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67.王子と召使い

 






 それはまだ、彼女が死を恐れなかった頃のお話―――





 彼女には、親はいない。兄弟もいない。

 吸血鬼として生まれてより5年の時―――血を飲み、力を手に入れた彼女は、()()()()()()()()()()


 殺したのだ。彼女を産み落とし、愛をくれた母を。腕に抱き、あやしてくれた父を。世話を焼き、いつも笑いかけてくれた兄を。

 その全ての首と心臓を、彼女は引き裂き、貫いた。


 ―――使命であった。彼女は元いた場所へ帰らねばならなかった。連れ去られた場合には、己を連れ去った者を確実に殺し、自身がいた痕跡を無くし、偉大なる主のもとへ帰らねばならなかった―――そう、心を侵されていた。


 暗殺者アサシン。彼女が前世において身を堕としていたのは帝国の暗部たる、とある結社であり、彼女はそこでヒトを殺す為のどうぐとして育てられた。首領を主とし、主の為に働き、殺し、そして死ぬ。他所へ身を移すことも、他者へ心を動かすことも禁じられ、生涯、身も心も主へ捧げる―――そのように、心を魅了おかされていた。


 その心は、生まれ変わり、吸血鬼となっても侵されていた。彼女は産み落とされたナトラサの街を拉致された場所と断じ、父母や兄を拉致した者と断じた。


 すぐにっ、すぐにもどらないと! かえらないと! 彼女の心は主より頂いた部屋への帰還を強く求めたが、身体が動かなかった。言葉も出せない。産み落とされたばかりの身体は弱く、愚鈍であり、彼女の想像通りに決して動かなかった。


 ―――長い、長い雌伏の時であった。自身の身体が何か別物になっていることも、無理やり飲ませられた血が美味く、そしてそれが自身に力を与えてくれるものだということも、時間をかけて理解した。

 彼女の思考は、『主のもとへの帰還』と『拉致した者の暗殺』にのみ割かれていた。故に、彼女は自身の身に何が起こったのか―――元の自分は死に、吸血鬼へと生まれ変わり、今目の前で笑っている者達が自身の家族であることに気づかず、その日々を過ごしたのであった。


 彼女は『家族やつら』を確実に殺す手段を考えた。

 やつらは、一度(さら)った自分をどうやら脅威と見なしていないらしく、いつも隙を見せてくる。料理も存分に振る舞い、血も与えてくる。そのうちに、自身の身体は大きくなり、俊敏に動くようになり、爪は岩をも引き裂くようになった。

 内に含んだ敵である自身に隙を見せ、力も与えてくるこいつらは、なんて愚かしいのだろう。彼女は蔑みながらも、油断を与えるべく笑い返し、その時を過ごした。


 そして―――決行の日はやって来た。手に馴染んだ得物はないものの、奴らの皮膚を裂くほどに爪は研がれた。やつらが死ぬ条件も、聞き出した。外傷で死ぬ条件は、心臓を貫くか、首をもぐことである。


 彼女は、やつらが寝入っている間に、それを為した。胸を貫き、一突きに殺した。念のために、首も引き裂いた。


 呆気なかった。何の抵抗もなく、やつらは死んでいった。女と若い奴は目を瞑ったまま死んだ。男だけは、胸を貫いても動いた―――もしかすると、心臓を正しく貫けていなかったのかもしれない。

 そのまま抵抗されるかと思ったが、驚愕の目で自分を見てきただけで、何もしてこなかった。振り上げたままの腕も、そのまま止まっていた。


 彼女は嗤った。殺されようとしているのに、他者を殺すことを恐れるとは、何と愚かしい。嘲笑い、彼女はそのまま男の首を引き裂いた。


『ど―――う、して……』


 首を裂かれた男は、喉元に残った最後の息で理由を問うた。彼女は笑って、言った。


『やっところせた。あるじは、よろこんでくれるかな?』


 ―――問いには答えず。彼女は喜々とした表情を―――今までやつらに見せていたものとは違う、純粋で幸せに満ちた笑顔を浮かべ、その場を後にしたのであった。そして、自身のいた痕跡を残さない為、家に火を放った。

 暗殺者わたしわたしがいた痕跡を残してはいけない。殺すのに5年もかけてしまったが為に、家にはたくさんの痕跡が残ってしまった。だから、ぜんぶ燃やす。彼女は燃え始めた室内を見て、それが家全体に広がるのを待たずに外へ出た。そして、そのまま街を出て、主の下へと帰るつもりであった。


