16.ミチとの遭遇
「いやぁ、嬢ちゃん。今日は一日ご苦労さんじゃったの」
「はぁ、おじいさん、すみませんでしたご迷惑をかけてしまって……」
夜になり、夕食を摂り終えたルイナとナートラは取った宿の部屋へ戻ってきていた。
あの後、ギルド職員の手により騒動を起こした者達への聴取が始まった―――とはいえ、事の顛末は受付にいた職員が見ていたし多くの衆目を集めていた。
ルイナは酔っぱらった神父に言いがかりをつけられ一方的に襲われそうになったところを撃退したという証言が多く集まり、すぐに解放されたのだった。
腕に自信のある者が多い冒険者である。その冒険者達が多く集まる冒険者ギルド内では喧嘩はご法度であり、今回問題を起こした宣教師(各国を巡り布教する為、彼らが冒険者登録をするのはよくあることであった)にはきつめのお灸をすえるのでどうか問題にしないで欲しいと職員の方から頭を下げられ、ルイナも溜飲を下したのである―――元々、下すだけの溜飲など彼女は持っていなかったが、少しきつめの目がどうやら怒っているように見られたらしい。
ともあれ、ギルド側はギルドに所属する冒険者が、冒険者志望とはいえ一般人を襲うというあってはならない事態を重く受け止め、神父を1年間の冒険者資格停止処分とし、ルイナへほんの少しの口止め料を手渡し、場を治めたのであった。
そうしてルイナは解放され、ナートラはギルドに来た本来の目的である、乗合馬車の護衛依頼を引き受けた。
ナートラの住むオグストの村からここ、ヒヒトネスコへは街道がなくそもそも馬車が出ておらず、徒歩か馬を走らせるかくらいしか移動手段はない。
その為、ヒヒトネスコまでは乗馬してやって来たが3日間も人を乗せて走らせると馬の疲労が溜まる。だからここからは足の遅い乗合馬車に合わせてゆっくり歩かせて行くのが馬の体力も回復出来る上、護衛代も稼げて非常に効率的なのであった。
そして護衛依頼の手続きを終えた後は町を練り歩き、石造りの宿屋を探して見て回った。
―――ちなみに、石造りの宿はやはり珍しく、この町において2件しかなかった。
もちろん、彼女たちが取ったこの『夕暮れ亭』ではない方も中を覗いてみたがルイナの記憶にある内装と一致せず、母親もいなかった。
今日の母親探しは徒労に終わったのである。ルイナは自分のことで面倒をかけている上に徒労に終わってしまったことを、ナートラへ申し訳なく思っていた。
「まあ、気にするなて。どうせ老い先短い年寄りじゃて。最後に嬢ちゃんみたいな子の役に立てるなら惜しくないわい。
それよりも石造りの宿、というのは今後嬢ちゃんが母親探しをする上で重要な手がかりになるかもしれないの。ワシも大陸中を冒険して回っていた時にも、たしかに石造りの宿は珍しかったからの。冒険者ギルドで他のパーティーから情報を仕入れつつ、探してみるとええじゃろ」
「はい、おじいさん」
ルイナは首肯し、水筒に入れた水をちびちびと飲む。
この3日間、彼女は必要以上の食事は絶対に取らないのに対し、水だけはよく飲んだ。量は飲まないが、それでも話の合間合間にもこうして水を飲んでいることが多い。
水だけでなくきちんと食事を摂るようナートラはルイナに対して言うのであったが、ルイナとしては味と食感が分からない食事よりも、水を飲んでいる方が良かった。水は水でしかない味がしたし、ゴムや紙や石鹸とは違い、お腹の中にまともなものが入った感覚がして癒されるのだ。
彼女が自分をヒト族だと思っていようが、吸血鬼である身体は食事を本来必要としない。だから彼女はヒトではないと疑われない為に必要最低限を食べることにしているがそれ以上は食べない、食べたくない。
そうしてナートラは、栄養のない水だけしか積極的に摂取しようとしないルイナをもどかしそうに見るのであった。
「それじゃあの、おやすみ、嬢ちゃん」
「はい、おじいさん。おやすみなさい」
そして2人は翌日からの移動予定を打ち合わせ、出発に向け準備を整えるとそれぞれのベッドへ横になる。
「………」
ルイナはベッドに寝転びながら、大小様々な石で組み上げられている壁を見て、思う。やっぱり、夢で見るあの家は、こんな感じだった。石造りの、明るく温かみのある宿屋。
