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59.名乗らずの会遇

 





「ルイナっ、あんた、そいつを棚にしまい込みなさい。血は床に零さないで、早くっ!」

「えっ、あ、は、はいっ!」


 窓辺に立ち、外の様子を伺っていたミチから指示が飛び、ルイナは慌てて返事をする。


 ―――しっかりしなくちゃ。ルイナは呆としていた気を引き締め、倒れるカリーナのもとへ駆け寄る。


「はぁっ…、はぁっ…」


 カリーナの息は、荒い。途切れ途切れに重たい呼吸が繰り返され、肩が大きく上下している。

 瞼は既に閉じ、意識があるのかないのかも分からない―――そして、外套の中より現れた、見覚えのある給仕服の背中側より、赤い染みが広がっている。


「っ―――」


 ルイナはそれを予想していた為、息を止めたまま彼女の身体を抱き寄せる。今息を吸うと自分は―――血の匂いに、狂ってしまうかもしれない。


 息を止めている今でさえも、心にざわつきがあるのを感じる。苦しい、身悶えるような感覚。苛立ちとも興奮とも取れるような昂る気持ち。

 目の前にある血が、美味しくて幸せで気持ち良くなれる血が―――、欲しい。けど、我慢。我慢。我慢。


 この血は、飲んじゃダメな血なんだ。いや、でも溢れた血くらいなら(すす)ってもいいかもしれな―――ダメだ。ダメな血なんだ。血は飲んじゃダメなんだ。


 私はルイナ。ルイナはヒト。ヒトは血を飲まない。

 私は吸血鬼に―――吸血鬼にすら恐れられる化け物に、なりたくない。


「っ、っ……ん、ん!!」


 ルイナは頭を振る。雑念を、煩悩を、欲求を払いのけ、しかと前を見定める。


 出血部位を探し、腰の方にそれがあると分かると彼女をうつ伏せにさせ、簡易的に服をあてがって出血を抑えながらその身を抱え上げた―――抵抗なく持ち上がったことから『蟷螂之斧』が発動していると思われる。

 そのまま彼女の身体を運び、収納棚へと押し込んだ。


「ぐっ―――」

「カリーナ、我慢してね。少しの辛抱だから……」


 棚へと納めた拍子にカリーナが呻く。どうやら背中の傷に響いたらしい。

 それでも、それを我慢しなければ彼女に訪れるのは死なのである。その痛みを我慢するよう言いつけ、ルイナは棚の戸を閉める。


「しまいました、ミチさん!」

「分かったわ!」


 ミチへと完了の合図を送る。すると、彼女は外の様子を覗いていた窓から離れ、大声で叫んだ。


「<輝ける陽光(マディラータ)>!」

「うっ―――」


 瞬間、部屋の中に煌々と輝く陽光が生まれる。その光に目が眩み、ルイナは思わず呻き声を上げてしまう。


「マディラータだ!」

「中にも魔術師がいたんだ! 急げ、必ず止めを刺すんだ!」


 窓の外より声が聞こえる。部屋の中より零れる『輝ける陽光』の輝きを見て、通りにいるヒト達が口々に怒声を上げる。

 ―――そして一方、窓とは反対の扉の方より慌ただしい喧騒が聞こえてくる。既に宿の中へ入ってきている者達が、この部屋目掛けて押し寄せてきているらしい。


「ギリギリ、ねっ!」


 その喧騒が部屋の前に届くより先に、ミチは手に持つ黒の外套を宙へ投げ、杖を振るう。


「飛んでいきなさいっ」


 ヒュォォゥッ―――


 振るわれた杖の先より、ヒトの形を模した風の礫が跳ぶ。それは黒の外套を宙で巻き上げ、窓の向こう側へ飛んでいく。


「で、出てきたぞ!! 吸血鬼が出て行ったぞー!!」

「追えー! 逃がすなー!!」


 黒の外套はそのまま大通りの宙を抜け、対面の建物の上へと飛翔する。風の礫により押し運ばれたそれを見たヒト達は必死にそれを目と足で追いかける。

 ミチは視界に映る限りその風礫を操り、建物の屋根の上を外套が駆けて行くように動かす―――やがて、ヒト達の目をある程度撒けたところで魔術を解き、あとは野の風の悪戯に任せることとした。


