25.あんた達の性根が気に入らない
「あの、どこに向かって……」
「………」
自分を救ってくれた少年は、どんどんと道を進んでいく。
その間、彼から発せられる言葉はない。ルイナも、一人夜道に放り出されてしまうと先のように吸血鬼と疑われて騒動を起こしてしまう為、彼から離れられない。
彼の素性はまったく知れない。そして、他のヒトが彼女を吸血鬼だと断じ、恐れるのに対し彼にまったくその素振りはない。
このまま彼についていってもいいのだろうか―――そんな不安がないわけではない。しかし、その苦悩の果てに、さっきは助けてもらったんだからという甘えでもって、ひとまず彼についていってみようという判断になったのである。
「ここだ」
そして彼は久しぶりにその口を開くと、一つの建物の前に立ち、その戸を開いた。
ギィィィ―――
錆びついたその戸は開くにあたり軋んだ音を響かせた。普段使われていない建物なのか、それともただ単に古い建物なのだろうか。
何故こんな建物に入るのだろう、そして何故自分はこんな建物に招待されているのだろう、ルイナは若干の違和感を覚えつつ、しかし先を行く少年が中に入っていってしまった為、ついて中に入っていく。
建物の中は―――外と同様、暗かった。
細長い廊下が続き、奥に一つの部屋が見える。部屋は幕で仕切られ、その全貌は見えないが、幕の端より灯りが漏れており複数のヒトの気配も感じる。
何をするところなのだろうか、自分をここへ連れてきて何をさせるつもりなのだろうか、ここへ来てルイナの不安が首をもたげてくる。
「来い」
しかし、少年は廊下を進む。幕の前まで進み、彼女の方を振り返る。
―――その顔は、夜目の効くルイナにしても、見えなかった。幕から漏れる灯りが逆光となり、彼の顔を認識させてくれなかった。
「私を…どうするつもりですか?」
とうとう、彼女は口を開いた。
この先に進むには勇気も知識も状況推測も足りなかった。故に、彼女は返答次第では踵を返し、戸を開け逃げ出すことも視野に入れて問い詰めた。
しかし―――
「杖を、探しているんだろう?」
「……、っ!!」
少年の言った言葉にルイナは一瞬呆けてしまい、しかし次の瞬間、彼が何を言ったのかを悟り、びくりとその身を震わせた。
「ここにっ…、私の杖が、あるんですか?」
「そうだ」
ルイナの探し求めていた杖の行方を、目の前の少年は語った。ここにあると―――
その表情は逆光で相変わらず見えない、しかし、ルイナの逃げる道を塞いだことに悦の表情を浮かべているのだろう、その口角が微妙に上がったことにルイナは気づいた。
「……っ」
―――そして、それはその通りである。今の言葉を聞いて、ルイナの思考から逃げる手は消えた。
彼女はその表情を硬くこわばらせながらも、少年の後を追って歩を進めた。
それを見て、少年は更に先へ進む―――幕を翻し、部屋の中へと入っていく。
その時に見えた彼の後ろ姿―――部屋の灯りに照らされた彼の姿を見て、ルイナは何故彼が自分を吸血鬼だと恐れないのか、何故自分が杖を探しているのを知っているのか―――そして、何故自分の杖がなくなってしまったのかの合点がいってしまったのだ。
「……まさか、あなたが私の杖を奪ったんですか?」
「―――そうだ。こうして暴露するつもりは、まったく無かったんだがな」
そうして部屋に入ったルイナが目にしたのは、偉そうに顎を突き出しルイナを見下す、イバルであった。
そして彼の周り―――部屋を囲む形で待機しているのは、筋骨隆々たる4人の男であった。
「……っ!」
さらにルイナは、通ってきた幕が翻り、後ろから2人の男が迫って来たのを見る。
男たちの圧に押され、ルイナは部屋の中心に歩を進める―――完全に、男たちに包囲されてしまった。
