小話.『ルイナ、馬に名前をつける』、『ルイナ、禁断の言葉を呟く』
◆ルイナ、馬に名前をつける
「そういえば、この子に名前つけないんですか?」
「えっ? あ、そういえばそうね……」
それはキルヒ王国内、宿へと帰る2人組―――ルイナとミチの間に起こった、とある会話の一幕である。
彼女達は1頭の馬を引き連れて歩く。彼は茶毛の雄であり、ミチに手綱を引かれ悠然と道を歩いている。
名前はまだない。故に、今後コミュニケーションを図る際に何と語りかけよう、どんなことに注意しようと考えていたルイナは、はたと彼に呼び名がないことに気づいたのであった。
それを指摘され、ミチは何故か苦虫を噛み潰したような顔で応えた。
「……しまった。あたし、てっきりこの子にもう名前上げたつもりでいたわ」
「え、そうなんですか? ちなみに何か候補があったりしたんですか?」
「アレストリ=ダームバレスよ」
「えっ、え……え?」
何の気なしに聞いたつもりであった。しかし、それに対して返ってきた答えは予想を遥かに上回る字数であった。ルイナは言葉の奔流に飲み込まれ、目を白黒させてミチの正気を疑った。
だが、ミチはあっけらかんと彼女の戸惑いに対しても答えを返したのだった。
「アレストリ=ダームバレス。愛称はアレスね。家で飼ってた馬の名前なんだけど、この子に似てるのよ。だから顔を見てるとその名前で呼びたくなっちゃってね」
「あ、ああ。なるほど。そうだったん……ですね?」
ミチの言葉に、ルイナは何とか納得の声を上げきることが出来た。しかし、だからといって馬の名前にしておくには長すぎやしないか? という疑問までは解消されなかった。
故に、語尾が不自然に上がってしまうのを彼女は抑えられなかったのである。
「でも、さすがに昔の男と同じ名前にするのはこの子が可哀相ね……どうしようかしら」
そしてミチは思案気に、彼の顔を眺めながら眉根を寄せる。
一方、ルイナは『昔の男』という言葉を聞き、大人な響きだ…、と名づけと関係ないところで変に関心しているのであった。
ちなみにミチの年齢は王都バザーを旅立つ際に、18歳であるということを聞かされていた。
ヒト族の18歳とはそれほどまでに小さかったのかと、ルイナはその時、大いに戸惑ったのであった。それでは今まで見てきた他のヒト族は―――馬車で一緒になった女性たち、冒険者ギルドで受付をしていたあの女性たち、冒険者養成学校でクラスが一緒だった彼女達、それに夢に見る両親は一体何十歳だったのだと動揺したのであった。
そんな彼女の動揺の言に対して、ミチは赤ら顔でもって応えた。それまでルイナが抱いてきた人間種の年齢感、それは概ね合っていると。逆に自分が、その、例外的に―――小さいのだと、か細く伝えたのであった。
―――まあ、そんなこんなで、彼女達の間でのすれ違いは解消されていたのであった。ミチは、れっきとした大人の女性なのである。
見た目はともかく、言動の節々に見える淑女さを、ルイナは今もって若干憧れの目線で見ているのであった。
「う~ん……そうねぇ。ルイナ、いい名前ない?」
「えっ、わ、私ですか?」
そうして悩むミチの顔を眺めていたら、突然に自分に話題を振られて慌てるルイナ。そんな彼女に、ミチは頭を振って手を上げる。
「ええ、あたしじゃダメね。どうしてもアレスの名前に引っ張られちゃって出てきそうにないわ。ここはひとつ、あんたが名前を付けてあげなさい」
「え、え~……分かりました、考えてみます!」
そしてルイナは彼の顔を見つめてみる。彼も、話の成り行きが分かっているのか今は神妙にルイナの顔を見つめ返してくる。
―――4歳の男の子である。しかし、それは馬としての4歳であり、人間種の年齢に置き換えると16歳くらいの青年の頃合いである。
つまり、実際には彼は男性である。自分より年上であり、今後身を任せる相手である。
男性、今後頼りにする男性―――そんな彼にふさわしい名前を捻りださなければならない。
ルイナは悩む。果たして自分の心の中からそれらしい名前は浮かび上がってくるのだろうかと疑問に思いながら、考える。
「―――テト」
そうして浮かび上がってきたその名前を、彼女は口にしたのであった。
「テト、ね。いいんじゃない。何か由来とかはあるの?」
「いえ、別に。何となくこれがいいかなって思って」
彼女の記憶には思い当たる出来事もヒトもいない。だから何となく、本当に何とはなしに出てきた単語であった。
「ふ〜ん。まっ、いいわ。それで決まりにしましょ。お前はこれからテトよ。よろしく」
「よろしくね、テト」
馬は応えず。ただ彼女達の視線を見つめ返すのみ。
こうして、彼女達は新たなる仲間、テトを加えて旅を続けるのであった。
◆ルイナ、禁断の言葉を呟く
「…………」
それはキルヒ王国内、とある宿の一部屋―――ルイナが居残りしている部屋で起こった、とある事件の顛末である。
彼女は今、1人である。
ミチは水浴びの為に沐浴場へと行っている。基本的に彼女達2人が同時に水浴びをすることはない。そうなることをルイナがそれとなく避け続けているからである。
他人に裸を見られるのは、嫌であった。恥の気持ちはない。ただ、闘争の儀にて付けられ、消えることのない背中の傷跡を、他の誰にも見られたくはなかった。
