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84.正気(前編)

 








「アーデルセン様がここまで御心を痛めてしまったのは、全て貴様のせいだ、ルイナよ」

「…………」


 冷たく語り、強く指差す。断罪に務める彼の眼は怒りに震え、唇は―――微かに嗤う。


 ……嗤うな。まだだ。まだ―――

 彼は怒りを抑えるように口元を押さえ、歪んだ頬を手の中で正す。


 アーデルセンへあてがった女は、予想以上に言葉を引き出してくれた。アリスを押し潰し、アリスより拠り所を無くす、残酷な言葉―――充分である。

 ほくそ笑む彼は策の成就が近いことを悟り、腹心たるハヴァラより受けた報告、そしてその時の話を脳裏に過ぎらせるのであった。











「―――以上が、アリス姫の追跡任務における、報告でございます」

「……そうか」


 それは遡ること1日前。ルイナが『大地の割れ目』にてカリーナと落ち合う期日の前夜のことである。


 彼はハヴァラより報告を聞き終え、危機感と絶望にさいなまれ、眉間に甲を押し当てる。


 彼の頭を痛ませる存在、それはアリス姫―――吸血王アーデルセンと吸血妃リリスフィーの間に生まれ、絶大なる力と絶世の美貌を約束された吸血姫であったが、その実片方しか与えられなかった哀れで儚い少女である。

 およそ吸血鬼としての強みも本能もなく、無能とそしられていた彼女は―――吸血鬼の血を吸える吸血鬼であった。


 否、吸血鬼と呼べるのだろうか? もはや、別種の魔族として捉えてもよい。強烈な異分子、およそ同族として迎え入れられない異端であった。即座に殺すべきであったその者は―――恐ろしく強かった。


 誰の眼にも留まらぬ速さで動き、圧倒的な力量差でもって死をふりまく。ほんの些細に害意が芽生えた者へ容赦なく腕を振るい、血を啜る。同族の血の味に身を震わせ、妖艶に微笑む彼女の存在に民は恐怖し、彼すらもおののいた。

 殺す手立てはなく、寄り添うべきであった民を殺してなお罪悪感を映さず、歓喜に振るえるその表情に、彼は絶望を抱いた。


 ―――公的には、彼女は陽光に晒され死んだことになっている。国を、民を、種を脅かす化け物は砂となって消えることを望み、その願いは一年前の時をもって叶えられた。


 ……しかし、その場に立ち会わせた彼を含めて数人だけは恐るべき事実を知っている。

 化け物は野に放たれたのだ。陽光に晒されても死ななかった奴は、鎖も(くつわ)も嵌められず、どこへとも旅立っていったのだ。


 堪えられるわけがない。いつ戻り、陽光の下へ下れぬ我ら吸血鬼をナトラサという監獄の中で襲い、血を飲み、命を啜り、嘲笑う。そんな恐怖が常に背に貼りつけられた状態で、民が平静を保てるわけがない。

 少なくとも、彼はその恐怖に耐えられなかった。それでなくとも、彼女が人間種へナトラサの情報を渡す可能性だって考えられる。故に、腹心であるハヴァラへ命を出したのである。


 期限は3年―――アリスを追い、もし人間種へナトラサの情報が渡った時、その情報を知る者全てを排除せよ。またアリスの強さを紐解き、間違いなく始末できると判断出来れば殺せ、と。


 命を出されたハヴァラは闇へ消え、彼女を追った。この街で随一追跡と諜報の術に長ける彼はアリスを追うに最もふさわしい者であった。


 そうして彼は不必要に怯えずに済む時間を手に入れたのである。期限は、3年―――その間に目的を果たさねばならない。彼はその内の1年を内政へ割り当てることにしたのである。


 そして月日は経ち―――、一年が過ぎる。ハヴァラが期限よりも前に戻り、何がしか動きがあったかと思えば、アリスもこの街へ向かってきていると彼は言う。

 ……殺せなかったのだ、彼では、彼女を―――その理由を語る彼は、彼女が持っているスキルを口にしていく。


光陰如箭(こういんじょせん)

蟷螂之斧(とうろうのおの)

長目飛耳(ちょうもくひじ)

見敵必殺(けんてきひっさつ)

無痛覚(むつうかく)

 そして―――『求生反射(きゅうせいはんしゃ)』。この6つのスキルが彼女の持つ力であると解き明かしたハヴァラは、『確実に殺せる』という機会に恵まれず、今まで尾行するだけに徹してきたことを明かしたのであった。


「―――どうしたら良いのだ…」


 彼は頭を悩ませる。横に置いておいた問題は風化せず、再び彼の前にやって来たのだ。絶対に殺せず、絶対に歯向かえない相手があと1日もしない内に街へやって来るという。まさか、あのような出て行き方をしたアリスが自らこの街へ戻ってくるとは予想だにしていなかったのである。


 それも、心を病んだ父に会いに来るというのだ。会ってどうするつもりなのか、まさか治るまで街に居座るつもりなのか? それとも、治るまで幾度となくこの街へ訪れるつもりなのか?