彼らがルイナを見る表情は、下卑ている―――いつかの野盗が、彼女を見ていた視線と似ていた。
「今はそう心配することはない。こいつらは俺の指示がなければ貴様に手を出さないよう、指示している」
「……そうですか」
ルイナが周囲の男たちに警戒の視線を映していると、イバルより安心するよう声がかかる。
しかし、その声は全く安心する材料にならない―――それは裏を返せば、指示を出せばいつでも彼らはルイナに襲い掛かってくることを意味しているからだ。
実はイバルの言っている『手を出す』というのと、ルイナの考えている『手を出す』には、若干意味合いに齟齬が生まれているのだが、どちらも襲うことに変わりはない。
ルイナはぎゅっと拳を握り締め、その爪が勝手に動いていつヒトを切り裂いても、心を乱さないように覚悟を決める―――悪いやつは、殺してもいいんだから。
「―――貴族の旦那。この嬢ちゃん、本当に吸血鬼じゃないんですかい? あの銀の髪、おっかねぇですよ」
「ふん、心配ない。こいつは昼間から外を出歩いている。吸血鬼であるわけがない」
「そうですかい。それなら安心ですがね、へっへっへ―――」
ルイナを取り囲む男の1人とイバルが、彼女の髪を見る。
夜に現れる銀髪の者は吸血鬼と疑われる。しかし、昼間からその姿を見られている者であれば、その心配はない。
ヒトというのは他種族と違い容姿に多様性が認められる。
エルフに似た者もいればドワーフに似た者もいる。そして中には、不幸なことに魔族に間違えられる者もいる。目の前のルイナも、その1人であると判断されたのであった。
「……それで、私をここに連れてきてどうするつもりですか? 杖を、返してくれるんですか…?」
「ふんっ、そんなわけがないだろう、莫迦か」
ルイナの問いに、イバルは小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「貴様に聞きたいことがある。この杖の使い方だ」
「っ、……使い方?」
イバルはそう言って、部屋の奥に積まれていた武器の山から一振りの杖を掲げる。
それは白い十字型の杖で先端に青い魔石が込められている―――まさしく、ルイナが探していた『回復する杖(仮)』であった
それを目にしたルイナは走って取り返したい気持ちに駆られたが、それでもイバルの言葉に耳を傾ける。彼女としても、手荒なことを犯さなくても取り返す方法があるのであれば、そうしたい。
その意思に、情けは無い。
ただ単に、血が出るのは自分の精神衛生上良くないので、争いを避けたかったからだ。その糸口を、彼との会話の中で見つけたいと思ったのだった。
「そうだ、この杖―――治癒効果を持っているんだろう?」
「えっ、どうしてそれを……」
ルイナは彼の言葉に驚き―――驚きのあまり、そう問いただしてしまう。
その杖が持つ効果を知っている者は少ない。杖を作ったナートラと、それを譲り受けた自分。そして馬車の中で効果を紹介したミチの3人だけである。
―――その3人の中で、イバルに杖の効果を話すことが出来るのは、自分を除いてミチ1人だけだとルイナは思い至った。
ルイナは、自分の知らないところでこの杖が話題に上り、そこでミチが話したのだろうと推測した。
しかし、イバルがこの杖の効果を知っていたことに驚きはしたが、それでも大したことではないと、ルイナは気を取り直した。
『その杖で殴った怪我を治すだけの、意味のない治癒効果』なんて、知られていようが気にならない。そう思ったのである。
―――だが、そう思わない者がいた。
「―――へぇ、貴族の旦那。その杖、治癒効果なんてものが込められてるんですかい?」
「そうだ。この魔道具には治癒効果が込められている。だからこそ取り上げたのだが使い方が分からなくてな。それでこの女に使い方をしゃべらせようと―――」
―――ボゴォッ!
