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第一部 25

「いいかげんにしろよったく! 俺の友だちをこれ以上馬鹿にするんじゃねえ!」

 貴史は部屋に閉じこもりひっかけ式の鍵を戸口にかけた。自分で中学一年の頃にこしらえたものだ。なんとか機能している代物だ。父の腕力では開けられるかもしれないが、母と姉ならたぶん壊せないだろう。絶対に中になんか入れるものか。

 なにが頭にきたと言って親友を罵倒されるほどぶちぎれたくなることはそうそうない。

 そりゃあ母も驚くだろう。貴史がここまで爆発するとは思っていなかったのだろう。泣きそうな顔で舌もつれさせ言い訳するくらいだから。見た感じ自分の発言を省みて反省する気はゼロのようだし貴史もこれ以上しゃべる気はない。ただ父に張り倒された時はさすがに答えた。やりきれない顔で無言だった父に言葉が出ず、捨て台詞だけ残して部屋に篭った。「謝れよな!」

 これ以上母も追ってきて泣き落としをかけることはなかった。もうひとり、絡まれば面倒な姉も、今回ばかりは雲行き怪しげと感じたの自部屋に避難している。

 貴史が壁を一旦蹴った時にエコーの如く叩き返されたきりだ。


 ──立村をあいつら、なんだと思ってるんだってが!

 気付かないわけではなかった。一年の頃から立村が貴史の家に遊びに来るたび母は様子を伺いつつ嫌味な視線であいつを眺めていた。

 帰った後でもっともらしい顔でもって、

「あの品山の男の子、なんか育ち良すぎる感じよねえ」

「貴史みたいながさつな子とはあわないんじゃないの。なんか、こう、上品過ぎるというかねえ」

 時にはぶちぎれ時には無視してきた。今に始まったことではないのだ。

 我慢してもよかったはずだ。

 ただ、この言葉だけはどうしても許すことが出来ない。


 破く。紙を手当たり次第。

 鳴らす。ヘッドホンで激しくレコードを。

 ──絶対、許さねえ。


「みさっちゃんはきっと貴史のことが好きなんだよ。それをあんたが邪険にしてるから、あんな品山の変な親御さんの子にふらふらしちゃうんだよ。菱本先生も話してたけどね、貴史は変なところで譲ってしまうくせあるから困ったもんだわ。もっと男らしく、自信持って、なんかできないのかしらね。先生もはがゆがっていたわよ。本当はもっとできるはずなのに人に花を持たせてしまうってね」


 ──ふざけるな。

 ヘッドホンの音量を上げすぎて耳が痛くなる。鼓膜が破けそうなほど震えるのがわかる。

 母は今まで立村のことを、陰では「あの品山の男の子」と呼び習わしていた。他の男子連中に対してはちゃんと苗字で話しているのだが、どうも立村に対してだけは名前の記憶ができないらしい。美里の母ともこそこそ噂話しているのは知っていた。美里からも聞かされていた。

 ベッドにもぐりこみ、布団に頭を突っ込んだ。

 ──菱本先生と母ちゃんがわけわからねえこと話してるのはしゃあねえけど、なんでそこで立村がさんざん肴にされねばなんねえんだよ? なあにが「品山の子」だ? 要するにあいつのことが目障りなんだろが? 俺が立村と話をしちゃあいけないってわけか? なんで俺が自信ないとか花を持たせるとか勘違いしたことしゃべくるわけだ? 

 ああ、そうか、と合点する。

 ──立村のことが、ゴキブリみたいに嫌いってわけかよ!

 ──だから、美里のこともやたらと口出しするってわけか。


 修学旅行終了直後、美里が精神的に不安定になり貴史へ八つ当たりしてきたことがあった。

 その時は美里を無理やり早朝連れ出し、腹割って話すだけ話し、なんとか落ち着かせることができた。あまり覚えてなかったが、美里はあの時も、

「やたらとうちのお母さんたち立村くんのことで口出ししてくるの!」

 とか、

「立村くんと付き合っていること言ったらまた騒ぎになっちゃう」

 とか今更ながら意味不明のことを話していた。まあ、二年も付き合っているのだからばれても当然だとは思うのだが、どうやら母親の口出しは相当酷いものだったようだ。共犯者が貴史の母だというのも、認めねばなるまい。

 ──こんなこと言われたら美里もたまったもんじゃねえよ。

 口先だけではなく、腹の底からそう思った。

 

 美里と無理やりカップル扱いされるのは慣れている。恋愛沙汰とは違う繋がりなのだからそれは平気で流せる。しかし、間に入る立村のことをそこまで毛嫌いされた上での話ならばどうしても貴史は許すことができない。

 ──馬鹿だけど、あいついい奴じゃねえか。だろ、美里?

