第一部 2
第一部 2
早朝、美里をたたき起こして外に呼び寄せることはよくあることだった。
理由は簡単、周りの雑音が入らないからだ。
貴史はどうでもいいと思っているのだが、美里が後から「清坂家の人々」にやいのやいの言われてふてくされてしまうのを避けたかったからだった。
相変わらずしゃくりあげている美里の面なんて見たくもないので、まずは人気のない場所でかつ、妙な誤解を招かない場所を探した。いつもだったら近所の公園なり学校の教室なりにもぐりこめばいいのだが、いろいろとこれも問題が多い。公園だとまず、早朝ゲートボール練習が行われていて誰かさんのおじいちゃんおばあちゃんと顔を合わせないとも限らない。学校のグラウンドの隅っこでも本当ならいいと思うのだが、元同級生たちに今の泣きっ面を見せて美里が拗ねるのもまた面倒だ。
となると、思いつく場所は限られてくる。
「ここ、まだこのまんま、原っぱなんだね」
声を詰まらせたまま、美里は立ち止まり周りを見渡していた。通り過ぎることはあっても足を留めることはあまりなかった場所だった。青々とした緑が茂っていて、かすかに野菜っぽいにおいのする原っぱは、腰丈まで雑草が伸び放題のまま放置されていた。
「誰かが買うって言ってたけどなあ」
「買ってどうするの」
「家、建てるんだと」
町内会のおじさんたちが話していた情報をかいつまんで説明した。
「けど、ここの土地結構高いから、誰も買わないんだとさ」
「そうなんだ」
たいして興味なさそうな声で美里が答えた。貴史も基本としてはどうだっていいことだった。一番大事なことは、ここが意外と人気のない隠れ場所であって、いったん安座して身をかがめれば完全に身体が隠れて、野原の密室状態となる場所であること。つまり内緒話もここならたっぷりできるというありがたい場所であること。この二点に尽きる。
貴史は足を踏み入れ、そのまま座り込んだ。美里も続こうとしたが、しゃがみこむ前に草を尻の幅程度倒し、ポケットからハンカチを取り出して敷いた。わざわざ敷物を用意するなんて、かつての美里では考えられないことだった。
空がまだ日の出で色づききっていない。見あげて、まずはあぐらをかいた。頭まで隠すことは難しそうだが、美里くらいのちびだったら問題ないだろう。小学生の頃とほとんど変わらない。
──まあ、また姉ちゃんたちと一戦交えたんだろな。
大体想像はつく。しかし予測でもってものを言うと美里がぎゃあぎゃあわめくので、ここんところは少し様子を見たほうがいいだろう。貴史が黙っていると、美里は暫く俯いたままTシャツの端を摘んでいたが、
「菱本先生も、ひどいよね」
ぼそっと一言呟いた。それがきっかけだった。
「だってさ、酷いんだもん。菱本先生、言わなくたっていいことばっかり言うんだもん。そりゃあ私だって、お母さんに話さなかったのはまずかったと思ってるよ。いろいろあったとか、殿池先生にお礼を言わなくちゃとか、いろいろあるのはわかってる。けど、修学旅行終わってからすぐ、南雲くんのおばあちゃんが亡くなってお葬式に参列したりしたでしょ。忙しくて、なかなかそういう話できなかっただけ。それに、今すぐ報告しなくたっていいじゃない。私の問題なんだもん、お母さんたちとは関係ないよ」
予想通り、相当美里は「清坂家の人々」と遣り合ったらしい。
「お姉ちゃんだって尻馬にのっかるみたいに物笑いにするし! みんな馬鹿にするし! なんでそんなに笑われなくちゃいけないのよ。いっつもそう、私が何か失敗するとすぐ、ここぞとばかりに叩くんだもん。そういう私が馬鹿なんだっていっつもいっつも笑うのよ! 他の人のことだとそんなに言わないくせにね。大嫌い!」
「お前がぎゃあぎゃあ普段から騒いでいるからじゃねえのか? 今に始まったことじゃねえだろ」
素直に思った通りのことを貴史は言う。うそをついてもしょうがない。
予想通り、美里は噛み付いてきた。
