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62.代償

 





 魔素譲渡の儀式は成功した。魔素による繋がりがカリーナとの間で結ばれ、魔素譲渡の準備は整った―――はずであった。

 しかし、ルイナは違和感に襲われる。何かがおかしい、何か上手くいっていない気がする―――その違和感はやがて現象として目の前に現れ、彼女は動揺に表情を歪ませる。


 ―――魔素が、流れて行かない。


 否、正しくはほとんど流れて行かない、である。ルイナが譲渡出来た魔素は、感覚的に、彼女が保有する量からするとごく僅かであった。それはカリーナを―――魔素欠乏に陥った吸血鬼を救うには、あまりに心許ない。

 しかし、儀式で結んだ繋がりが、それ以上の魔素流入を拒む。まるで栓が閉じられたように、光の奔流が堰き止められる。


 このままでは、救えない。何とかしなければ、魔素欠乏によってカリーナを死なせてしまう。


「…………!!」


 ルイナはもどかしさに歯を食いしばり、目を瞑る。視覚を無くし、より脳の負担リソースを儀式の制御に割り当てる。

 初めて行使する儀式ゆえ、彼女にはどこの何が問題となっているのか、見当がつかない。自分の魔素変換効率の悪さが要因であるのか。それとも一見成功しているように見える儀式が、そのもの実は失敗しているのか。はたまた受け手であるカリーナに何か原因があるのか。全く分からない。


 それに、原因が分かったところで、最早どうすることも出来ないことばかりなのである。魔素変換効率の悪さは生来のものであり変えられない。儀式もこれ以外のやり方を知らない。カリーナに何か原因があっても意識のない彼女では何も為せない。

 何か問題が起こっているからといって、儀式を仕切りなおしたところで、好転するとは思えない。


 ―――故にルイナは、どうしたか。


 単純なことである。押してダメでもひたすら押し続けたのである。より多く魔素を放出し、より強く魔素を流し込む―――力技である。

 どこか栓が閉じられていればこじ開けよう。どこか詰まっていれば無理矢理押し流そう。そうして彼女はより一層強く歯を噛み締め、固く瞼を閉じ、魔素を押し込んでいったのである。


 ―――やがて、その手応えに若干の変化が起こる。一向に流れる気配の無かった魔素が僅かに流れ始め、繋がりを通じてカリーナへ流れていくのを感じる。それは微々たる量であったが、苦労の甲斐あって再び彼女へ魔素を供給することが出来たのである。


 ルイナはそれに確かな手応えを感じ、より強く、より多く魔素を流し込もうとする。依然として流れを堰き止めようとする力は存在し、最早少しでも気を抜いたら魔素が逆流してくるのではないかと不安になるが、お構いなしにルイナは力技でねじ伏せようとする。


 ―――彼女は、知らなかったのである。


 その儀式が、実は何ら欠陥を持たず、完璧に行使出来ていることも。

 吸血鬼の血を吸った自身が、どれほど膨大な量の魔素を保有しているかも。

 彼女が()()()()だと思っている、それまでに譲渡した魔素だけで、既にカリーナの許容量の限界に達していたことも―――彼女は全て、知らずにいたのである。


 故に、その時は訪れてしまった。


 ―――ブパァァァァァッ!!


「いっ!? ぁぁあああっっ!!」

「っ―――?!」


 ルイナとカリーナを結んでいた繋がりが、突如破裂する。ルイナの力技による圧に負け、繋がりは形を保てず、中に詰まっていた魔素をばら撒き、四散する。


 詰め込まれていた魔素は宙に解き放たれた―――その光は、爆発的であり、暴力的であった。部屋の全てのものが光に飲み込まれ、世界は一瞬で白の前に蒸発した。『輝ける陽光(マディラータ)』何十個分という輝きが室内に充満し、最早視覚を襲うその光は単純に暴力であった。

