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52.駆け出し冒険者の非日常 ー昼ー(後編)

 



「ん―――待って」


 そんなこんな、ジャック達3人が他愛もない話をしていると、前方を歩いていた少女達に動きが見えた。

 同時に、若干の騒がしさを悟る。その騒がしさは音ではなく、気配―――戦いの空気であった。


「もしかして、コボルト?」

「分かんねぇ、でも行ってみるしかねぇだろ!」

「そうだね」

「ん」


 そうして彼らは短く意思疎通の言葉を交わし、それぞれの得物を抜き放って前へ走る。

 彼女達が接敵しているのであれば、いち早く駆けつけなければならない。相手が何であろうと、何匹であろうと、後衛2人では対処できる幅が狭い。


 彼女達を追い抜き、前へ出る。そうして敵へ対峙する。そうすれば彼女達も駆けつけた自分達が味方であると悟り、急ごしらえのパーティであっても、後衛として役目を果たしてくれるであろう。

 それに、彼らが合流すれば5人組となる。相手の頭数によっては人数差が逆転し、ろくに戦闘をしないままに追い払えるかもしれない。


 ―――そこまで計算しての、作戦であった。勝算は多く、危険は少ない策である、はずだった。


「なっ?!」

「おいおい、冗談だろっ?!」

「っ―――」


 しかし、3人は少女達に追いつく手前で足を止めてしまう。口々に驚きの声を上げ、眼前の光景に目を見張る。


「グルルルル……」


 そこにいたのは、全身茶色の毛むくじゃら。たくましい2本の脚で立ち、手と足の先には黒々とした太い爪。唸り声を上げる口元からは粘着質なよだれと鋭い牙が零れ出る。

 現れた獲物達を、本能赴くままぎらついた眼で見てくるその犬頭は―――まさしくEランクの魔物、コボルトであった。


 ジャック達は、そのコボルトを見て驚いた、足を止めた、顔を引き攣らせた。

 それは彼らがその恐ろしい姿容を初めて見たからではない。彼らと背丈は同程度、腕や足のたくましさは倍程度の獣の姿に怖気づいたわけではない。その姿を、彼らは幾度も見たことがあった。


 それでは何故、彼らがそこまで驚愕と恐怖に表情を歪ませたのか。


「おかしいだろ、こんな数……」


 かろうじて、ワンクスが恨み言を口から絞り出す。他の2人は衝撃より未だ立ち直れず、呆然と立ち尽くしている。


 ―――そう。彼らを驚かせたのは、その数であった。


 彼らが今まで見てきたEランクの魔物達は、最も多くて一個の群れで4体であった。大体は1~3体、それが常であった。

 それが、今目の前にいるコボルトは体躯の大小それぞれで6体いる。しかも、木々が視界を遮る中、見える範囲だけでもそれだけいるのだ、もしかするとそれ以上いるかもしれない。


 ―――無理だ。ジャックは、いや、ジャック達は、悟った。自分達が加わったところでこの数には敵わない。戦況を、覆すことなど出来はしない。


「に、逃げるよっ!」

「んっ―――」

「わっ、お、おめぇらも、さっさと逃げろよっ!!」


 そうしてジャック達は、踵を返す。

 命を散らしたくない、魔物達の餌と成り果てたくない、戦っても勝てっこない。彼らに出来ることとしたいことはその場で一致し、唯一の選択肢である逃げの一手を打つ。


 コボルトと、そして少女達に背を向け、彼らは全力で走る。

 遠い遠い、森の出口目掛けて、ひたすらに走るのであった。


















「はぁっ、はぁっ、撒いたっ?! コボルト、いるっ?!」

「わっ、わっかんねぇ、よっ!」

「はっ、はぁっ、んっ―――」


 彼らは走り続ける。

 枝葉を蹴り、地に落ちた葉を踏み鳴らし、最早周囲に気を配ることなく足を動かし続ける。


 とにかく走り続け、前へ進み、後ろに迫る確かな脅威から逃れようと必死であった。


 彼らは走りながら、後ろを振り返る。背に犬頭の影が見えるかどうか確認しようと。追いかけてくる茶色い毛むくじゃらの数々が見えないかと。


 いない、見えない、追いかけてこない。

 後ろから迫る影はなく、木々が揺れる様子もない―――どうやら、無事に撒けたようだった。


「はぁっ、はぁっ、い、いない?」

「はっ、そ、そうだな。いない、な」

「ん」


 そうして3人は足の動きを止める。もう一度振り返り、細心の注意を払って、来た道の様子を探る。

 ―――動く者は、いない。どうやら無事に撒けたらしい。


「―――ふぅ~……良かったぁ……」


 ジャックの口より、特大のため息が零れる。その息には安堵の感情が多分に含まれていた。

 思いきり走ったせいか、動悸が激しい。どくんどくんと、胸の音が騒がしい。それと一緒に、周囲の音も敏感に感じる。風で木々が揺れる音、葉が擦れる音、それらを敏く耳が拾う。そして恐怖と焦り、疲労と安堵で目尻が緩み、微かに涙が零れる。


