31.本当の化け物は
「―――あんた、意識があったのね」
「……ふんっ」
ミチの言葉に鼻を鳴らして応えたのは、頭部を殴られ気絶していたイバルであった。彼は微かに血が垂れてくるこめかみを押さえつつ立ち上がり、周囲に倒れている男たちの死体を見渡した。
やがて、その顔が歪む―――その表情に満ちているのは、憎悪、怒りであった。
「……くそがっ、舐めた真似をしてくれたなっ!」
ザシュッ! ザシュッ!
「あ、あんた……」
イバルは腰に差していた剣を抜き放ち、地に伏す死体を容赦なく切り裂き始めた。
死んでいる者の亡骸を傷つけるその行為に、ミチは絶句する。彼の気が短く、その怒りを周りに当たり散らす性質であるのはこの短い付き合いの中でも知っているつもりだった。しかし、死者への冒涜をするほどとは思っていなかった。
「あぁん? 別に構わないだろう?! こいつらは、貴族を裏切ったのだからな! その罪、その罰は死してなお、有り余るっ!」
ザシュッ! ザシュッ!
狭い室内の中、一方的な剣戟が繰り広げられる。胴は背や腹を執拗に切り刻まれ、転がっている首にもその凶刃が突き刺さる。血だけの臭いしか発生していなかった先ほどまでと違い、ヒトの中身から漂う、胸がひっくり返るような饐えた臭いが漂い始める。
ミチは、鼻が曲がりそうになる異臭と、込み上げてくる嫌悪感に顔を歪める―――先ほどルイナが起こした惨劇とは意味合いが大きく違う、目の前の凄惨な光景に、ミチは恐れを抱いた。
しかし―――
「……待ちなさい」
「―――は?」
その剣が、意識を失っているルイナの下へ及ぼうとした時、とうとうミチは口を開いた。イバルは、手に持った剣を構え直し、ミチの方へと向き直る。
「―――まさかと思うが、貴様、この女を助けようとしているのか?」
「……そうよ」
イバルの苛立たしげな声に、ミチは憮然として応える。
「貴様も見ていただろう? この女がこいつらの首を一瞬で刎ねるところを。この女がこいつの首を手で貫いたところを―――化け物だ。およそヒトとは思えない、化け物だ。そんな化け物を、貴様は生かそうというのか?」
「そうね、すごく強いわね。でも、その力が振るわれたのは、まだ悪党に対してだけよ」
「貴様は…っ! 貴様は何故考えん! その力がいつ自分に及ぶかを何故考えない! 莫迦かっ!?」
「そう考えるのは―――あんたに負い目があるからよ」
ミチは立ち上がる。
ヒトの骸を冒涜する外道と言葉を交わすなんて、反吐が出る。ただ、それでも、彼女は心の声に耳を傾ける。
―――きっとルイナはあたしに、手を出さない。
それは確信ではない。だけど、あの人外の力に思うところはある。
それに、言葉の通じる者に違いない。少なくとも、人道から外れた倫理観を持っていないことは、短い付き合いの中でも理解しているつもりだ。
それに比べて目の前のイバルはどうか。
自分勝手な理由で武器を奪い、自分の浅はかさを棚に上げ逆上し、死者を冒涜するような行いをする彼は、およそ同情するに足る存在ではない。
―――どちらの肩をもつのか、どちらを助けるのか、どちらに正義を傾むけるべきか。そんなもの、天秤にかけるまでもない。
「あんたがその子に殺されるって心配をしてるのは、全部あんたが蒔いた種よ。もし殺されそうになっても、仕方ないことだと思って諦めなさい」
「貴、様…っ! 貴様は、俺に、死ねというのか…!?」
「知らないわよ。あんたが死のうが殺されようが。でも、どちらかというとあんたみたいな下種は死んだ方が世の為だと思うわ」
「……ッ!」
そのミチの赤裸々な発言を、イバルは挑発と捉えた。
莫迦にされるのも、虚仮にされるのも、彼には我慢ならなかった。何故、貴族である自分が貶されるのか。貶されても許される世になっているのか。その全てに彼は憤懣を抱いていた。
