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82.扉の向こうは

 





 泣き腫らす者がいた。

 それを責める者がいた。

 ―――はたしてその場において、彼女(ルイナ)が発するにふさわしい言とは何であっただろうか。


『カリーナ、そんなに落ち込まないで。あなたは父様の為に動いてくれたのでしょう? 気にすることないわ』


 ―――それは慰め。己の身勝手さを悟り、悲嘆に暮れる彼女への労いの言葉。


『そこまでおっしゃらなくても宜しいのではありませんか、グーネル公爵様。あんまりに可愛そうです』


 ―――それは諫め。王を想うあまり義憤に駆られ、言葉熱く語ってしまった彼への忠告の言葉。


『それなら何故私をここまで連れて来たのですか? 訳を教えてください。私をどうしたいのですか?』


 ―――それは疑問。不要であると、あるいは敵であると思うのであれば、何故渓谷で返さずここまで己を連れて来たのか問いかける言葉。


『私はこの場にいてはいけないようですね。でしたら旅立ちます。もう二度と関わらないでください』


 ―――それは拒絶。互いを必要とせず、互いに傷つけ合うしかないのであれば、道を分かとう。金輪際の不干渉を宣う言葉。


 共感、否定、疑心、拒絶。それのどれでも構わない―――沈黙という選択肢も、あるいは有り得たのかもしれない。およそ広い選択肢の中で、ふさわしくない言はむしろ少ない。


「―――はぁ……」


 しかし、彼女は不快感を露わに溜息を吐く。


「それで、私はいつまでこの茶番を見ていればいいのかしら?」


 ―――それは侮蔑。莫迦にしたように鼻を鳴らし、瞳に嘲りを乗せて彼女は嗤う。


 およそこの場にふさわしくない言と情である。彼女を知る者からすれば、まったくもって彼女らしからぬ言と動である―――しかし、それを待ち望んでいた者がいた。


 彼は嗤う。これこそ、彼が待ち望んだ時であった。


「……焦るな、ルイナよ―――貴様には見せたいものがあるのだ」


 答えながら、彼は嗤う。それは彼女を更に追い詰める為の演出パフォーマンス

 彼女は既に、彼が描いた脚本の中。その舞台の中心で踊る、さながら悲劇の主人公ヒロイン―――今宵が少女にとって、最期の夜である。


 彼はほくそ笑む。それを少女は、ただつまらなさそうな瞳で見る。

 その表情の意味を、果たしてどこまで理解できただろうか―――胸の内を知れるのは、それを抱えた者だけであった。













「ハヴァラよ、案内せよ」


 グーネルの言葉に従い、彼は動く。客間の扉を開き、何処いずこかへ主と彼女達を招く。

 その先導に、ルイナとカリーナは従う。一方は泣き腫らした顔のまま、一方は無感動の面をつけたまま。


 知ったる道である。カリーナは8の時から、ルイナは生まれてより、十数年来と暮らしてきた邸宅である。どこへ向かおうとしているのかも、歩きながらにして理解する。


 故に―――おかしい。カリーナは止め処なく溢れる涙の裏で、はたと気づいて眼を開く。


 この道は、主の部屋へと通ずるものである。否、もう1つ部屋があるがそこの部屋の主は今は亡き奥方リリスフィーである。主よりアリスを引き離そうとしている者が主の部屋へ案内するとも思えず、また主不在の空室へ向かうのも解せない。


 ―――そもそも、何故自分達は、いや、アリスはここへ案内されたのだろうか。彼女を主より引き剥がすことを目的としているのなら、招待するのは公爵家で良かったはずである。あるいは、初め自身も危惧していたようにどことも人目につかぬ場所へ連れていくか、そもそも渓谷の入り口で追い返せばよいはずであった。