 それでも、それら全てがどうでもいい。ともかく、自分達はあの窮地を、無事に脱することが出来たのだ。


「―――でも、あの子たち、大丈夫かな……?」


 そして安心した次に出てきた感情は、自分達が追いかけていた少女2人組の心配であった。


「さあ、わっかんねぇよ、そんなこと―――」

「正直、生存の見込みはない」


 ジャックの声に、ワンクスとトッドは諦めの滲んだ声音で応える。


 彼女達は彼らよりもコボルト達に近かった。そして彼らが逃げ出した時でさえも、逃げ出す素振りを見せていなかった。


 ……あまりの恐怖に足がすくんでしまっていたのかもしれない。こちらに背を向けていながら、向こう側では恐怖に顔を引き攣らせていたのかもしれない、泣いていたのかもしれない、助けを求めていたのかもしれない。


 ―――そうであれば、助けられなかった自分達の何たる不甲斐なさか。しかし、あそこで立ち向かっていれば死体が2人分から5人分へと変わるだけであったのも事実である。


 どうあっても助けられなかった。そんな遣る瀬無さが、ジャックを襲う。


「……くそっ」


 彼は項垂れる。汚く罵る対象は、己自身であった。

 強くなりたい、他人を救えるほどに―――彼は項垂れた拍子に視界に映った、抜き放ったままであった己が剣を見た。


 鉄製の剣は鈍色に光を照り返し、その剣身の厚さと鋭さは頼もしさを感じる。冒険者登録が為った時、薬草採集でため込んだ資金を元手に買った相棒である。

 その剣を振るい、ばっさばっさと魔物を薙ぎ倒す自分を夢想し、彼は冒険者となった―――それが、どうだ。目の前で窮地に陥った少女達を捨て置き、逃げ出してしまった今の自分は、旅立ちを決めたあの日の自分に誇れる存在であろうか。


 ―――不甲斐ない。遣る瀬無い……でも、仕方がない。

 数か月になる冒険者生活を経て、剣を片手に英雄を目指した勇気ある少年は、剣を片手に生と死の境界線に怯える冒険者へと成り代わったのである。


 変わらないのは、手に握られる剣の重さだけであった。


「……?」


 ―――と、見下ろしていた彼の剣が、鈍色に光を照り返していたそれが、曇る。

 それだけではない。彼の頭に、背に、色濃く影が差す。風が揺らす木々や葉の音がうるさくなる。


 ―――いや、違う。吹く風を、身体は感じていない。風は吹いていない。

 それでは木々は何故揺れているのか、枝葉は何故騒いでいるのか、剣や己が身を照らす光は何故無くなってしまったのか。


 彼は疑問に思い、顔を上げる。はやる気持ちと早まる鼓動を感じながら、抑えながら―――彼は、それを見る。


「ウゥォォオオオッ!!」


 ―――そこにいたのは、巨大な『何か』であった。


 その『何か』は雄叫びを上げて、腕を振るう。ジャックの胴より太い腕を、唸りを上げさせ横に薙ぐ。

 その動作を、ジャックは冷静に、しかし他人事のように見てしまった。


 その腕は、真っ直ぐジャックの胴目掛けて動いていた。


「ジャック、あぶねぇっ!!」


 唐突に表れた『何か』、唐突に振るわれた暴力に思考が止まってしまったジャックは呆と立ち尽くしてしまった。それをワンクスが横跳びに押しのけ、小盾を構えて剛腕を迎える。


「ぐぅぅっ!!」

「う、わあぁっ!?」


 一撃でもって、その小盾が砕ける。『何か』が振るった腕の先端、棒状の武器の一撃は防具を壊すだけに留まらず、勢いそのままに2人の身体を吹き飛ばす。

 しかし、薙がれるよりも前に、同方向へワンクスが跳んでいたからこそ、その勢いと衝撃は極限にまで抑えられた。彼らは地に身を転がされるが、命も意識も無事なままにその一撃を凌ぐことが出来た。


「ぐっ、う、あ、ありがと―――」

「莫迦野郎っ! 礼なんて後でいい! 逃げるぞ!」


 窮地を脱したと思い、礼を言うジャックに対して、ワンクスは叱責の怒鳴り声を上げる。

 そう、未だ窮地なのである。


「トッド!」


 ワンクスが叫ぶ。何が起こっているか、混乱する頭でまだ理解の及ばないジャックは、彼の視線の先を見る。


 そこに立つのはトッド。無口で無愛想、無表情で無感情。常に冷静で的確な助言をしてくれる、頼もしい仲間である。


「……っ、……っ」


 しかし、そんな彼が今、震えている。足を震わせ、腕を震わせ、構えた剣を大きく震わせている。

 声を出さず、しかと前を見ている。しかし、実際は恐怖のあまりに声も出せず、目前の『何か』から目を逸らせなくなっているだけである。


 ―――彼の目の前に、化け物(なにか)がいた。


 浅黒く汚れた薄紅色の皮膚。至るところが骨格と筋肉により隆起し、頑強さを感じさせる体躯。上背うわぜいに比べて長い腕は太さもヒトの胴より太く、拳もいわおのように大きい。

 そしてその体格。それはジャック達ヒト族の少年より数倍高く、森の木々に頭の天辺を擦らせるほどであった。


 手には、先端の膨れ上がった棒状の鈍器―――棍棒を握り、鋭い犬歯を口元から覗かせ、獰猛さを感じさせる笑みを浮かべている。


「ゲヘ、ヒト、ニゲルナ。オレノ、メシニ、ナル、ダア」


 そして、片言ながらも人間種の言葉を操る。目の前ですくむトッドを見下ろし、にたにたと嗤う。


 ジャックは、これらの特徴を有する魔物を、冒険者養成学校にて学び、知っていた。


 ―――オーガ。圧倒的な力でもって人間種を蹂躙し、捕食する、Bランクの魔物であった。








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