その中の一室で、家族で暮らしていた。
自分が見ていたお母さんは、いつもその部屋の中にいた。どんなことをおしゃべりしたのかな、どんなことをしてたのかな、もっと思い出したいと、そう思う。
彼女の前世が、何歳で亡くなったのかは全く分からない。
幼くして死んだのか、それとも年老いて死んだのか、分からない。
でも、親不孝者かもしれないけれど幼くして死んでいて欲しいと思った。そうであれば吸血鬼として生まれ変わって12年経った今でも、お母さんは生きているかもしれないから。
だから、夢をもっと見たい。もっとお母さんや私のことを、知りたい。もう自分は吸血鬼の姫ではなく、ヒト族の娘なのだから。
本当の自分がどんなヒトだったのか、知りたい。
今日も夢を見られるといいな―――そう思いながら、ルイナは目を閉じた。
―――しかし夢は訪れず、翌朝目を覚ましてから彼女はがっかりと肩を落とすのだった。
カタッ、カタッ、カタッ―――
馬車は小刻みに揺れ、街道を走る。
ルイナは乗合馬車へ乗り、ヒヒトネスコの町より首都バザーへの道を東進していた。
帆のついた乗合馬車は4頭の馬に引かれ、人が歩くより少し速い速度で道を進む。馬車の中にはルイナ以外にも6人ほどの客が乗っており、各々が旅支度を持って乗り込んでいた。
ヒヒトネスコよりバザーまでは乗合馬車で4日間の行程となる。
その間は野宿となるため各自で寝袋や携帯食料を持ってきているのである。ルイナも一応、人外だと疑われないように干し肉とパンを背負い袋の中に入れてある。
そして乗合馬車と並んで馬を歩かせているのはナートラである。彼は冒険者ギルドより乗合馬車の護衛依頼を引き受けており、腕ほどの大きさの戦鎚を肩へ乗せて周囲の警戒に当たっている。
また、3人の冒険者が馬車の後ろへついて歩いているが彼らも護衛依頼を引き受けた者達である。
乗合馬車が野盗に襲われることは、このキルヒ王国内では比較的少ない。
この国では奴隷制度がないため人を攫っても金にならず、女を攫って慰み者にする、あるいは運よく身なりの良い者が乗っていれば装飾品等の金目のものを奪っていくくらいしか実入りがなく、日夜食糧事情に追われている野盗にとってはうまみの少ない獲物なのである。
同じ馬車を襲うのであれば、商人の馬車を襲った方がよっぽど効率が良いのであった。
とはいえ、女性にとっては野盗に攫われ身を壊される危険が少しでもあるのは、非常に恐ろしいものである。
その為、乗合馬車の中には冒険者の護衛をつけ、安全性を売りにしている便がある。それがルイナの乗っている馬車であり、乗客も身を護る術のない女性ばかりであった。
「あのさーあんた、昨日、冒険者ギルドにいた子よね?」
ルイナが帆馬車の外をぼんやりと眺めていると、乗客の一人が声をかけてきた。
見ると、柔らかそうな茶髪を後ろで束ね、勝気に目の吊り上がった顔がルイナの顔を覗き込んでいた。
年の頃は―――ヒト族に吸血鬼の年齢感を当てはめていいかどうか分からないが、13~4歳くらいに見える少女であった。少なくとも、12歳である自分よりは年上そうだとルイナは判断した。
「ええ、いましたよ。え~と…?」
「あっ、ごめんごめん。あたし、ミチっていうの。昨日、冒険者ギルドにいてね、あの騒動? あんたがあの神父をぶっ飛ばすところを見てたのよ」
「あぁ、なるほど。昨日はうるさくしてしまってごめんなさい。私はルイナ。ヒト族です」
「えっ? あ、うん。あたし……も、ヒト族よ…」
声をかけてきた少女―――ミチは、戸惑いつつもルイナに倣って種族名を言う。
ルイナは知らないが、自己紹介の際に種族名を言う習慣は、ヒト族においてはあまりない。地上における絶対数が人間種の他族と比べ、圧倒的に多いからだ。
およそ種族を勘違いされるような特徴―――例えば、エルフのように金髪痩身で美麗であったり、ドワーフ族のように黒髪で背が低く丸っこい印象であったりしない限りはヒト族であることを名乗らないのが普通である。
ちなみに、エンター族は外見において他人間種族と明らかに違う特徴を持っている為、他族と間違われるようなことはない。
―――つまり、ミチがルイナの自己紹介に戸惑ったのも当然であった。