 ……何か、未だ自身には見えていない目的がある。彼女はその存在に気が付いたのである。

 ただ、それが何であるのか見当がつかない。大義であるのか、道理であるのか、思惑であるのか―――それが何に根差しているものなのか、彼女には測れない。


 それでも足は動く。道は進む―――そしてとうとう、そこへ着いたのである。


「こちらでございます」


 先導のハヴァラが腕で指し示す、そこはまさしく王の居室。扉は常のように閉ざされ、中の様子は伺えない。


「―――えっ……」


 しかし、カリーナは戸惑いに息を漏らす。それは扉の奥より漏れ聞こえる音に対しての、困惑の情。


 漏れる音は、2人分の声―――猛る声と、咽ぶ声。それは断続的に、そして熱情をもって聞こえてくる。

 この声の発生の起因に思い至るものがあったが、あまりに場違い。かの状態の主の部屋より聞こえてくるには、あまりに不相応。


 ―――だが、それは声量を増し、熱をますます帯びていく。合わせて、何かの軋む音も漏れてくる。


「なん、で……」


 ……もはや、偽れない。察した懐疑は事実である。

 カリーナは混乱のあまり、言葉を失くす……扉の奥より聞こえてくるのは、男と女が交わる嬌声であった。












「………―――っ」


 ……戸惑いに裂かれた時間は、如何ほどであっただろうか。

 聞こえてくる声に足と心を縛られ、その場より動けなくなったカリーナは、いつの間にか喜悦の声が聞こえなくなったことに気が付いた。


「ふむ、為し終えられたようだ。さすがに事の間を見るのは気が引けるからな」


 ―――こいつは、何を言っているのだろう? そう、臆面もなく言ってのけるグーネルに対して、彼女は眼を見開き、言うべき言葉を探して口を開く。


「……、……っ」


 言葉が出てこない。あまりに理解できない事態が続き、何から語ればよいのか分からず舌が絡まる。


 何故、王の部屋から交わる声が聞こえてくるのか。

 男の方が主として、女の方はいったい誰であるのか。

 何をもって、彼は情交終えた主の部屋を覗こうとしているのだろうか。


 理解が出来ない。何ひとつとして、許されるべきでない。


「―――ハヴァラ」

「かしこまりました」


 彼女が理解の着地点を求め彷徨う間に、グーネルは配下へと指示を出す。

 既に彼らの間で筋書きは共有されていたのだろう。仔細な命令なくとも、彼は扉の前に立ち、詠唱を始める。


「―――お待たせ致しました、閣下」

「うむ」


 そうして1つの魔術を行使し、彼は下がる。代わりに扉の前に立つのはグーネルである。


「認識阻害の魔術を行使した。これで部屋の中より我らが認識されることはない―――開けるぞ」

「っ―――お、お待ち下さ―――」


 扉を開けようとする彼の手を、掴もうとする腕があった。

 その腕は、カリーナ。事態に理解が追いつかない中で、それでも今、最も止めるべきは主への無礼であると判断し、彼女は動く。


「ぐ…、っ―――!」


 しかし、その腕は止められる。音もなく動く影さえも目に留めさせず、背後を取ったハヴァラにより肩を強く掴まれる。

 握られた肩より、骨の軋む音が鳴る。その細腕、その老体からは想像出来ぬほどの怪力―――その痛みに表情を歪めるカリーナの首元に、突きつけられるものがあった。


「カリーナ嬢。察するのです。貴方は端役なのです」

「っ―――ぅ……」


 言外に語られる。『余計なことを話せば殺す』という圧力。

 それは彼女の忠義を、いとも容易く縛る。圧倒的な力量を前に抗うことは、迅速な死以外に結はない―――故に、彼女は己の無力さと、恥を知らない彼らを呪いながらも伸ばした腕を垂らし、彼の言に従うのであった。

 ―――ここで犬死するよりも、主の為になる他の道があると信じて。


「賢明でございます」


 言外の要求に従うカリーナに対し、彼は柔和に笑う。紳士然としたその顔、その表情の裏には怜悧な死が潜んでいるらしい―――元暗殺者たる自分に全くそれを感じさせないことこそ、恐怖である。カリーナは身を竦ませ、その場に立ち尽くすことを選択した。

 彼女の首に突きつけられていたものは爪―――それが離れていく。しかし、彼我の距離など関係ない。常に命は、彼の手中で転がされているのだから。


「…………」


 その間、『彼女』は動かない。口を開かない。眺めるだけ。

 従者たるカリーナの危機ですら、蛆虫の交尾でも見ているかのように嫌悪感を瞳に映してただ見やる。


 それは明らかに、彼女らしさを逸脱している。道理や情から大きく外れたその表情、その立ち振る舞いに、やはりほくそ笑む者がいた。


 己が望む終幕は近い―――彼は扉のノブを握り、『彼女』へ向き直って語る。


「ルイナよ。貴様に、この街に居場所がないことを教えてやる」


 そして開け放つ。その先にある現実もの、その先にいる人物もの、全てを『彼女』に知らしめる為に―――








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