56.駆け出し冒険者達の日常 -夜ー
ヒヒトネスコに拠点を構える冒険者達の多くは夜になると、とある場所へ集う習性がある。
その場所とはここ、『旅立ちのかぜ亭』。
冒険者ギルドの隣にあるという立地、大勢の客を収容できる食堂スペース、そして何より飯は美味くて酒は安い。多くの冒険者達がその日の稼ぎを持って、旅立ちのかぜ亭で食べ飲み明かす。
彼らは陽気に語り合う。今日の生に乾杯、今日の稼ぎに乾杯、今日の冒険譚に乾杯。日中のぎらついた熱気とはまた違う活気に溢れ、冒険者達の夜は喧騒や歌に塗れて更けていく。
「―――いやぁ、ほんと、すげぇ姉ちゃんだったな!」
「ん。本当、凄かった」
そして、冒険者でごった返している旅立ちのかぜ亭の中、その日の稼ぎが無いにも関わらず酒を飲み、興奮したように語り合う少年達の姿があった。
ジャック、ワンクス、トッド―――オーガというランク違い甚だしい魔物に襲われ、命を脅かされた彼らは、命を救ってくれた少女の姿を夢想し、酒を進ませ話を弾ませる。
「あれ、やっべぇよな! オーガを片手で引き摺ってさ!」
「あれ、有り得ない。何かのスキル―――でも、何か分からない。ほんと、どうなってるんだろう」
中でも、ワンクスの興奮具合は凄まじい。常に鼻息を荒く立て、目を丸く輝かせて語る。それは幼き少年が英雄譚を聞き、胸躍らせている様であった。
隣に座るトッドも、はたから見れば落ち着き払っているように見えるが、常の口数の少なさを知る者であれば、彼らしからず饒舌に語っていることが分かるであろう。
彼らが話している内容は、オーガの骸を前に、『そういえばオーガ討伐も依頼に出ていたから証明部位を持ち帰れば報酬が出るかも』という話題になった時に起こった出来事の話である。
オーガの討伐報酬は白金貨15枚―――金貨に換算すると150枚分である。それは一般家庭における稼ぎのおよそ半年分に相当する。さすがBランクの魔物だけあって、相当な討伐報酬であった。
しかし、それは緊急扱いの依頼であった。緊急扱いの際に無作為に選ばれる討伐証明部位がどこであるか、依頼を受けていないから分からない。
そして、そもそもこの場に現れたオーガが緊急依頼の対象であるのかすらも分からない―――かといってこの場に骸を置き、ギルドへ依頼内容を確認しに行っている間に別の魔物や獣に漁られ、証明部位が喰われてしまえば元も子もない。
そうして赤茶髪の少女が悔し気に歯噛みしていると、銀髪の少女が『それなら全部持って帰ってしまえばいいじゃないですか!』と朗らかに宣ったのである。
すると、容積差数十倍はあろうかという巨体を、彼女が涼し気な表情を浮かべて引き摺り始めたのだから、彼らは理解不能な光景に度肝を抜かれ、素っ頓狂に悲鳴を上げてしまったのだった。
そしてその暴挙は、その場に居合わせた赤茶髪の幼い少女の一喝により止められる。『そんなもの町に持っていったら大騒ぎになるでしょ!』と諫められ、彼女は諦めてオーガの腕を放したのであった。
結果、少女達は緊急依頼としての報酬を諦め、通常の討伐達成として報酬を受け取るべく、常の証明部位である首と売り物になりそうな棍棒だけを持ち帰り、後はその場に捨て置くこととしたのである。
「―――それにさ、あんな見た目で戦士だっていうんだから、驚いたよなぁ」
「ん。武器が杖―――でも、納得」
「ああ、姉ちゃん言ってたもんな。確かに、あんだけ強ければそういう悩みも出てくるんだろうなぁ……」
そして彼らの話題は移り行く。
見た目にそぐわぬ怪力、そしてオーガを討ち取った武器が剣であったことから、彼らは彼女の職業が何であるのかを尋ねた。
返ってきた答えは、戦士であった。それは戦闘の結果と振るった怪力を見た彼らを納得させるものであったが、どうしてもその得物が解せなかった。
故に問うた。何故戦士であるのに武器が杖なのか、と。
それに対する彼女の答えは彼らを納得させ、それと同時に心を揺れ動かしたのであった。
『ヒトの血を見たくないから』―――
確かに、刃のないその武器では殴っても血は出ないであろう。しかし、彼女の発した言葉が額面通りのものではないことを、彼らはすぐに察したのである。
