39.見敵必殺―目に映る敵は必ず殺す―(上)
「―――それでは、模擬戦闘を行ないます。準備は宜しいでしょうか?」
「は、はい……宜しくお願いします」
そして最後、ルイナは戦士になる為の必須項目である模擬戦闘の試験場へ立った。
彼女の声は固い。今回の適性試験において全力を出そうと意気込んでいたのに、何故か試験監督がそれを許さず、全ての試験が中止されてしまったからである。
適性試験において中止を言い渡されるのは不正を疑われたり、その項目において測定するまでもないと判断されるかのどちらかであると養成学校の講習で聞かされており、ルイナの心持ちは沈みつつあった―――真実を知らないというのは、残酷なことである。
しかし、最悪この模擬戦闘で良い結果を残せれば、他の推奨項目による加点がなくても冒険者になれるのである。彼女は今一度気合を入れなおし、手に持った杖をぎゅっと握りしめる。
「それでは、これから模擬戦闘の相手をして頂く方に登場願います。では、お願いします!」
「おうっ―――あぁ? なんだ、嬢ちゃん。性懲りもなくまたやって来やがったのか?」
そうして試験監督の彼に呼ばれ、奥の小部屋より出てきたのは、前回の試験においてもルイナと対峙した男―――アーセンであった。
彼は試験場に立つ者が半年前、全く力も才能も感じさせない、無様な戦いぶりを見せた少女であることに気づき、苛立たし気に眉を寄せるのであった。
「はい、宜しくおねが―――」
「やめだやめだ。俺は帰るぞ」
そして彼は頭を下げるルイナに対し、適当に後ろ手を振って奥の部屋へ戻ろうとする―――彼は戦士を、戦いを莫迦にする者を許さない。力のない身で戦いの場に身を置こうという痴れ者を、彼は許さない。
故に彼は、彼女と同じ土俵に立たない。おままごとの相手なら他の者をあたってくれと、去っていくのであった。
「―――アーセンさん」
彼の背中に、声がかかる。しかしその声にも振り返らず、彼は部屋へと続くノブに手をかけた。
「健闘を祈ります」
ピクッ―――
しかし、その言葉に、アーセンの足は止まる。
「―――おい、冗談だろ?」
「いえ、違いありません」
「………」
「………」
「……?」
アーセンが試験監督の言葉に振り返り、彼との間で視線が絡まる。唐突に始まった、場を支配する沈黙にルイナは小首を傾げる。
「……ちっ。分ぁーったよ。どれ、いっちょ揉んでやるよ、嬢ちゃん」
「あっ、は、はい! 宜しくお願いします!」
やがてアーセンは試験場の場に戻り、太々しく表情を歪ませながらも木剣を正眼に構える。ルイナも、それに倣い杖を斜に構える。
「それでは、始めてください」
試験監督の合図でもって、試験は開始される。
2人は―――、動かない。
―――ちっ、こいつ。何も変わってねぇじゃねぇか。アーセンは、杖を構えたまま一向に攻め気を見せない少女の姿に、落胆と苛立ちの舌打ちを心中に鳴らす。そして憎々し気な視線でもって試験監督の彼を睨む。
『健闘を祈る』―――その言葉を試験監督が模擬戦闘前に発する意味はただ1つ、『尋常ではない強さを持っているから気をつけろ』という注意喚起の暗喩だ。
つまり、模擬戦闘の対戦相手―――冒険者として腕を鳴らし、ギルドに所属をうつしても鍛錬を続け、ギルド本部きっての武闘派として名を馳せるアーセンに対して、負けないように気をつけろと彼は隠語交じりに言ってきたのだ。
だからこそ、彼の負けん気に火が付いた。そこまで虚仮にされ、あるいは期待され、退く選択を彼は捨てた。目の前の少女―――半年前、無様な姿を見せた者が、鍛錬を積んでどのように成長したのか確かめてやろうとこの場に立った。
それなのに、これでは前回の焼き直しだ。だからこそ、アーセンは彼を睨む。話が違うと、これはどういうことだと問い詰めるように。
だが、試験監督の彼はその視線を真っ直ぐに受け止める。受け止め、頷く。いいから戦ってみろと、そうすれば分かると、その視線は語った。
それを受けアーセンは、疑うことを諦めた。果たして彼が少女に騙されているのか、それとも己が少女に化かされているのか。最早戦ってしか確かめることは出来ない。
アーセンは木剣を握る指に力を籠める。どこから打たれようが、またその得物を弾き飛ばしてやる―――さあ、どこからでもかかって、来いっ!
「……あの」
しかし、そんな彼の意気込みとは裏腹に、少女は声をかける。その声は、若干の戸惑いの色を帯びていた。
「それじゃなくて、その―――真剣で戦ってくれませんか?」
「……あ?」
そして少女は指差す。アーセンの握る木剣ではなく、彼の腰に差さる大剣を―――彼は思わず、苛立ちに喉を鳴らしてしまう。少女の意図は掴めないが、虚仮にされていることだけは分かった。
「……どういうつもりか分からねぇがな、嬢ちゃん。俺は嬢ちゃんみてぇなひよっこ相手に剣は抜かねぇ。大口叩くのもいいが、口の前にまず身体を動かしな」
「―――そうですか」
苛立ちのあまり、言葉尻がきつくなってしまうが、仕方がない。アーセンがそうきっぱりと断ると、少女は落胆したように見えた―――その彼女の輪郭が、突然ぶれて掻き消える。
「……っ!?」
「これでも、ですか?」
「なっ―――」
アーセンは、前に飛び退く。その声は、後ろから聞こえてきた。
彼が飛び退って振り返り見ると、そこに少女は立っていた。杖の構えを解き、あくまで自然体の体でアーセンを見上げる。音もなく影もなく、少女は彼の背後を取ったのであった。
―――なんだっ、何が起きてやがるっ?!
