34.語り忘れられそうだった学校生活
―――武器略奪の事件が起こり、その後日。
ルイナは穏やかな日々を送りつつ、またミチという心を支えてくれる存在が近くにいることにより、充実した学校生活を過ごしていた。
「さあ、走れ走れ!!」
鍛錬の講習、ただひたすらに身体をしごかれ続け、体力の限界を超えても気合で身体を動かし続けることを要求される、生徒達にとっての地獄の時間である。
気合の足りない者は講師より尻へ愛の鞭を頂戴する。その洗礼を浴びなかった者は、ミチも含めて生徒の中には誰一人としていない。
そして、体力や気合以前の問題しか抱えていなかった問題児―――走ることもままならず、腕や腹の力だけで上体を起こすことすら出来なかった非力のルイナは、今―――
「あは、あはは、楽しい! あはは!」
―――訓練場の外周を、笑いながら駆け回っていた。
走ることが、楽しい! 土を蹴り、風を切り、身体の内側に熱が籠っていく。吐き出す息の熱っぽさと吸い込む息の冷たさが心地よい。上がる息と積もっていく疲労感が、気持ちいい!
彼女は長らく持て余していたその成長した身体に、ようやく慣れたのである。身体の重心、重さ、関節の位置、動かす筋肉の場所、それらを脳が把握し、身体を動かすという無意識下の命令を、やっとマトモに身体が受け付けるようになったのである。
彼女は走る、全力で。その勢いは他の者に負けるが彼らはやがてへばる。それらを面白いように追い抜き、追い越し、彼女はひたすらに全力で走る。走る。走り続ける。
「………誰だ、あいつ……?」
―――バチィンッ!!
「ひぎゃぁぁっ!!!」
そして速さが落ち、ルイナに抜かれた男子生徒は尻を叩かれ悲鳴を上げる。その愛鞭を振るった講師は、激走するルイナを呆然と見る。
誰だと言われても、その特徴的な外見の生徒がルイナであることは彼だって理解している。理解しているが―――それでも、目の前の光景は理解しがたい。つい数週間前までろくに走れもせず、筋トレもままならなかった生徒のどこに、これほどの体力が備わっていたのだろうか。
「あはは、あはは!」
そして、昂揚状態となったルイナは講習の時間が終わるまで、速さを落とすことなく走り続ける。
その時間で彼女が消耗した体力は、全体量からすると微々たるものでしかないことを、彼女を含めて誰も知らない。
「魔物はそれぞれ種族によって最弱のF、そして論外のSまでの7段階にランク分けられています―――これは皆さんご存知だと思いますが……」
魔物学の講習の時間、講師たる彼女は淡々と語る。
その語る内容は冒険者を目指す生徒達にとって、関心度の高いものが多い。
冒険者になって初めて戦うことになるであろうEやFランクの魔物の特性や弱点は知って損をするものではない。
そしてBからDランクの魔物は、彼らにとって行く行くは相対したい目標とすべき存在だ。それらと戦うことを夢想し、彼らは勉強に励む。
そしてSやAランクといった魔物は最早雲の上の存在、御伽噺の様である。それを先達の冒険者たちがいかに挑み、いかに倒したか、その冒険譚は彼らの心に熱を生む。
故に魔物学の講習は他の座学とは違い、生徒達の熟睡率が低い―――ちなみに、最も生徒が寝ている講習は薬草学であった。
「今日は魔族のお話をします」
―――魔族。その種族に分類されるものは悪鬼や人魚、メデューサやハーピィーなどすべて人間種に似た姿を持つ。
それは魔族が古において、人間種の中から突然変異し発生した鬼を起源としているからだと言われている。魔素の濃度が高い森や山奥で、動物が魔の力を多くため込み魔物と成るのと同様に、魔の道に傾倒し過ぎた者が姿を変えて鬼となり、それが繁殖したものが今生の魔族である、というのが通説である。
「彼らは知能が高く、言葉も操ります。中には人間種との争いを求めない―――人魚やケンタウロスのような温厚な種族もいます。
彼らは人間種と同様、町や村を作って生活しています。そこには文化が根付き、人間種とは距離を取って生きています。
私も過去の冒険で、ケンタウロスが拓いた村に足を踏み入れたことがあります。彼らは人間種にとって、隣人とも呼ぶべき存在です。適度な距離を保ち、節度をもって対応すれば、彼らはあなた方を受け入れてくれるでしょう。
―――しかし、そんな種族は稀です。多くの魔族は人間種を敵対視し、近づく者を容赦なく殺すでしょう。