 ―――しかし、街より逃げ出そうとした彼女は、大人の吸血鬼たちの手により捕らえられてしまう。彼女は吸血鬼おとなの力を甘く見過ぎていたのである。陽光のない中であれば、この世で最強の魔族である彼らの目を誤魔化し、その手より逃げ出すには、彼女の身体はまだ幼く、弱かった。

 ―――その事実を、前世において知識として身に着けていなかった彼女は、呆気なく捕まってしまったのであった。


 街の外へ出ようとしているところを捕らえ、しかもその家族が惨殺の上、家ごと燃やされているのを知った大人たちは、彼女に詰問をする。お前が家族を殺したのか、家に火を放ったのか―――彼女は何も答えない。

 場所が変わり、詰問が尋問へ、そして拷問へ変わっても、彼女は口を割らず、牙を剥き続けた。結果、大人へ返した言葉は『主の為』の一言のみであった。


 彼女は処刑されることになった。同族殺しは大罪であり、それでいて反省もなく、同族意識もない。前世の影響で精神を侵されており、その存在は同族にとって悪でしかない。彼女は吸血鬼おなじすがたであって吸血鬼なかまでないもの―――『異端ディパイア』として扱われ、恥辱に塗れた刑の後、惨く殺されることを言い渡された。


 四肢を縛られ、轡を嵌められ、およそ何も出来ない彼女は、それでも抵抗の意思を目に映した。

 死ぬことは構わない、殺されることも構わない。この身体がどれだけ恥に塗れようが構わない―――それでも、主の為に一矢を報いる。


 腕をもがれようが爪を振るい、首を裂かれようが牙を立て、その身に傷を刻んでやる。心へ恐怖を植え付けてやる。

 彼女は決して、死を恐れなかった。


 ―――しかし、その時は訪れなかった。

 決に異を唱える者が現われたのだ。彼の者は声高に語る。


 彼女が殺されるのは何故なにゆえであるかと。

 前世において侵された心があったならば、それを救ってやるのが今生の同胞である我らの役目ではないのかと。

 前世に起因する罪によって、償う機会もなく殺すは不当であると―――彼は群衆に向かって強く語りかけたのであった。


 当然、それに反発する者がいた。彼女は悔い改めず、なおも殺しを犯そうとしている。彼女の心を救うまでに、他の民へどれほどの犠牲が出るか分からない。解放するには恐ろしい、今すぐ殺すべきだと。


『それならば、私が責任をもって預かろう』


 反発する声に彼はこう語り、彼女の身を抱いた。彼女は彼をも殺そうと腕の中でもがいたが、振りほどくことはできなかった。ひしと、殺意の籠った眼で睨んだが、彼の顔が怯えを映すことはなかった。


 そうして反対の声が多く上がる中、彼は自身の住む邸宅へ彼女を連れ去り、そこで轡と縄を解いたのであった。


『シッ―――!』


 解放された瞬間、彼女は彼へ襲い掛かる。自分を連れ去る者は、全て敵だ。殺すべき相手だ。

 得物はなくとも、武器がある。岩をも切り裂く爪がある。俊敏な動きで彼へ肉薄し、彼女はしかし、あっけなく地に転がされた。


 ―――何が起こったか、全く分からなかった。攻め手であったはずの自分が刹那の合間に地へ伏され、記憶にない痛みが全身を襲う。受け止めきれない痛覚が、掠れた呻き声となって喉から出て行く。


『―――弱い。お前はまだまだ幼く、弱い』


 そう言って彼は地に転がる彼女へ触れる。魔素の輝きが彼の手と彼女の肩の間に溢れ、1つの法陣を為す。


 その法陣は、枷。魔術によって紡がれた不可視の鎖が彼と彼女を繋ぎ、彼より遠くへ離れられなくなる制約の呪縛。

 その枷を外さなければ街を出られないと彼は語る。自分を殺せば呪縛は解ける、街を出たくば自分を殺せるほどに強くなれと彼は語る。


 彼女は唇を噛み、彼を地より睨み上げる。その眼に映るのは、殺意の炎。必ず命を刈ってやると、憎さを露わにした呪詛の視線。その眼を受け止め、彼は首を竦めてその場を去った。


 ―――こうして彼と彼女は1つ屋根の下、奇妙な共同生活を送り始める。

 彼は己の命を狙う彼女に召使いとなることを命じ、一方で隙あらば殺しに来てもよいと告げる。彼女は召使いの仕事をこなす合間に隙を見ては彼を襲い、返り討ちに遭う。

 そんな日々を送り始めたのであった。


 彼の名を、アーデルセン。次代の王を見込まれる、種族最強の王子である。

 彼女の名を、カリーナ。前世で汚された心故、家と家族を失くした悲しき子である。


 それはまだ、彼らが仮初かりそめの主従でしかなかった頃のお話―――






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