17.すれ違い
カタッ、カタッ、カタッ―――
今日も今日とて馬車は行く。小刻みに帆馬車を揺らしながら、ひたすらに街道を東へ進む。
そしてルイナはその中で目を細め、後ろへ流れていく景色を眺めながら昨日ナートラとした会話のことを思い出していた。
『旅は1人よりも、2人一緒にいた方がええ。―――もしかすると相手も同じことを考えておるかもしれんぞい?』
仲間になる―――なるほど、それは素晴らしいことなのかもしれないとルイナは一夜明けて前向きに考えるようになっていた。
やはり1人になった時のこと、そしてその時の寂しさや苦しさを思い出すと、誰かが傍にいてくれることは大変に有難いと思う。
今はナートラがルイナの隣にいてくれるが、彼はルイナが冒険者になるまでの協力者でしかない。冒険者になった後は、別れなくてはならない。そして自分は一人ぼっちに戻る。それは、とても寂しいことだと思う。
それに、まだまだ自分には不足しているものがたくさんある。
地上での常識、冒険者としての心得、物の相場から選び方、きっと自分1人ではこなせないことがたくさんある。それであれば、誰か一緒に行動してくれる人がいるというのは大変に心強い。ルイナはそう考えていた。
しかし、それは仲間になってくれたらの話である。
断られたらどうしよう……と意気地のない弱音が心の中を踊る。
単刀直入に頼んで断られたら、ちょっと立ち直れないかもしれない―――他人に拒絶されるのは、恐ろしいことだ。
であれば、何か世間話的なものから自然な流れで誘ってみて、せめて断られても平気な感じを装えれば……等々、うじうじと考え込んでいると、逆に彼女はミチから話しかけられてしまう。
「ねえねえ」
「はっ、はい……なんでしょう?」
「―――あのさ、あんたのその杖、ちょこっとだけ見せて欲しいっていうか、触らせて欲しいっていうか…ほんのちょっとだけ貸してくれない?
いや、貸してください! お願いします!」
ミチはそう言って、ルイナに頭を下げる。その視線はしかと、ルイナの握る『回復する杖(仮)』を見据えながら。
その白い杖は一見すると木製にも見えるが、近くで見ると艶消し加工が施された金属製であることが分かる。そして十字型に分かれている杖の先には淡い青の輝きを放つ魔石がはめ込まれ、その魔石を囲むように魔法陣が刻印されている。その装飾と魔石の配置から一目見ただけでそれが希少な魔道具であることが伺える。
魔術師であるミチは、いつか自分もそのような杖を持ってみたいとは思いつつ、しかし魔道具は本当に半端でない価格がするため、手の届かない憧れの存在が目の前にあったのでせめてあやかりたく、触らせてもらえないかとお願いしてみたのである。
一方、ルイナとしてみればこの杖は全くもって手放したくない存在なのであった。
なにしろ、この杖がなければいざ敵が急に現れた時、自分は爪でもって相手を撃退し、血をまき散らしてしまう―――ヒトの血の臭いは、もう出来れば一生嗅ぎたくない。
それに自分は手加減が出来ない―――襲ってきた相手を容赦なく殺す、殺戮者になってしまうだろう。
悪いやつを殺すことには何ら罪悪感もないが……
―――何となく、ナートラの前では人間種を殺すことに躊躇いを感じる。
―――何となく、彼には自分のことを同族殺しに躊躇のない者だと、思われたくなかった。
そして先日の冒険者ギルドの一件で、この『回復する杖(仮)』を持っていれば勝手に動くこの身体は、杖で攻撃するということが分かった。
それに、杖で殴った相手は机や椅子をなぎ倒しながら吹っ飛んで行った派手な見た目とは裏腹に、一切の怪我を負っていなかった―――『回復する杖(仮)』の面目躍如である。
そのことがあり、彼女はこの『回復する杖(仮)』を一生手放さないことを心に決めたのであった。
しかし、そうした色んな思いはあるが、それはそれ。
これから仲間に誘うと思っているミチの頼みを断り、雰囲気を悪くもしたくない―――ルイナは断腸の思いで決心し、周りをきょろきょろ見渡し敵となる者がいないことを確認してからミチへ杖を渡したのだ。
「―――どうぞ。ただ、あまり長くは貸したくないので手短にお願いします」
「あっ、ありがとう! うへへ、魔道具だぁ…すごい、すごいわぁ、これ……」