「騒いでなんかないもん! いつも、なんか変だなってことをはっきり伝えているだけじゃない! それをいかにも私が馬鹿だからこうやって足をすくわれたんだとか、いつもけんかばかりしてるからいざという時に仇されるんだとか、さんざん言うんだもん。私が悪いって決め付けられるのって、絶対変だよね。頭にくるよね!」
まあ、このあたりは美里が年がら年中「清坂家の人々」に対して抱えている不満なので、なんとも言えない。お互い様でもある。
「で、今回はなんだ? 菱本さんまたわけわからねえこと、おばさんに言ったのかよ」
「言ったよ! だってさ、だって」
ここで一度美里は言葉を詰まらせた。また大声で泣くんじゃないか。危険信号がちらつく。
「私がしでかしたことはしょうがないって、がまんする。そうだよね、しょうがないってがまんできる。けど、なんで菱本先生、立村くんのことまで話すの? なんで、そんなことまでお母さんに言うわけ? 言わなくたっていいじゃない! 先生だって知ってるはずだよ。うちのお母さんが立村くんのこと嫌ってるってこと!」
「おい、あいつのこと、嫌うってなんだよ」
「この前も話したでしょ! 嫌ってるってか、なんか変っていっつも言うんだよ。礼儀正しすぎるとか、子どもらしくないとか、それから、あの、品山の子だとか」
最後の「品山の子」の部分を、美里は俯いたまま発音した。
「おい、なんだよ、また立村のことかよ」
これは意外だった。とっくの昔に美里と立村との交際は家族公認になっているものかと思っていた。シークレットだったのか。確認したくなった。
「去年もなあ、いろいろ立村のことつっこまれたな」
「そうよ。面倒だから私、立村くんのこと話してないよ。去年のクリスマスでもいろいろもめたから、結局付き合ってること言ってないんだよね」
隠し事のきらいな美里がそこまでするのだから、相当、立村アレルギーが酷いのだろう。
正直、貴史もこのあたりはわからないわけではない。貴史の母もやはり「品山の子」という目線でもって立村を認識しているところがあるからだ。もっとも、貴史の場合は奴のことを「親友」として断言しきっているので余計な口出しをされることはない。友だちくらい自分で選んでどこが悪いと言いたい。
「うちの母さん、貴史が話してたことをみなうちのお姉ちゃんから聞いて、すぐに菱本先生に電話かけたんだって。そしたらね、みんなぺらぺら余計なことまでしゃべっちゃったんだって。その、あの、例のこととか、あと、立村くんの」
──はいはい、恋人宣言な。
修学旅行最終日のバス内で、立村は美里の手を引きさっさと乗り込み、はっきりと答えた。
菱本先生の質問に、
──単刀直入に聞こう、立村、とうとう恋人宣言か?
──そう考えてもらって結構です。
立村の、これまでの煮え切らない態度を知る貴史としては驚くよりもなによりもあっぱれの一言につきる思いがする。その後いろいろと「羽飛、お前、清坂を立村なんかに奪われてショックじゃねえの?」などと聞かれたけれども断言していい、そんな気持ちひとかけらもない。立村を思いっきりバックアップしてやろうと改めて心に決めたくらいなのだ。美里はともかくとして、立村はいろいろ複雑怪奇な部分があるにせよ、いい奴だ。応援しないでどうするというのだ。
「めでたいことだってのに、それがなんか問題あるのかよ」
「あるに決まってるじゃない!」
声が裏返った。両手を握り締め、身体を震わせる美里が妙にがきっぽく見える。
「だって、うちの母さんたち、立村くんのこと嫌いなんだもん。私と付き合うなんてこと、面白いわけないじゃない。よってたかって嫌味いうんだよ。いいとこのお坊ちゃんと私とではレベルが違いすぎるとか、私にはつりあいが取れないとか、それから、その、品山の子だからどうのこうのって」
