その1『それは呪いとして現れた』
勇者エースは呆然と突っ立ってしまった。
なんなんだ、今のは。どこから現れたんだよ。「はいはい、人使いが荒いねぇ」って俺はあんたなんか使った覚えはないんだけど……。
そう言いながら突っ込んでいったお婆さんが、エースたちの目の前にいた黄龍に止めを刺してしまったのだ。そして、そのまま消えてしまう。
勇者エースが振り返った。賢者ワイ氏も同じようにぽかんと口を開けている。ということは、彼ではないのだろう。じゃあ、魔法使いのゼット氏はどうだろうか。エースはやはり同じように呆然と立ち尽くしているゼットを見た。もちろん、剣士エックスがそんな召喚できるわけもなく。
少し時間を巻き戻してみよう。
ここは魔王の棲家とされる混沌の魔窟。様々な困難を乗り越えて、やっとここまで辿り着いた先に待っていたのが黄金色の竜、黄龍だった。鋼の鱗に守られて、物理的な攻撃はほぼ効かなかった。だから、剣士が気を惹いている間に、魔法を使える者で少しずつHPを削って、やっとあと一息というところだったのだ。
そして、勢いづけるために勇者エースが叫んだ。
「よし、このまま突っ込むぞ!」
……のはずだった。
卓郎がそれに気付いたのは夜になってからだった。スマホに打ち込まれた文章は卓郎のストレスをそのままRPG風冒険譚にしていた物だ。
「あ」
『良子のママ』が突っ込んでる。
良子とは卓郎の妻であり、良子のママはもちろんのことその母である。ママと変換されてしまったのは、卓郎が義母のことをママと呼んでいるのではなく、良子のことを「ママ」と呼ぶことがあるからだ。
「パパ、何みてるの?」
我が家の王子様、孝郎だ。
「いやぁ。パパ、今魔王をやっつけるお話書いてるんだけどさ、おばあちゃんが龍を退治しちゃってたみたいで…変換し直しとかなくちゃな」
「おばあちゃん、すごいね」
満足そうな孝郎の顔を見ながら、卓郎がスマホ片手に文章を書き換える。
そんな訳で『良子のママ』は勇者たちの目の前から消え去ったのである。
その日、卓郎は理不尽な怒りを部長から受けていたのだ。くそぉ。ぎゅっと握り拳を作り力を込める。お前が企画を放り出して、俺に任せたわけで、ちゃんと見ることもせずにそのまま通したんだろ?
っていうか、その企画出す前に、お尋ねしましたよね? ちょっと無理があるかもしれませんがって。こうすれば面白いと思うんですって。
誰が勝手に通したって言うんだよ。
昼休み、苛立ちを胸におにぎり弁当を喉の奥に突っ込んだ。そして、スマホの小説サイトへ。
その日勇者たちはあの黄龍の奥に続いていた道を進んでいた。そろそろ食料もやばいかもしれない。ランタン片手に、こっそり尋ねる。「あとどれくらい進めそうだろうか?」「ま、次の戦闘で一度戻った方がいいかもしれないな」基本体力のある剣士が食料を背負ってくれている。薬草なんかは賢者で、魔法使いは便利アイテムと呪文書、そして、並べて平均以上という特別感のない勇者はマップを取ったり最初の一手を取るために荷物なんかは持っていない。
洞窟に入って一週間は経つ。混沌の魔窟と言われるだけあり、洞窟内は四方八方に道が延びており、一筋縄ではいかなかった。
剣士はあと一戦というが、リーダーとしての勇者の意見は、一度引き返し、描いたマップを元に最短ルートで後日改める方が無難だというものだった。
異変が起きたのはその後だった。
「いy、このmmmmmmmmmmmmm」
剣士が不思議に首を傾げていた。
「えっ、なんだtttって」
「、いtttんもどttt」
何の魔術なのか、仲間の声がおかしい。魔法使いが必死になってその魔力元を探しているが、一向におさまらない。賢者が諦めてジェスチャーした。『戻ろう』
その頃、卓郎の身に何が起きていたのか、まず、おにぎりをのどに詰まらせたのだ。涙目になって言葉を打ち込む。そして、声をかけられた。部長だった。
「さっきは悪かった。いや、もう一度冷静になって考えてみれば、お前に相談持ちかけられていたなとおもいだしてな。ちゃんと社長にも自分の責任だって言っておいたから、心配するな」
一人で寂しくおにぎりを食べていたところを見つかってしまったのだ。いい上司だとは思う。だけど、卓郎は慌てて同じ文字の上にずっと指を置いてしまったのだ。そして、持ち変えた場所で同じことを繰り返す。
「いえ、僕が再度確認しなかったせいです。部長に頭を……、いえ、頭上げてください」
そして、握りしめられたスマホはまた別の場所を押され続けた。
アルファベットで表記され続けられたのは、彼のスマホの文字入力設定がキーボード設定だったからだ。
今日から毎日17:00に更新します。(予約投稿したので、多分)よろしくお願いします。