ミチはルイナへ感謝した。
ルイナが杖を貸すことに非常に戸惑っていたことを、その表情の変遷で察していたのだ。
これは難しいかもしれない―――と諦めかけていたところ、意を決した表情で貸してくれた。
きっと常在戦場の心得があり、武器を手放したくなかったのだろう、杖を貸し出す直前に周囲の状況を見極めていた彼女の鋭い目線、そして杖を渡した後により一層警戒する様相を見せる表情から、油断の無さ、隙の無さが伺えた。
またもや一つ、ミチの中のライバル心に火がついたのであった。
しかしそんな心も杖を貸してもらえたら吹き飛んだ。
手の中にある洗練されたフォルムの杖、それを端から端まで舐めるように見て触り、そして先端部分の魔石と装飾を惚れ惚れとした表情で眺める。
「この魔石―――すごいわぁ……こんな色の魔石、見たことない……それにこの魔法陣、ユーテル式じゃないわね。もしかして、遺物じゃないの?」
「さあ、貰い物ですから詳しいことは分からないです」
「えっ、も、ももも、貰い物?! えっ、貰い物?! こんなすごい杖がっ?!」
「えっ、えぇ。おじいさん…あっ、外で護衛している人から貰いました」
「はあぁ……こんなものを、人にあげられるなんて、すごい太っ腹な爺さんね……っと、すぅー、はぁ~―――」
興奮のあまり眩暈を起こしたミチは、深呼吸をして息を整えた。
遺物と思われる法陣の造形、硬質な肌触りからは考えられないほどの軽さ、そして握っている今でも何となく感じる魔素の通りの良さ―――どれを取ってもおよそ彼女の手に届かないような一級品の要素ばかりであった。
錬成済みの魔道具としてではなく、ただの杖としてもこれを買おうとするなら白金貨数十枚―――普通の一般家庭の収入10年分は下らないだろう。
そして、これを魔道具たらしめる魔石―――錬成によって杖と結合した珍しい色の魔石、それに込められている効果によっては、その価値は何十倍にも高くなる。
―――ミチはごくりと喉を鳴らし、問う。
「ちなみにこの杖にある魔石―――何の効果が込められてるの?」
「効果? ―――たしか、治癒効果と聞きました」
「………………っ、ひぃっっっ!!?」
ルイナの発した言葉に対し、ミチは衝撃のあまり杖を落としそうになったが必死に耐えた。この手に今握られている杖の、途方もない価値に気づいてしまったからだ。
治癒効果―――それは魔術では叶わぬ、神術によって得られる奇跡の力である。
神術は遣い手が非常に少ない。
神術を執行できるものはエンター族と、ごく少数のほか人間種族のみである。エンター族は基本的には教会に所属するか自分たちの集落に隠れ住み、冒険者になることは滅多にない。
そしてほかの人間種族で神術を執行できる者の大半はその身体か精神に障害を持っており、冒険者の過酷な旅に堪えられない。
日夜戦闘を繰り返す冒険者にとって治癒の力は喉から手が出るほど欲しいが、神術士の数が圧倒的に不足しているのだ。
彼ら冒険者が大怪我を負ってしまった場合、高額の医療費を払って病院に通うか、より高額のお布施を払って教会で神術をかけてもらうか、薬草や回復薬などに頼って長く治療行為に専念するか、冒険者復帰を諦めるしかないのである。
―――それがこの杖は、回復効果を有しているという。
まずそもそもの魔石自体が遺跡の中より発掘される稀少性の高いものであり、さらにその中でも回復効果が込められている魔石は群を抜いて稀少性が高い。市場に出回ることは、まず無い。
そしてそんな稀少性の高いものを錬成に使う、というのがそもそも滅多に行われない。
錬成というのは錬成可能な道具に対して魔石を結合させる鍛治技術であり、失敗すれば素材として使った魔石はただの石になってしまう。成功すれば、魔石をそのまま使用するよりも効果は落ちてしまうが誰でも手軽に使える『魔道具』として姿を変える。
たしかに魔道具となれば便利さは増すが、稀少な魔石は、失敗すれば素材を失ってしまう錬成に使うより、砕いて儀式の媒体や素材として分けて使われることがほとんどである。
現に、回復効果の錬成を試し、見事に成功させた例を、ミチはユーテル神聖国の至宝『落涙の真珠』でしか聞いたことがない。