悪いが大笑いしたいところだ。いったい立村のどこが「いいとこのお坊ちゃん」なんだろうか。貴史は知っている。もちろん立村が他の同級生と違って語学習得能力に長けているとか、やたらと文学作品に詳しいとか、少々振る舞いがレディーファースト行き過ぎてきざっぽく見えるとか、そういう部分を持っているのは知っている。たぶん、美里の母もそのように認識しているのだろう。損な奴だ。しかし、貴史からすれば立村も十分思春期のスケベ心満載のお年頃野郎だ。その証明だって人前では言えないにせよ、美里も気付いているはずじゃないのか。
「美里、あいつのどこがおぼっちゃんなんだ? そうつっこみたくなるわな」
「まあ、ね」
短く、言葉を切る。
「おばさんたち完全に勘違いしてるよな」
「しててもいいの! そんなの知らない振りしてくれればいいの!」
美里はさらにかぶりを振った。
「それより、なんで貴史! あんた余計なこと言ったのよ! あんたが変なこと言わなければ一番よかったのよ! もう、あんたが悪いんだから!」
──あらら、とうとう振り出しに戻っちまったぞ。
溜息をつく。これが野郎だったらぶん殴ってやってもいいのだが、事情が事情だけに貴史としても対応に迷う。もちろん美里の言い分は身勝手この上ないことだが、貴史の発言が回り回って美里の母へ届いてしまい、そこから菱本先生を巻き込み最後は立村を回収して着地、といったありさまには同情するより他にない。
「わかった、俺が悪うございました」
謝るのも胸糞悪いが仕方ない。美里を宥めるにはこれしかない。
美里がぽかんとして貴史の顔を見あげた。文句を言うのも忘れたようだった。
「めずらしいね、自分で悪いって認めるなんて」
「でねえと、お前が黙らねえだろ」
あっさり黙った。ざまあみろだ。
こうやって聞いてみればあっさり答えが出てくるわけだ。
──美里、立村のことでヒステリー起こしてるだけか。
いつものことと言えばいつものことだった。美里が立村と付き合いだしたのは去年のちょうど六月、一年前に遡る。入学式で初めて顔を合わせてから美里が立村に想いを寄せるまでさほど時間はかからなかったはずだし、貴史も早い段階で見抜きいろいろからかった覚えがある。
──美里、お前立村に惚れてるだろ。
──何よ! いきなり訳わからないこと言わないでよ!
最初は懸命に隠そうとしてきた美里だけども、貴史の千里眼から逃れられるわけがない。もともと立村の「お坊ちゃまタイプ」な性格は美里の好みだというのは、永年側で見てみた貴史からしたら一目瞭然だ。どう考えても美里の性格とは正反対、というのがタイプなようなのだ。
穏やかで、大人しく、そしてやさしい。
今思えば笑ってしまいたくなるくらい立村の実像からは離れている。
レディファーストはきっちりしつけられているから女子たちには気品ありげに見えるが実のところ、単に引っ込み思案の自信喪失野郎なだけだ。大人しいのは人間関係を崩壊させたくなくて気を遣っているだけ。それなりにエッチな本だってめくっているし、なによりも美里と一夜を共にした時の言動にいたってはごくごく普通の中学三年男子をそのまま表している。可能ならば美里の母にその旨懇切丁寧に説明してやりたい。そんなことしたら今度は別の意味で用心されるかもしれないが。
もっとも立村が男子から観ても心根のやさしい、いい奴であることは、その倍語っておきたい部分だった。貴史が立村を親友として認識しているのにはその性格という部分も大きい。
──美里にだってそれはわかってるだろ。
好きだと言われたかどうかは別としても、いきなり旅行中に情緒不安定に陥った美里に対し、懸命に理解しようと努力し、最後にはきっちり天敵・菱本先生を相手に恋人宣言してしまう強さは相当なものだ。貴史も、仮にアイドル鈴蘭優を相手にというのなら少しは考えるが、他の女子をとなるとかなり悩みそうな気がする。