それはつまり、ヒトを傷つけたくない、ヒトを殺めたくないという、自戒の言葉であると気づいたのだ。
凡人たる彼ら3人には至れない境地であった。勿論、彼らだってあえてヒトを傷つける行為はしたくない。だが、そうも言っていられない状況は往々にしてある。
例えば、野盗に襲われる。街中で喧嘩になる。護衛任務中に敵対者と交戦になる。そんな状況に陥れば、彼らは剣を抜き、己が身を護るためにヒトと刃を交えるだろう。
しかし、その一切において彼女は真剣を抜くことを禁じたのである。その並外れた強さはあまりに簡単にヒトを殺めてしまう、故に彼女は自戒する。
刃を捨て、我を生かしながら相対するヒトをも生かす道を選んだのだ。
―――甘すぎる、偽善だ、独善的だ。常ならそう否定したくもなる考えであったが、振るわれた驚異的な力と、実際に真剣を携帯しない様を目の当たりにした彼らは、それを否定しない。疑わない。
むしろその境地に至った彼女の強さへ崇拝にも似た気持ちを抱くのであった。
「でも、なぁ……見たかった! 俺は見たかったよ、あの姉ちゃんがオーガ倒すところっ! かぁーっ!!」
そう言ってワンクスはグラスに残ったエールを一気に煽り、喉元に込み上げてくる詮無い願望を飲み下す。願っても仕方のないことであるが、叫ばずにはいれなかった。
そしてそれはトッドにしても同様であったらしく、彼も無言のままにワンクスの言に2度首肯を返し、ちびりとグラスを傾ける。その様には遣る瀬無さが滲み出ていた。
「お? オーガだって? お前ら、もしかしてオーガを倒した冒険者のこと知ってるのか?」
そしてその場に割って入ってくる者がいた。見やると、ヒヒトネスコに拠点を構える同業の者であり、パーティは違えど顔馴染みの戦士の彼であった。
「あん? なんだ、お前もあの姉ちゃんのこと知ってるのか?」
「いや、知ってるというか、今俺らのパーティでも話題に上がってたんだ。オーガを倒した2人組のパーティがいるって―――って、オーガを倒したのは女なのか?」
「ん、女の子2人組―――」
「……マジかよ」
ワンクスとトッドの言葉を聞き、話しかけてきた彼は絶句する。
Bランクの魔物を2人で倒すというのは、双方が少なくともAランク以上の実力を持っていないと叶わない。そんな実力を持っている者が女であり―――しかも、『女の子』と言われるほどの年齢であることに、信じきれない気持ちでいっぱいであった。
「いやいや、ありえないでしょ。2人でオーガって……」
「いや、でも確かにオーガの首と棍棒を持った銀髪の女と赤毛のガキがギルドに報告してたって、誰かが言ってたな……」
「……どこか他所んところの大御所パーティの一員なんじゃない? ほら、報酬だけ受け取りに来たお遣いの子、みたいなさ」
ふと気が付けば、彼ら3人が座っていた席の周りに人だかりが出来ていた。それらは全員同業者の顔ぶれであり、実しやかに噂されている『オーガを討伐した2人組パーティ』の真偽を確かめるべく、事情を知っていそうな彼らから情報が得られるかもしれないと集まって来たのであった。
その2人組がギルドを訪れたのは夕暮れ時である、と噂されている。
しかし、その時分は朝同様、冒険者の出入りが激しい時間帯である。日中に達成した依頼を報告し、報酬を受け取るべく多くの冒険者がギルドへ報告に戻ってくる。そんな時間帯にオーガの首を持って現れれば、多くの冒険者の目に留まるはずであった。
しかし、それがない。件の2人組を目撃した者は極めて少なく、冒険者達はその話を酔っ払いの妄言、あるいは他所のパーティが討ち取ったオーガの首級を掠め取った盗人が、人目につかないようにこそこそと報告に来たのではないか等と憶測でものを語らい、真偽のほどを酒の肴にしていたのであった。
「―――お前達、その2人はどうやってオーガを倒したんだ? 魔術か? 剣か? どんな風に倒したのか、是非教えてくれ」
そして、その場へ彼がやって来る。
