33.心の距離
「……すぅ、……すぅ」
「まったく―――この子ったら、本当に世話がやけるわ」
深夜の路地裏、炉端を鼠が行き交うスラム街の道で、微かに寝息を立てて眠る少女がいた。
泣き疲れ、寝てしまった少女―――孤独な人外、心の弱い化け物たる彼女へ膝を貸し、ミチは今日何度目かになる苦笑いを浮かべるのであった。
その膝の上の少女の、艶やかな銀の髪を撫でながら、ミチは夜空を見上げる。建物に挟まれ、狭く切り取られた空には幾ばくかの星が覗ける。そこが白むのが先か、少女が目を覚ますのが先か。彼女はただ待つ。願わくば、少女が目を覚ました時に、その人外たる力故に傷多き人生を送ってきただろう心が、少しでも癒されていますように。
ミチは願う。強大なる力が、その脆い心持ちによって悪になびかないことを。そのヒトらしい心根を持ったまま、心が成長することを。
「……おかあ、さん……」
少女はしばしの合間、目を覚まさなかった。しかし、その表情は穏やかであり、長く彼女を曇らせていた怯えは掻き消え、甘えるように膝へすり寄って微かに寝息を立てるのであった。
―――翌朝。
ルイナが目を覚ますのを待っていたミチは、彼女が起きると同時に行動を開始した。
まず、何はともあれ学校への連絡である。門限を過ぎても寮へ帰らなかったからには常ならお叱りもあるところだが、事態が事態である。講師陣はルイナとミチが武器略奪の首謀者を捕らえ、その隠し場所も見つけたと聞き、すぐさま現場へ駆けつけた。
2人に案内され、行きついた先で講師達が見たものは、戸がひしゃげられた建物であった。それを無理やりこじ開けると中から異臭が漂う―――すると、開けた扉から1人の少年が出てきた、イバルである。たった一夜の閉じ込めの間に何が起こったのか、彼の眼は赤くぎょろつき、髪を毟っては癇癪を起こしたように暴れ始める。そして、彼から尋常でない異臭が漂ってくる、講師達は顔を顰めた。
しかし、中に入ると講師達の中から、卒倒し脱落する者が現れる。暗い部屋の最奥、蝋燭の灯りに照らし出されたものは幾重にも折り重なったヒトの骸、それらは1つも綺麗な形で保全されているものはなく、殺しを目的としたものではなく、傷をつけること自体を目的とした傷が多くつけられており、見るに堪えない惨状であった。元冒険者であり、痛んだ死体を見る機会があった者ならまだしも、講師の1人、元熟練農夫であった彼はこの地獄絵図を受け止めきれず、意識を手放したのであった。
案内された先にこんな凄惨な現場が待ち構えていると思ってもいなかった講師達はミチへ問いただす―――ちなみにルイナにも同行を求めたのだがこの建物へ入りたがらず、ミチも強くそれを拒んだ為に外で待たせている。
問われたミチは、殺したのは『自分達』であるが正当防衛であり、殺すまでしかしていない、その後、死体へ傷をつけたのはイバルであることを語った。
その答えに対し、講師達は真偽を問おうとするがイバルは狂乱しており、今しばらくまともに話が聞けそうにもない。となれば、その話はひとまず置き、奪われた武器を回収しようとしたところ、ミチが指したのは折り重なった死体の山であった。
講師達は各々、悲鳴を上げたり神へ許しを乞うた。死体の山の底や合間から、武器の柄であったり、鞘であったりが、たしかにちらちらと見える。どうしてそんなところに武器が―――いや、どうしてそんなところに死体が積み重なっているのか、唯一マトモに話が聞けそうなミチに聞くも、彼女は詳しく語らない。そもそも、それを語られたところで現実は変わらないのである。講師達は諦め、武器の回収に取り掛かるのであった。
そして精神的に多大なる犠牲を払って講師達の手に渡った武器は、学校へ戻り次第、生徒達へと返還された。もちろん、血の臭いや染みは魔術によって入念に洗い流し、その痕跡と証拠を隠滅した後である。しかし、喜び、安堵の表情を浮かべる生徒達に対して、講師達はその笑みが引き攣ることを抑えられなかった。彼らの武器が、どのような状況にあったか、これ以上問題を大きくしたくない彼らは全員口を噤むのであった。
そうして一連の事態にひとまずの収拾がついた後、事情聴取としてミチ、ルイナ、イバルの3人はそれぞれ講師達に呼び出され、その事情を話したのである。
「私が男の人たちを殺しました……えっ? いえ、武器は使っていません。いつの間にか、殺しちゃってて……あっ、でも首を切り落としただけです、本当です。あんな風にはしていません」
