79.暴風と煉獄の戦い
「原初なる焔よ、集まり、敵を焦がせ―――<火炎弾>!」」
「っ、風よ逆巻け、我を護れ―――防風壁!」
火焔の球が形成され、ミチに向かって宙を飛ぶ。
そしてそれを迎え撃つべく、彼女の目の前に半透明の障壁が展開される。
「っ…!」
それら2つはぶつかり合い、相殺される。火焔の球は衝突すると同時に爆炎を巻き上げ、風の障壁がそれを忽ちに吹き消す。ただ、目の前で散った火の粉と熱波に僅かに怯み、ミチは小さく悲鳴を上げる。
「豪壮たる砂よ、飲み砕け――――」
そして対する敵―――正体不明の彼は舞い上がる火の粉も消えぬ間に、続けて詠唱は唱える。
「―――<砂瀑布>!」
呪文を唱える彼の目の前に、地より天へと大きく開く砂の顎が形成される。
その顎はミチの身長よりも遥か高く聳え立ち、緩やかな勢いでもって、しかし圧倒的な質量でもって彼女を押し潰さんと蠢き始める。
「清廉なる水よ、激しく猛り、今は路に抗え―――<濁流々>!」
対して彼女は『濁流々』を行使する。杖を横薙ぎに払い、前方の広範囲に水の奔流を生み出す。
水は留まることなく、彼女の杖より放出され続ける。増大効果が付与され、常より勢い強く激流となった『濁流々』は砂の顎を底より削り取っていく。
砂は激流に飲まれ、形を崩していく。勢いは完全になくなり、次第に高さを失っていく。
―――そして一方、『濁流々』の勢いは止まらない。『砂瀑布』を削り取りながらも地を滑り、対峙する彼の下へと押し寄せる。
「岩よ、聳え立て―――<岩防壁>!」
「なっ、嘘でしょ?!」
対して、『砂瀑布』の制御を早々に放棄して彼が唱えたのは『岩防壁』。彼の眼前に厚い岩の壁がせり上がり、襲い来る水の奔流を堰き止め脇へ散らしていく。
『濁流々』を受け切り、その壁は僅かにも傾かない、傷つかない、削られない―――『岩防壁』。それは下級に類する魔術の最高難易度、ヒトの魔術師が目指すべき魔術の1つであった。
土系統の魔術は密度の高い物質を形成しなければならない点において、他系統よりも魔素の消費量が多く、尚且つ行使の難易度が高い。それ故に習得に時間がかかり、且つ習熟にも時間がかかる。土を得意系統とする魔術師ですら、晩年に至っても到達階級が初級止まりであることなど、ざらにある。
ましてや、他系統を得意とする魔術師に至っては土系統の魔術を全く使えないことなど、往々にしてある。土系統とは手が出しづらく、また手を出したところで労力が報われない可能性が高い魔術であった。
しかし、その効果は絶大である。土系統の防御魔術はあらゆる系統の攻撃魔術に対して相性が良い。初級であれば下級の攻撃を、下級であれば中級の攻撃をといったように、等級が1つ上の魔術ですら弾くことが出来る。
ヒトの魔術師の誰しもがその堅牢さに憧れ、習得を目指し、そして難易度の高さに挫折し他系統に逃げていく―――そのような魔術であった。
そんな、下級魔術の極意たる『岩防壁』―――それは増大効果を付与させた同級の水魔術『濁流々』を易々と受け流し、依然として攻撃阻む壁としてミチの前にそそり立つのであった。
―――『濁流々』は勢いを失くし、地に溜まる水へと変わる。
その場に残るは鉄壁の守りを誇る『岩防壁』。場は確かに、ミチの不利へと傾きつつあった。
「くっ―――」
彼女は焦る。目の前に立ちふさがる脅威が、まさかこれほどのものとは思ってもいなかった―――焦る。そして、悩む。この場をどうするか、どう切り抜けるか。どう切り抜けたら良いか。
相手の実力を図ろうと考えをめぐらすが、天井が見えない。まさか、土下級魔術の極意である『岩防壁』を、しかも下級の最短詠唱である2単語まで短縮して行使できる実力者であるとは、思ってもみなかった。
それを材料にして考えると―――相手はもしかすると、中級魔術ですら行使できるのかもしれない。その可能性は、決して低くない。
そして、相手が中級魔術を行使してくるのなら、『岩防壁』を盾にしている今――――詠唱の邪魔をされない今であるとの予測を彼女は立てる。
出来ることなら外れて欲しいと、そう願った彼女の祈りは通じず。その声は聞こえてくるのであった。
「緋なる原初の焔よ―――」
未だそそり立つ『岩防壁』の向こう側より、詠唱の声が聞こえてくる。
