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幕間.二人の父親

 




 Side:アーデルセン



 ―――どうしてこうなったのだ。


 アーデルセンは今日何本目かになるボトルを開け、中身をグラスに注ぐと一気に喉へ流し込む。どろっとした液体が喉を通り、甘みと酸味のある爽やかな味わいとコクのある香りが鼻孔をくすぐる―――しかし、そこからいつも得られる高揚感、多幸感が今日は全く昇ってこない。


 吸血鬼という種族の中で最も強い―――強かった彼は、およそ疲れを知らない。少なくともこのような状態になってから丸二日が経つがその間不眠不休で働こうが英気を損なうことはない。

 しかし、今の彼の姿からは疲労と倦怠が滲み出ており、ワインボトルの補充に来る召使いも王の暗澹たる様を見て表情を暗くさせるのだった。


 ―――どうしてこうなったのだ。


 彼は王としての職務を放棄し、書斎へ引き籠っていた。仕事など、とても手につかない。民の前に顔を出すことも、臣下との会議に顔を出すことも全て拒絶し、苦悩と後悔で頭を抱え込んで過ごしていた。


 彼は先代の王の嫡男として生まれた。

 血に恵まれたおかげか、彼の魔素変換効率や魔素許容量の伸びしろは他を圧倒的に凌駕し、70年もしない内に先代の王の力さえも上回り、力と血によって盤石な地位を築いた彼は先代の王が崩御した際に異論なく戴冠を為った。

 順風満帆たる第2の生であった。


 彼にとって、前世の記憶は既に印象が薄い。最早90年以上も前の記憶であるし、辛く不条理で弱肉強食たるヒトの世を思い出しても良いことなど何もなかった。それであればと彼は今生の吸血鬼たち―――同族同士で切磋琢磨し、協力し、より良い生活を営めるよう心を砕くことに専念したのであった。


 彼は武王でもありながら、政治にもよく口を出した。

 弱い者が損をしないように、強い者が一方的に利益を貪らないように、しかし強者と弱者の間には敵愾心が生まれない範囲で区別を設ける。下の者は上を目指し、上の者は下を引っ張り上げる。そういう街作りの為に彼は粉骨砕身、己が身を顧みずに職務に励んでいたのである。


 そんな中、30も歳が離れているリリスフィーへ電撃的な恋に落ち、怒涛の合間に婚約、結婚を果たした。アーデルセンは当時、齢にして79歳であり、ヒトの身であれば老体である自分がそこまで恋に燃えることになるとは思いもよらず、様々な儀式やイベントを駆け抜けた後に大層なことをしたもんだと自分で驚いた。


 そして2年もしないうちに待望の子供が生まれた。吸血鬼の繁殖はヒトと比べて成りにくい。30代と若く結婚すれば生涯3~4人の出産は望めるだろうが、アーデルセンの歳では1人、ないしは2人生まれるか、あるいはまったく子宝に恵まれない可能性だってあった。そんな中で生まれてきた我が子を、珠の様に可愛らしいその娘を、たくさん愛そう、立派に育てよう、そう決意した。

 そしていつの日か立派な淑女となったなら、政治や血の良し悪しを語りたい。もし旦那となる者を連れてきたら、自分は平静を保っていられるだろうか。

 あぁ、美しい顔の造形はリリスフィー譲りだが、目つきの悪さだけは自分に似てしまったな。そこがまた愛おしい。


 そんな、それまで堅物であった自分を骨抜きにさせてしまう存在があることに、前世においても経験のなかった『家族』という幸せの枠組みを作ってくれたことに、妻と我が子へ感謝を捧げた。


 ―――それも今や、遠き昔の話である。

 現実はどうだ。娘は血を飲めず、成人の儀が差し迫った時でさえ血が飲める兆候が見えてこない。食材に混ぜ込んでみたり、加工してみたり、薄めたり、寝ている間に無理やり飲ませようとしたこともあった。

 しかし、どれも叶わなかった。ヒトの毛の色や年齢によっても味が変わるそれを、娘は全て吐き出した。


 暗澹たる気持ちの中、何か手はないか、娘にヒトの血へ興味を持ってもらえないか。苦悩を極め、出てきた苦肉の策が自分の血―――吸血鬼の血を出してみることだった。


 吸血鬼の血は異常な生臭さと醜悪な味を持ち、飲むのも嗅ぐのも堪えない。これと比較すれば、ヒトの血がいかに飲みやすいか、美味しいかを分かってくれるはず。そう思っていた。


