4.とある赤ワインの恩返し
私の名前は『茶毛のメス19年物』―――ご主人様より頂いた、至上の名前だ。
ご主人様は私を愛してくれるし私はご主人様をこの世の何より愛している。ご主人様のおっしゃることを為すことが最高の幸せであり、私の生きる意味である。
私は今、ご主人様の命により暗い洞窟の中を彷徨っていた。その命とは、『この洞窟の中に潜む危険な魔物を発見し討伐せよ。討伐が不可能であると判断したならその容姿や能力といった情報を持ち帰り報告せよ』というものだった。
その命を受けた者は私以外にも4人いる。戦士である『黒毛のオス20年物』、剣士である『金毛のオス19年物』、シーフである『赤毛のメス18年物』、神術士である妹のエリ―――いもうとのエ……―――『茶毛のメス17年物』である。そこに魔術師である私を含めての5人パーティーで行動を共にしている。
このパーティーを結成して3年が経つ。
全員が初心者から始めた冒険者稼業は普通、怪我や死によってメンバーの入れ替えが頻繁に起こると聞くがとても幸運なことにこのパーティーではそういったことが発生していない。同じ村出身者同士で組んだのだから誰かが死んで他の誰かを入れる、ということをしたくないと思っていたし、そんな状況になりたくもないと思っている。
そして3年も経つと初心者も立派なベテランとなる。最初の頃は失敗して稼ぎも装備もダメにしてしまうことがよくあったが、今では稼ぎも安定するようになってきた。もうしばらく見聞と経験を稼ぐ旅を続けたら、どこか仕事量と実入りの良い街に拠点を構えて活動するのも良いかとパーティー内で話し合っていた。
―――『金毛のオス19年物』と『赤毛のメス18年物』が最近二人で夜中ふらっといなくなることがあり、私もそろそろどこかに腰を落ち着けたいと思っていたところでもあるのだ!
そんなこんなで今いるクォーツ公国を旅立ち、隣国であるキルヒ王国に向かう旅程の合間に私たちはご主人様に出会った。ご主人様は私たちを家へと招き入れ、そこに住むことをお許し下さった。
ご主人様は私たちを等しく寵愛して下さり、この身より出でる敬愛の赤き印を受け取って下さる。私たちは旅の半ばで楽園とも呼べる場所に招き入れられたのだ。私の人生の終着点はここで良いと思っているし、パーティーの皆もきっとそう思っているはずだ。
さて、しかしご主人様のお膝元にて寵愛を頂くだけでは申し訳がない。私たちには戦える力がある。それを活かし、ご主人様に危害を加えるかもしれない『危険な魔物』とやらを決して野放しにしてはいけない。
危険な生物を排除し、もし手に負えない場合はその特徴をご主人様に報告し危険が及ばぬよう仔細をお伝えする。今がご主人様からの多大なるご恩に報いる時!
「―――ん、待て」
と、私が掲げる松明の明かりより若干離れ、隊列を先導して歩いていた『赤毛のメス18年物』が手を上げ、制止の声をかける。
「どうした?」
「……いや、大丈夫だ。何かの気配を感じたが、ただの蝙蝠だった」
『赤毛のメス18年物』はシーフであり、戦闘面以外でも隠密行動と索敵を得意とする。今も私にはまったく音も気配も感じなかった動物の気配を感じ取り、パーティーに知らせてくれた。
やがて私の耳にも蝙蝠が羽ばたく音が聞こえてきた。その蝙蝠は小さく、懸命に翼を羽ばたかせて飛翔しこちらに向かってくる。
「ちっ、驚かすなよ蝙蝠一匹ごときで。ったく、身構えて損したぜ」
「すまない。だがこの洞窟、まったくといっていいほど生物の気配がない。それ故、どうにも過敏に反応してしまったようだ」
「まあ、仕方ないよねぇ。君の反応が過敏なのは、僕はよく知っているし」
「…なっ、ば、お、おまっ―――っ、貴様っ!! よくもそのような破廉恥なことをっ!」
『黒毛のオス20年物』と殊勝に話していた『赤毛のメス18年物』が、ちょっかいをかけてきたパーティーの最後尾にいる『金毛のオス19年物』に対し、その顔を真っ赤に染め怒りに牙を剥いた。
この『赤毛のメス18年物』は基本的には仏頂面で堅物なのだが、免疫のない色恋関係でからかわれるとあからさまに赤面する。その初心なところに、やり手で尚且つ女がほっとくはずもない美形の『金毛のオス19年物』が面白がりちょっかいをかけ場を和ますというのはこのパーティーが始まる前からの、『いつものこと』であった。
