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80.髪の色

 






 『掌土鉄槌』―――魔法陣によって意味と役割を与えられた魔素は彼が唱えた呪文を行使すべく、それを形成する。

 大きさはヒトの身3人分。発現箇所は相手の頭上。必殺の鉄槌となる、巨大な岩石である。


「……えっ」


 誰かの口が、疑問の声を上げる。


 どうして、突然辺りが暗くなったのだろうか―――悟っているのに、気づいているのに。頭上に何かがあって、それが月明りを遮っているのを視界が確かに捉えているのに、その者は疑問を呈す。


 空を、見上げる。視界の天井を覆っていた物が、焦点の真ん中に定まる。視界いっぱいに広がる、大きな岩―――


「あっ―――」


 彼女がそう呟けたかどうか、その間際。


 ―――巨石は重力に従い落下し始める。静かに、しかし圧倒的な存在感をもって、鉄槌を下す……


















 ―――死ぬ。


 目の前に、色濃い影が落ちてくる。


 それは、圧倒的な質量の岩の塊。

 それは、紛れもない死の予感。


 ―――死ぬ。


 世界から音が消える。

 世界から色が消える。


 死を予感した彼女の思考は全ての感覚よりも反射を優先させ、降ってくる死の気配より逃げ延びる可能性を模索する。


 避ける―――否。

 避けたい―――否。

 避けなくちゃ―――否。


 足が動かない。愚鈍なまでに、全く身体は言うことを聞かない。


 降る岩はこれほどまでに緩やかに落ちてくるのに。

 足が地面に縫い付けられて、動かない。

 口も、金縛りにあって、動かない。


 ―――彼女の感覚は、全て偽である。巨大な岩の塊は重力に従い勢いよく落ち、彼女の身体は何にも縛られていない。

 ただ、死を予感した彼女の思考が極限にまで引き延ばされ、全てが遅く、全てが重く感じているだけのことである。


 そして無情にも、突如として眼前に迫った死の予感に彼女の思考は埋め尽くされ、潰されるのが下半身だけで済むところまで逃げられる可能性の時間は混乱の最中に過ぎ……最早、彼女に逃げ場は無い。


 ―――死ぬ。死ぬ。死ぬ。


 落ちる岩石と柔らかい彼女の頭部。彼我の距離は今、彼女の身長1つ分の距離にまで迫っている。

 見上げれば、平らな岩石の底が見える。間違いなく、あと瞬きを1つする合間にその塊は頭にぶつかる。


 ぶつかって―――絶対に勢いは止まらない。肩を砕き、腰を折り、足を粉砕し―――そして散るのだ、血と、自分の命が。


 死ぬ。死ぬ。死ぬ―――死ぬ。死ぬ。死ぬ。


 圧倒的な、死の予感。それを避ける手段は既になく、それを防ぐ手段は自分になく……


 ―――絶対に、死ぬ。


「――――――!」


 ……死を確信した瞬間、彼女の脳裏を掠める者がいた。


 金糸雀かなりあ色になびく綺麗な髪、透き通った翠色の瞳、笑って、怒って、泣いている顔―――そして、自分を守るために戦う彼を見上げた、ああ、あの時の、顔。

 ……会いたい―――会いたい、会いたい、話がしたい、夢を見たい、苦しい、会いたい、会いたい……


「――――――!」


 ―――ひと時の夢は醒める。彼女の目の前には変わらず、巨大な岩石の影がある。

 それはもう、彼女の眼前にまで迫っていた。


 ―――死にたくない、死にたくない。死にたくない。


 彼女は震える。刹那の身震い―――それは何の意味も為さず、ただ恐怖を外へ曝け出すのみであった。


「いっ……」


 ―――死にたくない、死にたくない。死にたくない!!


「っやぁああああああ!!!!」


 彼女は叫ぶ。それは断末魔―――空へつんざく、少女の悲鳴。


 次に鳴り響くのは落ちた岩石が起こす、地響きの音。

 彼女の命は、ここにおいて散るのである―――




















 ―――はずだった。


 しかし、地は鳴らず。岩は落ちず。

 代わりに起こったのは空を切り裂く、暴風の音であった。

















 ―――ヒュゴォォオォォッ!!!!


