その3『犬とお銚子とヘルハウンド』
最近変換の調子が悪い。卓郎はそう思いながら、予測変換の履歴を消し始めていた。おかげで誤字だらけなのだ。全く、呪いとしか考えられない。『こまっ孝郎』まで出て来てしまった。これじゃあ、孝郎が小さいみたいだ。
「おう、矢代」
「あ、部長、なんですか?」
「新人の歓迎会の店、予約しておいて欲しいんだが、頼めるか?」
「はい、喜んで!」
卓郎は威勢のいい居酒屋の様に承知した。
勇者エース一行は王様にお願いし、お祓いで有名な神官の元を訪ねられるように計らってもらった。そして、呪いも祓われ、清らかな一行は準備万端で混沌の魔窟へと進んでいた。エースの取っていたマップのおかげで、一度目よりも最短ルートで、黄龍の部屋へも三日もあれば辿りつけそうだった。
しかし、呪いは続いていたのだ。
彼らの目の前に、スライムならぬ、スラ犬が現れたのだ。ジェリー状の犬。
「あれってスライムだよな……」
もし、スライムならあのジェリーの中にある核を潰せば一撃なのだけれど、別物だったら厄介だ。
「えっと、ヘルハウンド?」
魔法使いの言葉の後、なぜか、一匹突如として消えてしまったのだ。そして、気付いた。減ったのではなくて、犬の姿ではなくなったスライムがいる。剣士が丸見えになった核を突き刺すとスライムはどろりと溶けて形を維持できなくなってしまった。剣士と勇者はいけると思った。
「よし、この調子でいこう」
勇者が言葉を放った途端、勇者の持つ剣、すなわち破魔の剣が銚子に変わってしまった。
お銚子を持った勇者がスラ犬を前に突っ立ってしまったのだ。しかも、そのお銚子には達筆な筆書きで「よしこ」と書かれていた。
ところで、卓郎は予測変換をよく使うということの他に、読点の場所がおかしい時がある。だから今回も悲劇が生まれた。『よしこのまま、行こう』と打ってしまうこともままあるのだ。勇者よ、耐えてくれたまえ。とりあえず、本日の新人歓迎会が終われば、彼も気付くはずだから。
そして、部長はお銚子と徳利片手に一人、ちびちび酒を飲むのが好きなのだ。
『お銚子ある店、予約しましたよ』
きっとこれが原因だ。
そして、奇跡の減るハウンド。これは、卓郎が打ち間違えたスラ犬を面白がって採用したから起きた奇跡だった。
魔法使いは悩んでいた。自分の思った術以外の何かをしてしまったと。そして、もしかしたら、自分が今までの呪いの原因なのではなかろうか、と。そうすると、このまま彼らと進むべきではないのではなかろうか、と。
「おいゼット。なに、ぼやっとしてんだよ」
剣士が沈んでしまっていた魔法使いの肩を思い切りたたいて励ました。
「痛いなぁ」
「お前が落ち込むなんて柄じゃねぇだろ? プライドだけは高いんだからさ」
『プライドだけは高い』はかなり余計だった。しかし、今の魔法使いにとって、それはありがたい励ましだったのだ。
「もうすぐ、最後の扉だ」
勇者エースの声も聞こえた。
そうだ、落ち込んでいる場合じゃない。四名の猛者は頑丈な岩の扉の前に立ち、覚悟を決める。