自分を押し殺して第三者のことばかり考えている性格には、正直どんなもんかと思わなくもない。漫画もテレビも読まない見ないというのは、ちょっと問題あるんじゃないかと感じなくもない。しかし基本として立村はお坊ちゃんながら人を見下すところがない。素直に凄い奴は凄い、と褒めるし認める。当然、貴史や美里についても、てらうことなく褒めてくれる。かなりこういう性格の男子は珍しいと貴史も思う。
少しだけ考えたが、露骨に「清坂家の事情」について語らせてどつぼに嵌るよりも、別の話で気を逸らせてさっぱりさせる方がいいんではないかという判断に達した。
「美里、改めて聞きたいんだがなあ」
「なによいきなり。黙らせたいんでしょ」
「この前の修学旅行四日目、立村の反応どうだった?」
思った通り美里は口を尖らせた。真正面から睨みつけるように、
「なんもなかったよ。こずえにもそう言ったけど。あんたの方はどうなの? こずえに迫られたりしなかったの?」
下ネタ女王・古川こずえが貴史に寄せる想いに決して気付いていないわけではないのだが、そういう問題でもないだろう。堂々と答える。
「あるわけねえだろ。想像つくか? 俺ならつかねえ」
「自分でつっこんでどうするの」
にこりともせず美里は答えた。
「なんもなかったけど、ただね、貴史、ちょっと聞いていい?」
「なんだよ」
「やっぱり、ふたりきりだと、なんかしたいと思うのかな」
一週間経つと、やはり落ち着いてくるのだろう。美里なりの質問はそれなりに頷けるものがあった。ちらっと耳にはしていたのだが、立村は修学旅行四日目夜に美里の湯上りタオル巻き姿に完全ノックアウトされて腰を抜かしていたらしい。相当、くるものがあったのだろう。やはり奴も健康な男子なんだからしょうがない。惚れてる女子相手なら尚のことだ。
「鈴蘭優ちゃんなら俺も考える」
「そういう特殊なパターンは聞いてないよ。それより貴史、そういう気持ちになるってことは、やっぱり、嫌いじゃないってことなのかな」
「なんだよその意味、わからねえ」
「だから、その、ね」
美里の口から初めて出た言葉に、貴史は思わず吹きだした。
「手首、しばってくれって言われたの。あの、私が安心するだろって言われて」
──立村の奴、ここまで自分の本音をさらけ出してどうするんだよ、すげえ受けるぜ。
相手が古川こずえだとしたら、当然立村の言動に対する説明をエロティックに、かつリアルに説明してやったことだろう。男としてかなり、これは、「準備が整った」状態であることは確かだろうし、一歩間違ったら「お代官様と腰元」の世界に発展してないとも限らない。美里がお手つきにならなかったのは、もしかしたら奇跡だったのかもしれない。
男子にとって、好きな女子と同じ部屋で二人きり過ごすというのは、かなり、くるものがある。相当、きつかったに違いない。計画を立てたひとりである貴史としては立村に同情したくなるところもあるのだが、幸い何事もなくてよかったとも感じる。もしものっぴきならないところで誰かに見つかった停学どころの騒ぎではない。運悪く南雲には見つかってしまったようだが。
「なによ、笑わないでよ」
「美里、その後、あいつの態度はどうだった? 少しは恋人らしいことしてくれたか?」
「ぜんぜん。今まで通り。あれってなんだったんだろうね。うちの母さんたちはぎゃあぎゃあ騒いでるけど、当の本人はなあんも考えてないみたい。すぐ杉本さんにお土産渡しに行ったりしてるし」
「男として断言するけどな、自信持て。あいつ、美里にぞっこん惚れてるぞ」
「はあ? そういうもんなの?」
ここはやっぱり熱く語っておかねばなるまい。立村にはさすがに「手首を縛ってもらいたくなるほど」の欲望について直接聞くのもはばかられる。しかし、その秘密を報告してくれた美里に免じて、しっかりと男心のレクチャーをやらねばなるまい。
「好きでもなければ、そんなにむらむらしねえよ。ましてや手首を縛ってもらうなんてそんな怪しいことたのまねえよ」
「あやしい、こと?」