「えっと、あのさ、あんた冒険者よね? 今日は護衛?」
「いえ、違いますよ」
「あっ、そう……そうよね、護衛だったら馬車に乗らないわよね」
「いや、それもですが私、まだ冒険者ではありませんので」
「えっ、えぇぇっ?!」
ミチが驚いた声を上げ、ほかの乗客が何事かと2人を見る。
これから少なくとも4日間はこの帆馬車の中で共同生活を営むことになるのだ、雰囲気が悪くなるようなことだけにはなって欲しくないと願いながら、彼女たちの様子を伺う。
「あっ、ごめんごめん、あたし、勘違いしちゃってたわ……あ、でも、もしかして『まだ』っていうことは、あんたも冒険者登録の為にバザーへ向かってるの?」
「そうですよ。もしかして、ミチさんも?」
「そうよ。人を探したくて……ね。ちょっとひとより魔術が使えるから、冒険者になって自力で探そうかなって」
「―――人探し、ですか?」
「うん、父よ」
「お父さんを―――偶然ですね。私も、お母さんを探す為に冒険者になりたいんです」
「えっ、そっ、えぇ、そうなの?」
ルイナは首肯する。それを見てミチは『はぁ~』と気の抜けたような声を上げる。
「まさか、あたしと似たような理由で冒険者になろうとしてる人がいるなんて、思わなかったわ」
「―――変ですか?」
「いや、変じゃないし、いなくもないでしょうけど……普通、人探しは自分の手じゃなくて冒険者への依頼になることが多いからね」
情報の伝達方法が紙か口頭のどちらかしかないこの世において、人を探すためには足を動かさねばならない。
しかし、野を行くには危険が溢れ過ぎている―――その最たる例が魔物である。
魔物の多くは個の人間種を圧倒する力を保有している。
ろくな訓練も受けていないヒトでは、レッサーゴブリンのような特に目立った戦闘能力のない最弱の魔物相手でも苦戦を強いられる。
それがもう一段危険度が上がってゴブリン、コボルトのような戦闘能力を有する魔物相手では生きるか死ぬかの戦いになる。
しかも彼らは群れる―――そんな群れに出会ったヒトは死に物狂いで逃げるしかない。逃げきれなければ、彼らに生きたまま食われる運命に見舞われてしまう。
だからヒトは集団で行動する。
この乗合馬車もその一例で、こういった馬車は個人で使用するには少し高価な魔除けの香を焚きながら移動している。こうすることで町と町の間を安全に行き来することが出来るのだ。
しかし、馬車での移動はそれなりに値が張る。
運賃は移動距離や行程の難しさ等で大きく変動するが安くとも金貨4~5枚ほどかかる。人探しを目的とした場合、この移動経費が目当ての者を見つけるまで延々とかかるのだ。
更にその間、自分の元いた土地を長く離れるわけになり、その間収入がなくなってしまう。
なればこそ、ヒトは人探しを冒険者たちに、例えば金貨50枚等で依頼をかける。その方が安上がりであるし、安全である。確実性はないが、それは自分で探したところで同じである。
結局、人探しは力のある冒険者たちに任せることが最も効率的な方法であった。
そんな中、彼女たちのように人探しを目的に冒険者になる者は『強い』、『依頼するほどお金がない』、『安全性を考慮しない莫迦』のいずれかなのである。
―――もちろん、『強い』以外の理由で冒険者を目指したところで待っているのは冒険者ギルドからの『農夫』認定である。
「はぁ……でも、そうよね。あんたくらい強ければ、人探しも依頼じゃなくて自分で探しに行けちゃいそうよね」
「いや、私、強くなんてないですよ…」
ミチの言葉に、ルイナは頭を振る。
彼女にとって、自分の強さを如何にも信じることが出来なかった。
何せ身体が勝手に動くのだ。それで今までの窮地は全て脱することが出来ていたが、ある日突然、身体が反応しなくなってしまったらどうなるのか? ―――不安は尽きない。
ただ、今はそのわけ分からずの力に頼るしかない。ルイナは薄氷の上に立たされているような心もとない気持ちを抱いていた。
一方ルイナの言葉を、ミチは額面通りには受け取っていなかった。
冒険者ギルドでの騒動の時に見せた、彼女の行動は目に焼き付いている。