 しかし、娘はそれを飲んだ。飲んでしまった。しかも、嬉しそうに、美味しそうに、歓喜に身体と唇を震わせながら飲み干した。

 まさか飲めると思ってもいなかった。だから血を飲むことが出来て喜ぶ娘を見て、窘めや叱責の言葉が出ずに思わず誉めてしまった。ますます、娘は喜んだ。


 ―――もしかすると、吸血鬼の血を飲むことで娘はヒトの血も飲めるようになるのではないかと思った。血が飲みたい、もっと飲みたいと強請る娘を嬉しく思い、そんな根拠のない妄想に執りつかれていた。

 しかし、そんな甘い夢想は最後まで自分を騙し続けてくれなかった。闘争の儀の日、儀式に出席した新成人たちの顔を見回し、娘が皆と同様しかと儀を果たすという覚悟を持った目をしているのを見て、これで血が飲めなくば彼女は再起できないのではないかと思い、震えた。


 血呑みの儀に対し、何の覚悟もなしに望めば娘は動転し、回し飲み故に飲むふりをすれば良いということにも気づかず、血を飲み、吐き出すだろう。


 それでは不味い、なれば事前に娘へお前は吸血鬼の血は飲めるがヒトの血は飲めないということを伝えなければならない―――伝えられるはずがなかった。娘が、血を飲めたと喜んだ顔を思い出すと、それを踏みにじる勇気はどうしても彼には持てなかった。


 そして事件が起こり、娘が意識を失ってしまったがために血呑みの儀は延期となった。このまま起きない方が、あるいは娘の幸せなのかもしれないと本気で思ったこともある。


 しかし、娘は起きた。同い年である新成人の子らが甲斐甲斐しく見舞いや薬の調達を行なってくれたおかげで娘は快復した。どれだけ複雑な思いを持っていようが、娘が起きて話すのを見ると自然と涙が零れた。本当に良かった―――心から、そう思った。


 だが、娘が起きると血呑みの儀は再開される。迫る血呑みの儀を前に、娘へは以前と同様ヒトの血を与え始めた。せめて、血呑みの儀を前に心構えだけはしておいて欲しかったからだ。回し飲みをすれば良いという解決策については、結局教えることが出来なかった。それを語るには何故以前は血が飲めたのか、何故また血が飲めなくなったのか、その事情を知る者として真実を語らなくてはならなくなるからだ―――娘に、真実を語るのは怖かった。


 そして血呑みの儀、当日―――最早思い出したくもない。娘の『異端』扱いは、覚悟を決めていた。実力を何よりも重んじるグーネルが、息子を許嫁に充てている娘が血も飲めない無能であることを許すはずもなかった。むしろよく今まで見逃してくれたと思う。やはり、衆目の目に晒される成人の儀というのが制限の刻であったのだろう。それは―――仕方のないことであった。


 しかしその後―――ああ、今なら分かる。娘がああなってしまうことを予想するべきだった。吸血鬼の血の味を覚えた娘が、ふとした拍子で吸血行為に及んでしまうことを、危惧しておくべきだった。

 それはヒトを吸血することとは意味が大きく異なり、このナトラサの街の吸血鬼を根絶させる、破滅の一手であった。それを止められたのは父であり、王であった自分しかいなかった。


 そしてその後、娘の演技に騙され、自分は娘の処刑を受け入れた―――今となっては娘の意図も分かる。あれは自分へ処刑を受け入れやすくする為に、そして処刑した後の罪悪感を減らす為にした行為だったのだ。あのまま娘が砂となって死んでいれば、きっと自分たちは娘のことを辛くは思うが、王族の血を絶やさないために次の子を成す努力をしていたかもしれない。


 ……だが、もうその気すら失せた。娘の心を壊し、その定まらぬ心のまま街を出て行かざるを得ない状況を作った自分が、いかに次の子などと思えるだろうか。いかにリリスフィーに顔を向ければ良いのか。


 ―――あの日以来、リリスフィーとは顔を合わせてもいない。自分が気を失っている間に起こった事の顛末を聞き、彼女もまた心を壊したようだった。寝室に籠り、泣き喚き、物へ当たり散らしていると召使いから聞く。

 だが、自分よりはマシであろうと思う。彼女に今回の件に関する責はない。どうにかする方法を持っていたかもしれないのは、自分の方なのだから―――後悔とは、出来た者がしなかったときにするものであるから。そして泣くということは、いつか泣き止むということだ。その時に悲しみは浄化され、前を向く姿勢が出来るだろう。悲嘆のあまり、泣くことすら出来ない自分より、彼女はマシなのだ。


