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65.大地の裂け目

 





 ―――正直言うと、不安はある。


 野を駆け森を越え、見渡す限りの荒野と、果てまで地を裂く大きな渓谷を目に映し、ミチは思う。果たして自分は―――自分達は、ここへ来て良かったのかと、自問する。


「……この辺でいいかしらね」


 内で自問しつつも、彼女は見回し、荒野と森の境い目である林地に牡馬テトを止める。

 この林地を抜け、荒野へ入ると、何もない。町も水場も、肥沃な土地もない。ただ荒れ果てた野が広がるばかりである。人間種は寄り付かず、獲物となる生物がない為魔物も獣の姿もない。


 『大地の裂け目』―――そこは人間種未踏の土地でありながら、野生の繁栄も絶えた、枯れた土地であった。


 ここへ近寄る者は少ない。寄るとすれば、キルヒ王国とクォーツ公国を行き交うのに迂回を嫌がり、渓谷を超えようとする輩くらいであろう。それは冒険者であるかもしれない、もしくは人目を避けての逃亡者であるかもしれない。

 しかし、それらの者ですら平坦で安全な迂回路を往く。『大地の割れ目』を踏破せんと目指した者が地へ滑落し、あるいは力尽き、帰らぬ者となった話はよく噂に聞く。


 故に荒野へ足を踏み入れる者はいない―――もし仮に、そこを監視する者がいれば、動く者を目で捉えることは容易であろう。そして、ミチはそれが『仮に』ではないことを知っていた。


 なるほど、考えれば考えるほど『大地の裂け目』は吸血鬼が居を構えるにはうってつけの場所であるとミチは納得した。地の底へは陽光は届かず、周囲を行く人間種の動向は捉えやすく、そして捕らえた者は人間種の中で『事故死』と扱われる。隠れ里として、合理的な立地であった。


 そうしてミチは、監視しているであろう吸血鬼の目に留まらぬよう、荒野の手前である林地で野営の準備を整える。ここで別行動をしている者―――カリーナと合流する予定であった。


 カリーナは吸血鬼である。昼は動けず、夜に人目を避けて動くしか法がない。そんな彼女と足並み揃え、行動を共にするのは合理ではない。彼女達は『大地の裂け目』の近辺にて集合する旨を打ち合わせ、一度別れたのであった。


 そして今日が、カリーナと合流の約束を交わした日である。未だ昼であるから、たとえ近くまで来ていたとしても彼女は姿を現さないだろう。今はただ、吸血鬼が空の下、姿を現せられる夜が訪れるのを待つのみである。


 時間はある。ミチは身体では野営の準備を進めつつ、脳内では思考の海へと身を投じるのであった。


 ―――不安である。彼女の心に満ちる感情は、ただそれだけである。


 隣を見やる。そこにいるのは棒立ち、遠くまで続く『大地の裂け目』を震える視線で見つめるルイナであった。














「―――母様が……死んだ?」


 それは既に去った町、タンザハッタでの朝方の出来事。

 魔素欠乏により死に瀕していた吸血鬼カリーナが目を覚まし、ルイナとともに事のあらましを聞いていた時のことである。


 ルイナの母が亡くなった、らしい。

 ミチにとって、その情報の機微は量れない。吸血鬼とは人間種の生まれ変わりであるとルイナより聞かされており、生まれ変わり先である吸血鬼の母というものに、ルイナ含む吸血鬼たちがどのような感慨を持っているのか、知らなかった。


 その母とは、生まれ変わる前の母と同じように愛を与えてくれる者なのだろうか。それとも、あくまで同族として扱い、他の者と同列に扱われるのだろうか。その文化を、慣習を、吸血鬼の心を、ミチは知らない。


