19.農夫
「………」
ルイナは宿屋へと戻る。
その表情は憂いに塗れ、足取りはおぼつかない―――何とか階段を登り、2階の部屋へと戻ると、部屋に残っていたナートラが彼女を迎え入れる。
「おぉ、嬢ちゃん、おかえり―――ど、どうしたんじゃその顔! な、何があったんじゃ?」
「おじい、さん……ごめんなさい……」
ルイナはナートラへの申し訳なさに顔を歪める。
そして経緯を自分の口で説明することもかなわず、わなわなと震える手でギルド職員より手渡された羊皮紙をナートラへ見せる。
「ん、なになに―――って、農夫じゃとっ?! な、なんでじゃ? いったい、何があったんじゃ?!」
その羊皮紙には、ルイナが適性試験において『農夫』認定された趣旨が書いてあった―――
全ての適性試験を終え、ルイナは最初に待たされた部屋へ再度通された。
ルイナの表情は暗い―――4つ受けた試験項目のほとんどにおいて、およそ芳しい結果とならなかったからだ。
―――自分は弱い、果てしなく。
それをまざまざと見せつけられ、申請をすれば楽に冒険者になれると都合よく考えていた自分に嫌気が差す。そんな鬱々悶々とした心持ちでいると、、一枚の紙をもってギルド職員が部屋の中へ入って来た。
「本日はお疲れさまでした。ルイナさん、結果が出ましたので発表いたします」
「……はい」
結果―――結果、か。既にルイナの心は諦めの境地にいた。
聞くまでもなく、不合格だと分かっていたからだ。
「残念ですが、ルイナさんの適性は『農夫』しかございませんでした。こちらが通知書になります」
「……はい」
そうして分かり切った結果がルイナの耳に入ってくる。農夫―――不合格だ。
その結果を予想していただけに衝撃はそれほどなかったが、アリスの心は行きつく底まで行ってしまった。
そして、通知書の内容を見ると、体力測定や怪力測定、模擬戦闘は何となく察していたがスキル評価でさえも『0点』となっていた。
―――信じてくれなかったのだ、何一つ自分が言った言葉を。
……当然か、その言葉を信ずるに値する行動を自分は何一つとして取れなかったのだから。
「――― 一応、農夫となられた方には説明することになっているのでご説明いたします。
まず農夫は国より冒険者として認められず、当ギルドからも冒険者の補佐以上の扱いを受けられず、簡単な素材採取以外の依頼を受諾することは出来ません。
また冒険者とは違い、入出国に対して優先的越境権が認められていません。国境を超える際には一般市民同様、国への正式な手続きと認可が必要となります。
同時に、農夫は認定を受けた国以外では冒険者ギルドでの活動を認められていませんのでご注意下さい。
そして、ランクはGとなりますがどれだけ依頼をこなしてもランクは変わりません。
―――以上、農夫の説明となります。宜しいでしょうか?」
「……はい」
ルイナはギルド職員の説明に、虚ろな表情で首肯する。
受け入れがたい内容であるが、納得するしかない。彼女は今日よりその農夫となるのだ。
「――――――最後になりますが、一応、職業を変える転職という制度がございます」
「……!」
間を大きく溜めた後、ギルド職員はルイナに転職を見せるのだった。
ルイナは、ばっと項垂れさせていた頭を上げ、ギルド職員の言葉の続きを待った。
「転職をする為には再度、適性試験を受ける必要がございます。その際に希望の職種に適った適性を見せれば転職となります。ただし―――」
そこでギルド職員はルイナの持つ羊皮紙へと視線をちらりと移す。
「―――農夫の場合、1つ条件がございます。それは―――」
「―――養成学校、じゃと?」
「はい…」
そうしてルイナはナートラへ、農夫となった経緯と、農夫が転職するための条件を伝えたのだった。
その条件とは、冒険者養成学校へ半年間通うことであった。成績の良し悪しは関係ないらしいので条件としては軽めのものである。
農夫となった者はそのまま農夫として活動する者もいるが、農夫でも出来る依頼で学費を稼ぎつつ転職を目指す者も多い。養成学校では希望の職業に適う訓練や知識を身に着けることが出来るので半年後の適性試験において無事に合格できる者もそれなりにいる。まったく無茶な条件、というわけではなかった。
しかし、何故彼女がそこまで暗い表情をしているかというと―――
「…おじいさん、ごめんなさい。あれだけ信じてくれていたのに、こんなことにっ、なってしまって……」
―――本当に、ごめんなさい…ルイナの目尻に涙が溜まる。
それは農夫となった悔しさでも、無力である自分への惨めさでもなかった。もう、それらの涙は枯れ果てた。
ただただ、自分を信じてここまで見守り、見送ってくれようとしたナートラへの申し訳なさは、後から後へと湧いてきた。
それを見て、ナートラは慌てて彼女の背を擦る。
「そんな、嬢ちゃんワシのことなんぞ気にせんでええ! 嬢ちゃんが強いのはワシがよう知っておる! それを見抜けんギルドの奴らの目が節穴なんじゃ!」
「そんな、こと―――私、すごい、弱くて……」
自分では何も出来ない、戦えない、戦うことが怖くて、ろくに動けもしない。
自分は、弱い―――まざまざとそれを見せつけられたルイナは、ナートラの言葉に首を振る。
しかし、ナートラはより強く、首を振ってルイナの言葉を否定した。
「いんや、強い!