そしてさらに、魔道具がその効果を発揮するのに必要な条件はそれぞれあるが、振る、唱える、叩くなど簡単な動作で発動することが多く、魔素も消費しない。その効果も、魔石が効力を失うまで続くが大抵は何十年単位で保たれる。
これら回復効果付きの魔道具という存在の『需要』、『稀少性』、『利便性』からすると、効果のほど次第では冒険者だけでなく貴族―――はては王族、なんて者達まで欲しがる物になる。
そんな、およそ価値のつけようもないほどの宝が手に握られているのをミチは知ってしまったのだ―――国が国家予算をはたいてまで買いに来る、もしくは軍を出してまで奪いに来る、そんな代物であったのだ。
「あ、あわわ、わわわわわ……か、返すっ、返すからぁ……受け取ってぇぇ……」
あまりの衝撃に涙目になってしまったミチは、カタカタと杖を―――というよりも、全身を震わせながらルイナへ杖を返した。
ちなみに、その話を聞いていた周りの客はおよそ冒険や戦闘などと関係のない者達ばかりであった為、『へぇ、便利なものがあるものね』くらいにしか思っていなかったのである。
ルイナは杖を受け取ると、目に見えて警戒を解いた。
それも当然であるとミチは考えていた。この杖を奪われる可能性があるのなら、警戒して然るべきである。自分が杖を奪うかもしれないと疑われていたと知れば普通は思うところもあるが、こんな杖になれば話は別だ。
むしろそんな杖をほんの少しの間でも貸してくれた、触らせてくれたルイナへ、ミチは神へも等しい感謝の念を抱いていた。
―――もちろん、ルイナは奪われるかもしれないなど微塵も疑っておらず、ただ『回復する杖(仮)』が手に戻ってきたことによりいつ敵が来ても血を見ることも殺すこともなくなったと安心しただけであった。
そしてルイナは、はたと、話すきっかけを作ってもらった今が好機と思い、話の流れで冒険者に誘えるようになるまで会話を続けようと、ミチへ話を振るのであった。
「ミチ―――さん、でいいですか? あなたも、杖を持っていますか?」
「えっ!? えぇ? まあ、うん、もちろん持ってるけど―――こ、こんなもの、です…」
そう言うとミチは自分の背負い袋の傍らに置いておいた杖を持ち上げ、何故か敬語になりながらおずおずとルイナに渡した。
焦げ茶色の樫の木を軸に、先端から乾燥させた木の実や護符等を巻き付けた杖であった。
この杖は軸のオーク材や護符などの材料をかき集め、ミチが手作りしたものであり、ルイナのそれとは全く逆の意味で値段なんてつけられない。
とても他人に見せられたものではないが、杖を見せてもらった手前見せざるを得なく、ミチは恥じ入りつつ差し出すのであった。
しかし、ルイナには杖の良し悪しなど分からない。ただ、自分の杖と違ってごろごろと色んなものがついている杖の先端に興味がそそられたのであった。
「へぇ、この先端に色々巻き付けてあるものは、何ですか?」
「それはタリスマンや儀式素材にも使える木の実よ……いろんな効果のあるものを巻き付けて、杖との魔素のやり取りを潤滑にさせたり、威力を向上させたりするの。
組み合わせが難しくて適当なものを巻き付けるだけだと効果を発揮しなかったり逆に魔素が滞っちゃったりするんだけど、お母さんがこういうのに詳しくてね―――あ、あたしが作った手作りの杖、よ……」
「へぇ、すごいですね!」
「そんなこと―――ないわよ」
ミチは顔から火が出る思いでそう答えるのがやっとであった。
自分が作れる最高傑作である自信はあるが、それは効果重視であり見た目の洗練さは欠片もない。ルイナの杖の、効果と見た目が究極の位置で両立されたものを見た後だと、恥じ入るばかりであった。
「さっ、もういいでしょ! 杖を返してちょうだい!」
「あ、はい、ありがとうございました、お返しします」
自分の杖を公開処刑されているような気分になったミチは、ルイナよりひったくる様に杖を取り戻した。
そしてそれをいそいそと背負い袋の後ろに隠し、目に見えないところへ押しやったのだった。今、あの杖を見ているとへこんでしまいそうだった。ミチは溜息を吐いた。
「あ~ぁ……いつか同じ魔術師として、あんたのみたいな立派な杖が持ちたいわぁ……」
ミチはそう言いつつ、心でさめざめと涙を流すのであった。そんな日は、およそ来ないだろうなと思って―――ところが。