「……ふぅ、これで良しっと」


「吸血鬼めっ、ちょこまかと! 追えっ、追えー!!」

「外だー! 吸血鬼は外に逃げたぞー!」


 丁度、部屋の扉の向こうまで押し寄せていた群衆にも、外の騒ぎが聞こえたらしい。扇動する者達の声は外へ出ることを促し、やがて多くの足音が廊下を駆け、遠ざかっていく。


「―――ふむ。吸血鬼め、又しても逃げおったか」

「師よ。どうされます。追いますか?」


 しかしその喧騒が去った後、扉の向こうより依然として聞こえてくる声があった。

 男2人組の声である。先の吸血鬼を追ってここまで来た者達らしいが、扉の前で足を止めているらしい。


「うむ。いや、(てい)よ、一度中をあらためよ。陽動やもしれぬ」

「はっ、仰せのままに」


 しかし、踵を返さず。どうやら部屋の中へ押し入ってくるつもりらしい会話が聞こえてくる。

 その話している内容を聞き、ミチは咄嗟にルイナへ指示を出す―――互いの呼び方から、確信めいた、嫌な予感が脳裏をぎったからである。


「っ、ルイナ、上っ!」

「えっ? あ、は、はい!」


 ルイナはその声に応じ、天井を見上げる―――上と言われたら上を見る、それはミチと事前に交わしていた決め事の1つであった。


 ガチャッ―――


 そしてノブが回り、開いた扉より姿を現したのは2人の男であった。

 一方は白い装束を羽織る白髪交じりの男、もう一方は白塗りの鎧を纏った黒髪の男である。


「―――女の部屋に入るのに、ノックもなしとは失礼じゃないかしら?」

「今は喫緊きっきんの時。許されよ」


 突然の訪問にミチが苦言を呈してみると、白髪の彼は手を払い、言葉を往なす。


「っ、吸血鬼!」


 一方、部屋の中を見回していた黒髪の男は剣を抜く。その声と視線は、敵意を持ってルイナに向けられている。


「っ……私は、ヒトです」


 一瞬、びくりと身体を震わし、ルイナは応える。

 吸血鬼かと問われ、咄嗟に否とは未だ答えられない。故に否定の言葉はヒトであると語るのみである。


 そして彼女は敵意と剣先を向けられているにも関わらず―――いや、向けられているからこそ、彼を見ない。『見敵必殺』の発動条件を満たさぬよう、ミチの指示通り天を見上げ続ける。


「弟よ、落ち着け。御光輝くに吸血鬼は立っておれぬ―――ふむ、だが」


 白髪の男は黒髪の彼を窘める。しかし緩々と歩を進め、陽光掲げるミチの前で手を組み、そして唱える。


「汝に、加護を」

「っ―――」


 瞬間、ミチは光に包まれる。突如として眩い光に視界を覆われ、たじろぎ、手を前にかざす。


 しかし、光を遮断出来ない。その光は彼女の身を余すことなく包み込み、その手すらも光源と化していた。

 最早耐え切れない。彼女は目を瞑り、瞼の裏が紅く灼けるのを感じながら光が収まるのを待つことにした。


「………」


 しばし―――といっても、ほんの数秒の間のことであったが、やがて光は消える。ミチは薄らと瞼を開き、己が何をされたのかを理解する為に周囲を見回す。

 名乗りも説明もなしに術をかけてきたことに対して、本来であれば文句の1つも言ってやりたいところであったが、彼らが纏う装束や鎧に刻まれる赤十字の紋を見て引き下がる。()()に余計な喧嘩を売らない方が、この場においては得策であると判断したからだ。


 ただ、それでも何の術を受けたか分からないままでは不安が湧く。四肢は動き、首も回り、思考も異常がないことを確認し、彼女は疑念の視線でもって白髪の彼を睨み返すのであった。