大丈夫じゃ。嬢ちゃんは今、その強さの使い方を知らないだけなんじゃ。そうであれば、学校に行って、自分の力の使い方、出し方を学べばええ!
ワシはまだ、嬢ちゃんを信じとるし、嬢ちゃんはまだワシの信頼を裏切っていない! 養成学校? 胸を張って行ってくるとええ! そこで自分の強さを知ればええ! じゃろ?」
「お、おじいさん……」
「ああ、そして半年後、ギルドの奴らの度肝を抜いてやればええ! そうしたら嬢ちゃんもワシも愉快痛快、最後に大きな笑い話を作って旅立てばええ!
なっ、そんな暗い顔を今せんでもええ。半年間、世界のことや自分のことを知る良い機会じゃと思って、精いっぱい頑張ってくるんじゃ、ええの?」
ナートラの顔は、笑っていた。楽しそうに―――そう、ルイナなら絶対に面白いことを仕出かしてくれると信じている顔だった。
「……っ、はい、はいっ、おじいさん……」
ルイナは、涙を流した。
この顔を、この信頼を、この人を裏切ってしまったと思っていた。
見守ってくれたこの人を裏切って、失望させて、『なんじゃこの程度じゃったのか』と蔑まれてしまうかと思って怖かった―――そうしたら、自分はまた、立ち上がれなくなる。支えをなくしたら、もう立ち上がれない。また、どん底へと落ちてしまうところであった。
だけど、この人は笑ってくれた。まだ、信じていると言ってくれた。
だったら―――その信には応えなければならない、否。応えたい―――っ!
「私、頑張ります…っ、学校で強くなって、立派な冒険者に、なってみぜまずぅ、ぅぅっ!」
その応は涙と鼻水に塗れる。最後まできちんと言い切れずにルイナは泣き崩れてしまう。ぐしゃぐしゃに汚れてしまった顔を、手で覆い隠して泣き始めてしまう。
「おーおー、これこれ、そんなに泣く奴がおるか。まったく、手のかかる嬢ちゃんじゃの…」
そしてその背中を、厚い手で擦り続ける。ナートラは暖かいまなざしをもって、ルイナを変わらず見守るのであった―――
一方―――
「よっしゃ、うまくいったわ! ―――と、思うけど、どうかしら?」
ミチは最後の試験、魔術適性の項目においても自身の力をひと並みに発揮できたと手応えを感じ、無難にEランクくらいの冒険者になれるだろうと確信していた。
残すは適性試験ではなく、合否判定の面接のみである。
先に試験を終えたルイナが今は面接を受けているらしく、ミチは冒険者ギルドの受付で自分の番を待っていた。
そして―――
「あっ、あんた―――ルイ、ナ……?」
「………」
ギルド職員に連れられギルドの奥から出てきたルイナは、今朝方会った時とはまるで別人のように暗く、沈痛な面持ちでいた。
この世の終わりとも、死刑宣告とも告げられたようなその表情にかける言葉が見つからず、ミチはそのままルイナが冒険者ギルドを出て行くのを見送ってしまった。
「―――ミチさん、あなたの番ですよ?」
「えっ?! えっ、あ、はい!」
呆然としていたミチは、ルイナを連れていたギルド職員の言葉で我に返った。
ギルド職員の案内に従い、ギルドの奥へ―――最初に通された部屋へと再度、通された。
「おめでとうございます、ミチさん。あなたは無事、合格となりました」
「えっ? あ、はい。ありがとう、ございます…」
席に腰掛けると、ギルド職員から合格の通達を貰う。
机の上に、適性を認められた職業が記された2枚の羊皮紙が配られる―――それを取れば、彼女は晴れて冒険者となれる。
それはとても嬉しい―――嬉しい、はずだった。
しかし、どうしても先ほどのルイナの表情が気になる。彼女があんな表情をする理由が、まったく思い当たらない。