「あたしは誰も殺しちゃいないわよ。でも、このことに関して言うとあたしは正直ほとんど何もしていないしあの子は被害者、武器を盗んで尚且つ死者を冒涜した悪党はあのクソガキよ」
「死んでぇぇ! 死んでぇるぅぅ!! 切ったぁ! 切ったぉお!!? おれをばかにしやがってぇぇぇええ!!! あはっああははは、おげぇぇええ!!」
講師達は頭を悩ませた。最早誰の言をどう信じろというのだ。落ちこぼれが無手で6人の男を殺したと言い張り、唯一マトモそうな者は無関係者面をし、1人に至っては気が触れているような言動を繰り返すばかり。事ここに至っては、彼女たち以外の第3者の情報を聞くしかなかった。
そして講師達はその情報を手に入れる。イバルが最近、夜の酒場で荒くれ者達と密談をかわしており、その者達の特徴があの無残に切り裂かれた者達と一致したこと、その男たちが事件当日、学校の周囲で目撃されていたこと、そして胴や頭に入った傷跡が、イバルが携帯していた剣の刃と型が一致したこと、それらの情報をもとに、ルイナとミチの情報(の一部)を信じることにし、講師達はイバルへの退学処分を決定したのである。
その決定に対し、此度もイバルの実父であるエータンギ男爵よりもみ消しが謀られたが、学校側は今回の騒動は目に余るとし、その退学を覆さなかった。
―――エータンギ男爵も、最早ダメ元であった。今までは個人間での問題であったからこそ融通を利かせてくれていたが、今回の騒動は学校自体に信用失墜という損害を与えている。
故に、エータンギ男爵は過剰な抗議をせず、振り上げた右手を収め、イバルを家へと連れて帰ったのである。
―――ルイナとミチの長い2日間は、こうして幕を閉じたのである。
「つ、かれたぁ……」
ボフンッ―――
寮の自室へ戻るなり、ルイナは自分のベッドへ身を投げ出した。
既に一度、講師達に呼び出される前に水浴びと着替えは済ませてある。彼女の身体は清潔に保たれている―――本当はその後すぐにでも横になりたかったのだが、講師達に事情聴取で呼び出されてしまった為、今までお預けとなっていたのである。
ちなみに、吸血鬼の血を吸った彼女の体力が尽きることはない。疲れているのは、精神の方である。
「あたしも疲れたわよ……、もうクタクタよ」
ポフッ―――
そしてルイナの隣のベッドへ、ミチも倒れ込む。
彼女は単純に肉体疲労が溜まっていた。昨夜は無茶な魔術の行使が多かったし、ルイナが寝ている間はずっと起きていたし、朝になってからは講師達に事情を説明して、ようやく寝られると思ったら連れまわされ、苛立つままに受け答えをしていたら変な事情聴取まで受けさせられ、疑いが晴れたこの夕方、やっと、彼女の身体に休息が与えられたのであった。
「「ふぅ~……」」
そして2人は同時に息を吐く。その息の音を聞いてお互いベッドをまたいで見つめあい、やがて共通の思いであることを理解し、笑いあうのであった。
「あは、あはは……」
「ははっ、あははっ……」
その笑い声は部屋の中で小さく鳴る。
やがて彼女たちは身と心を襲う睡魔に負け、徐々にその瞼を落としていく。
「―――あの、ミチさん」
「―――なによ」
「私がミチさんを殺せない理由、最後の1個が聞けていませんでした。なんだったんですか?」
「ああ、そんなこと―――別に大したことじゃないわ。それでも聞きたい?」
「……はい」
ルイナの身じろぐような頷きに、ミチは手のひらを突き出し、小指を一本立てた。
「あんたがあたしを殺せない理由、最後の5つ目。
あんたがたとえ、あたしを襲おうとしても、あたしが全力で逃げるからよ。
あたしはあんたの弱点が分かってるんだもの。あたしからは手を出さずに逃げるわ。それで逃げながら自分の血をまき散らしていく。そうすればあんたは追ってこれない―――ほら、あんたはあたしを殺せないでしょう?」
「なるほど……そんな、ことだった、です……ね……」
「そんなこととはなに―――って、寝ちゃったか」
ミチは、微かに寝息を立て始めたルイナを見て、俄かに微笑む。
「……まあいいわ、おやすみなさい、ルイナ。また明日から学校、頑張るわよ」
「……すぅ、……すぅ」
そして少女達は同じ部屋に眠る。
その身の距離は昨日までと変わらない。しかし、心において2人の距離は着実に歩み寄り、僅かに重なった。
彼女たちは穏やかに笑みを浮かべながら眠りにつくのであった。