人込みをかき分け、ワンクス達が座る席へと進み出てきた彼は、Bランク冒険者4人とCランク冒険者2人から成るBランクパーティ、ヒヒトネスコに拠点を構えるパーティの中で最もランクの高い『カザハリの翼』のリーダー、エルモンドであった。
彼はワンクス達を囲う者達を視線で下がらせ、空いた席へと腰かける。その表情は決して野次馬な心持ちを映さず、ただ真剣な眼差しでもって彼らを見つめる。
―――この町へ新たにやって来た、自分達よりも実力が上かもしれない同業者。その存在を、彼は疎ましくは思っていない。ただ、それが売名行為ではないか確認するべきであると感じていた。
名だけが知れ渡り、過大に力を評価された冒険者はすぐに身を滅ぼす。そしてその代償はその者達の命に留まらず、依頼失敗による冒険者ギルドへの信用失墜にも繋がる。
ギルドに所属する者として、また一応はこの町で最も強い冒険者パーティのリーダーとして、件の2人組の話と力が信に値するかどうか、見極めるべきだと考えていたのであった。
故に、彼は威風堂々たる態度でワンクス達を圧倒させる。返す言葉に虚偽は認めないと視線でもって悟らせる。
「うっ……」
そして、その視線に対して―――ワンクスはたじろぎ、思わず目を泳がせる。トッドも無言で目線を逸らす。
―――無理もない。彼らはそもそも、件の少女の力を垣間見はしたが、オーガを倒すその決定的瞬間を目ていないのである。故に、答えようもない質問を、さも答えないとどうなるか分かっているなという高圧的な態度で尋ねられても困るのである。
よって、2人は彼を見る。その瞬間を目撃したであろう、パーティのリーダーであるジャックへ、彼らは視線を動かす。
その眼の動きに気づき、エルモンドもジャックへ視線を移す。
「…………」
ジャックは―――、語らない。いや、その口が僅かに開く。そしてそのまま手元のエールを口につけ、唇と喉を湿らせた。
それはこれから語る彼に、必要な前準備であった。
そして再び彼が口を開いた時に、その話は始まった。
「僕が見たもの、聞いたこと、全てをお話しします。まず彼女達が現れた時、僕たちはオーガに―――」
そうして静々と語り始めた少年の言葉に、飾り気の無い淡々とした語りに、冒険者達は耳を傾ける。
旅立ちのかぜ亭に俄かに静寂が降りる―――しかし、聞く彼らの瞳には確かな熱気と羨望が映る。
語られる絶望的な状況、そして差し伸ばされた救いの手。彼らの多くは、その救いの手に憧れて冒険者となり、その救いの手となる為に冒険者を続けているのである。
此度、少年の口より語られる話の真偽は分からず。ただ、彼の眼に映る熱意と憧憬の色は確かに、自分達と同じ色であることを悟る。彼の語りは信じがたいものであったが、彼の瞳は信ずるに値した。
故に彼らはその話に熱中する。少年達を救った、美しく力強い少女の話に夢中になる。彼女の力に、そして心根に感動し、共感し、驚嘆する。
そうして少年の話が終わると、彼らは細部を問い始める。しかしそれは、もはや真偽確認の為の詰問ではなく、興味関心から出る質問であった。
そして次第に浮き彫りになっていく銀髪の少女の人物像に、エルモンドは期待の心を持ち始めるのであった。
そのような少女がこの町で今後どのように活躍していくのかを楽しみにし、また切磋琢磨する相手が身近に出来たことを喜び、彼は明日の訪れを―――冒険者ギルドに再び姿を見せるであろう、銀髪の少女との出会いを心待ちにし始めるのであった。
―――こうして今宵も更けていく。冒険者達の夜は長く、今夜も旅立ちのかぜ亭は利するのであった。
「さあ、出発するわよ」
「はい、ミチさん!」
ここに今、ヒヒトネスコの町より出立しようとしている冒険者達がいた。
ルイナとミチ、彼女達はオーガを討ち取り報酬を受け取った翌日に、早くも出発の時を迎えたのであった。
―――元々、彼女達にはこの町に長居する予定は無かった。一度来た町であるから彼女達の旅の目的である親探しは既に終えており、ほんの少しの旅銀を稼いだらすぐに旅立つ計画を立てていたのである。
そして昨日、コボルト退治で小金を稼ぐつもりが思わぬ大物を討伐でき、報酬と棍棒を売ったお金で彼女達の資金は当初の見込み以上に潤った。