しかもちょっかいの内容は最近になってますます過激さを増し、『赤毛のメス18年物』も本人は怒っているつもりなのだろうが傍から見ているといちゃついているようにしか見えなく、昔は微笑ましく見ていた自分もその光景に段々苛立ちと焦りの気持ちが占めるようになってきていて、本当に焦る。
いや、私にはご主人様がいるからまったく焦る必要はないのだが、それでも焦らなくてはいけない気がしてきてくる。
―――先ほどの蝙蝠は気紛れなのか、私たちの頭上で羽を休め、動く私たちの様子をじっと見つめている。
くいくいっ―――
不意に袖を引かれ、私は後ろにいた『茶毛のメス17年物』に視線を移す。
「みんな、どうしたの? 喧嘩してるの?」
「いえ、何でもないわよ。いつもみたいに痴話喧嘩が起こっただけで本当に喧嘩しているわけじゃないから」
「そう…それなら、良かった」
安心させるように言うと『茶毛の17年物』は、ほっと胸をなでおろした。彼女は私の妹で、ヒト族では珍しい神術の使い手だった。彼女が執行する神術の癒しの力には、パーティーの危機を幾度も救ってもらった。
ただ、ヒトの身で神術を執行できる者はその身体か精神に障害を負っているものが多い。彼女も例外ではなく、異常なまでの視力の弱さという障害を抱えている。
冒険者稼業を営む上で視力の弱さはリスクが多く、本来なら連れ歩くべきではなく最初は街に置いていくつもりだったのだけど……広い世界をその身で感じたい、自分に救える命があるかもしれない、それに窮地に立たされる姉たちを自分なら救えるかもしれないと頑なに意志を曲げず、もし連れて行ってもらえないなら一人で後から付いていくと言われ、仕方なくパーティーに入れたのだった。
確かに、妹がいることによってパーティーの移動速度は彼女に合わせて若干遅くなる。ただ、そのデメリットを無視できるほど冒険者にとって彼女の神術は有能であり、結果パーティーの生命線として必要不可欠な存在となっていたのであった。このパーティーが今まで一人として欠けることなくやってこれたのは、まず間違いなく彼女のおかげなのだから。
「しっ! 待て―――」
そして再び、『赤毛のメス18年物』が先ほどより緊迫した制止の声を上げ、素早く跪き耳を地面に押し当てた。その様子に『黒毛のオス20年物』と『金毛のオス19年物』がそれぞれの得物に手をかける。『茶毛のメス17年物』が袖を握る手にも、ぎゅっと力が入る。
「近い―――足音から推定。二足歩行で―――数は3。あとこれは爪の音か―――四足歩行の獣だと思う、それが1。位置は正面に400から500歩くらい」
「気づかれていると思うか?」
「相手はこの洞窟に住んでいると推測できる、よってこちらの明かりには気づいているだろうし足音もまっすぐ向かってきている―――だが相手に同業の真似事が出来るものがいなければ、人数までは把握されていないと思う」
「よし、分かった。いつも通りお前は隠密、影に隠れ相手の隙をついて背面か側面から攻撃を仕掛けてくれ。そしてもし、接敵して間もなく俺たちが壊滅、あるいは救助困難な状態に陥ったら構わず逃げろ。今回の任務では全滅だけはしてはならん。誰かが生き残ってでも情報を持ち帰ることが今回の任務だ」
「…承知した」
このパーティーのリーダーである『黒毛のオス20年物』から指示を受けると『赤毛のメス18年物』は素早く、足音を立てずに走り出し洞窟の闇の中へ消えていった。
「よし、敵は正面からだ。いつも通りの陣形を取る。俺たちが前を抑え込む。お前たちは後ろから魔術と支援を頼む」
「へいへーい」
「分かったわ」
「皆さん、気を付けてくださいね…」
そうして私は『茶毛のメス17年物』と一緒に後ろへ下がり、『金毛のオス19年物』に前を譲る。彼は一振りの大きな両手剣を鞘から抜き、刃を立てて八相に構える。
『黒毛のオス20年物』も戦斧を取り出し、半身を隠すほどの盾を前面に構える。私たち姉妹は彼らの後ろでそれぞれスタッフと錫杖を構え、共に祈る―――この局面も、誰も欠けることなく乗り越えられるように、強く祈る。
「「来たっ!」」
前衛を務める二人から、接敵の声が上がる。私たちは二人の背中の合間に出来た隙間から奥を覗く―――すると、地面に置いた松明の明かりによりヒトらしき姿が3つ浮かび上がった。