―――それは、彼が貴族として誰からも認められていないからだと、彼だけが気づいていなかった。
爵位の中では最底辺に位置する男爵の、それも五男という立場。妾の子でないから継承権は有しているが上の兄たちがよほどの愚物でない限り、爵位を継承することはない。しかも、上の兄たちは軒並み一角の人物であるのに、よりにもよってその五男が分別にも高貴さにも欠け、貴族でない者をヒトとも思わぬ言動を繰り返す愚者であれば、それはもうお家にとって邪魔な存在でしかない。
彼は、『将来箔をつけるため』と家族に騙され冒険者養成学校に通わされ、冒険者の資格を取った暁には家から追い出される運命にあった。学校内で問題を起こした際にも、冒険者になるまで彼を退学にさせない為に彼の父は学校へ多額の寄付を行なったり、相手方に対して手厚い補償金を与えたりして、もみ消しを謀った。それもこれも、全て彼を冒険者にさせる為であり、その事実を彼だけが知らない。
彼は貴族の枠組みに入っているつもりだが、その実、枠から既に追い出されているのである。
それ故に、彼は更に歪む。貴族である自分に歯向かう者がいるのに、腑抜けの長兄達は及び腰であり、父も事なかれを貫く。放っておいては貴族としての沽券に関わると警告するのに、逆に鼻で笑われる、窘められる。真に貴族としての心根を持っているのは、この家の中で自分だけであると彼は悟った。たかだか先に生まれてきただけの愚かな兄達ではなく、自分こそが爵位を継ぐべきだと彼は確信していた。
故に―――彼の貴族としての誇りは絶対であった。莫迦にされること、虚仮にされること、それらは全て、許すまじ叛逆であった。
彼の凶刃が灯りを反射し煌めく。いつかは挑発されても引いてしまった。しかし今、彼我の距離は4歩―――詠唱を唱える暇などない。
それに、彼がそこまで状況を判断していたかというと、否。冷静に物事を考える思考は彼の中に残っていなかった。彼の思考はただ1つ―――莫迦にした者を許さないという、子供じみた単純な怒りだけであった。
そして、それ故に彼の剣筋はぶれない。必殺の軌道を描き、その剣はミチの首筋を―――
―――ヒュゴォォッ!
「うっ、ぐあぁああ!!」
刈り取るよりも前。
その剣諸共、突如として吹いた強風に襲われ、イバルは部屋の最奥まで吹き飛ばされた。
―――ダンッ!
「ぐ、ふっ……」
そして壁に叩きつけられ、彼は衝撃に息を漏らした。
そのままずりずりと壁を滑り落ち、やがて一緒に吹き飛ばされていった死体の山の中へ埋没していった。
起き上がってはこない。意識を失ったか、あるいは死んだか、しかしそこまで気にしてやるほどミチは寛容ではなかった。
「―――あっちゃー……」
ただ、一緒に吹き飛ばされていったものの中に、ルイナの姿があるのを見て彼女は顔を顰めた。
血と内臓、そして死体―――それらの中に、彼女を放置しておくのは、とても人道に悖る行為であった……ただ、それらの中から彼女を引きずり出すのは、精神衛生上とても宜しくなかった。
「あー、でも、仕方ないか……」
服や手が汚れてしまうかもしれないが、それは後で魔術で洗えばいい。ついでにルイナの身体も洗ってやろう。そう決意して、彼女は顔を引き攣らせながらルイナの身体を引っ張り―――何とか、死体の山から彼女を救出することに成功したのであった。
そして、ひとまず血の臭いの籠った部屋から出ようと思い、ルイナを肩に抱いて外に続く廊下を歩く。その途中、ふと後ろを振り返り、ミチは死体の中に埋もれるイバルを見て、呟いた。
「自分の我が儘や駄々で簡単にヒトを殺そうとする。あんたの方がよっぽど化け物よ」




