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85.正気(後編)






「出鱈目です! 全て嘘です、お嬢様!」


 彼女はルイナに向かい、叫ぶ。言葉を1つ、2つ―――重ねて、遮られる。


「ぐっ―――ぅ……」


 彼女の肩が、再び背より掴まれる。そして首に突きつけられたものは先より深く肌へ食い込む。


 ―――血が滲む。それは首より襟元へと流れ、白と紺の給仕服を紅く染めていく。


「カリーナ嬢。次は―――」

「お嬢様! アーデルセン様はっ、貴方を愛していらっしゃいます!」


 カリーナは叫ぶ。後ろで脅す敵に負けず、首元を這う死の恐怖にも負けず。

 彼女にとっての真実を、目の前の『嘘』を否定する勇気の言葉を。


 ―――ここに至り、ハヴァラは逡巡する。ここで彼女を殺すことは容易い。爪を抉らせ、首をもぎ取るだけである。そして今、主が敢行する策の中で、彼女に味方をする者は障害となるだけである。なれば殺すが道理。

 しかし、ルイナとカリーナは長年の主従の関係。密な仲である。これを殺すことで、ルイナの中で己の運命を呪う悲嘆が、己を翻弄する他者への怒りへ変わらないとも限らない―――それ故に、不必要であり余計な者であったカリーナを排除できず、ここまで連れてくる羽目になったのだ。


「アーデルセン様が御心を病まれたのも、貴方を愛しているからです! 貴方を否定することなど、ありえません! どうか信じて下さい!」


 彼が首に潜らせた爪をどうするか悩んでいる間にも、彼女の言葉は進む。


 ―――時間が無い。それは双方にとってである。

 ハヴァラにとっては時間を与えるだけ主の不利に働くだけであり。

 カリーナにとっては己に与えられる時間が残り少ないことを知っている。


 いつ首に突きつけられた爪が首を裂くか知れず、その恐怖に抗いながらも言葉短く彼女は叫ぶ。


「だから、お嬢様っ―――つっ…!!」


 短く、悲鳴が上がる。


 首元ではない。何かを背に刺された―――そしてそれはすぐに抜かれる。深くない、そして大きくもない傷を負った感覚に、彼女は何を刺されたか悟る。


「眠って頂きますよ。カリーナ嬢」

「は……ぐっ、お嬢様―――」


 針―――暗殺者の武器である。

 その先端に塗る毒の種類によって効果が変わる。今、彼女は―――全身をまわる甘い痺れに酔い始める。


「アーデルセン様を、御救い、できるのは―――っ……!」


 彼女は舌を噛む。猛烈な睡魔に抗う為に―――しかし、最早顎に力が入らない。抗う術は、ない。


「っ―――あ、あなた、だ……け―――」


 ハヴァラの腕の中で、彼女の身体は弛緩する。だらりと四肢を垂らし、瞼が落ちる。

 彼女が運命に抗えたのは、ここまでである―――僅かな言葉を残して。

















「……お騒がせ致しました、閣下。どうかお続けくだ―――」

「…………」


 カリーナを床へと寝かせ、再び影に徹しようと立ち上がった彼は、しかし言葉を止め、目の前に佇む者を見上げる。


 ルイナ(それ)は、無言―――俯き、廊下を照らす灯の影となり、表情は杳として伺えない。


 ―――どっちだ、正か誤か。自身の咄嗟の対応が彼女に及ぼした影響の結果が見えず、ハヴァラは微かに息を呑む。


 正であって欲しいが、誤であっても敵対関係に陥ることはないだろうと踏んでいる。彼女は、最も厄介なスキルを自分が習得していることを知らないし、当然、その発動条件も知らない。

 故に、自分達の思惑が心を傷つけることだと気づけたとしても、それが彼女に対しての敵対行為であることには思い至らない。せいぜい、この街から追い出したいから画策した、というところまでしか推理は行き届かない。


 だからこそ、この策なのである―――危険は少なく、実入りは大きい。出る目は『殺せる』か、『追い出せる』かのどちらかなのだから。


 彼女の歯牙が彼らに向けられることはない。そう、確信しての策であった。


「……く―――」


 そして、見上げたその唇より、それは漏れ出てくる。


「くふふ、うふっ、うふふ―――」


 それは、ハヴァラにとっても聞き覚えのある笑い声―――彼女が心から傷付き、自棄と拒絶の狭間に出す偽りの感情。


 ついに、この時が来たのだ―――ハヴァラは喉を鳴らし、息を呑む。


 その顔が、妖艶な笑みを浮かべた時。

 その瞳が、熱に浮かされた時。

 ―――それは同時に、彼女の弱い心が最も表面に曝け出される瞬間である。


 そこまでこれば、脆い。己を奮い立たせる、少女の最後の偽り(つよがり)を踏みにじるだけで良い。少女が放つなけなしの虚勢を、残酷な言葉でもって否定すれば心は折れる。絶望する。


 そうして心を殺せば、目の前の少女はただの小娘に成り下がる、いとも容易く殺せる小娘に―――『求生反射』は発動しないのだ。


 故に、彼は待つ。演じ慣れた化け物の仮面を、少女が被る、その時を―――それが、彼女の最期である。







「うふふ、あはははっ! あはは、あははっ――――



























 ―――ばっかみたい」





 



















 嘲る。

 蔑む。

 貶める。

 その時、彼女は―――嗤ったのだった。



「何が父様を救えるのは私だけよ」

 ―――その顔は、嘲りに満ちていた。



「父様が私を愛していたわけないじゃない」

 ―――その眼は冷え切っていた。



「こんな私なんて、誰も愛してくれないわ」

 ―――その瞳はカリーナを嗤っていた。






 誰からの愛も受けられないことを悟り、自身を悪しざまに貶める。その口が語るのは、彼らが求めていたものに限りなく近かった。

 しかし、それでも彼女の瞳に自棄はない。強がりもない。理知的な色をもって確と、己に尽くしてきた従者を怜悧に蔑む。


「そう、分かったわ。貴方達のおかげで分かった。私を愛してくれる他人ひとは、もういないって―――

 親も、国も、神様だって私を見放し、私を捨てた。そうよね、だって私は化け物だもの。私のことはみんな嫌い。みんな、私のことを除け者にする!!」


 『あははっ、だから―――』、彼女は無邪気に声を上げ、醜悪に唇を歪ませる。


 振り返り、それを見せる彼女に、グーネルは背筋を凍らせる。

 何か―――何かが、狂った。望んだ自棄ものでは、断じてない、何か恐ろしいものが表情そこにある。


 彼女の心は、脆いはずだった。押せば崩れる、叩けば壊れる。そんな不安定な心であったからこそ、責めた。追い詰めた。死を望んだ。

 なのに―――そこにあるのは、弱さではない。後ろに涙が潜んでいる気配もない。もっと、もっと恐ろしい、何かである。


 それはいったい―――何なのか。彼女が何を思い、何を考え、何を望むのか。彼はその言動より測ろうとする。


 ―――しかし、その意気は無意味であった。

 何故なら、彼女は容易く、こう言ってのけたのだから。


「だから―――滅ぼしちゃおう、吸血鬼。私を莫迦にするやつらは全員、殺してやるんだから―――あはは!」


 彼女は笑った。

 生まれて初めて、心から笑った。

 偽りの感情ではなく、偽りの表情でもなく、本当に心から可笑しくて可笑しくて、彼女は笑った。


 ―――ただ、その瞳は笑わない。

 いつか見た父のように、いつか見た民のように、彼女は死の呪いを込めて世を睨む。


 その瞳に映るのは、世の全てを恨む、怒りであった。






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