心に負った傷は時間とナートラの支え、ミチの励ましによって癒えてきているが、それでも身体の傷はどうにも消えないし消せない。自分の汚い部分を他人に見せることは、恥ずかしいとか怖いとか以前に、単純に嫌だった。
故にお留守番である。ミチも初めこそは不思議そうな顔をしていたものの、今では自然な流れで分かれて入ってくれる。
そして彼女が水浴びを済ませ、部屋へ戻ってくるのを彼女は待つ。そんな折に考えることは取り留めもないことだらけである。
例えば、ここの部屋のカーテンは可愛い刺繍がしてあるなぁとか、枕が好みよりもちょっと低いなぁとか、天井にある汚れがヒトの顔に見えるなぁとかである。
つまり、生産性のある思考は全く無い。ただひたすらに呆としているだけであった。
「……あっ、そうだ」
そして彼女は思い至る。いつか誰もいないところで試してみようとしていたことがあったのだと、思い出したのであった。
彼女は周りを見回し、誰もいない、隙間から覗かれてもいないことを確認し、それを口にしたのだった。
「―――魔を示せ」
「―――で、あんたはまた、どうしてそんなことになってんのよ?」
「うぅっ……、ミチさぁん……」
水浴びから帰ってきたミチは、部屋の中で項垂れているルイナの姿を見つけるのであった。
ルイナの表情は戸惑いと多少の絶望に歪んでいた。最近は鳴りを潜めていた、鬱な時の表情であった。
自分のいない間に何をやらかしてこうなったのか、彼女は問いただす。すると、ナートラより貰ったイヤリングを使ってみたらしいということが分かった。
そのイヤリングを貰う件の話は、自分も盗み聞きしていた為、効果を知っている。魔族が近くにいると教えてくれるという魔道具であったはずだ。
それを試しに使ってみようという彼女の考え、まあそれは分からないでもない。いつか何かの拍子に発動してしまった時に、その効果の示し方を事前に知っているのと知らないのとでは誤魔化し易さが大きく変わる。
―――そもそも、そんな危険を負うくらいであれば、外して背負い袋の奥の方へしまい込んでおけばいいじゃないかとも思ったのだが、それはルイナとナートラの間柄の話である。そこまで踏み込んで提言するつもりは、ミチには無かった。
―――さて。そんなこんなで今まで見て見ぬふりをしてきたその魔道具であったが、とうとうルイナはその言葉を口にしたらしい。その効果のほどは如何様であったかと問うと―――
「―――何も起こらなかった?」
「うぅっ、は、はい……」
ミチの確認の言葉に、ルイナは沈痛な面持ちで頷く。
そう。その言葉を唱えたところで、イヤリングは何の反応も示さなかったのである。
近くに―――むしろ装着者が魔族であるにも関わらず、その魔道具は効力を発揮しなかったのだ。
ここにおいて、以前ルイナより聞かされた『自分とは何ぞや』の話を、ミチは思い出す。
今をもって、彼女の自己同一性は不安定である。自分とは何であるか、どこに心の拠り所を置いていいのか悩んでいると聞かされている。
そんな彼女の最近の考えは、『身体は吸血鬼っぽい魔族であるが心はヒトである』というものであった。明らかに人間種離れした強さを有していることから、身体がヒトであると思い込むのは止め、極めて吸血鬼らしい特徴を持った魔族であると思い込むことにしている―――そう、ルイナが語るのをミチは聞いていた。
しかし今、その考えすら覆すような出来事が起きているのである。魔族を示す魔道具はルイナを魔族と認めず、その反応を返してこない。
それは、ただでさえ不安定な彼女の自意識をますます追い詰めるような仕打ちなのであった。
「んー……魔石が効力を失ってるのかしら。ちょっと、それ貸してみなさい」
「は、はい……」
ミチはルイナよりイヤリングを借り受ける。そしてそれをまじまじと見つめる。
錬成で魔道具に付与された魔石は、効力を失うと色が消えて透明な石に変わる。今、彼女が見つめる先の石は淡くではあるが確かに水色の輝きを放っている。魔石が効力を失っているわけではなさそうである。
「んー……」
ミチは唸るが、それ以上は見て分かるものでもない。やがて彼女はそのイヤリングを自分の耳へつけ、自身の耳朶に確かな重みを感じたところでその言葉を呟く。
「―――魔を示せ」
瞬間―――
「きゃあっ!? ―――うげっ!」
凄まじい光量の輝きがイヤリングより放たれる。ミチの様子を伺っていたルイナは、その紫色の光を直視してしまう。
目に痛みはない―――というか、感じない。しかし、痛みと驚きとは別である。彼女は驚きのあまり盛大に仰け反り、バランスを崩してベッドの端より落ちて行った。ベッドの向こうから、鈍い悲鳴が聞こえてくる。
「……なんだ、そういうことだったのね」
一方、耳から発せられたために輝きの直視を免れたミチは、事の顛末に納得の声を上げるのであった。
イヤリングを外し、水色の淡い輝きに戻ったそれを眺めた後、返すべき相手がベッドの下より這い上がってくるのを待つ。
―――魔を示せ。それは装着者の周囲にいる魔族の存在を知らせる呪文なのであった。
こうしてルイナの自己同一性は保たれ、なおかつ正体が魔族とバレてしまうかもしれないという不安要素が1つ消えたのである。
彼女達の旅は、まだまだ続く―――