 そう、娘の心が壊れる瞬間を目にした、自分が一番辛いのだから―――

















 ―――そしてその日、彼は妻であるリリスフィーが娘の後を追い、太陽の光へ身を投げ砂と消えたことを聞くのであった。




















 Side:カネル



「ん、…んん…?」


 意識がはっきりしない。カネルは混濁する視界の中、ゆっくりと半身を起こした。


「いたっ…」


 身を起こすと首元にピキリとした痛みが走る。寝違えでもしたのだろうか、ズキズキと痛む首元に手を当て、辺りを見回す。そこは自分の部屋であり、自分が寝ていたのはベッドの上である。何もおかしなところのない一日の始まりのように感じるが、カネルは不自然に思う。


 昨日、自分の部屋で寝た記憶がない。あるのは、血呑みの儀、必死に血を飲むふりをするアリス、そして―――


「…っ!」


 カネルはベッドから飛び起き、自室を飛び出す。痛む首はこの際、まったく気にならない。それ以上に、気にしなくてはいけないことがある。ずかずかと邸内を歩き、やがて一つの戸を開け、中にいる父へ詰問をする。


「父上っ! アリスは―――アリスはどうなったのですかっ?!」


 突然のカネルの登場に驚く様子もなく、彼の父グーネル公爵は自分の爪を研ぎながら答えた。


「アリス、か―――彼女は街を出た。もうお前が会うこともないだろう、忘れろ」

「なっ…!」


 カネルは絶句した。父のその言葉で、おおよその顛末が推測出来たのだ。


 恐らく―――アリスは『異端』となってしまったのだろう。そしてこの街に居場所がないと思い、絶望して街を出て行ったのだ。


「……父上、出て行ったのは昨日ですか? それとももっと前ですか?」

「昨日だ。お前が寝ていたのは21時間、彼女が街を出たのはそうだな―――地上に出るまでの時間を考えると、15時間前といったところか」

「くっ……」


 カネルは父の言葉に苦悶の声を上げ、踵を返して戸に向かう。


「待てカネル、どうするつもりだ?」

「決まっています、アリスを連れ戻してきます…!」


 カネルは焦っていた。自分が気を失っていた時間は身体の感覚から推測していたのと大きな差はない。しかし、アリスが街を出てから経った時間が不味い。15時間―――つまりは昼夜が逆転するだけの時間だ。アリスが出て行ったのは夜だろうから、今は昼の時間帯だろう。


 アリスは地上において、陽光を避けるための洞窟や避難所の場所を知って街を出て行ったのだろうか? ―――断じて良いが、知らずに出ただろう。

 そうなると日中、吸血鬼は地表にある点在した木々の影に隠れるしか生き残る術はない。身を縮こませ、太陽の傾きに合わせて身をずらす。そんな神経の擦り切れるようなことを、街を追い出されたばかりのアリスが出来るとも思えない。

 それに、そうした状況でヒトや魔物に襲われれば一巻の終わりである。アリスに自衛の手段はないし、あっても陽光により身動きが取れない。


 今、アリスがどのような状態に立たされているか分からないが、それでも今はすぐに地上へと駆けつけ、陽が沈み次第すぐに捜索に移れるようにしないと助かる命も助からないかもしれない。カネルは居ても立ってもいられず、踵を返して戸へ向かう。だが―――


「行くことは許さん。それに、今は夜でお前が地上に出る頃には夜が明ける。行っても無駄足になるだけだ」

「えっ……?」


 背中越しに語られる父の言葉に、カネルは間の抜けた声を上げた。


「えっ、父上―――今は、夜なのですか?」

「ああ、今は夜の10時だ。アリスが街を出て行ったのは朝7時頃のことだな」

「えっ、はっ、えぇっ…?」


 カネルは父の語る言葉の意味が理解できなかった。

 渓谷の出口周辺には陽光から隠れられる障害物も何もない、曝け出された大地があるだけだ。そんな中を吸血鬼であるアリスが出歩けるわけがない。全身を服で覆うなどでは陽光の呪いが防げないのは周知の事実だ。


 何が起こっているのか、果たして自分は父に誑かされているのではないかと疑心にかられるカネルだったが、やがて父は口を開く。


「仔細は追って話すが奴は陽光に堕ちても砂にならぬ身であり、そしてこの世のどの吸血鬼よりも強い力を手に入れた。父としてお前に断言しておくが、奴が地上の魔物や人間種の手にかかり死ぬことは確実に無い。安心しろ」

「は、はあ?」

「それよりも喜べカネル。お前に新しい地位をやれるかもしれないのだからな、ククク……マディラータを破った奇跡の姫として神輿を担ぎ、取り入る算段が大きくずれた。いや、僥倖だな。たまにはあの朴念仁(ライドン)も役に立つものだ」

「は、はぁ……」


 喉を転がすように笑う父に、カネルは曖昧に返事をする。そんな彼の気も知らず、グーネルは爪研ぎをしながらただくつくつと小さく笑うのであった。








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