幕間.召使いカリーナ
Site:カリーナ
「アーデルセン様、御食事の準備が整いました」
仕える主人の部屋の前、召使いであるカリーナは扉越しに部屋の主へ声をかける。
―――常であればすぐに応か否の声が飛んでくるが、今日もその返事はない。
「アーデルセン様、ご気分が優れなければこちらへ御食事をお持ちすることも出来ますがいかがなさいますか?」
―――返事はない。
「アーデルセン様、せめてお顔だけでも―――いえ、お声だけでもお聞かせ願えませんでしょうか。ご無事であることだけでも、お目通り叶えないでしょうか?」
―――返事はない。
「……アーデルセン様、失礼いたし―――」
「…来るな」
カリーナが無礼を承知で、無断で部屋に入ろうとノブへ手を伸ばしたところ、部屋の中より声が聞こてくる。
「―――アーデルセン様……」
「カリーナ、頼む。今は―――放っておいてくれ……」
その声は紛れもなくアーデルセンのものであったが、その声音はかの武王、吸血王アーデルセンのものとは思えぬほど杳々たる様であった。
それを聞き、カリーナは目を固く瞑り、無力である自分を呪い、唇を噛んで頭を垂れるのであった。
「………、失礼、致しました。アーデルセン様。無礼をお許し下さい。
ですが、カリーナはいつでも貴方様の御傍におります。いつ如何なる時でも、何なりとご用命下さい。
それでは――――――、失礼致します」
その言葉を、主人が聞いてくれているかどうかは、彼女には分からない。
ただ、どうか近くで見守っている者がいるのだと主人の耳に、心に届いてほしいと願い、彼女は長い間頭を垂れ続け、やがてその場を去った。
ここはナトラサの街。吸血鬼たちが住む隠れ里である。
絶大なる力を持つ吸血王アーデルセンの下、吸血鬼たちは協力し合い、より良い生活を送れるように肩を並べ暮らしていた。
その街は決して太陽の昇らない、洞窟内にある大空洞に存在していたが吸血鬼たちは明るい表情をもって平和に暮らしていた。
それが―――
「はぁ……」
街のいたるところから聞こえてくる、陰鬱な嘆息。
常であれば賑わいを見せる大通りも吸血鬼の姿はまばらであり、歩く者も皆一様に暗い面持ちで俯き加減に歩いていた。
そんな様子を見て、カリーナもまた、ため息を吐くのである。
このナトラサの街を暗い影が覆ってしまったのはここ数週間の合間に起こった2つの事件が原因であった。
1つは、吸血姫アリスが異端となった騒動。同族の中より、同族の血を吸う者が生まれたことに皆恐怖した。
その事件は元凶たる恐怖の権化が朝方に渓谷の外へ追い出され、砂となって消えたことにより解決を迎えたものの、いつ同様のことが起こるかもしれないという不安感が民の間に広まった。
もう1つは、吸血妃リリスフィーが娘アリスの後を追って陽光を浴び、自ら砂と消えた事件である。
彼女の美貌や慈しみの表情は民の間で平和と希望の象徴であったが、その彼女が自ら命を絶ったことで、民の間に走った動揺と衝撃は計り知れない。
それら2つの事件を原因とし、民の間で行き場のない不安感が沸き起こり、ナトラサの街全体が暗い閉塞感に包まれているのである。
そして、それら不安感や閉塞感を払拭し、民を先導するべき王は、長い間民の前へ顔を出していない。
それどころか政の場にすら出ていない。妃と姫を同時に失った王の失意たるや推して知るべしであるが、同情では民の不安は取り除けない。
結果展望に期待できず、民の合間に蔓延る閉塞感はやがて無気力へと変わっていくのである。
ナトラサの街開拓以来初の、暗黒期が到来したのである。
「ヘーンズさん、どうもこんにちは」
「お? よぉ! カリーナちゃんじゃねぇか。あっしの店まで来てくれるなんて、珍しいなぁ!」
カリーナはナトラサの街の辺境にある商店、『ホブホブの店』に足を踏み入れた。中に入ると、店主からご機嫌な声が飛んでくる。声の主はカリーナよりも背の高い、ホブゴブリンのヘーンズであった。
「あの、カリーナちゃんはやめて下さい。何年前に成人したと思ってるんですか…」