 布団の中で両足をばたつかせてみた。闇の中を泳ぎきってみる。メタルのきんきんした音がヘッドホンから溢れ出してくる。


 部屋の戸が無理やりこじ開けられたことに気付かなかった。

「貴史、電話だ」

 父だった。片手で貴史の取り付けた細い針金鍵を引き抜いた。

「奈良岡さんからだ」

 ヘッドホンを外し、さっきひっぱたかれた頬をさすった。

 父の様子はぶっきらぼうだったが、余計なことを言いはしなかった。

 用件だけ伝えて階段を降りていった。玄関で誰かがばたばた出て行く様子。母だろう。また美里の家に行って愚痴りに行くのだろう。ということは美里も明日、貴史にいろいろ聞いてくるだろう。うっとおしいったらない。

 階段を降り、放置してある黒い受話器を拾った。

「もしもーし」

 わざとのどかに呼びかけてみた。奈良岡彰子、いったい夜の八時半過ぎに何の用だろう?


「羽飛くん?」

 奈良岡彰子。三年D組保健委員。人読んで三Dのおっかさんであり、あんまん姫とも言う。

 学内では何よりも「南雲秋世の彼女」として名が知られているのは言うまでもない。 

 あのちゃらちゃら軽薄の代表たる南雲の公認彼女としてはまず、お似合いとは決して言えないご面相だが貴史からすると、なぜ性格的不一致にも関わらず付き合いを続けているのかが謎である。男から見て、話しやすい女子の一人だけに尚のこと、勿体無いと思う。

「よお、奈良岡どうした?」

「今、時間、大丈夫?」

 声をひそめるようにして奈良岡が囁いた。

 周囲を見渡す。父は今で煙草を吸っている。母はいない。OKだ。

「ああ、いいけど」

「実はね、今日菱本先生に面談の時言われたんだけど」

 言葉を区切り、ゆっくりと、

「来年の卒業式にあわせて三年D組の文集を作りたいから協力してほしいって言われたんだ」

「へえ、懲りもせずかよ」

 文集作りというのは、一年秋に一度「班ノート」を元にして菱本先生が企画したことがあった。しかし立村がらみの諸事情で結局お流れとなった。正確に言うと美里が「流した」。それ以来理由をつけて「クラス文集」という菱本先生の提案からは身をよけるようにしているはずだった。

「加奈子ちゃんのこともあって今まではずっと避けてきてたんだけど」

 なるほど、奈良岡からしたら立村の件、という認識ではないわけだ。

「やはり最後だし、形に残ることしたいよねってことで、今から準備しようよって話になったの。それで、羽飛くんや美里ちゃん、こずえちゃんにも協力してもらおうかなと思ったんだけど」

「美里は反対しただろ」

 立村の彼女で、かつ文集作りを奴のプライド守るために流し続けている美里のことだ。決してうんとは言わないだろう。奈良岡も予想通り答えた。

「うん、やはり、立村くんのことがあるみたいだね。こずえちゃんも同じだったな」

 こずえの場合は、「できの悪い弟ほど可愛い」という認識でやはり反対したことだろう。

「まあ俺も、面倒な作文書くのはかったるいな」

「けど、やっぱり、最後だし何か作りたいって先生の気持ちもわかるんだ。私も、たぶん、これが青潟でできる最後のことになるし、記念にみんなの書いたもの持っていければ、嬉しいから」