 硬く瞼を閉じていたルイナはともかく、事態の行く末を近くで見守っていたミチから悲痛な叫び声が上がる。


「………っ」


 ルイナは瞼を開けられない。瞼の裏を焼く強い白光を前に、手で顔を覆う他出来ない。


 そして、彼女は致命的なその瞬間を目で見ていないものの、カリーナとの間に結んでいた繋がりが消えてしまったことを感覚的に把握していた―――儀式は失敗してしまったのだ。視界が不明であり、何1つとして事態の把握が出来ない状況ながら、そのことだけは悟った。


 実はその悟りは甚だ見当違いであるのだが、彼女はそんなことを知らない。

 自分では救えないのだろうか。いや、諦めるのはまだ早い。もう一度挑戦してみよう。折れそうになる心を奮い立たせながら、彼女は瞼の向こうで光が収まってきたことを感じ、薄く目を開く。


「うぅぅっ……莫迦ぁっ! 莫迦ルイナぁっ!! こんなんになるんだったら先に教えときなさいよっ! ああぁぁっ、痛いぃぃ、目がぁぁぁ……」


 まず視界に入ったのは床に伏し、目を押さえながら暴れるミチの姿であった。直視に堪えがたい光を間近に見てしまい、その要因たるルイナへ悪態を吐いている―――規格外な魔素譲渡の儀式による、犠牲者であった。


 彼女に、謝りたいような、言い訳したいような気持ちに駆られるが、今はそれどころではない。ルイナは後ろめたさを感じながらもミチから視線を外し、未だ魔素の輝きが薄らと残っているカリーナの方へ視線を移す。


「……あれ…?」


 そうして、彼女は首を傾げる。手応えの無さと繋がりの消滅、それらから連想された儀式の失敗という結末を想定していた彼女は、その予測と大きく乖離する光景を目にし、戸惑いの声を上げるのであった。




















「―――――、………」


 ―――ここは、どこだろうか。


 目を覚まして、カリーナが見上げた天井は見覚えのないものであった。


 主より与えられた部屋ではない。陽光より身を隠すための洞窟でもない。寝入る前、人目につかない倉庫や空き家を探して入った記憶もない。


 未だ混濁している意識の中、視界に入る光景と眠る前の記憶との整合を取るため、彼女は身を起こし、周囲を見回す。


 ―――白いベッド。自分の身はそこに寝かされ、綺麗なシーツを被せられている。動くと、シーツの感触を直に感じる。どうやら今の自分は、シーツの裏で下着姿になっているらしい。


「………っ」


 びくりと、身体を強張らせる。身を起こした視線の先に、窓が見える。

 木の桟が網目状に組まれた窓の向こうから、黄白色の光が見える―――陽光である。光は遠く、己が身を照らしはしないが、身近にある死の境界線に震え、彼女は息を呑む。


「ん、んん……」


 ふと、近くから穏やかな息遣いが聞こえてくる。それは腰元、寝ていた自分の傍らで、ベッドの外枠を枕に眠る銀髪の者が漏らす寝息であった。


「………、―――っ!」


 その者の顔を見て、彼女は絶句する。寝起きの温く白い微睡みが、凍てつく絶望に吹き消される。


 その顔は、亡者の顔。彼女にとって守るべきであった者の―――亡き主の奥方(リリスフィー)の顔であった。


 瞬間、彼女は思い出した。自分がどこへ向かおうとしていたのか、己が身に何が起こったのかを。

 そして同時に理解した。何故自分が、こうして死者と相対しているのかを。


「……あぁっ、申し訳ございませんっ、アーデルセン様……わたしは、わたしは―――っ!」


 彼女は顔を手で覆い、溢れ出る涙に溺れた。


 ああ、なんてことを―――わたしは、カリーナはっ……何も、為せなかった。

 主の病を治すことも出来ず、主の危機を知らせることも出来ず、主より受けた大恩を返すことも出来ず―――死んでしまったのだ。


「リリスフィー様っ、申し訳、ございません…、申し訳っ、ございません……!」


 彼女は目の前の顔へ―――何も成し遂げられず、死した自分を罰しに来たであろう()()()()()()に向かって謝罪し、泣く。使命を果たせなかっただけでなく、最早命永らえることはないと判断し、せめて事だけでも伝えるべく追っ手を振り切らないままに乗り込み―――事を伝えられずに死んでしまった。