その姿は―――私たちの予想よりもはるかに低く、恐怖や緊張よりもまず戸惑いが走った。
「……こ、子供?」
「っ、俺たちは子供ではない! すでに成人を迎え、今日を持って大人たちの仲間入りを果たすのだ!」
思わず口走ってしまった言葉が聞こえてしまったのか、真ん中を歩いていた男の子が騒ぎ出す。子供扱いされて怒りだすその様子を見ても、ますます子供だという印象しか浮かんでこない。ましてや成人しているなんて嘘をついて背伸びしているようにしか見えない、だってヒトの成人である15歳にはとても見えないのだから―――
「なんだ、二足歩行って言ってたのは子供か? なら獣の方が獲物…? その獣はどこに……?」
「子供、ねぇ…。どうしよっかリーダー。洞窟の中で魔物と戦うのに子供を連れ歩くわけにもいかないよねぇ。かといってここから街までは遠いから、子供たちだけで帰すわけにもいかないし」
「うむ……そうだなぁ」
前衛二人はすっかり気がそがれてしまい、構えも半分解き子供たちの扱いについて相談をし始める。私もスタッフを一度下ろし、とりあえず子供たちを呼び寄せるために近づこうとした瞬間、後ろからぎゅっと裾を引っ張られた。
「……どうしたの?」
「お姉ちゃん、あの子たち―――人間種じゃないっ…!」
「え…?」
「「なっ!?」
『茶毛のメス17年物』の言葉を聞いて、驚き子供たちを見る―――妹は偽装や混乱などの魔術を破り、人間種かそうでないかの鑑定ができる加護を持っている。その彼女が人間種ではないと言うのであれば、ここにいる3人は間違いなく―――
「ふん、興が冷めて仕方なかったがそちらにも話の分かるやつがいる。さあ、行くぞ! 俺の名はソーライ、魔術に覇を唱える者! 貴様らを我が覇道の礎にしてくれる!」
まだ声変わりもしていない少年が張り上げた名乗りを皮切りに、戦闘は始まった。
「はああああああっ!!」
「……っ!」
まず駆け始めたのは黒髪の戦士、その後ろを影のように走る金髪の剣士。
このパーティーにおいては壁役を担っている黒髪の戦士は大声を張り上げ敵の注意を一心に受ける―――下級スキル『咆哮』である。そして盾で急所を守りながら戦斧を振るう―――これにより相手の初撃を防ぎつつ足止めをする。
盾を構えながら振るった戦斧には大した威力は籠っていない。せいぜいが肉を押し切るくらいであり、骨を切断することなど出来ない。相手がヒトの子供であれば話は別だが―――目の前にいるのがただのヒトでないことは既に知れている。
彼が振るった戦斧は、名乗りを上げ魔術行使の準備に入った少年の肩口に突き刺さり―――
―――ガィンッ!
「くっ…」
それよりも前、少年の背後から飛び出してきた黒い毛玉のようなものが戦斧に体当たりを仕掛け、黒髪の戦士は得物を取り落とさないように必死に握りに力を入れる。一方でぶつかってきた何者かに対して盾を打ち付け、距離を剥がす。
「ハァッ!」
そしてその彼の後ろ、金髪の剣士が上段に剣を構え少年へと追撃の一閃を放った。このパーティーにおいての真打、恵まれた体格と下級スキル『強化』により増強された肉体から放たれる両手剣の重い一撃はパーティー内随一の攻撃力があり、奇襲であろうと遭遇戦であろうと黒髪の戦士による足止めから彼の一撃へと繋げるのが常の連携であった。しかし―――
―――ガィンッ!
「っ…、嘘だろっ?!」
黒髪の戦士のシールドバッシュにより押し出したはずの黒い毛玉がすかさず身を翻し、防御が絶対に間に合わないと思われた金髪の剣士の一撃をあっけなく打ち返したのだった。渾身の一撃を返され、たたらを踏む金髪の剣士に合わせ、一度黒髪の剣士も距離を取る。
そして、子供3人の前に立ちはだかったその黒い毛玉のようなもの―――漆黒の毛に覆われた狼へ視線を移した。
「おい、あの狼、今…」
「…あぁ、『毛』だった、間違いないねぇ…」
「そうか……」
そして2人は今起こった攻防において、彼らの放った一撃が2つとも狼の毛の部分によって押し返されたことに気が付いていた。しかも戦斧や剣の横面から叩かれたわけではない、全て刃の部分が確かに当たり、それでも押し返された。
刃が当たった瞬間の手応え、金属同士がぶつかったような音、それらの要素があの狼には金属並みの硬さと打たれ強さがあることを示していた。
((化け物…っ!))