あなた方が冒険に出た時、魔族討伐の依頼が舞い込むことがあるかもしれませんが、断って下さい。彼らの肉体や装飾、ため込んだ財を思えば一攫千金も夢ではありません、ですが魔族に手を出し五体満足で生きて帰ってきた人を私は知りません。それどころか、魔族の逆鱗に触れたが為、近隣の町村へ被害が拡大する可能性もあります。
あなた方の命を思って止めているのではなく、人間種の平穏の為に言っているということを、理解して下さい。
―――彼らにも営む生活があり、あなた方にはそれを脅かす侵略者となって欲しくないのです。ですから、彼らとは不干渉の距離を保って下さい。そうすれば、彼らも無暗に私達人間種に手を出してくることもないでしょう」
講師のその言葉に、生徒達は神妙な顔をして頷くのであった。
「―――しかし、その限りではない魔族がただ1つだけ存在しています。それは―――そうですね、では、ルイナさん」
「は、はい!」
突然講師に名指しされ、ルイナは席を立つ。教室の窓から照らす陽光を、眩く反射するその銀髪が揺れ、周りの生徒は男女問わずにうっとりと目を細める。
「人間種―――いえ、ヒトに対してのみ、積極的に襲いかかってくる魔族に心当たりはありますか?」
「えっ? え~と……あっ、吸血鬼、ですか?」
「その通りです」
全く魔物や魔族の知識がないルイナであったが、講師が何故突然自分を当てたのか勘案した結果、その講師の目線が自分の銀髪に注がれているのに気づき、正解に至ったのであった。
「吸血鬼―――彼らの外見的特徴の1つは、銀の髪を有していることです。ちょうどルイナさん、あなたのような……本当に、立派な銀色ですね」
「はぁ……ありがとうございます」
解説を進める講師がルイナに近づいていき、その銀の髪を間近に見ると、思わず彼女はルイナの髪に見とれてしまうのであった。それに対してルイナは曖昧な表情を浮かべて礼を言う。
「……こほんっ、えぇ、さて。では吸血鬼は何故ヒトを襲うのか。ルイナさんはご存知ですか?」
「はい、ヒトの血が美味しいからです」
「「「「「ぶふぅぅぅっ!!」」」」」
ルイナの回答に、教室のいたるところから噴き出す音が聞こえてくる。見ると、生徒達は皆、肩を震わせていたり大口を開けて笑っていたり、何か面白いことでもあったかのような様であった。
その様子に訝しみの表情を浮かべ首を傾げるルイナであったが、笑いを必死に堪えた講師が、彼女の間違いを指摘する。
「ふぅっ、ふぅ~……こほんっ。いいですか、ルイナさん。あなたがどんな可愛らしい吸血鬼のおとぎ話を聞いたか分かりませんが、それは間違いです。
彼らはヒトの血を美味しいから飲んでいるわけではありません。その魔素と魂を取り込むために血を飲んでいるのです」
「はぁ……そうだったんですね」
「そうなんです―――ルイナさんは、あれですか? 吸血鬼はヒトの血の味を美味しいから飲んでいて、このヒトの味は不味いとか美味しいとか品評しているとでもいうのですか?」
「はぁ、まぁ…そうです。グラスに血を入れてそれを飲み比べて―――」
「「「「「「ぶふぅぅぅっ!!」」」」」」
ルイナの回答に、今度は講師すらも噴出した。教室中に笑い声が響き、その渦中に立たされているルイナは『間違ったことは言ってないのに…』と不満そうな表情を浮かべる。その表情もまた、笑いを誘った。
結局、その日の残り時間は講習にならなかった。ルイナの語る吸血鬼のおとぎ話へ講師を含めた皆が夢中になり、質問や突っ込みが繰り返され、とても真面目に講習を再開できる雰囲気にはならなかったのである。
ここへ来て、生徒達が抱いていたルイナ像が大きく崩れることになる。いつでもお澄ましの表情を浮かべ、話せば冷笑を浮かべる美少女―――皆にとっての高嶺の花、いけすかないアイツであった彼女は、意外にもおとぎ話を信じ込んでいるようなお茶目な一面を持っていた。そんな一面を垣間見た生徒達は、男女ともに、ルイナに対しての好感度を高めたのであった。
「………」
そんな中ただ一人、ミチだけはルイナの様子をじっと見つめ、彼女の表情の変遷を観察していたのだった。
「ふぅ、ただい―――」
「まっていたわっ!!」
「ひぃぃっ!! こ、今度はなんですかっ?!」
