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61.儀式

 




「―――難しいわね……」

「そんな―――」


 垂れてくる薬湯と血を手巾で拭い、ミチがカリーナの口より視線と手を離す。その様子を見ていたルイナは、沈痛な面持ちでもってカリーナとミチの顔を交互に見やる。


 ―――寸前まで意識を保っていたはずの彼女が何故このような危篤の状態に陥ったか、その恐らくの答えを見つけた彼女達は、解決策として2つの薬を用意した。


 1つは薬湯。彼女の身体を侵す毒は、麻痺毒か軽度の神経毒であると推測され、それらに効果を持つ薬草を組み合わせ煎じたものである。

 もう1つは人間種の血。魔素欠乏に陥った彼女の為にミチが腕を浅く裂き、そこから滴る血を集めコップに注いだものである。


 しかし、用意されたそれら2つを、カリーナは飲み下せない。意識の無い彼女は無理やり口に入れられたそれらを飲み下せず、口の端より垂らすのであった。


 だが、それらを飲めねば、カリーナは助からない―――いや、ミチの見立てでは毒の方は大したことはないとのことだから、魔素だ。魔素欠乏の方を何とかしなければ彼女を助けることが出来ない。


「―――ミチさん、どうしたら……」


 ルイナは問おうとして、その口をつぐんだ。問う相手が既に顎に手をかけ、何がしかを考えていたからだ。


 その姿を見て、彼女は思ったのである。その思考の邪魔をしない方がいいな―――というものと同時に、もう1つ。『本当は私が考えなくちゃいけないんだ』という、申し訳なさと義務感に挟まれた想いである。


 さっきも、思ったはずだ、覚悟を決めたはずだ。カリーナを助けられるのは、自分だけなんだと。ミチは手助けであり、彼女を助けるのはあくまで自分なんだと。

 だから、いつものように―――()()()()()()()、誰かが手を指し伸ばしてくれるのを待っているだけじゃダメなんだ。


 自分から、動かなくちゃ―――ルイナは口を閉じ、口元に指を添えて考える。考えるのは、魔素を他者へ供給する手段である。


「……えっ? あっ…」


 しかし考え始めた途端、いとも簡単にその答えは見つかった。

 何故こんなに簡単に見つかる方法が今まで思い出せず、また考えつかずにいたのか。彼女は戸惑いに声を上げる。


 ―――彼女が抱えた疑問、だが、それに対する答えも簡単である。


 それは、それまで彼女がひたすらに目を背けようとしてきた記憶の中にあり、それまでの彼女であれば思い出そうともしなかった記憶の残滓であった。


「魔素譲渡の儀式……」


 呟く彼女の目に、蝋燭灯る仄暗い部屋が映る。

 それは現実の視界ではない。彼女はその瞬間、暗い街の暗い部屋でただ一人、寂しく冷たく大人しく過ごした少女が振り返り、確と目が合ったのを幻視し()たのであった。














 魔素譲渡の儀式―――それは自分の魔素を他者へと移す術である。

 生まれてより一切血を飲むことが出来ず、魔素の補充を満足に出来ない彼女(アリス)に対して、日常的に行われていた、その儀式のことである。


 その儀式に必要なものは触媒と、供給者と受給者の血の親和性であった。


 触媒については、儀式を行使する種族によって求められる物は異なるが、魔素を多く含んでいる物の方がより効率よく魔素を供給することが出来るという共通項がある。

 吸血鬼において、その触媒とは血であった。


 また、血の親和性については受給者と供給者の種族が同じであるか、血族であるか等、血の関係性の近さを求められる。

 より似た血が流れているほど、効率よく魔素を供給することが出来た。


 彼女が供給される側だったあの頃、様々な触媒が試された。ヒトの血、魔物の血、魔族の血―――飲血に匹敵する程魔素を供給するべく、より効率の良い触媒を大人たちは探した。


 しかし、努力は報われず。最強同士が夫婦(めおと)となったと謳われた彼女の両親が、魔素濃度の高い血を触媒として用い、儀式へ存分に魔素を注ぎ込んでも、彼女が得られた魔素は微々たるものであった。

 ―――それは、彼女の魔素変換効率の低さが悪影響を及ぼしているのだろうと結論付けられ、結局、成人となる12歳となった時まで、その推測は覆らなかった。


 そうして結果が思うように出ず、次第に大人たちの考えは量より質へと移行した。

 初めは血の繋がりのある両親からのみであったが、血縁のない他の者からも供給できるよう体制が整えられた―――勿論、彼女が血を飲めないというのは機微情報であった為、儀式を執り行うのはカリーナを含めた家の者に限定された。


 そして、そうした試行錯誤の結果である魔素譲渡の儀式と、無理やりの食事でもって彼女は魔素を取り入れ、最低限の成長を遂げてきたのであった。













 それが、アリスの記憶。

 常に振り解こうとしてきた。それでも常に背に貼り付いて離れなかった。心に痛みを(もたら)す錆色の記憶。

 それは誰の記憶であるのか。




 ―――それは違いなく、()()()()であった。
















「―――ミチさん、血を下さい」


 カリーナを救う手段、それは魔素譲渡の儀式の他にない。ルイナは浮かび出た手段を遂行すべく、必要なもの―――まずはその触媒を求め、ミチに手を差し出した。


 触媒となるものは、血である。過去、幾多も繰り返された実験の結果、ヒトの血であっても魔術師のものであれば効率よく魔素の譲渡が出来ることが分かっていた。


 ルイナはミチの手中に握られているコップ―――その中に注がれている血を求めたのである。


「……分かったわ、はい」


 求められ、ミチはそれを手渡す。


 先ほどまで戸惑ってばかりいたルイナが、今は瞳に強い意志を乗せて語る。その様子から、何らかの策が見出されたのを彼女は察したのである。今は訳を聞かず、ただ素直に応じる。