『輝ける陽光』により皆がひるんだ瞬間に駆け出した神父、完全に後手となったはずなのに目にも留まらぬ速さで間を詰め、スタッフの一撃で無力化をする―――およそミチにとって見たこともない破格の強さであったし、周囲の冒険者ですら口をあんぐり開けていたから、皆にとっても驚きの光景だったに違いない。
近距離戦闘においても武を誇り、尚且つそれを鼻にかけていない物言いをするルイナに対して、ミチは同じ魔術師として負けてられないと、密かなライバル心を抱くのであった。
「ほう、客の中に冒険者希望の子がおったのか」
「はい、ミチっていうヒト族の子なんですけど―――」
その夜、本日の行程分を踏破し、乗合馬車は街道沿いの草原にてキャンプを開いていた。
火と魔除けの香を焚き、今夜はここで野宿をする予定である。客や御者、護衛の冒険者は銘々食事を摂り、好きなように過ごすのであった。
そんな中、ルイナはナートラの傍に寄り、今日馬車の中であったことを思い出しながら話していた。ナートラはそれを、頬の皺を指でなぞりながら聞く。
「ふむ―――なるほどの、嬢ちゃん。冒険者になったらその子と一緒に旅をしてみてはどうじゃ?」
「え、一緒に、ですか?」
「そうじゃ。パーティーというものじゃな。目的や話の合う冒険者同士で手を組み旅を共にする、仲間じゃ」
「仲間―――ですか……」
ルイナは一瞬ぴくりと肩を震わせると、表情を消しながらナートラの言葉を繰り返す。
―――出会った当初と比べると、格段に生気と人らしさを取り戻しつつあるとナートラは考えているが、時たま彼女が虚ろな表情を浮かべる時がある。
それが『仲間』という言葉を聞いた時だと、ナートラは気づいていた。
恐らく彼女の凄惨な生い立ちの中、精神的外傷となる出来事があったのかもしれないが、それでもナートラは『仲間』という言葉を使い続ける。『仲間』とは、本来良い言葉であるべきだと思っているからだ。
「そうじゃ。嬢ちゃんは戦士で、聞けばその娘は魔術師であろう? 前衛と後衛で役割も分かれておる。
旅をするのであれば本当はもう少し大人数―――そうじゃな、5人から6人くらいでパーティーを組むのが好ましいのじゃが、嬢ちゃんの目的はちと特殊じゃ。金稼ぎでも武勇を上げることでもなく、当てのない人探しじゃ。
そんな旅に付き合える者はなかなかおらんじゃろて、行く先々でパーティーを乗り換えていく助っ人のような立ち位置が良いかと思っておったのじゃが、目的が同じであればその娘とは常に一緒に動けるじゃろ―――旅は1人よりも、2人一緒にいた方がええ」
「はぁ……」
ナートラの言葉に、ルイナは曖昧に相槌を打った。
彼女は『仲間』というものに―――恐怖心を抱いていた。
仲間だと信じていた者が実は仲間ではなかった。
……そんな想いを、もうしたくはなかった。
ただ、そう思うと同時に記憶に新しい『ナトラサでの出来事』は、相当特殊な出来事だったと理解もしている。
それに、1人はとても悲しい、寂しい、苦しい、痛い……今のナートラのように、近くに誰かいないと、心が砕かれた少女が出てきてしまいそうだった。誰かと一緒にいることで、自分は心を取り戻した少女でいられる。それはとても良いことだ。
ルイナは複雑な心境の中、喉を鳴らして小さく唸る。
一方、ナートラはルイナには誰か特定の相手と長期間パーティーを組ませることは好ましいと考えていた。
短期間でパーティーを転々としていくのは人との出会い、別れを繰り返し心の成長にも繋がると思うが、その成長は表面的なもので終わってしまうかもしれない。
それよりも誰かと深く心を通わせ、信頼しあえる仲になればより根源的に、人として成長できるのではないか。
―――そして行く行くは、母の死を直視できるほどに成長しきってくれれば良いと、ナートラは考えていた。
「まあ、無理にとは言わんが明日馬車の中で話してみるとええじゃろ。もしかすると相手も同じことを考えておるかもしれんぞい?」
「う~ん……分かりました、おじいさん。一度、話してみますね」
ルイナは複雑に絡まった感情を表情に映しながらも、ナートラの言に従うことにした。
ナートラはそれを聞いて、満足そうに頷いた。
その夜はそうして終わり、次の朝―――ルイナにとって不幸の始まりである朝がやって来るのであった。