 故にミチはルイナの心を探る。表情を見て、言葉の間を感じて、その心が動揺に傾いているのか、平静を保っているのか、量ろうとする。


「―――………っ」


 蒼白であった。その表情は最早動揺すら映していなかった。唇は震え、目の焦点は定まらず、言葉も出てこない。


 ミチは悟る。ルイナにとって吸血鬼の母とは、まさしく母であったのだと。ヒトの親と変わらぬ、かけがえのない者であったことを、知る。


「……いつ。いつ、亡くなったの?」

「―――今より1年前。お嬢様が街を出られてより、2週間ほど経った頃でございました」


 ルイナは問う。母の死が、何時であるのか。

 それに対してのカリーナの答えは、1年前―――それは、ミチがルイナと出会った頃のことであった。


 つまり、恐らくルイナが吸血鬼の街を出てよりすぐ、彼女の母は亡くなったことになる―――元々、何かの病に侵されていたのだろうか? ミチは疑問に思うも、口を挟まない。


「何故……母様は亡くなったの?」


 しかし、ルイナは死の訳を問う。その一言により、ミチは彼女が母の死を全く予想していなかったこと―――死の要因に心当たりがないことを悟る。

 ……嫌な予感がする。しかし、自身は部外者である。口を挟むも、話を止めるも、未だするべきではないと判じ、口を噤み続ける。


 そしてルイナの問いに対して、カリーナは苦い表情を浮かべ答えるのであった。


「……陽光に身を晒し、砂となられました」

「えっ……」


 その答えに、ルイナは戸惑いの声を上げる。

 ―――一方、ミチの脳裏では確信めいた答えが導かれる。


「なんで……どうして、母様が陽光に? まさか、母様も『異端ディパイア』に―――」

「いえ、そうでは……ございませんが……」

「なら、どうして―――」

「ルイナ」


 問答を始めたルイナとカリーナの間に、とうとうミチは割り込む。言葉を濁し、死の要因を明確に伝えようとしないカリーナの物言いから、最早その答えは明確であった。

 であるなら、自分にできることは、その一言をルイナへ伝えることである。


「―――それ以上聞くのなら、たぶん、覚悟が必要よ」

「え、どうして―――ミチさんには、どうして母様が亡くなったか分かるんですか? それに、覚悟が必要って、どういう……」


 なおも訳を追及しようとするルイナから、しかし段々と問う語気の強さが失われていく。

 彼女もまた、ミチ同様に気づいたのだ。何故、カリーナが苦々しい表情でもって、伝えるべき言葉を選びながら母の死を告げてきたのか。何故、母が街の外に出たのか。何故、それが自分が街を出てすぐの出来事であったのか―――『何故』に対しての答えの根幹たる部分に、彼女は気づいてしまったのだ。


「……まさか……」


 ルイナより、再度戸惑いの声が漏れる。しかし、此度のそれは疑問の声音を帯びていない。まさかに続く言葉、それが正しいかどうか問うた声であった。


 その声を受け、ミチは視線を逸らす。自分にできる最大限の助言は為し終えたのである。後は、答えを聞くのみ。

 ―――カリーナは最早、逃げられない。確信に至った様子のルイナに対し、言葉を濁すことを止め、答えたる『それ』を差し出すのであった。


「……これは―――」


 彼女が差し出したもの、それは指輪であった。

 それが何であるか、どういう答えを示しているのか分からず、ルイナは問おうとする―――が、留まる。


 その指輪には、見覚えがあった。いつの日か自身の指にも嵌められていたもの―――血呑みの偽の時に貸し与えられ、街を出る時にそのまま持ってきてしまい、今は背負い袋の奥底にしまわれている吸血鬼としての残滓―――その指輪と、同形状のものであった。


「―――これは、『結びの指輪』と呼ばれている、魔道具でございます。代々、王家の方々がご自身の子の安全と血の繋がりの強固を願い、折々の儀の際につけられる指輪だと、伺っております」


 そう語り、カリーナは指輪に埋め込まれた、小粒の石を指差す。


「こちらの魔石が親となり、お嬢様の持たれているものには子となる魔石が埋め込まれております。古き言葉を唱えれば、親は子の居場所が分かる―――そういった、魔道具でございます」

「…………」

「―――……こちらの指輪をリリスフィー様は持たれたまま、陽光のもとへお出になられたそうです」

「っ……!」


 カリーナの説明こたえに、ルイナが鋭く息を呑む。

 ―――やっぱり、そういうことだったか……ミチは2人の様子を見ながら、予感が当たっていたことを悟る。


 カリーナの含んだ物言いから、ミチはその死の要因にルイナが絡んでいることを推測していた。それは、ルイナに―――吸血鬼の母を母だと思っているルイナにとって、辛い事実であろう。


 自分の存在が、母の死の原因の一端となってしまう―――そんな事態、我が身で想像したくもないことであった。彼女は背に冷たい刺激が走るのを感じながら、ルイナへと同情の心を持つのであった。


「で、でもっ……どうして、母様はそんな、太陽が出ている時に街の外へ……」

「それ、は……」


 なおも、ルイナは問う。母が自分を追おうとして外へ出た―――それなら納得が出来る。しかし、それが何故、陽光照りつける日中であったのか。

 自身の存在が直接的な死の原因ではないと信じ、母が日中に街の外へ出なくてはならなかった理由が別にあると信じ、彼女は問う―――しかし、その問いに対しても、カリーナは答えに窮するのであった。

 その反応は、先と同様、ミチへ嫌な予感を植え付けるのであった。


「ルイナ―――」

「カリーナっ、教えて! どうして、母様は死んだの?! 本当のことを、教えて……」

「……お嬢様」


 ミチの気遣いの言葉は遮られる。

 ルイナの追及の声は大きく部屋に響く。

 ―――カリーナは、心を読み違える。その叫びを母の死に向き合おうとする勇気の声だと信じ、とうとう答えを口にしてしまう。


「―――リリスフィー様は、お嬢様が街を出られてより御心を患われておりました。渓谷の出口を見張っていた者の話では、引き留めたそうなのですが聞かず、錯乱の言動のままに陽光の下へ出られ―――亡くなったそうです」

「…………」


 カリーナの答えに、ルイナは無言になる。ミチの耳に、深く、深く息を吸う音が聞こえてくる。


「―――お嬢様、御心を患われたのはリリスフィー様だけではございません。今、アーデルセン様も御心を患われております! お嬢様のことを憂い、奥様のことを嘆き、その御心を閉ざされてしまっております!

 どうか、どうかっ、アーデルセン様にお会いして、その御心を御救い下さい! アーデルセン様を御救いできるのは、お嬢様―――貴方だけなのです!」

「…………」


 答え(すべて)を語ったカリーナは、ルイナへ懇願する。ルイナは変わらず、無言である。

 ―――ミチの耳に聞こえていた深い呼吸音は、吸った後に音を無くしていた。


「………あぁっ――――」


 ―――バタンッ!


「お嬢様っ?!」

「っ、ルイナ!」


 そして、ルイナは沈黙のまま、崩れ落ちた。

 母の死の、原因の全てが自分にあったと知り、心が事実を受け止めきれず、彼女は意識を手放したのであった。






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