 自分の命でもって、主に救われた命でもって、何を為せたというのか! ―――何も為せていない。それどころか、裏切りである。彼女が命を賭し、為したことは守るべき者へ危険を持ち込んだことだけであった。


 ああ、苦しい―――胸に詰まる後悔が、罪悪感が、苦しい。事態の挽回に励むべき己が身は既に()い。死した身では、何も為し得ない。胸を襲う苦しさは、一生晴れることはない。


「申し訳ございませんっ……申し訳ございませんっ……」

「んん―――ん、カリーナ……? 良かった、目が覚めたんだね…」


 彼女は謝罪し続ける。その心は張り裂けんばかりの後悔で埋め尽くされ、決して許されぬ罪を己の口で刻み続ける。

 ()()()()()()は、目を覚ます。起き抜けに、微睡みに舌っ足らずな声音でもって、カリーナの目覚めを喜ぶ。


 しかしその表情は、感情は、使命を果たせなかった自分に対して、決して向けられて良いものではない。カリーナは、罪悪感に胸が締め付けられる。不甲斐なさに心が削られる。悔いに涙が溢れる。


「ああっ、申し訳ございません、リリスフィー様―――わたくしは、お嬢様に何もお伝え出来ませんでした……っ」

「―――カリーナ……? どうして泣いているの? 大丈夫、何か分からないけれど、まだ伝えられるよ」

「ですがっ! ―――私は、死んでしまいました……。もう、お嬢様へは何1つとしてお伝えすることは、出来ません……っ!」


 彼女は嘆いた。主の状態を語り、街の状態を語り、そして母の逝去についても語り、引き連れ帰るのが己が使命であった。

 それが―――潰えた。使命を果たせなかった。彼女は両腕を抱く。罪を償う為であれば死したこの身ですら引き裂き、永劫の苦しみを味わうことすら厭わない。それが何ら主の為にならなくとも、己を罰せずにはいられなかった。


 最早この身が五体満足であることに何ら意味はない。主の為に何も出来ないのであれば、せめて罰を、せめて断罪を―――彼女が自らの腕を爪で切り裂かんとした時、その声はかけられた。


「大丈夫だよ、カリーナ。私はここにいるから」

「―――、……、あっ……」


 ふと、濡れた頬の向こうから、柔らかな感触が返ってくる。

 それは手のひら。そこから伸びる、雪原のように白い指先が、彼女の頬を優しく撫でる。溢れ出る涙を拭い取る。


「あぁっ……ああぁっ……!」


 そしてカリーナは、己の頬を撫でる者の顔を見て、目を見て、表情を見て―――目の前の者がリリスフィーでないことを悟り、喘ぐ。

 しかし信じきれなくて、頬を撫でる手に己の指を重ねる。それは本物か。夢幻の類ではないか。期待と恐怖に震える手でもって、彼女は差し伸ばされた指をそっと撫でる。


 他人の肌の、温もりを感じる。幻では、ない。


「うっ、あぁっ……」


 ついに彼女は確信する。目の前の者が―――主の奥方(リリスフィー)に似た面差しを遺し、且つ(アーデルセン)に似た双眸を持つ少女が何者であるか、悟る。

 たとえその容姿が、最後に見た幼き姿とかけ離れていたとしても―――彼女は、もう違えない。


「お嬢、様……っ!」

「うん、カリーナ。おはよう―――痛いところとかはない?」


 カリーナの呟くような呼びかけに対して、その者は応える。

 『お嬢様』と、カリーナよりそう呼ばれ、応じる者はこの世にただ1人しかいない。


 吸血王アーデルセンと吸血妃リリスフィー、その息女たる吸血姫アリス―――カリーナは故郷出立より半年の時を経て、ようやく追い求めていた彼女との再会を果たしたのであった。

 










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