「なっ、なんなのだ、この風は……っ!」


 突如として起こった暴風に、ソーライははためくフードの裾を抑えながら、呻き声を上げる。


 土系統の中級魔術『掌土鉄槌』、それを行使した彼はそれまで、落ちる巨石と恐怖に顔を歪める少女を見比べ愉悦に浸っていた。

 視界を遮る『岩防壁』、それに潜んで詠唱とは別に魔法陣を描き、同時に2つの魔術を行使する―――彼にとっての切り札の1つであり、それに見事に引っかかった相手は土系統魔術に対して無為である風防御魔術しか行使しなかった。


 闘争の儀においての生贄よりも、存分に歯ごたえのある相手であった。ヒトの身ごときで、それも若い身空で中級魔術まで使えることには驚きを禁じ得なかった。

 自身が生まれ変わる前―――ヒトの身であった前世じぶんと同等か、あるいはそれ以上の才能を持った魔術師であると思われる。前世の自分であったら闘争心に、あるいは嫉妬に顔を歪めていただろう。


 しかし、今はそんな矮小な気持ちも起こらない。自分は新たに吸血鬼としての身を与えられ、ヒトの身で叶わぬ境地に達したのだ。

 むしろそんな自分に切り札の1つを切らせても良いと思わせた相手に賛辞の1つでも送ってやりたい気分であった。素晴らしい才能の持ち主である。


 そうして賛辞は送りつつ―――しかし、どちらが格上かを明確にしておかないと気が済まない。彼は『掌土鉄槌』を止めの一撃として行使し、彼女に完全なる敗北感を与えようとしていた。

 もちろん、『掌土鉄槌』は直撃すれば致死の威力を発揮する。当たる直前に魔素へと還す予定であった。


 ……だが、そうは出来なかった。突如起こった暴風に彼は意識を取られ、視界を奪われ、集中を削がれた。

 その結果、『掌土鉄槌』を魔素に還す命令を怠ってしまった。故に、巨石は魔素へと還らず、吹き荒れる風の向こうで少女を押し潰してしまったであろう。


 ―――惜しいことをした。あれだけの逸材である、高濃度の血中魔素を蓄えている魔術師であっただろう。鍛錬の際に飲む補給用の血として最適であっただろうし、魔術戦の仮想敵としても有効活用出来ていただろう。

 それに何より、彼には今、専用の奴隷がいない。半人前としてではあるがナトラサの外に出始めた彼は、父の奴隷に頼らない、自分だけの奴隷を欲していた。


 色々な要素において、最適であった少女を殺してしまったのだ。彼を襲うのは後悔であって然るべきであった。


「……っ」


 しかし、彼は悔いていない。その表情は苛立ちと焦りに歪み、暴風吹き荒れる先を確と見据え、唇を噛む。


 彼には予感があった。まだ終わっていないと。

 彼には予感があった。まだ死んでいないと。

 彼には確信があった。この暴風は、自然現象ではないと。


 ―――やがて、吹き荒れる暴風が収まる。風に引き寄せられていた林の幹は元に戻り、しかし飛び散った枝葉は尋常なく空を舞い、地を埋める。

 そよ吹く風も、巻き込む嵐も、今はない。まったくの無風のただ中に、再び姿を現した少女は腰を落としている。


「っ……はぁっ、はぁっ、ん、っ、はぁっ……!」


 そして荒く息を吐き始める。頭を手で押さえ、片目を瞑る。苦悶の表情を浮かべながらも彼女は、五体満足にして生きていた。


「……何が、起こった―――」


 『その光景』を見て、ソーライは更に呻く。

 四つ這いに崩れる彼女の傍ら、そこには『掌土鉄槌』の残骸―――粉々に砕かれ、破片と成り果てた姿があった。


「はぁっ、はぁっ……!」


 そして少女―――月明りに照らされるその姿は暴風吹き荒れる前と様相が違う。


 全身に入る無数の裂傷、そこから滲む赤い鮮血。

 纏う外套は至るところが千切れ、解れ、無事なところを探す方が難しい。


 しかし、何より、彼を驚かせたのはその髪である。


 ―――サァァァッ……


 一陣の風がそよぐ。髪を背に束ねていた髪留めが千切れて地に落ち、彼女の髪が風に舞う。


 ―――赤。地平の果てに沈む夕陽を思わせるような赤をしていたその髪は、今や半分。

 もう1つ―――風に乗り、月や星の輝きを綺麗に照らし返す、煌びやかな色がそこにあった。


 それは、金色こんじき―――人間種において、とある種族を象徴する髪の色である。


「っ、ぐっ、はぁっ、はぁっ…!!」


 視界を覆う二色ふたいろの風を耳元へ掻き上げながら、彼女は立ち上がる。

 姿は違えど、髪の色は変われど、その眼に映る敵意は変わらず。彼女は対峙する彼を睨み上げ、荒い息とともに杖の先端を彼へと突きつけるのであった。










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