詠唱の始まりの一小節。火を讃える言葉である『焔』、その名を修飾する詠唱が2単語―――間違いない。これは炎系統中級の魔術である。
今までの攻防において、彼は初級魔術より使い始め、詠唱短縮を極限に縮めてから次の級へと魔術を切り替えていった。そしてその度に彼が呟く『なるほど!』や『いいぞ!』といった言葉の意味―――それを考えた彼女は、1つの意図を察したのであった。
試されている―――自分がどの程度の魔術師なのか、彼はどんどんと魔術の難易度を上げていって図ろうとしているのだと、彼女は悟った。
であれば、中級魔術まで使われることになった自分はそれ相応の好敵手だと認めてもらったことになるのだろうが―――まったくもって、嬉しくない。
「天翔ける精霊の息吹よ―――」
嬉しくはないが、付き合わねばなるまい。聞こえてくる声に合わせ、彼女も詠唱を始める。
相手が行使してくるのは中級の魔術である。その威力は、直撃を喰らえば必死。避けて迎撃や攻撃魔術での相打ちという危険を抱えるよりも―――ここは、確実に防ぐ。
炎系統の魔術であれば、同級の風系統の防御魔術で防げる。これは魔術師界隈において常識である。それに倣い、彼女は唱える。
「天を貫く紅蓮の腕となり―――」
「巡り、囁き、共に祈れ―――」
―――パラパラパラ……
二者の詠唱が響く中、2人を分かつ『岩防壁』が崩れていく。
1人の術者が同時に複数の魔術を形成し続けることは出来ない。何故なら、新たな魔術を行使するべく杖へ魔素を流し始めた途端、前に行使した魔術は術者の制御を離れ、魔素へと還ってしまうからである。
魔術とは、魔素を物質や現象へと換え、現実に具現化させるものである―――例えば、ミチが行使した『濁流々』も、彼が行使した『岩防壁』も、その存在を構成するものは全て魔素のみである。魔素が水という形を取ったり、岩という形を取っているに過ぎないのだ。
そして、それ単体では光り輝くものでしかない魔素を、水や岩という物質、あるいは風や炎という現象としてこの世に定着させているものが媒介―――魔術師が持つ、杖なのである。
術者が別の魔術行使の為に杖へ新たに魔素を流し始めた途端、それまで形成されていた魔術はこの世に定着する力を失い、魔素へと還元されていく―――魔素を単純に放出するだけの無系統魔術に始まり、例外は多少あるものの基本的にこの制約は常に術者に、そして魔術に付き纏う。
そして今、まさしく彼の杖には新たな魔術行使の為の魔素が流されている最中である。故に、形を保とうとする力を失った『岩防壁』は表面より脆く崩れていき、その高さを失っていく。
―――この壁がなくなった時が、恐らく魔術行使の時機であろう。彼と自身の間の障害が崩れていくのを眺めながら、ミチは思う。
本来であれば彼を守るための壁であったはずが、今は自身を守る壁となっていることに、彼女は僅かに苦笑を浮かべる。なんとも、お礼を言いづらい壁である。
「仇なす敵を灰燼と化せ―――」
「邪なる力が祓われんことを―――」
―――ガラガラガラッ……
そして2人の詠唱は終わる―――同時に『岩防壁』が大きくその姿を崩し、地へ落ちる。
地に落ちた岩は輪郭を失い、魔素の光となって宙へ舞う。
「―――<紅焔槍駆>!」
「―――守護風塵!」
大量に昇り立つ魔素の輝きを前に、互いの姿を視認できぬ合間、二者は呪文を唱える。
紅蓮に燃え盛る槍が疾く宙を駆け、それを半透明の壁が迎え撃つ。
中級魔術である『紅焔槍駆』は致死の温度で炎を巻き上げる。岩にぶつかればそれを溶かし、ヒトに当たれば骨すら残さない。
しかし、ミチが行使した風の防御壁はその炎すらも飲み込み、熱源を散り散りに分解し跡形もなく消し去る―――炎は風に弱い。中級魔術であっても、その常識は覆らなかった……が、
「―――なっ!」
彼女は驚愕の声を上げる。目を見開き、対峙する彼の様子を―――崩れた『岩防壁』の魔素が完全に宙へ溶けた後も、魔素の光に包まれる彼の姿を見る。
―――否、包まれているのではない。その魔素の光はその場に留まり、且つ意味を持ち、印と線でもってそこへ描かれているのである。
「―――<掌土鉄槌>!」
にやりと嗤う彼が口ずさむそれは、呪文―――
そして、描かれた法陣に向かって叩きつけられるのは、今まで彼がローブの中に隠していた手と、そこに握られた2本目の短杖であった。




