幕間.波乱の予感
SIDE:???
それはナトラサの街における議事堂―――この吸血鬼の国の政を執る場の奥、円卓の置かれた会議場の中で交わされた会話である。
「皆に集まってもらったのは他でもない―――此の程の、市井の有り様について、忌憚なく意見を取り交わしたい」
そう言って場を仕切る者は円卓を囲む他の者―――蝋燭の仄かな灯火に映し出される4つの人影に向かって視線を送る。
「忌憚なく―――とは、どの程度まででございますか?」
「言葉のままだ。飾らず、濁さず、思ったままを口にしてもらっていい―――ただ、違えるな。発言は民のため、国のためを思ってして欲しい」
「相分かりました……それでは、私から宜しいでしょうか?」
「良い」
「―――長きに亘る王の不在により、民の間に不安が募っております。街へと留まり、地上へと働きに出ず。最近はハンター達が狩りに出ない為、供給が不足し物価が高騰しております」
「農耕と畜産に関しても、作業員数を確保できず被害が甚大です。収穫は前年の半分を割り、家畜の分を賄うのがせいぜいの状態でございます―――とても、吸血鬼の分まで賄いきれません」
「―――吸血鬼は寿命が長く、また人間種にここへ押し込められている以上、文明の発展も緩やかでございました。それでも暴動や革命が起きず平穏と民が暮らせていたのは、絶対王者への服従とそこから享受される安心感あって故のものでした。
しかし、今はそれがない。取り外されてしまいました。最も危惧すべき反乱の芽が生まれるのも、時間の問題やもしれませんな」
「……それを、民も薄々感じているのかもしれぬ。通りを歩いていても、戦時前のような緊迫感を察することがある」
「ふむ―――」
発言を許した者は、席に座る者全てが発言したことを確認し、次の問いを口にする。
「それでは、この状況を打破するにはどうしたらいい?」
「王の復活! それ以外ないっ!」
「そうじゃな。王の不在による空白は、王の存在でのみ埋められる」
「―――しかし、王は御心を痛めておられる。姫様も奥方様までも亡くされ、最早いつこの場に戻ってこられるか……」
「―――ふむ」
そうして取り仕切る者は、その問いに対して唯一答えなかった者へと視線を映した。
「―――どうした。何か意見はないのか?」
「……はっ。私は、新たな王の擁立も考えるべきではないかと具申致します」
「―――ほう」
―――ダンッ!
勢いよく振り下ろされた手によって、机が大きく震える。
「貴様っ! 不敬であるぞ! 王が存命である内に次代の王を語るなどっ―――」
「…貴方の前世は、たしかキルヒ王国でしたね。ここはナトラサの街なのです。かの国のような、神性を説いた前時代的な世襲制ではなく、実力をもって王はその座に君臨する、吸血鬼の国なのですよ」
「貴、様っ…! そうした考えがあるから、帝国はいつまで経っても動乱が終わらんのだっ!」
「かの国は関係ありませんよ」
「いや、ある! 貴様は帝国と同様、この街にも動乱を起こそうと画策しているのだろう?!」
「2人とも、落ち着け」
「―――はっ」
「―――ちっ…」
議論とは別のところに熱が入ってしまった2人を、取り仕切る者は諫める。
「しかし、新たな王の擁立、か―――うむ、その考えの仔細を教えて欲しい」
「はっ―――姫の事件があったからこそ、民の不安を除ける王の存在は、一刻も早く必要とされております。本来であれば、そのお役目をアーデルセン様に為して頂きたいとは存じますが、御心を痛めており、且つ民の不安の発端がご自身の子であるとなれば尚更王の御心に負担を強いることになります。
ここは、新たな王に君臨頂き、絶対的な安心感を民へと届けて頂きたいと思う所存でございます」
「なるほど―――ちなみに、その王にふさわしい者の候補はあるか?」
「恐れながら―――閣下、貴方様がふさわしいと存じます」
「私か」
そう言って場を仕切っていた者は驚きのあまり、開いた口を手で押さえる。
「はっ、僭越ながら、アーデルセン様に比肩する程の御力の持ち主は、この街において閣下しかおりません。また、アーデルセン様が執り行う政の御傍には、常に閣下がおりました。その御姿を、民も目に焼き付けております。
閣下がお立ちになれば、民も平穏に暮らしていた時代の再来を予感し、新たな王への期待を膨らませ、今ある不安感を払拭するに適うと、恐れながら考える所存でございます」
「なるほど―――私如きがアーデルセン様の高みにいるかは置いておくとして、一理あるな」
そうして、取り仕切る者は周りを見回す。
「この意見に対し、それぞれ賛否の意見を述べよ」
「儂は賛成ですな。王の不在による空白期間は、一刻も早く是正されるべきであります」
「―――私も、賛成です。本来であれば、アーデルセン様の再起を願いたく思いますが、食料事情は一刻を争います。もし家畜の分すら用意できなくなれば、出回る血の量の不足に繋がる―――そうなれば、暴動も可能性の低い話ではなくなってしまいますから」
「私は反対だ! アーデルセン様が存命の最中、何故次代の王を立てる必要がある!? 再起を信じることが臣下の義務ではないのか?! その合間の責務を果たすことが臣下の役目ではないのか?!」
「……ふむ」
意見が割れたことにより、取り仕切る者は顎に手をかけ、唸る。
しかし、その合間にも議論は続く。
「―――その意見は、民を蔑ろにしている」
「なっ―――、貴様っ、なんと言った?!」
「貴方の意見、それは王のことを想うばかりに、民を軽視している。今必要とされているのは、民を導く絶対の王なのです。それが無くば、我ら臣下がどれだけ働きかけようと民の不安は拭えない―――むしろ、導くべき王に籠られていられれば、我らの働きなど関係なく、不安は増すばかりです」
「なん―――だと……っ!」
「ふむ。儂の故国の言葉で言うところの、『頭が爛れたヒュドラは身を滅ぼす』じゃな。いかに強い国であろうと、上に立つ者が倒れたままでは国は傾く。まさに、今のナトラサの状況を指しておりますな」
「おっしゃる通りです。私は、何時になるか分からない王の復活より、新たな王の擁立を推したく、思っております」
「貴様らは……っ、王を、アーデルセン様を、国にとっての邪魔者だと言うのかっ!!」
―――ダンッ!