「そ。あいつの本音を解読するとだ。好きで好きでなんなくて、ほんとは押し倒したくてなんねえけども、そんなことしたら美里に嫌われるからしないんだってこと。嫌われたくねえんだよ」
「そうなのかなあ」
「あのなあ、俺がお前に嘘言ったことあるか? よく考えてみろ。んで、さっきの話に戻るけどな。お前がひとりでヒス起こしてる暇あるならもっと立村といちゃつけっての。おばさんたちがなんと言おうとな、お前立村に惚れられてるんだからな。でないと俺の方が困るってわかってるだろ」
「あのねえ、貴史」
表情を変えず美里が尋ねてきた。
「前から思ってたんだけど、なんであんた、私と立村くんをくっつけようとするのかなあ」
意味があるのだろうか。
あるわけない。何度も美里にぶつけられてきた疑問は、あっさり返せばいい。
「お前もわかってるだろ」
貴史はいつものように答えた。
「立村がいるから、俺たちはこうやってしゃべれるわけだろが。もし立村がいないと考えてみろ。俺たちの親が何考えるかは想像つくだろ」
「そうね」
合点がいったのか美里は頷いた。
「あんたとくっつけ攻撃されるのが目に見えてるもんね。で、貴史も鈴蘭優のコンサートに行けないというわけね。邪魔されて」
「よくわかってるな。その通りだ」
「当たり前じゃないの。ずーっとやられつづけてたんだもん、ね、貴史」
ふうっと深い息を吐き、美里は草むらから思いっきり身体が飛び出すくらい伸びをした。
「そうだよね。立村くんがいるから、私たち、変に思われないですんでるんだよね」
釣られて立ち上がり、路の向こう側に目をやった。
二人乗り自転車で通り過ぎていくどこぞの高校生アベックを見かけた。
貴史の知らない制服姿だったから勝手に高校生と決めつけただけだが。
「どうしたの貴史」
あくびをしながら美里が同じ方向を眺めていた。
「二人乗りしてやがる」
「そうだね」
素直な答えが返ってきた。
「彼氏、彼女なのかな」
「たぶんな」
答えたところで貴史は考えるのをやめた。美里もそれ以上問わなかった。
思い出したものはたぶん一緒だろう。
美里とふたり乗りして通り抜けた五年前の記憶を、美里は貴史と同じくらい鮮やかに残しているのだろうか。抜け出して、ふたり勢いよく走りぬけた夜の路を、どこまで美里は覚えているのだろうか。
──もう少し遊んでようよ。
──なんでだよ。
──おもしろくなくなるから。
──どこがおもしろくねえんだよ。
──どうせ俺としゃべるのやだったんだろ。
──そんなこと、言ってないじゃない。
──さっさと帰れよ。俺、今のこと誰にも言わねえから。
──そんなんじゃないもん。
──じゃあ何がいやなんだ」
──沢口とか、うちのクラスの勘違い連中に決まってるじゃない。ふつうに人が話してるのに、どうして、そんなにひゅうひゅう言われなくちゃいけないの!
──ばか、そんなことかよ。
──私、普通に話しているだけだよ!」
──言いたい奴に言わせとけばいいだろ、関係ねえもん。
──男子は楽だよね。
──楽じゃねえよ。俺だって言われてるんだぞ、知らねえくせになに考えてるんだ、ばーか。
──好きとか嫌いとかひゅうひゅうとか?
四年生の晩夏、学校内でのおとまり会最中に抜け出して、ふたり走り出したあの夜の会話が突然貴史の耳に甦った。すっかり忘れていた闇の語り合いだった。
あの時以来、美里と修復不可能なまでの大喧嘩をしたことはない。
口を利かず縁を切りたいと思ったこともない。
すべては四年生のあの日から始まっていた。
隣でぼけらっとしている美里は全く記憶にない様子で眺めているだけだった。貴史だけが思い出してしまった。
──しょうがねえだろ、美里としゃべってるほうがおもしろいんだからな。一言言えばな大抵の話、済むだろ。すげえ、楽だ。
──そうだよね、それだけだよね。楽だからよね。そんなこともわかんないなんて、沢口もあいつらも、ばかみたい。