 ―――手渡されるコップの中で、鮮やかな赤色の血が躍り、宙へと匂いを掻き立てる。


「……ぅぅっ…!」


 ルイナは息を止めてそれを受け取るが、近くで香り立つ臭いは防ぎきれなかった。鼻腔を犯す異臭に襲われ、顔を顰める。


 受け取ってすぐにそれを取りこぼしそうになり―――何とか耐えても、今度はそれを捨てて逃げ出したい衝動に駆られる。


「……っ、……っ!」


 しかし、それは許されないし、許さない。


 これはミチが自分を助ける為に差し出してくれた痛みである。

 それは自分がカリーナを救う為に必要な苦しみである。


 耐えて、泣き言も嫌悪感も吐き出すのは全て終わってからだ。ルイナは唇を真一文字に締め、コップを持つのと反対の手で自分の髪を一本抜き取り、中の血へ浸した。


 髪は、()()()。魔素を供給する相手と自分を結ぶ為に、必要な媒介である。


「……ふ、ふぅ~……」


 そして一度床へ置き、離れたところで息を吐く。いかに吸血鬼といえど、呼吸をしなければ苦しい。彼女はもう一度大きく息を吸って―――止めて、今度はカリーナのもとへと足を運ぶ。


「………」


 跪き、カリーナの背に出来た傷跡を見る。刺され、傷が開き、中より血が若干溢れてくる―――彼女の血流に通じる、穴である。


「………っ!」


 ―――シャッ!


「えっ、ちょ、なっ―――!」


 意を決し、ルイナは自分の手のひらへ爪を立て、すっと線を引くように動かす。


 その爪は岩をも切り裂く。吸血鬼の肌は人間種よりも強靭であるとはいえその爪を弾くに能わず、裂かれる。中より血が滲み出てきて粒となり、珠となり、やがて弾けて手のひらの上で血だまりとなった。


 それを傾け、カリーナの傷へと垂らす。一滴、二滴、それだけじゃ足りない。血の溢れる拳に力を入れ、更に鮮血を絞り出す。痛みはない。彼女の身体は痛みを忘れた身体である。


 十滴、二十滴―――否、もう流れる線となって量を測れない。彼女は並々と傷口へ己の血を注ぐ。その狂行を見たミチからは動転の声が上がっているが、応じている暇はない。


 ―――昔、彼女への魔素供給が質より量を求められるようになった時、血の親和性を均す為に供給する者全員の血を、彼女へ輸血しようという試みがあった。


 血の親和性が効率に響く以上、血縁たる両親に求められる比重は大きい。しかし、その両親とは王であり、妃なのである。仕えるべき主人らが多く力を注ぐよりも、親和性を均して必要性を分散させることにより、しもべたる自分達がその重荷を背負うべきだと、家の者達より声が上がったのであった。


 しかし、その打診は主人の言葉によって一蹴される。娘の為にすることをこれまで重荷に思ったことはなく、またこれよりも決して枷とは思わぬ、と。

 王がそれまでと同様に注ぎ続けると固い意志を見せた結果、その試みは宙に消え、彼女に血が注がれることはなかった。


 だが、今は違う。

 元々魔素許容量が少ない自分ではカリーナを―――魔素欠乏した大人の吸血鬼を救う程の魔素を供給出来るか、ルイナには分からなかった、不安であった。

 故に、少しでも生存率を高める為、彼女は救うべき者の体内へ己の血を注ぎ、血の関係性を強める。


 ―――やがて、ルイナは充分に血を注いだと判断し、手を退ける。

 そして立ち上がる際に、カリーナの髪も一本抜き取る。足早にコップを置いた場所へ向かって、その中にそれも浸す。


「……ふぅ~……」


 そうして再びコップより離れ、盛大に息を吐く。これで儀式の準備は完了である。触媒たる血を中央へ置き、カリーナと自分を結ぶ媒介たる髪を中へ浸し、血の親和性を高める為の混血も為した。

 あとは、儀式を執行する―――その発動を為す、呪文を唱えるのみである。


「―――我はきみ。血を結び、緒を紡がん」


 彼女は朗々と唱え始める。幾百と聞かされ、しかし自らは発したことのない呪文を唄い、彼女は儀を始める。


 カリーナに向け、手を伸ばす。そして伸ばした腕の先へ、魔素を練りだす。

 零れ出た魔素がちらちらと白光を放ち、主からの行使の命を待つ。


「―――君は我。血を捧げ、緒をほださん」


 命じられた魔素が、線を引く。それはルイナの手と触媒の血、そしてカリーナの胸元を一直線に繋ぎ、純白の軌跡を描く。


 他者との繋がりを確と感じ、ルイナは更に唱える。


「―――我と君。血をともにするともなれば、かとう。其は祖なる素、魔なる力を今与えん!」


 ルイナは魔素へ、高らかに命じる。魔素譲渡の儀式の執行を―――己の身より魔素を放出し、相手へ譲渡する術の行使を言い放つ。


 魔素の軌跡が、ひと際眩い輝きを放つ。

 奔流が生まれ、ルイナよりカリーナへ光の粒子が流れ込んでいく―――無事、魔素譲渡の儀式は成ったのである。初めて行使する儀式であった為、成功するか不安であったルイナは、それを見てひとまずの安心感を覚えたのであった。


「……っ?!」


 だが、その安堵の表情はすぐに塗り潰されることとなる。


 儀式は成功した―――はずであった。

 しかし、魔素の輝きが流れたのはほんの僅かの合間だけで、すぐにその流れは止まってしまった。


 戸惑うルイナの手元では、行く先を見失った魔素が詰まり、留まり始めたのであった。







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