずに入ることは不可能だろう。
小学校の頃だったら、ためらうことなく正面玄関から美里の部屋に突入していったはず。何かがあればすぐふたりきりで相談できたはず。
それが許されない今、ふたりきりでまじりけのない事実を美里に語らせるには、危険を冒すより他にない。
ーーどうやって入れってんだよ、美里。
見つかるリスクはともかく、今夜は帰る気などなかった。絶対うまく行く、そう信じていた。