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24.銀の髪

 


 冒険者養成学校において講習を受ける毎日、ルイナは充実した日々を送っていた。


 最近では腹筋と腕立てにおいて若干身体が持ち上がる様になった。

 さらに、成長した身体にも慣れてきたおかげで、おぼつかない足取りながらも走ることが出来るようになってきた。


 座学においても冒険者としての知識を身に着け、同時にこっそりと世とヒトの常識を学びつつ、成長を実感して日々を過ごしていた。


 薬草採集も段々と慣れ、その報酬金もひとまずの目標である月謝分には月内に届きそう―――といった順風満帆な頃合い、その事件は起こった。


「無いっ! 俺の剣が無いっ!」


 その日3コマ目の、模擬戦の講習後。

 模擬戦用に借りていた木剣を返却しに来た生徒の一人が、武器の保管場所より自身の剣が無くなっていることに気が付いた。


「俺の槍もねぇっ!」

「わたしの剣、どこに行ったのっ?!」

「父様より頂いた剣が……っ」


 そして次々と上がる阿鼻叫喚の声。

 彼らもまた、保管していたはずの己の武器が無くなっていることに気づいたのである。


 大切にしていた武器が、あるべき場所より忽然と姿を消している―――その事実を受け、保管場所となっている倉庫の中をひたすらに探す者、いてもたってもいられず外へ駆け出し探しに行く者、呆然とその場で立ち尽くす者、生徒達の行動は様々であった。


 そして―――


「……ない…」


 ルイナはその場に崩れ落ちた。


 そこにあったはずの『回復する杖(仮)(ヒーリングスタッフ)』が、無い。

 杖が―――ナートラから貰った大切な杖が、無くなっていた。


 彼女の腕が、指が動く。

 かつてその場所にあった杖を求めて動く。


 しかし、杖はない。そこにない。その場にない。どこにもない。

 手を動かしても、目線を動かしても、周りに杖はない。あるのは、自分と同じように悲嘆に暮れる者達だけだった。


 ―――探さなきゃ。彼女は思う。


 あれは、ナートラから貰った大切なものだ。ヒト(ナートラ)との繋がりの証であり、自身をヒト(ルイナ)でいさせてくれる拠り所である。

 あれが無ければ、自分は―――簡単にヒトを殺す吸血鬼アリスに戻ってしまう。


 探さなきゃ―――でも、どこを?

 探さなきゃ―――でも、どうやって?

 探さなきゃ―――でも、でも、でも……見つかる、の?


「―――っ……」


 彼女の視界が、涙に滲んだ。喪失感と諦観により、心が折れてしまいそうだった。

 ―――でも、今は泣いている場合じゃない。彼女は砕けてしまいそうな心と膝を叱咤し、立ち上がる。


「探さなきゃ―――どこにあっても、何が何でも…っ!」


 心当たりなど―――何一つない。

 それでも今動かなければ、あの杖を一生失ってしまう。これ以上、ナートラを裏切ったり、悲しませたりすることは、許せない。


 ルイナは倉庫より飛び出した。杖の行方を捜して―――















 そしてその日、彼女は学校内を、街中を、ひたすらに探し回り、陽が暮れるまで杖を探し続けた。


 ―――そう、陽が暮れて、空の太陽が姿を隠すまで、彼女は探し続けてしまったのであった。























 どこに―――どこに、あるの。


 ルイナは陽が暮れてもなお、街を探し回り、失われた杖を探し続けた。


 街を歩く人が握っている杖を見ては白色かどうかを確認し、はっと細長い白色が視界に映ってそれを目で追うと全く形の違う錫杖であったり、そうしたことを幾度も繰り返しているうちに太陽は西へと沈み、空は夜の模様を映していた。