アーセンは焦り、しかし足捌きを整えて少女と距離を取る。
少女が消えたように見えた、その寸前まで確かに彼はその姿を視認していた。そこに動き出す予備動作はなく、また自分が注意を怠っていた自覚もない。移動強化の『風足』や、認識阻害の『縮地』などのスキルによって間を詰めたわけではないことは、感覚的に悟っている。
それでは、いったい、何が起こったというのか。アーセンはここに来て初めて、少女に対しての違和感を自覚した。
「抜かないんですか、剣? 私は、ひよっこではありませんよ?」
「………」
少女の淡々とした問いかけに、しかしアーセンは応じない。まともな武器も持っていない、肉付きも良くない、そんな少女相手に刃を向けることを、彼は良しとしなかった。
いかに彼の感覚が、目の前の少女は『何かおかしい』と警鐘を鳴らしていたとしても、剣は抜かない。
故に、彼は無言で木剣を構える。その構えは、その意志は、少女がいかに見つめようとも揺るがない。
―――それを見て、少女はやがてアーセンより目線を逸らした。
「……仕方が、ないですね。本当はやりたくなかったんですけど……」
そして少女は躊躇いの表情を見せながらも服の胸元に手を差し入れ、『それ』を取り出す。
「指輪……? 魔道具か?」
それは、指輪であった。それをアーセンは訝しみ半分、警戒半分の心持ちで見た。
彼女の意図が先から一向に見えない。しかし、指輪に始まり装飾品に見えるそれらがその実、魔道具であることもある。
―――模擬戦闘の試験において、強力すぎる武器や防具の使用は推奨されていない。それはその者自身の強さではなく、道具の強さでしかないからだ。適性試験はあくまでその者に備わる能才を測ることを目的としており、壊れたり奪われたりしたら失われる付帯の力を評価はしない。
もちろん、強力な装備を使ってもその者の技量が認められれば評価は得られるが―――こと魔道具に関して言及すると、それらを使用するのに特別な技量が必要となることは、まずない。故に、例え模擬戦闘に勝つことが出来たとしても、その結果が魔道具による要因が大きいと判断されれば不合格も有り得る。
しかし、少女はそれを否定する。
「いえ、魔道具ではありません。何の効果も持たない、ただの指輪です」
「―――後で確認させて頂きますが、宜しいですか?」
「あっ、はい。大丈夫です」
横合いから試験監督の彼より確認の声が入り、少女はそれに応える。その様子から見て、それが魔導具である可能性は低いと思える。
―――しかし、そうであれば彼女がその指輪を取り出した意図が見えない。ますますアーセンの眉は訝し気に傾くのであった。
「―――私の中には、もう1人の私がいます」
そして少女は語り始める。その表情からは感情が抜け落ち、その瞳はまるで氷のように、空虚であった。
「この指輪を嵌めることによって、その人格は目覚めます―――」
「お、おい……嬢ちゃん、いきなり何を―――」
「―――彼女はとても強い。覚悟、して下さい」
途中、アーセンより戸惑いの声が上がるも少女は無視し、無感情に口上を垂れ、そして指輪をその細い指に嵌める。
「「………」」
アーセンと試験監督は、少女の様子を探る。その動向を見守る。
一体、指輪を嵌めるだけで何が起きるのか、何が起きると少女は語りたかったのか。その意図を探り出そうと、固唾をのんで少女を見る。
「ふふ……」
そして、『それ』は目覚める。
「んふふふふ―――」
『それ』は嗤う。双眸を妖艶に細め、目の前に佇むアーセンを見つめる。
「お、おまえ……いったい……」
アーセンは問いたかった。お前は一体何がしたいんだ、と。
しかし、とある感情が自然と発露し、その問いを許さない。その感情とは―――恐怖であった。
熱で逆上せたように紅く上気した頬、飢えと渇きを連想させる不気味な舌なめずり、そして己を見つめてくる、背徳の色を感じさせる湿り気を帯びた瞳―――それらの挙動を彼は見たことがあった。
彼が冒険者時代、魔物や獣を多く倒し名を上げていた時分。戦いに明け暮れ、常に死と隣り合わせの日々ではあったが、恐怖や怯えよりも自分の強さを多く感じていた頃、彼はその表情と出会った。
それは、彼が当時拠点としていた町を恐怖の底に陥れた魔の者、快楽目的で大量の殺人を犯した悪の者―――人間種でありながら鬼と呼ばれた、殺人鬼であった。
アーセンは悟る。目の前の『それ』はヒトを殺すことに愉悦を覚える、ヒトの死を喰らう者であると―――そう、直感的に見抜いたのであった。
故に、彼は問い直す。
「てめぇ、一体―――今まで何人殺した?」
その問いに対して、『それ』は答える。
「んふふ、分からないわ。10より先は数えていないの」
「っ―――!」
そしてアーセンは己の直感が間違っていなかったことを―――その答えを、喜々とした表情で語る目の前の『それ』が、違いなく『殺人鬼』であることを、確信するのであった。