 その視線を受けながらも、白髪の彼は飄々と語る。


「ふむ、洗脳されているわけではないか。それにこの御光、贋物がんぶつではない―――やはり、その者は吸血鬼ではないようだ。弟よ、納めよ」

「はっ、かしこまりました、師よ」


 言われ、黒髪の彼は剣を鞘へ納める。直立不動に立ち、部屋の中を改めて見回す。その目は既にルイナとミチの2人を映していない。散らかる木窓の残骸、滴る血の跡、そして遠ざかっていくヒトの怒声が聞こえる窓の外を見やる。


「貴様ら、ここへ来た吸血鬼はどういう状態であった。話せ」


 そして今一度ルイナとミチへ視線を向け、問い詰める。その物言いは無骨であり、高圧的であった。

 彼の問いに応えようと口を開いたのは、ミチだった。


「―――傷を負ってるように見えたわ、血も出てたし。あと、あまり身体を自由に動かせないように見えたわ。傷が痛んでというよりも、苦しんでる様子に見えたわね」

「それは当然であろう。奴は一度御光を浴びている状態だったのだからな―――それで、その後はどうした?」

「……その後は、特に何も話せるようなことは無いわ。あたしが『輝ける陽光』を唱えたら、吸血鬼は慌ててその窓から出て行った。それだけよ」

「―――ふむ、なるほど……御光を2度浴びてもなお逃げるだけの力がある、か……ふむ―――」


 ミチの言を聞き、黒髪の彼は顎に手をかけ黙考する様子を見せ、やがて白髪の彼を見た。


「師よ。いかが致しましょう」

「うむ。ここで解の出ぬ問答をするより、じつを追う方が有益だろう。行くぞ、弟よ」

「はっ、仰せのままに」


 そうして彼らはルイナとミチを捨て置き、入ってきた扉を潜って外へ出る。ミチが壊れた窓より眼下を覗いていると、宿から出た2人が大通りを駆けて行くのが見えた。


「―――ふう、何とかなった、かしら?」


 やがて彼らの姿が闇夜の向こうへ消えた頃、ミチは緊張に凝り固まっていた肩の力を抜き、胸に溜まっていた息を吐き出す。


 面倒な奴らに目を付けられずに済んで良かった。ミチの息は安堵のため息であった。


 彼らの装備に刻まれていた赤十字の紋、自分にかけてきた神術と思われる光、そして互いを師弟と呼び合う関係。それらの要素から察するに、彼らがラサ教会に所属する者達であることは間違いないであろう。


 ミチにとってすれば、ルイナと共にいる間は決して関わりあいたくない連中であった。故に、彼らの疑念の目線を無事にやり過ごすことができ、ほっと胸を撫でおろすのであった。


「さてと―――」


 ミチは振り返る。騒動終えた後の部屋を見回し、やるべきことを考える。


 まずは宿の主へ窓が壊れたことを報告し、代替の部屋を借りる交渉をする。窓が壊れ、誰の目に止まるとも知らない部屋の中では何も出来ないし話せない。吸血鬼カリーナの容態を見るのも、今後のことを考えるのもその次である。


「ルイナ、とりあえずあたしは店主に言って別の部屋を借りれないか聞いてくるわ。その間にさっきの―――え~と、カリーナ、さん? に怪我の状態を聞いといてくれる?」

「は、はい! 分かりました!」


 勢いよく頷き、ルイナは吸血鬼をしまい込んだ棚へ駆けて行く。そんな彼女を見送りながら、ミチは部屋を出ようと扉は向かう。


「カリーナ……? 嘘、えっ、カリーナ! カリーナっ!!」

「っ、どうしたの?!」


 しかし、その足は止まる。ルイナより発せられた焦りの声に振り向き、何が起こっているのか把握しようと口で問い、目を見張る。


「息を―――していません……っ!」


 答えるルイナの声は震える。目尻は滲み、顔を強張らせ、抱き上げた吸血鬼の身体ごと小刻みに震える。

 ―――そんな彼女の腕の中で、その吸血鬼はぐったりと四肢を地に垂らし、何ら反応を返すことはなかったのであった。







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