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74.翻弄された少女達

 




 乾いた洞窟をひたすらに歩き、やがて眼下に見えてきたのは灯の薄明かりに包まれた街並み。

 空は天井、地は岩肌。建つ家は低い石造りのものばかり。この街に住む者は空と地表より追い立てられ、陽光拝むことを拒絶し拒絶された者達ばかり。


 吸血鬼の隠れ里ナトラサ。外で昇り始めた太陽も、この街へ光を堕とすことは決してない―――








「決してお顔をお出しにならないようお願い致します」


 ナトラサへ着き、久方ぶりに口を開いたハヴァラはルイナに向けてそれを告げた。

 化け物(アリス)の存在が吸血鬼達に恐怖を植え付けてしばらく経つが、不安は未だ晴れていない。アリスが振るった力、アリスの変わり果てた姿をその眼で見た者は街の住民総数からすると多くはない。しかし彼女の凶行を見た者が、再び街に戻ってきたアリスの姿を見て、恐怖の伝播のもととなる可能性は十分にあり得る。ハヴァラの言は、それを危惧しての警告であった。


「…………」


 アリスは頷かない。返事をしない。ただ被ったフードをより一層目深に引き、応としたのであった。


「お気遣い頂き、有難うございます」


 彼女のその様子を見て、ハヴァラは柔和に微笑を浮かべながら辞儀を為し、先導を再開した。


 ―――街を歩き始め、彼女達が辿るのは常より往来の少ない大通りである。すれ違う者の少なさに、しかしルイナが違和感を抱くことはなかった―――生まれてよりずっと家の中に籠っていた彼女に、常との多寡を量れるはずもなかった。

 住んでいた街であるが知らない道である。帰って来たという感慨は虚無に等しい。ただ行く先に待ち受ける『何か』に向けて無心に歩みを進める。浮かべる表情も、また無を晒す。


 そして一方カリーナもまた、己が旅立つ前と変わらぬ街並みに違和感を覚えずにいた。この街を包む倦怠と不安の空気は、風も光もないこの街において淀む一方である。それを払拭する為には王たる主の復活が必要不可欠であり、それが己の不在としていた半年の間に為らなかったという結果の確認にしかならなかった。


 主が心に抱えた病を治すには、アリスの存在が必要である。その考えの正しさを、変わらぬ街の有り様に彼女は確信した。しかしその胸に、今の『彼女』を主に会わせてよいのか、新たな疑問が芽生えている。


 自身が違和感を抱くほどに、アリスはアリスでなくなってしまっている。彼女が浮かべる怯え、怒り、恐怖の表情。それらが主と対面した時に曝け出されたら―――どうなる?


 分からない……意図せぬ方へ事態が動いてしまうかもしれない。そしてそれは主の病を重症化させるものかもしれない―――もしくは、アリスの心を完全に壊してしまうことになってしまうかもしれない。


 どちらも己の望む未来ではない。しかし、そうならないという自信がない―――どころか、嫌な予感は段々と膨れ上がり、胸の上に重しとなってのしかかる。このままではいけないと、何かが告げてくる。


 ―――だが、他にどうすることも出来ない。ここまでアリスを連れて来た労苦を除け、考えてみても主を救う方法はそれ以外に見つからない。


 八方塞がりである。今、自分がすべきことは何であるのか、彼女は迷う。アリスを主のもとへ連れていくべきなのか、それとも主より引き離すべきなのか。決意が固まらない。


 ああ、どうしたらいいのか―――迷いつつ、しかし彼女は決断の時が近づいているのを悟る。ハヴァラが自分達を街のどこへ連れていこうとしているのか分からないが、それはグーネル公爵のもとなのか、他者の寄らぬ暗所であるのか、どこにしても主の待つ邸宅とは別の目的地であろう。


 彼の案内が邸宅への帰路より逸れ、道をたがえた時―――自分はそれに抗うべきか、従うべきか。選択の道は狭く、選択の根拠も見えず、彼女の焦燥は歯ぎしりとなって表れる。






「―――こちらでございます」


 ……しかし、彼女が覚悟していた決断の時は訪れなかったのである。道は違えず真っ直ぐに帰路を辿り、やがて主の住まう邸宅の前で足を止め、ハヴァラは告げる。

 彼が振り上げた手は間違いなく王の住まう邸宅を指し示し、その先導の手と先にある邸宅を見合わせカリーナは混乱の極地に立たされる。


 彼がここへ案内した意図は? 目的は? 我が身に一体、何が起ころうとしているのか。


 我が物顔で扉を開くハヴァラと、案内の手に従い邸宅の中へ入っていくアリスの背を見送り、カリーナは……


「……っ!」


 未だ見えぬ現状に心をざわつかせながら―――それでも彼らの後を追ったのであった。
















「さーて、行っちゃったわねぇ……」


 ところは変わり、地上。『大地の割れ目』より少し離れた林地の木陰。梢に縁どられた夜の空を見上げると色とりどりの星が瞬く。静寂の中、時折り擦れる木々の音が耳に心地よい。