2人は一度、強さが不明な子供達を意識の外に追いやり、目の前の黒狼に闘志を集中させ始めた。
「かっ、はぁっ、ひぃっ、ひぃっ! お、おいっ、もっと早く助けないか!」
一方、ソーライは自分の目の前で起こった攻防に慄き、身に危険が及びそうになったら助けを入れるはずであったリカに文句を言っていた。
「えー、ダメだったー? 間に合ったのにー」
「ギリギリすぎるだろうっ! 俺は魔術はともかく、肉体の方はその、あー、くっ…! と、ともかく次はもっと早く助けろ!」
「うーん……?」
「『うーん…?』ではない! いいか、危険は未然に防げ、いいな?!」
「うーん……? 分かったー?」
「なぜ語尾を上げる! なぜこんな単純な話を分かってくれない!」
「…ちょっといいかしら?」
「なんだっ!?」
一向に埒のあかない二人の会話に、久しく黙っていたアリスは割って入った。
「文句ばかり言っているのもいいけど、手が止まっているわ。彼女には私から細かい指示をしておくから、あなたは魔術をお願い。向こうも魔術を使ってくるつもりみたいだから」
「何ッ!? わ、分かった。よし魔術でなら負けぬ! さあヒト共よ、俺の魔術に恐れおののくが良いわ!」
わっはっはと高笑いを上げ、ようやく魔術行使の準備を始めた。それを見て、ため息を吐きながらリカに小声で話しかける。
「大変ね、あなたも。戦闘中に変なのに絡まれて」
「ううんー、全然気にしてないよー。喧嘩はクロちゃんに任せてるから、大丈夫ー」
そう言ってリカは黒狼から―――ヒト族の戦士や剣士からも完全に目をそらし、アリスに向き直る。闘いの場において、それは明らかに危険な行為なのだが―――彼女は言葉通り、『黒狼』に全て任せきっているのだろう。
「でもー、ソーライくんになんで怒られたのかなー? ちゃんとクロちゃん、ソーライ君を守ったのにー?」
「……彼はもっと早く助けて欲しかったのよ、そうさっきも言っていたわよね?」
「うーん……? 早く助けないと、え~と、助けても怒られるのー……?」
「―――どういうこと?」
「……ごめんなさい」
アリスに詰問か説教されているかとでも思ったのか、リカはしゅんと項垂れ謝った。それを見て、アリスは苦笑いを浮かべ彼女の肩を優しく叩いた。失礼な言動を繰り返すソーライにするような素っ気ない態度ではなく、慈しみを持った声音でリカの項垂れた顔を見上げる。(繰り返すが身長はリカの方がだいぶ高いのだ)
「ああ―――謝らないで。私は怒ってもいないしあなたを責めるつもりもないの。それと、ごめんなさい。私の顔が怒っているように見えたのなら謝るわ。目つきの悪さは生まれつきなの」
「……ほんとー? お姫様、怒ってないー……?」
「本当よ、名に誓って怒っていない。だから、安心して? 私たちは同族、仲間なのだから」
「……うんー!」
そうしてリカは晴れやかな笑顔を浮かべた。その笑顔に、アリスは一瞬ここが戦場であることを忘れかけるのであった。
そしてリカから、彼女なりの考えをアリスは聞き出した。どうやら彼女は、なぜソーライが『早く』助けて欲しいのか、その理由を正しく把握できていなかったようだ。彼は強く、彼は偉く、彼は恐れない。そんなイメージを持っていたが為に、彼が目前に迫った斧と剣先に恐怖していたことに気づいていなかったのである。
―――確かに彼は、『怖かった』とか『危なかった』とかそういう彼の矜持に触れる言葉を言わなかったので、男心の機微に疎いリカが察せなかったのも分かる話だった。
だからこそ、『早く助けろ』と言われてもこれ以上早く助けることに何の意味があるのだろうと疑問に思い、リカは要領を得ない答えしか出来なかったのである。彼女には彼女なりの考えがあったのだった。
「なんだー、怖いんだったら怖いって、言ってくれればいいのにー!」
ようやく得心が行ったとばかりに手を打つリカは、ソーライが怒った態度に納得が及んで笑った―――その声を聞いて魔術戦を繰り広げていたソーライは一瞬、彼女のことをちらりと忌々しそうな目で睨みつけるが、そんなことに気づきもしないリカであった。