「えっ、魔術師? 誰が?」
「え?」
「え?」
ミチはルイナを指さす。ルイナは自分を指さして首をかしげる。
「私、戦士志望で魔術は使えないんですが―――」
「は、はぁぁっ?! じゃあその杖は……ああ、分かったわ。それはあくまで回復用で武器はどこか他の場所に―――」
「いえ、武器はこの杖です」
「はあぁぁっ!!?」
ミチは目を白黒させ、ルイナの言葉の意味を理解しようとする。
理解しようとするが―――意味が分からなかった。
杖は打撃にも使えるがその攻撃力はないに等しい。
しかも先ほど持ってみた時にも思ったが、硬い割には軽い。それは携帯に便利であるとか、魔術を行使する際に集中力を阻害しないとかいう利点はある。だが、打撃武器として使うにはその軽さが攻撃自体の軽さにも繋がる。
この杖を物理的な攻撃用に使う利点など、一つとしてないのだ。戦士として得物を選択するのに、この杖ほど不適なものはない。
ミチは混乱の渦中に飲み込まれてしまったのだった。
一方、ルイナはこれを好機と捉えた。相手は魔術師で自分が戦士希望であると伝えた。
この流れでパーティーに誘ってみようと思ったのだ。
「―――ところでミチさん、もし冒険者になった時にパーティーを組みませんか?」
「はあぁぁぁあああっ!!??」
今日一番の叫びであった。混乱の渦中にあったミチは更なる追撃でまさかのパーティー申請を受け、動転のあまり帆馬車の中を立ち上がり絶叫した。
―――いや、冷静な状態で話を受ければ、彼女も驚かずにその申し入れを検討しただろう。しかも決して悪い方向ではなく。
しかし、魔術師垂涎の至上の杖を打撃武器として使うという前代未聞の事態に冷静さを欠いていた彼女は、自分と圧倒的力量の差があるはずのルイナがパーティーの申請をしてくるという追加攻撃でパニックに陥ってしまったのだ。
ルイナは完全に、パーティーを打診するタイミングを見誤ったのだ。
「えええ、えっと、ご、ごめん、あれだ、ちょっと、たぶん、あれが、ああなんだけど、たぶん―――あ~、あんたとあたしじゃ、釣り合わないと思うん、だけど……」
「えっ…」
ミチの言葉に、ルイナの鋭い目つきが、すっと細められ険しくなる。
(お、怒ってる!!!)
ミチはその表情を見て、頭を垂れて謝り続ける―――他の人の目もあるこの場で完全に断るのでは彼女の面子をさらに傷をつけ、火に油を注いでしまうかもしれない。
そう考えたミチは戦略的撤退を試みた。
「ごごご、ごめん! ごめんなさい! え~と、あの、そうだ! 冒険者! 冒険者になったら答えるわ!
だってあたしたち、まだ冒険者になってもいないんだもの! うん、そうしましょ。お互い冒険者になったらその話はゆっくり話す。ね、いいでしょ?!」
「え、えぇ。分かりました、私はそれで構いません」
ミチの必死な剣幕に、ルイナは訝し気な表情を浮かべながらも頷いた。
(これどうすんのよ、あたし……お世辞で誘ってきたんだろうけど、断ろうとしたらすごい睨まれたし……断り方がいけなかった? 分からない、分からない、くぅー! ……怖ぇ、この人、怖ぇよぉ……)
ミチは頭を抱え、必死に悩んだ。
首都バザーまであと2日、冒険者登録にかかる時間は1日、延べ3日の間にルイナからのパーティー申請に対して『正しい断り方』を思いつかなくてはならなかった。
もしかすると―――いや、絶対に冒険者登録の時の適性試験よりも難易度が高かった。ミチの脳裏に、鋭い眼光で睨んでくるルイナの表情が焼き付いて離れなかった。
一方―――
(うぅ、断られるかと思った。怖い……でも、釣り合わないってことはやっぱり断られちゃうのかな……うぅ、聞きたい!
今すぐ返事が聞きたい、けど、我慢するしかない。だって、あんなに必死に考えてくれてるんだもの、邪魔しちゃいけないわ)
ルイナも、決死の思いでパーティー申請をしたところ、断られそうになって心が折れて泣きそうになっていた。
泣いてはいけないと思ってぐっと目に力を入れてこらえたが、心の中では不安だらけであった。
こうしてすれ違いは、『職業の勘違い』解け、また『ルイナの目つきの悪さ』生まれたのである。
彼女たちの間に起こっているすれ違いはの数は、まだまだ多い―――