 夜になると人通りは目に見えて少なくなり、店の戸も閉まる。

 彼女自身は夜目が利くが、こうなってしまっては杖を探すことは出来ない。


 ―――今日は、寮へ帰ろう。彼女は冷静に判断を下した。

 このまま夜の街を探し続けても意味はない。

 それに無くなった武器はルイナのものだけではないのだ、他の誰かが無くなった武器を見つけて、もしかしたら自分の杖も一緒に見つかっているかもしれない。


 そんな淡い希望を胸に、彼女は寮へ帰ろうとして―――はたと立ち止まる。


「ここ、どこ…?」


 彼女は左右と前後に伸びる道を見渡し―――そのどれが学校へ続く道なのかが分からず、立ち尽くしてしまった。


 ここに至るまで、彼女は道を出鱈目に歩いてきた。右へ、左へ、真っ直ぐへ。

 たしか学校は王都の西側にあったはず―――と、彼女は思い出していたが王都の道は区画整理されておらず、幾つも道が横に斜めに二股に走っていた。

 故に、彼女は自身の今向いている方角が東西南北どの方向なのか、分からない。


 日中であれば太陽を見ておおよそ方角の見当はつく。

 しかし今、空を見上げても青白く地面を照らす月と星が鎮座しているのみ―――今のルイナに、月と星の知識はなく、星を見て方角を悟る術を、彼女は持っていない。


「ど、どうしよう……」


 ルイナは暗い夜道に一人佇んでしまう。


 周りを見渡しても、ヒト一人歩いていない道である。

 先ほどまで、雑踏と喧騒に塗れて明るかったところが、今は誰一人としていない―――自分一人しかいない、暗いところへ変わってしまっていた。


『だってこの世界には自分一人しかいないのだから―――』


「っ……」


 突然、ルイナの思考に暗い記憶が覆いかぶさってくる。

 ―――それは、まだ記憶に新しい心の傷であった。彼女はその瞬間、暗い洞窟の中、一人泣き叫んでいる自分の姿を錯覚(たしか)に見た。


 ルイナは背に触れてくる過去から必死に頭を振って目を背け、歩き始める。

 ―――ここは、あの洞窟の中じゃない。ここから抜け出ても、そこに彼女を『異端』と断じる者はいない。

 むしろ、彼女を迎えいれてくれるヒトがいる―――ルイナは、今は遠いナートラの優しい笑顔と、憮然としながらも自身のことを心配してくれたミチの顔を思い浮かべながら、道を歩く。


 ガチャッ―――


 すると、目の前の家の戸が開き、中から一人の男が姿を現す。

 手には桶を持ち、どうやら井戸まで水を汲みに行く様子であった―――ルイナはその男に声をかける。


「あの、すみません。道に迷ってしまって、良ければ道を教えてくれませんか?」


 王都に住む者であれば、冒険者養成学校への道が分かるかもしれない。

 そうでなくても、方角くらいは教えてくれるだろう。そんな、軽い気持ちで声をかけたのであった。


「ああ。なんだい、おじょ―――っ?!」


 しかし、声をかけられた男の様子がおかしい。

 彼はルイナを振り返り見ると、サッと表情を消し、彼女の顔を見つめた。


 ―――いや、正しくは顔ではない。

 彼の視線はもう少し上を、凝視していた。


 彼女の顔の上にあるもの―――それは、髪であった。


 青白い月に照らされ、艶やかに光沢を放つ、『銀色の髪』であった―――それを見て、男は息を吸い、やがて大声で叫んだ。


「―――きゅ、吸血鬼だーっ!!!」

「えっ―――」


 男の上げた声に、ルイナは驚きの声を上げる。

 何故、吸血鬼だとバレたのか―――それは、彼女が銀の髪を持っているからである。

 では何故、今夜バレてしまったのか―――それは、今が夜だからである。


 そう、今まで彼女が吸血鬼だと疑われなかったのは日中に姿を現していたからである。

 それが一度ひとたび夜に姿を現せば―――昼間に彼女を見ていた者ならともかく、夜に初めて彼女を見た者であれば彼女を吸血鬼と断じてしまう。


 自身がどう思っていようが彼女は吸血鬼なのである、その特徴は偽れない。

 それを、自身はヒトであると思い込もうとしていたあまり、彼女は不用心に過ぎたのだった。


「えっ、いえ、違いますっ! 私はヒト族―――」

「た、助けてくれ! 吸血鬼だっ、吸血鬼がいるぞーっ!!」


 慌てたルイナの弁明も、必死な形相を浮かべる男の叫び声に掻き消される。

 どうしたら自分がヒト族であると納得させられるだろうかとルイナは考える―――しかし、彼女にそんな時間はなかったのである。


 ―――バタンッ!


 道の戸が開かれる。中から出てきたのは一振りの杖を持った男であった。


「<輝ける陽光(マディラータ)>!」

「うっ―――」


 そして男は『輝ける陽光』を唱える。


 瞬間、彼の手元に小さな太陽が生まれ、道は昼間の様に明るく照らされる。

 夜目に寄っていたルイナの眼はその眩しい光に焼かれ、ひるんでしまう。


「効いてる! マディラータが効いてるぞ!」

「本当に吸血鬼なんだ…っ!」

「殺せ! 逃げられる前に、殺せっ!!」


 そうして喧騒に誘われて通りの窓が次々と開いていき、中から人々が顔を覗かせる。

 そして口々に野次を飛ばし、マディラータにひるんでいるルイナへ恐怖と殺意の目を向ける。


「ちが、違いますっ! 私は吸血鬼じゃな―――」


 ―――()()