「つきましては、ミチさんにはEランクの冒険者から―――」
「あの~、1つ、聞いてもいいですか?」
「―――どうぞ」
合格通知の合間に割って入ってきたミチの言葉に、ギルド職員は表情を変えることなく応える。
「あの、あいつ―――あ~、ルイナなんですけど、彼女は、その…どうだったんですか?」
「―――ミチさん、あのお嬢さんとお知り合いでしたか?」
「えっ、まあ乗合馬車で一緒になったくらいですけど」
「そうですか―――そうであれば、もし彼女に会う機会があれば、冒険者になることを諦めるように助言してもらえないでしょうか?」
「………えっ」
ギルド職員の言葉が理解できなかった。
―――彼女に、何をしろだって?
「え~と、どういうことですか…? あいつ、冒険者になったんじゃ……」
「まさか! あんな戦闘力の欠片もないお嬢さんを冒険者にしたとあっては、冒険者ギルドの信頼に関わります!
それに、お嬢さんもすぐに命を散らしかねない―――誰にとっても、あのお嬢さんが冒険者になることは不利益なのですよ」
「……うそ…」
ミチは絶句した。
ヒヒトネスコの冒険者ギルドで、冒険者たちの度肝を抜くほどの力を見せたルイナが―――戦闘力の欠片もないお嬢さん? あり得ない、あり得ない、でしょ?
「嘘ではありません。彼女は農夫、つまり不合格です。
一度農夫となった者は、養成学校に半年は通わなければ再度の試験を受けられない規則があります。なので、彼女は養成学校に通おうとするのでしょうが―――あそこまで冒険者に不適なヒトを、私は見たことがありません。
ですから、知り合いであるあなたからも、彼女に言ってあげてください。冒険者ではなく、他の適した道を探せと」
「………」
その言葉を聞いて、ミチは考える―――ルイナを諭す方法ではない、彼女が何故農夫となってしまったかを、である。
彼女の力は知っている。魔術師でもないのに杖を武器にしている理由は相変わらずさっぱり分からないが、それでも彼女の戦闘能力の高さを、ミチは知っている。
あれを見れば、誰だって彼女を『戦闘力の欠片もないお嬢さん』だなどど、思わないだろう。
―――これは、何か秘密があるなと、ミチは察した。
ルイナの力には秘密があり、それを試験では発揮できなかったのだ。だからこそ不合格になってしまったのだ。
そして、ミチは『あること』を思いついた。
そうすることで自分の旅立ちは遅れてしまうが、元々当てのない人探しの旅であるし、そもそも父親捜しは旅に出る為に作った対外的な名目であって、本当の目的は大陸観光且つ面白いこと探しなのであった。
この王都バザーで少しの間、足止めを食らってしまっても彼女に不都合はない。それなら―――
「……よしっ、決めたわ!」
パシッ―――
そうして彼女は決心した。机の上に並べられた羊皮紙のうちの1枚―――『魔術師』と記された方ではなく、もう1枚の方を勢いよく手に取った。
彼女の受けた適性試験は魔術師としての必須項目『魔術適性』以外はすべてヒト並み程度の成績であり、冒険者として魔術師以外の適性なんてあるわけがなかった。彼女もそれは十分に分かっている。
それでも机の上には職業が記された羊皮紙が2枚並べられていた。何故か?
―――そのもう1枚には、何の適性がなくとも就ける職業が記されていたからだ。
「あたしも農夫になるわ! 学校に通って、あいつの強さの秘密を探ってやる!」
あんな訳の分からない少女を放って旅になんて出てたまるもんか!
羊皮紙をひしと握りしめ、ミチは勝気に目を吊り上げた。
その様子を、ギルド職員はただ口をあんぐりと開け、前代未聞の事態に呆然とするしかなかった。