時刻は日の入り。薬草採集に出かけていたルイナは今日の分のノルマを達成し、ギルドにて換金を済ませて寮の自室へ帰った―――ところを、いつぞやの様にミチへ待ち構えられ、驚きと怯えにびくりと身体を震わせた。
見ると、ミチはいつものようにベッドの上で胡坐をかいて座っているのだが、その周りに大量の本が積まれている。部屋の中を見回すと、その本の山はルイナのベッドにまで積まれている。
「み、ミチさん、この本の山はいったい……?」
「決まっているわ。これであんたの強さの秘密を調べるのよ!」
「は、はぁ……?」
ミチの言葉に、ルイナは曖昧に返事をする。そんな彼女の生返事に対し、ミチは、びしとルイナの顔を指差し語る。
「あんたは自分の力を把握できていない。それはあんたが強さの源―――多分、何かのスキルだと思うんだけど、それを詳しく理解してないことが原因だと思うのよ。
あたしも前衛職のスキルについては門外漢だから詳しくない。だからこうして図書館からとにかく本を借りてきて、何でもかんでも読み漁ってあんたのスキルが何なのか、それを解き明かそうってわけよ。分かった?」
「は、はぁ…なるほど……?」
ミチの説明を聞いてなお、ルイナの顔に納得や了承の色は浮かばない。
自分が使っていると思われるスキルの名前は何となく知っている。発動の条件も、何となく敵意を持っている相手に対して発動する、くらいには理解している。それであれば、そういう状況の時にだけ立ち振る舞いを気を付けていればいいじゃないかとルイナは安易に考えていたのであった。
しかし、それをミチは良しとしない。ルイナに自分の力を完璧に制御させることは、強い身体と釣り合いが取れていない、彼女の脆い心を守るために必須であると考えていた。
そうであれば、よりスキルに詳しい者―――例えば講師に頼ることが最も効率が良いであろうとは彼女も考えていた。しかし、それを出来ればしたくない事情がある。それは主に、自身の勝手な都合に他ならないのであるが―――
ともかく、目下ルイナにとっても大事なことであると認識させる為に、彼女はそれを口にする。
「―――あんた、適性試験のスキル評価で、ちゃんとスキル名を言えるの?」
「……!」
それはルイナにとって、記憶に新しい、苦い経験の1頁であった。
「スキル評価ではその申告に対して真偽を試されるわ。その時、あんたが申告したスキルに対して間違ったことを言ったり少しでも曖昧な返事をしたりしたら、その時点で虚偽の申告をしたと見なされて追加点はなしになるのよ。それでもいいの?」
「よ、良くない、良くないですっ!」
ミチの脅すような言葉に、彼女は適性試験の時のことを完全に思い出していた。
たしかに自分はスキル評価で習得していると思われるスキル名を申告した。しかし、その結果が0点であったことを、彼女は最後に渡された農夫認定書で知っていた。それはつまり、彼女が申告したスキルは全て虚偽であると断定されていたことに他ならない。
自分が使っていると思われるスキルの名前を何となく知っているだけではダメなのだ、とルイナは理解した。
このままであれば自分は二の舞を演じ、またスキル評価で0点にされてしまう―――それは、自分が面白いことをしでかしてくれると楽しみにしている、ナートラの期待を裏切ることに他ならない。
「わ、分かりましたっ! 調べましょう、ミチさん! えっと、まずどれを読んだらいいですかっ?!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! そんな風に来たら山が―――うきゃぁっ!!?」
「わわっ! ミチさんー!」
そしてルイナは逸る気持ちを抑えきれず、ミチの周りに積もった本の山に手を伸ばす。
しかし丁度良い塩梅で均衡が保たれていたその山は、ルイナがベッドへ手をかけた瞬間に崩れ落ち、山の真ん中に陣取っていたミチは本の雪崩に埋まってしまう。
2人の部屋に、驚きと戸惑いの叫びがこだまする。その後に聞こえるのは2人分の笑い声であった。
彼女達は今日も楽しく生きる。その共同生活はあと5か月と少し―――彼女達は日々を積み重ね、その距離を緩やかに縮めていくのであった。
「―――なんでそんなにスキルが多いのよっ!!?」
「ひぃっ!」
そして響き渡る怒声と怯える声。
彼女達の学校生活は、落ち着きと余裕とは無縁に過ぎ、そして入学してより半年の時が流れたのだった。