故に、ギルドより情報を買って、石造りの宿があると確認出来た次の目的地へ向けて彼女達は旅立つのである。
―――それに、この町に滞在してしまえばオーガを倒した冒険者が自分達であるという噂が広まってしまう。
昨日は目立たぬように、オーガの首はギルドに渡す時以外は隠しておいたし、ギルド内に極力他の冒険者がいない時期を見計らって報酬を受け取りに行った。
その時、ギルドにいた冒険者は1人だけだった。その1人と、後は現場に居合わせた3人の少年達。彼らが目撃者になるわけだが、情報源が限定されるわけであるから、噂が広まる前に当の本人達が行方を眩ましてしまえば自然とその噂も霧散していくだろう。
故あって、目立ったり噂されたりすることは、ミチにとって大問題なのである。その噂が小さく1つの町に留まってくれればそれでいいが、街を跨ぎ、国を跨ぎ、件の者に聞かれてしまうことだけは絶対に避けなければならない。
そんな裏事情もあり、彼女達は多少急ぎ足であるが今日、ヒヒトネスコを後にするのだった。
彼女達の旅路は、まだまだ続く―――
―――ところで。
彼女達がヒヒトネスコを旅立ってより後、俄かに流行り始めた詩がある。
その詩を初めに謡ったのはヒヒトネスコに拠点を構える冒険者の1人、職業は吟遊詩人である彼であった。
彼はその瞬間のことを忘れない。ギルドで手慰みに竪琴の調律をしていたところ、やって来た少女2人組。一方は柔らかい赤茶色の毛を束ねた魔術師の少女であった。
そしてもう一方―――ああ! 何たる美しさか!
彼はその時、世に生まれた歓びを知った。美しきを愛で、悲しきを憂い、退屈なる世を慰める為に始めた音楽であったが、その時彼に創作の神が衝撃と共に降りてきたのであった。
彼女を称える為の詩や音など、零れる程に溢れてくる。これはすぐに謡わなければ。いや、謡いたくてたまらない!
そうして彼は謡う。冒険者達が多く集う、旅立ちのかぜ亭で。
―――誰も聞いてくれなかった。彼ら冒険者が好むのは英雄譚であった。ただ美しいものを褒めるだけの文学的詩に酔う者など、1人もいなかったのだ。
彼は悲嘆した。少女の美しさを世に知らしめることが出来なかった自分の非力さに絶望した。胸に籠った熱は冷え、そのままその詩は彼の心の内へ沈み消え行くものかと思われた。
しかし、その話は聞こえてきた。自分が見た銀髪の少女が振るった強さを。語った言葉を。
他を圧倒させるような強さ、そしてヒトを殺さぬと自戒する慈愛の心―――その話を聞いた途端に、彼の心は再び爆発したのだった。
それは愛と呼べるだろう。崇拝とも呼ばれるだろう。しかし最早、彼女を称えられる心であれば、それを如何様に形容されようが構わない。
自分はこの心を、揺れ動かされた感動を他に伝えたいのだ!!
―――こうして彼はその詩を謡った。
風を操る赤毛の魔術師を従え、ヒトを助く道を行く白銀の少女。
其が如何に美しいか、其が如何に精強であるか、其が如何に気高いかを謳い、この愛よ天へと届けと彼は高らかに謡ったのである。
―――その詩は感動を生み、また他の吟遊詩人の心を揺り動かした。
正直な話、彼らも古い詩を謡うだけでは金にならないのである。語りつくされた英雄譚や悲恋など、聞き飽きた者が多く、誰も耳を傾けない。彼らが奏でる音楽と詩は背景となり、誰の心にも感動を呼ばない。
そしてそれは謡っている彼ら自身にも当てはまる。謡い飽きた、語り飽きた詩など、手慰み程度にしかならず、おざなりな態度で詩と向き合っていたのは確かであった。
そうであったからこそ、彼らは新たに芽吹いたこの英雄譚に惹かれ、謡い始める。
彼ら吟遊詩人の中では、詩は共有財産である。故にこの詩を聞いた吟遊詩人はまた別の町でそれを謡い、そしてそれはどんどんと伝播していく。
『白銀と暴風』と名付けられたこの詩は、街を跨ぎ、国を跨ぎ、やがてとある者の耳へも入ることになるのだが、それは誰も与り知らぬ話である。
今日もこの詩はどこかで謡われる。それは1人の詩人が少女のことを想って綴った、恋の歌である―――