 ……冗談ではない。そんなことをされでもしたら、いつか街の誰かが奴の姿を見てしまうかもしれない。そうなれば、この国はお終いだ。吸血鬼という種の帰属意識は瓦解し、民はナトラサを捨て方々へ逃げ、人間種に存在が暴かれる。そして最強の魔族である吸血鬼が、守るべき種が―――滅ぶのだ。


 ……それだけは、何としても避けねばならない。彼は知恵を総動員し、政を脇へ置き、策を練る。


「―――閣下、1つ、御耳に入れたいことが」


 そんな彼に、ハヴァラは付け足すように『それ』を報告する。

 グーネルは腹心の言葉を聞き、閃き、その策を敢行することを決める。危険は少なく、実入りの大きい策である。


 彼はハヴァラへ渓谷の入り口にてアリスを待つように指示し、『そこ』へいざなう命を出す。


 『そこ』こそ墓場にふさわしい―――彼は民へと一両日の外出を禁じる触れを出し、前王の住まう邸宅に身を移したのであった。















「―――相変わらず何も語らぬか、ルイナよ。だが、貴様が何も語らずとも、私が貴様の罪を明かそう」


 彼は語らぬ少女へ、淡々と弾劾し続ける。


「貴様はヒトの血を飲まず、我ら同族の血を飲む。あの時の歓喜に震える貴様の顔、同族を殺してなお喜びの表情を浮かべた貴様のことを、私は忘れておらぬぞ」


 語る裏で、彼は考える―――ルイナが習得しているスキルは6つ、これらのうち『攻』に位置するスキルは3つである。

 光の速度で動く『光陰如箭』、相手に敵うだけの力を得る『蟷螂之斧』、害意を持った敵に対して必殺の一撃を放つ『見敵必殺』―――これら3つがある限り、彼女へ敵う術はない。


 一方、『守』に位置するスキルも3つ。

 遠くからでも敵を見つけ、近づく音も聞き漏らさない『長目飛耳』、どんな傷を負っても痛みを伴わない『無痛覚』、そして危険を確実に退ける鉄壁の守り『求生反射』―――これら3つがある限り、彼女へ害を為す術はない。


「貴様のような化け物を娘として愛してしまったアールデセン様が、そしてリリスフィー様が憐れで仕方がない。別の家に、そもそもこの街に、いや―――この世に生まれてこなければよかったのだ、貴様は」


 それら6つのスキルが織りなすは、最強。攻めて負けず、守って負わず。相互のスキルが効果を高め合い、およそ完璧に攻守の揃った無敵の魔族であると言える。


 ―――しかし、その存在はただ一点、弱点を抱えて生きている。6つのスキルのうち、生存に関わる最重要スキルが発動しない条件を、彼女は胸に抱えている。


「アーデルセン様もそれを後悔しているのだろう。今、貴様が生まれぬ生をやり直している最中だ―――故に、この街に貴様の居場所などありはしない。それどころか、貴様がいてはアーデルセン様は決して救われないのだ」


 ―――それは、心。一年の月日をかけ、彼女を監視し続けたハヴァラが見つけた、化け物の急所。


 脆い心、他人に居場所を作ってもらわないと自力で立てない、儚い心。

 それは、他者より拒絶された時に顕著に表れる―――妖艶な笑みとして。恐ろしい化け物の表情をもって。


 しかしそれは、偽り(つよがり)なのだ。その裏には、常に脆いものが隠されている。


「我らにとっても、アーデルセン様にとっても、誰にとっても、貴様は邪魔なのだ。それを理解したら、早々にこの街を去れ―――いや、」


 故に、外面に怯えず、強さを恐れず、内を責め続ける。

 それによってある言葉を、ある感情を引き出せれば()()()()()()()()()()()―――憂いの存在をこの場で殺すことが出来るのだ。


 ―――それでなくとも、この街に居場所がないと知らしめればそれで良い。今後この街に寄り付かず、目的成就までの間、しばし国の安寧が約束されればそれでも良い。


「いっそのこと、この世から消えて欲しいものだ。誰からも愛されぬ娘よ―――」

「っ……」


 彼の言葉に、僅かに少女の瞳が震える。

 報告通り、やはりここが急所であった。彼はなおも言い募る。


「そうだ。貴様は誰からも愛されぬ。愛される権利も道理もない。母を殺し、父を壊し、国と民を恐れさせる貴様に、最早生きて欲しいと願う者はいない。アーデルセン様も、貴様を生んだ記憶を無くしたいと思っているのだ。故に―――」

「………――――」


 少女は顔を強張らせ、下へ俯く。

 その肩は震える。その心は、確実に追い込まれている。


 ―――もう少し。あと一押しで、壊れる。

 吸血鬼われらが救われる、その時は近い。


 さあ、言え! 思え!

 自分に価値などないと。

 自分など生きていても仕方がないと。


「―――死んではくれないか? 誰もが、それを願っている」


 彼女が絶望し、自身を棄てるその時を―――彼は待ち、言葉を重ねる。


























「嘘ですっ!!!」


 しかし、彼の思惑を壊そうとする者がいた。

 声が響く。思いの丈を叫ぶ、心の声―――それを発したのは、カリーナであった。







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