 ──ああそうか。

 噂に聞いていて確認し忘れていたことを、今思い出した。

「奈良岡ねえさん、ちょいといいか」

「うん?」

「お前さ、受験勉強とか、やってんの?」

「覚えててくれたんだね。ありがとう」

 なぜか嬉しそうに礼を言う。

「うん、すいくんと同じ学校に受かるよう、がんばってるんだ。みんな私を応援してくれるんだ。嬉しいよ。羽飛くんも、ありがとう!」

 別に応援したわけではないが、まあ、クラスから出て行くことがすでに決まっている奈良岡彰子にはそのくらい励ましたくなるのが人情というものだ。

 高校進学先は、すでに別の学校へとほぼ決まっていた。

 奈良岡彰子は、医学部に進むため有利とされる青潟市外の私立高校へ進学することがほぼ内定していた。学校側では入学試験を受けるということで周知しているようだが、奈良岡や同じ学校に進む予定の水口から聞いたところによると、もう願書提出の段階で合格は約束されたようなものらしい。その辺は色々事情があるのだろう。

「この際だから聞いていいか?」

「うん!」

「なんで奈良岡、医者になりたいって思ったんだ? 水口が医者にならねばなんねえってのは分かるんだ。あいつんち、水口病院やってるから、跡継ぎになんねば患者さん大変だしってのもわからねえわけじゃねえ。けどさ、せっかく青大附属に苦労して入って、すぐに出て行っちまうって、すげえもったいなくねえか? せめてさ、高校までは青潟にいて、そこから大学受験って方法もあったんじゃねえか?」

 水を差すわけではない。前々から美里が淋しがっていたのを知っていたから聞きたかった、それだけだった。

「お前の母ちゃん、確か眼医者さんだろ」

「うん、そうだよ。それ見てたからなおさらってのもあるし、それにお父さんのこともあったしね。早く私が一人前のお医者さんになって、お父さんの病気楽にしてあげたいなってのもあったし」

「あっそっか。大変だったよな」

 修学旅行途中で奈良岡は、父急病のため帰宅せざるを得なかった。迎えに来たのが何でも曰くつきの強面親子だったこともあり、かなり噂にはなった。もっとも父親の様態は落ち着いたらしく、貴史たちが修学旅行を終えて学校に戻った時にはみんなを向かえるため笑顔で待ち構えていた。修学旅行を満喫できなかった恨みなどは一言もこぼさなかった。

 いろいろ裏事情があるらしいが、あまり興味がなかったのでそれ以上聞き出さなかった。奈良岡もいつもにこやかに明るい話しかしないので、いつのまにか立ち消えになったものと思っていた。

「羽飛くん、やさしいね。ありがとう」

 また奈良岡は礼を言った。何度も「ありがとう」を繰り返す。

「いろいろあったけど、やっぱり、私の身の回りにいる人ってみんないい人ばっかり! 羽飛くんも、美里ちゃん、こずえちゃんも、秋世くんもすいくんも……ね」

「俺っていい奴だろ、そっか、わかってたか」

 けらけら笑い声が響いた。なんとなくほっとした。さっきまでのささくれだった気持ちが和むのがわかる。

「うちの父さんが病気になって、小学校時代からの友だちも協力してくれて、いろいろ考えたんだ。お医者さんになりたいってことは、うちのお母さん見てて小さい頃から憧れてたけど、やはりたくさんの人の力になるには一刻も早く試験受けて合格しなくちゃいけないなって真剣に考えるようになったの。そしたらね」

 くく、と笑う。

「たまたまうちの母さんとすいくんのお父さん、水口病院の院長先生がね、もし本気でお医者さんになる気あるならいい学校あるから、すいくんと一緒に行かないかって誘われて。最初、ほんっとびっくりしたよ! だってお金かかる学校だし、うちもお父さんの病気のことあったしすぐには無理だなって思ってたから。高校入ったら医学部行くためにアルバイトしようって決めてたもの。うち近くのスーパーで、早いうちからアルバイトしますって約束してたんだよ」

 八百屋のおかみさんやっている方が、白衣の医者になるより似合っているような気がする。もちろん口には出さない。

「でも、水口先生がね。すいくんとふたごの妹ちゃんたちの家庭教師をやることでそのお給料を学費に回してあげるって言ってくれたの。もう、びっくりしちゃって。でもね、水口先生が言ってくれたの。たくさんの人に助けられているからお医者さんは反対にたくさんの人を救えるんだって。だからその感謝の分を次の世代に回すんだって。そのひとりが私なんだって。すいくんのお父さん、すごい人だなって思ったの。ほんと、だからすいくんもあんなに素直な性格なんだね」