再び、机が震える。
「―――誤解を与えてしまう言い方かもしれませんが、その問いに対して、あえてその通りだと答えましょう」
「なっ……貴様っ……」
「ただしっ! ―――私はそれを国の為、民の為、そして何よりも王の為を思って言っているのだと誓いましょう―――アーデルセン様の為にも、あの御方には王を退いて頂いた方が、良いと思うのです」
「―――それは、どういうことだ…っ?」
問われた者は、一度周囲を見回す。そこでぶつかる視線の数々を、誠意をもって見返していく。
「……アーデルセン様は、王であることをお辞めになられたのだと、愚行致します」
「なっ、貴様っ―――」
「黙れっ! 今は話を聞こう―――続きを」
「はっ、ありがとうございます―――アーデルセン様は今まで、御身を顧みず王の責務を為されておりました。姫が血を飲めない、異端となるやもしれない状況でも、王の職務を全うされておりました。それは、あの御方がご自身よりも国を、民を優先してお考えになられていたからです。
そのお考えを思えば―――今の立ち行かなくなったこの街において、何故王は立ち上がらないのでしょう?」
「……なるほどの―――たしかに、アーデルセン様であれば、街に出ずとも市井がどのようになっているか推測できるじゃろう。そして常のアーデルセン様であれば、辛い御心を隠し、民の為に立ち上がられるはず―――しかし、現実にはそれがない」
「―――アーデルセン様は最早、王として国の不安ではなく、父として家族の死にしか向き合えないのです。それ以上、御心に余裕がないのです。
……そんなアーデルセン様に、国を支えることを強要することは―――より御心を苛ませてしまう、拷問に等しい行為だと、私は考えます」
「ぐっ―――それでは……それでも、王の御心が癒えるまで待ち―――」
「待つ? そんな時間はないと言ってるではありませんか! 食料や物は目減りする一方。家畜が餓死すれば血の量も足りなくなる。
我ら吸血鬼は血によって、飢えと渇きを癒し―――酔えるのです。このナトラサの街が吸血鬼にとっての楽園であると、飲血による多幸感によって、民たちは妄信できるのです。
―――『血による多幸感』が無くなれば、民たちはこの街が吸血鬼にとっての監獄であることに気づいてしまう。暴動が起きる、反乱が起きる、そして最後に人間種に取り入ろうとする輩が生まれる―――そうなれば、吸血鬼は終わりです。マディラータがこの『太陽が無い』の街に降り、全ての吸血鬼が虐殺される。
この話は、妄想ではない。今まで起こったことがないからと、安心していい話ではない。一度起こったら取り返しのつかないことなのです。
……どうか、ご理解頂きたい。今が、今この時が、我ら吸血鬼にとっての運命の分かれ道であることに―――」
「………」
そしてその場にいる者達は、彼の言葉に押し黙る。
それまで彼に反対していた者でさえ、口を閉じる―――彼も理解しているのである。この街において不安感というのは決して見過ごしていけないものであるということを。
人間種の国にとって、1人の裏切りによって負う傷は小さい。それが戦争の最中であっても、1部隊が壊滅する程度で済む―――それを、人間種においては痛手と言うであろうが。
しかし吸血鬼にとって、その裏切りの数がたとえ1であったとしても、それは破滅の一手となる。人間種にナトラサの街の情報が漏れてしまえば、マディラータを使える人間種が群を為して襲撃してくるだろう―――そして次の日には、この世から吸血鬼という種族は消えるのだ。
そんな未来は、何としてでも阻止しなくてはならない。
「…………、分かった」
そして新たな王の擁立へ反対していた者は、とうとうその固く結んでいた口を開いた。
「本来、アーデルセン様を王から降ろすなど、受けた恩に対しての裏切りに等しい―――だが、アーデルセン様がご自身のことよりも、民のことを常に優先してお考えになられていたのも確かだ。それを思えば、思えば……新たな王の擁立に、私も賛成、しよう。
―――あの御方の意志は、我々が引き継ごう。あの御方には、ご自愛なされる時間が必要だ……」
「うむ―――そうか」
取り仕切る者は、彼の言葉に鷹揚に頷く。
そして再び、周囲の者の顔を見回す。新たな意見、否定の意見が出ないことを、確認する。
「よし、皆の意見は分かった。此度案として出た新たな王の擁立―――これを迅速に執り行いたい。
ただ、この場にいる者達だけで決めてよい内容ではないことも理解している。故に皆、一度それぞれの家臣達とも内容を共有しておいて欲しい。その上で、次回の全体議会にて最終的な決を採る。
―――王の候補については、僭越の身ではあるが私が名乗りを上げよう。皆、それで良いか?」
「「「はっ」」」
「………はっ」
「よし―――それでは、解散!」
そうしてその場の会議は締めくくられた。
―――場を仕切っていた者。彼はその場において、新たな王の擁立を初めに唱えた者と視線を交わし、お互いにその口元を微かに吊り上げるのであった。




