37.蟷螂之斧―蟷螂の斧は天を下す―
2.怪力測定(戦士推奨項目)
「―――では次に、怪力測定です」
「は、はい!」
まだ走れるのに体力測定を途中で切り上げられてしまったルイナは、『光陰如箭』は使ってはダメだったか、もしかすると不正扱いで点数が貰えなかったのではないかと不安を覚えながらも、次の測定、怪力測定に挑む。
試験監督である彼は、半年前よりは肉付きのよくなったルイナを見て、しかし念のために確認するのであった。
「―――腕立ては出来るようになりましたか?」
「はい! この通りです!」
そしてルイナはうつ伏せになり、腕の力だけで身体を起こした。
この半年間、鍛錬の講習でひたすらに肉体改造を行ってきたのである。彼女の身体は、日常生活における力仕事にも耐えうる肉付きとなっていた―――しかし、相変わらず戦士として振る舞えるような体つきでないことは確かである。
「―――分かりました。では、こちらの重りを持ち上げてみてください」
そうして彼が指したのは腕の太さほどはある鉄の塊であった。
ここからが怪力測定の本番である。徐々に大きい重りを持たせたり、運ばせたり、どこまで力が敵うかを測定する―――彼女が前回この項目において0点を取ってしまったのは、その前段で躓いてしまったからに他ならなかった。
「はい、分かりました! ちなみに、この試験でもスキルを使っても大丈夫ですか?」
「えっ―――っ、ご自由にお使いください」
ルイナの言葉に、試験監督は『光陰如箭』を思い出してしまった。また、とんでもないスキルが発動されるのではないかと、勘繰ってしまった。
―――ヒト族においても、スキルとは魔素許容量を資源として消費し、習得するものである。強力なスキルになればなるほど、必要となる魔素許容量は多くなる。
少女の年頃であれば、1つでも下級スキルが習得できていれば素質十分と認められるであろう。それが、目の前の彼女は上級スキルを1つ持っているのである。どれだけ魔素の変換効率がスキル習得の方へ傾いていたとしても、あり得ないと断じて然るべきである。
しかし、彼は実際に目の前でそれを見せつけられてしまった為、半信半疑程度に信じるほかない。そしてそれがもう1つ、スキルを見せつける宣言をしてこれば、喉を鳴らし、迫る怪力乱神の事態に覚悟を決めるしかなかった。
「分かりました。では、持ち上げます」
そしてルイナはその重りを手に握る。上から掴み、そして腕と背に力を入れ、持ち上げる。
「っ?! ふんぬぅぅぅぅぅ!!!」
―――重りは持ち上がる。微かに、僅かに床を離れ、浮く。
そしてそれを持ち上げている彼女は腕をぷるぷると震わせながら、必死な形相を浮かべる。
「……結構です。下ろしてください」
「はいぃっ!!」
ゴトッ―――
そうして重りは床に着く。それを見て、彼は心中で安堵の息を漏らす―――なんだ、スキルを使ってもこの程度か、と。
この重りは試験で使う重りの中では最も軽い。彼であれば、それこそ指2本で持ち上げられるほどに軽い。そんな重りに対しあれほど必死になるのであれば、使ったスキルも大したことがない。いや、むしろ本当にスキルを使ったかも怪しいくらいである。
スキルを使えるとはったりを口にし、自分を大きく見せようとしている作戦だな、と彼は悟った。これは怪力測定において、彼女の加点の望みは薄いなと彼は確信した。
しかし、そんな彼の心中も知らず、ルイナは重りを持ち上げられたことに喜びの表情を浮かべていた。
これくらいの重りであれば、自分の力だけで持ち上げられるようになったのだと、この半年間の筋トレの効果を発揮できたと、彼女は喜び、その場で小さく拳を握り締めるのであった。
「えっと、次はどうしたらいいですか?
「え? あ、はい。えー、次はそこにある重りを壁際まで動かしてみてください」
「えっ……これ、ですか? わ、分かりました」
そして彼女が次に指差されたのは彼女の背丈ほどある、真四角の鉄塊であった。先ほど持ち上げた重りとは打って変わり、いきなり大物を指定されたルイナは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、まあ、試験の内容が順番に難しくなっていくとは限らないと思い、試験監督に指示された通り彼女はそれを壁の方まで運ぼうと、その鉄塊に手をかけるのであった。
「よいしょっ、と―――」
―――ゴドッ!
「…!!?!?!!?!」
「えーと、これをあっちまで運べばいいんですよね?」
そう言ってルイナは鉄塊を持ち上げながら試験監督に確認する。その表情はあまりに涼し気であり、先ほど、あの小さな重りに必死な形相を浮かべていた者と同一人物とは思えない。試験監督はその姿―――押して運ぶ用の鉄塊を軽々と持ち上げている少女という奇怪な光景に、唖然として彼女の問いに答えられずにいた。
「……いや、いやいやいや! ちょ、ちょっと待って下さい! 中断、中断です! 一度その重りを下ろしてください!」
「えっ―――あ、はい」
再度、試験中断の声がかかり、ルイナは不安げな面持ちで持ち上げていた重りを下ろすのであった。
―――ガァァアンッ!!!
その重りが床に着いた時、けたたましい音が鳴る。部屋に置かれた器具は揺れ、部屋の外を歩いていた他のギルド職員が何事かと慌てふためく。
そしてその音は建物中に響き渡り、別の部屋で試験をしていたミチは、『あの子、何かやらかしたわね…』と不敵に笑みを浮かべるのであった。
しかし、そんなことは露知らず、試験監督はルイナへ堰を切って問いただすのであった。
「こ、今回は…っ! 今回は何のスキルを使ったんですかっ?!」
「え、え~と……『蟷螂之斧』です」
「と、『蟷螂之斧』……」
ルイナの答えに、試験監督の彼は最早魂すら口から零れていきそうなほど、衝撃を受けたのであった。
―――『蟷螂之斧』、それは肉体強化系スキルの1つであり、強大な敵や困難に立ち向かった時に力を増幅させる『窮鼠』に連なる、上級スキルである。
『窮鼠』を習得する冒険者は、少ない。そのスキルが発動すれば常の倍の力、倍の速さで動くことも可能になるが、如何せん発動の条件と効果が微妙なのである。
彼我の戦力差が僅かであればそもそも発動しないし、逆に差が激しいとスキルが発動したところで歯が立たない。
それに常日頃から身に定着している力でない分、戦闘の最中唐突にスキルが発動されても力を持て余してしまうのである。身に余る力を御しきれず、結局常の力すら発揮できずに倒れる冒険者が数多くいた。
それ故に、『窮鼠』は習得してはいけないスキルの1つとして冒険者の中では有名であった。
その上級スキルともなると、名前だけは聞いたことがあってもどんな効果であったか試験監督の彼は思い出せずにいた。あまりにマイナーなスキルである。
しかし、それでも上級スキルとしての効果は絶大であった。それを彼は身をもって体験したのである。
腕ほどの大きさの鉄塊に悪戦苦闘していた少女が、持ち上げることをそもそも想定されていなかった巨大な重りを軽々と持ち上げたのだ―――彼は最早、少女の言を疑うことを諦めた。それどころか、期待し始めていた。
これからこの少女はどんなことをしでかすのだろうか、どのような冒険を繰り広げるのだろうか、その英雄譚の序章に自分は立ち会っているのではないか。彼は年甲斐もなく、わくわくした心持で羊皮紙に記すのであった。
『怪力測定―――100点』