「ぎゃあぎゃあ泣いて騒いでいるクラスの赤ん坊としか俺にゃ思えねえが、そうなんだな」

 もっと言うなら、水口病院は青潟市内でも有数の大型病院だが、実はやぶ医者なのではと噂されている困ったところでもある。奈良岡もそのことは知らないわけないと思うのだが、どうやらいいとこしか目に入らないらしい。

「試験は二月だし、あまりにも試験結果が悪いとまずいけど、でも水口先生が推薦してくれたおかげでなんとか合格できそうなんだ。ほんと、私の周りの人ってみんないい人ばっかりなんだよね。恵まれてるなって思うよ」

 ──奈良岡がいい奴だってのも分かるがな、もうちっと、男を選ぶ目、身につけたほうがいいと思うぞ。俺としてはだ。

 しばらく奈良岡は楽しそうにクラスの話や文集作りの予定などを語っていた。用件としてはひとつ、貴史に、

「羽飛くん、もしお願いできるなら、一緒に文集作り手伝ってほしいんだ。私、国語あまり得意じゃないし、男子たちがどういうことしたいのかわからないから。羽飛くんだったらみんなに呼びかけて、やる気起こさせることできる人だから、頼りになるし」

「おだてたってなんも出ないぞ」

「おだててなんかないよ。本気で言ってるんだよ。そうだ、金沢くんにまたみんなの似顔絵を描いてもらうってのはどうかな。きっと、記念になるし、私も青潟出てからみんなのこと思い出せるし。ね、そうしようよ」

 結局、貴史は奈良岡の極めて楽天的なのりに乗せられて、

「おうよ、わかった! じゃあやるか!」

「ありがとう! 羽飛くんと一緒に何かできるってすっごくうれしいよ!」

 あっさりOKしてしまったのは言うまでもなかった。

「ただ、ひとつだけ今のうちに言っとくけどな」

「なあに?」

「立村にはあまりその、なんというか、文集については触れないほうがいいぞ」

「……美里ちゃんにも、こずえちゃんにも言われたよ」

 言葉をくぐもらせ、奈良岡は呟いた。

「私も、そうだね、立村くんには気を遣ったほういいかなとは思ってる」

「わかってるならいいや。俺も様子見ながら話しとく」

 唯一、奈良岡のトーンが下がった部分だった。すべていい人ばっかり、が口癖の奈良岡彰子も、立村に対してだけはどうも勝手が違うらしかった。


 ──奈良岡のねーさんは話のわかる奴だとは、思うんだ。けどなあ。

 気持ち軽やかに受話器を置き、顔を洗って再び部屋にこもりながら貴史は思う。 

 ──みんないい奴ばっかりって言ってもな、二股かけられているあの現状どうよ? あいつをそれでもまだ、信じてるってわけかよ。

 男子連中はみな知っている。奈良岡の公認彼氏とされている南雲秋世。規律委員長でかつ学内知らぬものなしのアイドル的存在の男子。奈良岡とはどう考えても外見からして不釣合いと囁かれている。南雲の方からベタぼれされて交際しているはずだが、その一方で一年上の先輩女子とかなり深い付き合いをしているらしいとの情報がちらほら入ってきている。

 このあたりの事情を、奈良岡は把握しているのだろうか?

 それとも、ぽっちゃりあんまん姫を受け入れてくれる「とってもいい人」だから多少の浮気は許してやろうとでも、思っているのか?

 あまり人の恋愛沙汰に口出す気はないが、それでも「みんないい人」の価値観には時々ついていけないものを感じる、それも確かだった。


 ──俺の腕を見込んでの頼みとあったら、そりゃあやらねばなんねえな。

 玄関で母の戻ってきた気配がする。知らん振りをもちろんするが、鍵を付け直すことはあえてしなかった。明日の朝の食卓に貴史の好物がちゃんと並んでいたら、今回ばかりは許してやる。そう決めた。

 ──立村にはしばらく、内密に進めたほうがいいな。ま、美里から情報流れるだろうし、そうしたらこっちから話をしてやってもいいしな。

 軽く、軽く考えた。決めたらすとんとすべて忘れて眠っていた。



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