 静かな林地の中に1人、置いていかれた彼女は憂いと寂しさから独り言ちる。今宵は久方ぶりの、孤独の夜である。


「1人、かぁ……」


 ルイナとカリーナの2人を見送ったミチは火を灯すカンテラの傍に寄り、ちろちろと揺れる火の動きを眺める。火はカンテラのガラスの中で静々と燃える。


 燃えながら、赤い火がガラス越しにこちらを見つめ返してきている気がする―――今宵を共に明かす供を、彼女はそこに見つけた気がした。


「どうしてこうなっちゃったのかしらねぇ……」


 独り言ちる。彼女は火に語りかけながら、その火の向こうに見える『誰か』に向かって問いかける。


 どうして、お前はそこにいる?

 どうして、お前は彼女を助ける?

 どうして、お前は彼女の隣を歩いている?

 どうして、お前はそこまで彼女を気に掛ける?


 『誰か』は答える―――それは、同情であると。


「……うん、間違いないわ、それ」


 両膝を抱え、彼女はそこに半分顔をうずめる。被った三角帽がずり落ち視界を遮るが、彼女はそれを手に取り、地に置いた背負い袋の上に被せる。

 終わった後、眠たげに細められた瞳で再び火を覗くと、向こうの『誰か』も帽子を外してそこに座っているような気がした。


 ―――それで、これからどうするの?


「どうもしないわ、あたしは」


 ―――冷たいのね。


「……言っても、あたしに出来ることなんてないし」


 ―――今まで助けて来たのに、今回は助けてあげないんだ?


「出来るだけのことはしたわ」


 ―――そうね。友達ごっこに同情ごっこ。楽しかったし、悲しかったわ。


「……そう。そういう考え方も出来るわね」


 ―――そうよ。弱い者を観察して、傷の舐め合いするのは楽し……


 ―――フゥー……


 彼女はカンテラの蓋を開けると、息を細く吹いて中の火を吹き消した。長く伸びていた影が消え、カンテラのガラスに映るのは夜空の星の瞬きだけになった。


「はぁ―――寝よ寝よ。もう夜だし、真っ暗だし、何もすることないし」


 ミチは寝袋の中に潜り込み、迫る感情の波から目を逸らすようにカンテラに背を向ける。


「あっ、そうだった―――」


 そしてそのまま眠りに落ちようと瞼を閉じかけたところで、彼女はすべきことを思い出し、傍らに置いておいた杖を振るう。


 彼女は詠唱を唱えない。呪文も発しない。しかし風は彼女が望んだ通りに動く。此度、彼女が風に命じたのは近づく者を術者に知らせる結界の構築である。

 常であればルイナと交代の番をする為使うことは無いが今宵は野に1人である。彼女は半径20歩ほどの範囲に結界を巡らせた後に杖を置く。


 ―――ちなみに、そのような効果を持つ風魔術は存在しない。他の者が同一の効果を行使しようとしても不可能である。

 しかし彼女にはそれが出来る。魔素を消費し、魔術としてそれを行使出来る。


 何故か―――それは彼女が『特別』だからである。


「はぁ~……ほんと―――」


 再び、独り言ちる。彼女は眠りに落ちそうになる瞼の裏で、離れ戦う銀髪の少女の姿を思い出す。

 人間種より忌み嫌われる吸血鬼として生まれ、故郷を追われ、御しきれない力に生き方を翻弄された少女。彼女を想う気持ちは同情である。


 彼女がどう生き、どう苦しみ、どう戦い抜いていくのか。それを間近で見守る―――なるほど、観察とは言い得て妙であった。彼女との仲を限りなく残酷な言い方に直せばそうなるだろう。


 しかし、それとは別にもう1つ、彼女に手を差し伸べたきっかけとなる感情がある。


 それは―――共感。


「ふわぁ~……ほんと、普通に生きたかったわぁ……」


 もう1人、生まれと力に生き方を翻弄された少女の愚痴は木々に阻まれ誰にも届かない。

 欠伸あくびとともに吐き出されたその言葉は、自嘲とも悲嘆とも取れる諦観の色を濃く孕んでいるのであった。






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