「……え?」
ルイナはその時、目の前で起こった事態に理解が及ばず、間の抜けた声を上げてしまった。
―――ドサァッ……
杖を片手に、自慢げに語っていたイバルは突然側頭部を殴られ、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
悲鳴も苦悶の声も上げる間もなく、彼は意識を手放し、そして杖も手放した―――その杖は乾いた音を立てて床に落ち、やがてイバルを襲った者の手に拾われた。
「なんだ、なんだなんだよ、すげぇじゃねぇかっ! 貴族のぼんぼんに雇われるより、全然良いものが手に入ったじゃねぇか! おいてめぇら! この杖、これが何か分かるか?!」
「へい、ちゆ…こうか? を持った杖ですよね」
「ばっか! お前ら、治癒効果っていうのはな、やべぇんだよ! 分かるか? これがあるだけで俺たちは一生遊んで暮らせる…うまく取りいりゃ、貴族にだってなれんだぞ!」
「き、貴族ですか!?」
「す、すげぇ!」
「やべぇ、やべぇっすよ、アニキ!」
イバルを昏倒させ、杖を拾った者―――部屋を取り囲む男たちの兄貴分であった彼は、そう言って杖を掲げ、愉快に騒ぐのであった。
「ふんっ、ふんっ! 違うな、振るだけで作用する魔道具じゃなさそうだ。おい、嬢ちゃん。この杖の使い方、てめぇなら知ってんだろ? 教えろよ」
「……返してください」
杖を振り、その魔道具の発動を確認できなかった彼は、元々の所有者であるルイナへ使い方を聞く。
しかし、元々、ではなく今もってその所有者であるはずのルイナはその詰問に対して、ただ淡々と返すよう求めるのであった。
「んな、白けること言うなよ。なっ、使い方を―――」
「返してください。それは私の、大切な杖なんです」
「………」
ルイナはあくまで淡々と、冷たく言い放つのみである。その杖は、私のものである、と。
それに対して男は冷ややかな感情を目に映し、顎をしゃくる。
「……っ、きゃっ…」
すると、ルイナは突然後ろから両腕を掴まれる。
首の動きだけで後ろを振り返り見ると、彼女の背後に立っていた男2人がそれぞれの太い両腕でもって、ルイナの細い腕をがっちりと掴んでいるのが見えた。
―――彼女が多く身に宿すスキルの内、『背後から』、『命や怪我の危険がなく』、『捕まえるだけの動作』に対して自動で発動する条件のものはなかった。
その結果、彼女はいとも簡単に捕らえられてしまったのであった。2人の太い腕と自分の細い腕を見比べて、ルイナはそこから脱出することが絶望的であることを悟った。
「もう一度聞くぞ、嬢ちゃん―――この杖の使い方を教えな。じゃねぇと、その両腕へし折るぞ」
「……っ、使い方も何もありません。その杖は私がヒトとして生きるために、必要な杖なんです! ただ、それだけなんです! だからっ……、返してくださいっ!」
「―――やれ」
そして男は顎をもう一度しゃくる。
それが、刑の執行の合図であることは明白であった。
ルイナはぎゅっと目を閉じる。痛みを感じない身体であったが、圧倒的な暴力で両腕を折られることに対しての恐怖はあった。
―――そして、腕を折られれば自分の唯一の武器である爪も使えなくなる。彼らに抗う術が失われることを、ルイナはその時悟ったのである。
「……ぁっ…」
事ここに至り、ルイナは自分の身に瀕している危機を理解したのである。しかし、逃げる術はない―――迫りくる暴力と恐怖に、ルイナは喉を震わせた。
「……いやっ、いやぁ……!」
―――ここは密室。外へ通じる扉は厚く音が漏れない。
部屋の中にいるのはルイナと気を失っているイバルを除けば、下卑た笑いを浮かべる男たちばかり。
「……誰か、お願い…助けてっ……!」
この場に、彼女を助けてくれる者などいない―――はずであった。
「―――風斬刃!」
―――ヒュンッ!
「ぐわっ!」
「うぐっ!」
突如、室内に高く響く呪文の声。そして圧縮された空気により精製された、下級魔術『風斬刃』がルイナを掴んでいた男2人の胴や肩を切り裂く。
そして『風斬刃』により薙がれた2人はバランスを崩し、ルイナの腕を手放した―――ルイナはその場に崩れ落ちる。
「くっ、誰だっ!?」
男は、その場にいるはずのない第三者がいることに焦り、誰何の声を上げる。
「―――誰? ふん、あたしが誰であろうとあんた達が何者であろうと関係ないわ」
その声に応えるのは、魔術によって切り裂かれた幕を強引に手で引きちぎり、部屋に踏み入って来た1人の少女であった。
「女子供を寄ってたかって襲おうとするあんた達の性根が気に入らない。ただそれだけよ」
そして、後ろで結った茶髪を揺らしながら現れた彼女―――ミチは6人の男たちに向かって、啖呵を切ってみせたのだった。