「まだ10年くらい前だろう? 30年は長生きしてるあっしからしたら、まだまだカリーナちゃんもお子様よ」
「もう……いいです、分かりました。諦めます」
カリーナは微笑みを苦笑に変え、店内に並ぶ日用品や食材を物色し始める。
ホブホブの店ではヘーンズが地上で仕入れてきた商品を扱っている。それはナトラサの街へ荷を送るのにかかる手間賃が上乗せされており若干高めの値段設定となっていた。
基本的に食材は吸血鬼の狩人たちが持ってきたものを買う方が安いので、カリーナは今までホブホブの店で食材を買ったことはない。買うのは、自室に飾る小物だったり可愛い装飾品だったりくらいで、それらの買い物も成人を迎えて以来控えるようになっていた。
そんな彼女が今日見ているのは、食材売り場であった。
「食いもんか。やっぱり大通りの店は開いてねぇんかい?」
「ええ、そうですね……開いているお店もあったみたいですが、既に品切れでして」
彼女はここに至るまでの道で、いつも贔屓にしている店やそれ以外も見て回ったが、軒並み店が閉まっていた。
どうやら街の暗い雰囲気にあてられて、狩人たちも地上へ狩りに積極的に行っていないようであった。家に残り、家族同士で不安と恐怖を慰めあう。そんな様子が通りを歩く際に見て取れた。
「はぁ~、まあ、しかたねぇさ。王様があんなんじゃなぁ、街の雰囲気も暗くなるっても―――」
「アーデルセン様を、悪く言わないで下さい」
ヘーンズの言葉に割って入り、カリーナは冷えた目つきで彼を見た。
「お、おう。すまねぇ…んなつもりで言ったつもりはなかったんだがよ……今のはあっしが悪かった。すまねぇ」
「………、なら、許します」
カリーナの纏う冷気が緩んだ。それを見てヘーンズは密かに胸を撫で下ろすのであった。
この街において、客は吸血鬼以外ない。その吸血鬼はおよそヘーンズとは比べ物にならない、化け物揃いなのである。そんな彼らを怒らせたとあっては、いくつ命があっても足りないのである。
「―――でも、たしかにアーデルセン様には、早くお元気になって頂きたいです」
「元気、元気ねぇ……」
カリーナの言葉に、思案気にヘーンズは顎を擦る。
元気になれる食べ物や薬は売っている。しかし、その元気とは『あっち』の元気であり、参っている精神には効かない。
娘も嫁もいない身であったが、それを同時に亡くすのはさぞかし辛く、心痛めているだろう―――ヘーンズはナトラサに商店を構える身として、王への同情心は持っていた。
―――そうしてカリーナはホブホブの店で必要なだけの食材を買い、店を出る。
出て行く彼女も、見送る自分も、何ともまあ不景気な顔だことで―――ヘーンズは嘆息を吐き、商品の整理を再開するのであった。
「あー、カリーナー、こんにちはー!」
街を歩いていると、カリーナは間延びした声に呼び止められる。
その声の主に心当たりのあった彼女は、周りを見渡し、やがて黒い毛玉に身を包んだ少女の姿を見つける。
「こんにちは、リカさん。今日もお友達と遊んでいるですか?」
「うんー! クロちゃんと、遊んでるのー!」
そう嬉しそうに笑みを浮かべる少女―――リカは、じゃれついてくる黒い毛玉こと『黒狼』を抱きしめ、頬擦りをする。頬擦りをされた狼の方も、目を細め尻尾をばたつかせて親愛の情を示している。
その光景は、暗い雰囲気に堕ちたこのナトラサの街の中で、より一層の輝きをもって感じられた。
カリーナはリカの笑顔に思わず頬を緩め、暗く沈んだ心をひと時の合間でも忘れることが出来るのであった。
「カリーナー、外で見るの初めてかもー。どうしたのー?」
「はい。いつも食材を買っているお店が休業中だったので、少し遠出をしてしまいました。もしかして、リカさんはこの近くに住んでいるんですか?」
「うんー、そうだよー!」
そう言ってリカは少し離れたところにある、密集する家々を指さした。あのどれかの中で、家族と仲良く暮らしているのだろう。