 ルイナは、しかし否定の言葉を言いきれなかった。


 誰かが、だれかが、彼女だれかが―――自身を吸血鬼であると願った。

 誰であったか―――それは、彼女の心にある、アリスとしての感情であった。


 吸血鬼であることにすがり、吸血鬼であることを望み、吸血鬼だと誰にも―――太陽にも認められず、心砕かれたアリスの記憶が、しかし自身を吸血鬼ではないと否定することを拒んだ。


 そしてルイナ自身も、ヒトを知れば知るほどに、ヒトと自分の違うところを理解していった。

 ヒトに似せよう、近づこうと努力するが、それは模倣であって定着ではない。彼女はあくまでヒトを真似ているだけであってヒトそのものではない。


 その証に―――彼女は人間種を、自身の帰属より外に見ている。ナートラは優しい『人間種』だ、『人間種かれら』と敵対しないようにしよう―――人間種は自分とは違う生き物であると、彼女の認識は無意識に捉えているのである。


 彼女は―――ヒト(ルイナ)の皮をかぶっただけの、その実態は変わらず吸血鬼アリスなのであった。


「……っ!」


 彼女は走る。

 未だ身体のバランスがうまく取れず、転んでしまいそうになりながらも必死に走る。


 自身の感情が制御できない。

 自分はヒトであるのか吸血鬼であるのか、否定したいのか肯定したいのか、どこにも心の着地点が見えず、彼女は全て―――考えることからも、向けられる敵意の視線からも逃げ出した。


「逃げたっ! 吸血鬼が逃げたぞぉっ!!」

「逃がすなっ! 王都に吸血鬼を潜ませるなっ、絶対に殺せっ!!」

「あっちだ! あっちへ行ったぞーっ!」


 ―――背後から、騒ぎ声が聞こえる。

 夜の街に吸血鬼を逃がしてしまうことは、人間種にとって未曽有の危機である。よって彼らはルイナの後を追いながら、大声で吸血鬼の出現を叫ぶ。


 その騒ぎを聞きつけ、ルイナの走る先の戸が開く。そこから出てくるのは杖を持った、魔術師然とした者である。


「<輝ける陽光(マディラータ)>!」

「くっ……」


 ルイナは脇道に逸れ、逃げ回る―――が、追いかける者の数が多い。

 マディラータを使える魔術師を先頭に、戦闘に堪え得る者達がぞろぞろと彼女を追いかけまわす。


 ルイナに地の利はなく、逃げる身に味方する夜の暗闇はマディラータにより払われ、何より彼女の足は遅かった。


 複雑に入り組む道が、今は彼女を助けてくれているが、それでも彼我の距離は徐々に詰まってきている。捕まってしまうのも時間の問題である。


「……おいっ、こっちだっ…!」

「―――っ!」


 その時、ルイナは手ぶりと小さな叫びをもって呼び寄せる者の声を聞いた。

 ルイナは声に誘われるまま、その者が指図する小道へと入り込んだ。


「隠れていろっ…!」


 指示通り、ルイナは近くの物陰に身を潜めた。

 ルイナが身を隠すと、彼女を呼び寄せた者は道の入り口に立ち、叫んだ。


「吸血鬼は王城だっ! 王城の方へ逃げていったぞー!!」


 その叫び声を聞いた者達は、ルイナの隠れた道とは反対の方向へなだれ込んでいった。


「…………」


 ―――しばらくすると、夜らしい静寂な空気が辺りに戻ってきた。


「………、はぁ~」


 ……助かった。

 ルイナは物陰に隠れながらも、罪のないヒトと対峙してしまう最悪の事態を回避できたことに、安堵の息を吐いた。


 しかし、こうして助かったのは自分を呼んでくれた、彼のおかげである。ルイナは礼を言おうとして口を開く。


「ついて来い」

「えっ、あ、え~と……」


 すると、自分を窮地から救ってくれた者―――暗がりに後ろ姿であるから判別がつきにくいが、少年と思われる彼は小道を進み、ルイナを呼ぶ。

 その声に、見ず知らずの彼についていくべきか悩んだのだが、それでも夜に一人で歩いていると吸血鬼だと疑われやすく、助けてくれた彼についていくのは悪い選択ではないように思えた。


「は、はい…」


 ルイナは返事をし、彼の背について歩く。


 細い道を歩き―――徐々に暗い方へ、薄汚れている方へと連れていかれているのにも気づかず、彼女はその歩を進めてしまうのであった。






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