30.人外への畏怖
ブシャァァァ―――
紅い噴水が5本上がる中、丸いものが赤い糸を解れさせながら、くるくると宙を舞う。その数も5つ、現実感を伴わないその光景は、神秘的でもあり芸術的でもあった。
ドンッ、ドンッドサッ―――
しかし、それは地に落ちる。重たい音を立て、その外皮と中身をひしゃげさせ、ぐしゃぐしゃと中身が溢れてくる。
―――それはヒトの頭だった。そして噴水を上げているのはヒトの胴体だった。
「……ひぅっ…」
ミチは眼前に広がる、あまりに暴力的な光景に、喉を短く鳴らす。
腰が、床へ落ちる。ヒトであったものが一瞬で汚物へ変化する、そのあまりの手軽さ、身近さ、容赦なさに恐怖し、腰が抜け、膝も砕け、立つに能わず彼女は地に落ちたのだった。
そしてその惨劇を犯した者―――人外の化け物は、彼女の眼前にいた。
そのあまりに速すぎる動きは目で捉えきれなかったが、それでもその深紅に濡れた右腕と爪が、殺戮者たる証であった。
「く、来るなっ、来るなぁっ!!」
そして、その右腕が更に動く。
血に濡れた腕は更なる死を貪欲に求め、唯一生き残った男に向かって伸びていく。彼はその腕から逃れようと逃げ惑うが、追い込まれる。
そして―――
「このっ、化け物めっ…!」
「……やめ、て……もう、血は―――」
―――グシュッ! ブシャァァ―――
「がっ、ひゅっ―――!」
「見たく、な、い、うっ、げぇっ…!」
無慈悲にも、彼は喉を手で貫かれてしまった。
苦しみと絶望の表情を浮かべながら、生への執念を見せながら、しかし失血と器官の損傷に抗えず、死んでいった。
そしてその場に残されたのは、ミチと化け物のみであった。
―――カタカタカタッ……
どこからか、何か硬いものがぶつかり合う音が聞こえてくる。
ミチはそれが、自身の歯が鳴っている音だと、全身を襲う寒気に耐えながら気づいた。
……怖い。
あっという間に6人の男たちを殺し尽くした。それも無手で、一欠けらの容赦も慈悲もなく、『必殺』の一撃でもって屠っていった。
彼女の強さは知っていた。冒険者ギルドも養成学校の連中も、誰もが見出せなかったとしても、ヒヒトネスコの冒険者ギルドで彼女が見せた力は格別のものだった。彼女は強い、それは知っていた、つもりだった。
だが、違ったのだ。そんなものは彼女の強さでも秘密でも、何でもなかったのだ。
『これ』だ。今目の前で起こった『これ』こそが、彼女の真の強さだったのだ。
彼女が秘密にしたがっていたものは、『これ』のことだったのだと、ミチは悟った。あまりにもヒト離れし過ぎた彼女は、かくも容易くヒトを殺し、かくも容赦なくヒトを殺す。
そして自分はーーーその秘密を、知ってしまった。
化け物が、ゆらりと首を動かす。動く度に死を振りまいた死神が、その深紅に染まった腕と爪を振り動かす―――ミチは戦慄のあまりに硬直した。
その爪が、次の瞬間には自分の喉を貫いているかもしれない。自分の首を刎ね飛ばしているかもしれない。はたまた胸を貫くか、胴を裂かれるか。
「……ぃ、ゃ……」
彼女は心中で、必死にもがく。拒絶の声を、絞り上げる。
だが、膝と腰は彼女の意思に応じず震えるのみ。肩や腕も強張り、ただ唯一動く首を微かに振り、迎える現実の恐怖から逃げ出そうとしていた。
しかしミチの意思や願望とは無関係に、その腕は動く。動いて―――やがて、男が手から零した杖を拾い上げた。
「……よかっ、た―――」
ドシャァァッ―――
そして化け物は倒れる。
自分で作った血の海の中へ身を投げ出し、服も、髪も、身体も深紅に染めていく。
「……っ、……?」
怪我1つ無い身で何故彼女が倒れるのか、ミチは理解が及ばず、その行動の意図を見出そうと恐怖に強張った目でしかと見張る。
「……ぁっ」
その時、ミチは彼女と目が合った。
彼女の瞳に映っていたのは―――恐怖であった。
絶望し切った目、怯えきった目、およそあれだけ機敏に動き、殺戮を繰り返した者が浮かべて然るべき表情ではなかった。
―――何故そんな顔をする? 分からない、ミチには彼女の道理が分からない。
「……もう、いいや……」
そして彼女は諦めたようにそう呟き、瞼を閉じた。
それきり動かない―――死んではいないだろう、理由は分からないが恐らく、気を失ったと思われた。
「………」
―――しばらく、彼女が気を失っても、ミチはその場を動けずにいた。
その膝は未だ震え、立ち上がることは叶わなかった。
しかし、動けなかった理由は、それだけではない。
「―――何が、起こったの…?」
ミチは震える声で、疑問の声を上げた。
―――彼女の強さと言動にはあまりに不可解なことが多すぎた。
何故彼女は気絶した?
何故自分は見逃された?
彼女の行動原理は、ただ杖を取り戻したかっただけ? それだけの為に、あんな凄惨な殺し方をした?
彼女が途中で発していた言葉、『もう血は、見たくない』とその時の行動で齟齬が起きていたのは何故?
それに―――彼女が最後に自分を見た瞳は、何故怯えの感情を映していた?
―――そもそも、あれだけ強いのであれば何故彼女は最初、捕まっていた?
力を隠したかった? いや、あれだけの窮地に陥ってなお隠す意図が分からない。力を秘匿したいのであれば、全員の口を封じればいいだけであり、彼女の力をもってすればそれを叶えるのは容易であるはずだ。
―――そもそも、彼女は力を隠したがっていたのか?
彼女が自分を指して強いと豪語したことはない。逆に弱いと謙遜するところしか見たことがない。
しかしその実、彼女は強い。人外たる力を持ち、一方的な虐殺を行なえるほどに、彼女は強い。
そして、一方で彼女は弱い。講習の中で見せる彼女の実力は、軒並みヒト並み以下であり、男たち相手に為すすべなく捕まるほどに、彼女は弱い。
―――あるいは、その二面性こそが彼女の秘密だとしたら?
『えっ、なに? あっ、嘘。私、またやっちゃったの……?』
『いや、私、強くなんてないですよ…』
『いえ、武器はこの杖です』
『え、ええと、そう言われても私、弱いですから……』
『その杖は私がヒトとして生きるために、必要な杖なんです! ただ、それだけなんです!』
『ぐっ、お、げぇえええええ……』
ミチは彼女の言葉を思い出し、その発言に祭しての状況を思い出す。
そしていくつもの仮説を立て、それを否定し組みなおす。
そうして推測の上に推測を重ね、彼女が導き出した答えは―――
「……化け物め」
―――と、その時、思考を遮る様に、忌々しく呟かれた声がミチの耳に届いたのであった。