彼女が浮かべる平和そうな笑顔を見ていると、自分が持っていないものを持っている彼女が眩しく、羨ましく思える―――それが妬みにならないのは、リカが本当に幸せそうな表情をいつも浮かべており、それを見ているだけで自分も幸せな気分にひたれるからだろうとカリーナは考えていた。
「カリーナー、今日は忙しいー? 一緒におしゃべり、できないー?」
リカは手元で黒狼の喉元を擦りつつ、カリーナを上目遣いに見てくる。
カリーナとリカ、この2人はアリスが闘争の儀以来意識不明だった8か月もの間、ともにアリスの介抱をし合った仲であった。
―――当時、基本的な世話をしていたのは召使いであるカリーナの仕事であったが、反応もない者を世話するということは非常に辛い仕事である。それは肉体面でもそうであるが、精神面への負担が大きいからである。
感謝もなければ文句もない。自分がやっていることが正しいのか致命的に間違っているのかも分からない。
カリーナは一応、介護の知識も持ってはいたが実践などしたことはなかった。
相手は食事から排泄まで、およそ全てのことを自分で出来ないのである。生きる為、死なない為、楽に過ごせるように、苦痛を与えないように、しなければならないことは多いが、反応がないからこそ自分の細心の注意をもってしか間違いは正せない。
そして間違いに自分が気づけなかった時、それは相手が起きるか死ぬまで間違ったままなのである。
介護というのは、する側にとって精神をすり減らす過酷な仕事なのであった。
それを、リカが手伝ってくれた。
彼女は介護をするカリーナの傍らでずっとアリスの顔を覗き見ており、少しでも反応があったら教えてくれた。
ちょっと苦しそう、楽しそう、嬉しそう、大丈夫みたい―――ずっと寝たきりのアリスの顔を見ていた彼女だから分かる微細な変化を教えてくれたからこそ、介護の役目を全う出来たとカリーナはリカへ感謝していた。
そして幼少の頃より王族の召使いとして雇用されていたカリーナは、歳の離れた仕事仲間はたくさんいたが同年代の友達がいなかった。今年21歳になったカリーナと12歳になったばかりのリカでは、歳の差はある。だがそれも関係なかった。カリーナにとってリカは癒しの存在となり、前世においてもいなかった妹が出来たようで嬉しかった。
そんな妹のような存在から、おしゃべりのお誘いを受けたのは嬉しい。
アリスが目を覚まして以来、たしかにリカとは少し疎遠になってしまっていたのでもう一度気兼ねなくおしゃべりしたいし、色々話したいことや相談したいことはある。しかし―――
「―――ごめんなさい、リカさん。アーデルセン様が屋敷でお待ちなの。奥様もお嬢様もいなくなられてきっと心淋しくいらっしゃると思うから、少しでも御傍にいたいの―――ごめんなさい」
「そっかー。そうだよねー、王様、可哀相だもんねー……」
そう言ってリカは若干顔を曇らせる。それは王の心を案じてのことなのか、カリーナに誘いを断られたことによるものなのか、カリーナには分からなかった。
「ごめんなさい、リカさん。でも、わたしもリカさんとはまたお話ししたいです。今度時間を作れたらまた来るので、その時でも良いでしょうか?」
「うん、うんー! リカも、またカリーナとお話ししたいー! うん、待ってるー! 待ってるねー!」
リカはその表情を明るくし、満面の笑みをもってカリーナの言葉に頷いた。黒狼も、主人が嬉しがっているのが分かるのか、その尻尾をぱたぱたと振って喜びの感情を表している。
「それではまた今度、さようなら、リカさん」
「うんー、またね、カリーナー!」
そうして彼女たちは別れる。
カリーナの後ろ姿が見えなくなるまで見送っていたリカは、その後黒狼とじゃれつき始める。
「あーあー、お姫様、早く戻ってこないかなー。カリーナとお姫様とおしゃべりすれば、きっと楽しいよねー、クロちゃん」
―――彼女は何も知らない。アリスがどうなったのかも、砂となって消えてなおどういう目で見られているかも。
それでも彼女は期待に胸を膨らませるのである。いつかその3者による会合が叶うと信じ、その時に話す内容はどうしようかと黒狼へ相談し始めるのだった。




