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123.赤十字と一振りの剣




「その喧嘩、少し待ちなさい!」

「……なんだ?」


 薄暗がりの路地裏を歩いてしばらく。剣を腰から吊るした2人組の背を見つけ、ミチは声を張り上げた。


 喧嘩とは言ったものの確信はない。路地に入る前に聞こえてきた声や音から推測して言っただけである。ただ振り返った男達の向こう側に、もう1人―――頭部を血で濡らした少年が伏しているのをミチは見た。


「……殺したの?」


 自身の張り上げた声に対し、地に倒れている少年はぴくりとも反応を見せなかった。ミチは目尻を細め、男達を睨み上げる。


「殺してなどおらん。殺すわけがなかろう?」


 言って、男の1人が少年の腹を蹴る。その拍子に少年から苦悶の声が上がり、言葉に偽りがないことが証明された。


 ただ、ミチの吊り上がった目尻が更に険しく尖る。


「…何があったか知らないけれど、ちょっとやり方が乱暴なんじゃないの?  そのままじゃその子、死んじゃうわよ」

「―――ふん」


 ミチの言葉に対して、男は応えない。代わりに鼻を鳴らし、外套の中に手を伸ばして何かを取り出そうとする。


「私達は―――」


 ―――ガツッ!!


 そうして何事か言葉を発そうとしたところで、突然、鈍い音が路地裏に響き渡る。


「が、はっ―――」


 そして短く苦悶の声を漏らし、今までミチに応対していた彼が前のめりに倒れる。残されたもう1人の彼も、ミチも、突然の事態に目を見開く。


 しかしいち早く、ミチは倒れた男の向こう側に白色の影を見つけ、何事が起こったかを把握する。


「っ、待ちなさいっ、ル―――!」

「貴様、なにを―――」


 制止の声をかけるミチより僅かに遅れて、片割れの彼もルイナの存在に気付き、焦りの表情とともに抜剣する。


 ただ、彼が動けたのはそこまでである。次の瞬間、少女の姿は白の輪郭だけを残して掻き消え―――代わりに、強烈な衝撃が彼の首元へと叩き込まれる。


 吹き飛ばされる。地を勢いよく転がり、やがてミチの脇を通り過ぎたあたりで勢いを失くす。口から泡を吹き、焦点の定まらぬ眼でただ宙を眺めている……当然、既にそこには意識はない。


「………」


 目の前で起こった一部始終を、ミチはただ見ている事しかできなかった。制止する間は与えられず、その力は振るわれてしまった。


「―――どうして、ルイナ?」


 息を浅く吸い、冷たく問うた。通りの向こうから歩み寄ってくるルイナに対し、震える喉を抑えて平坦な声音でもって訳を問うた。誰に正義があるのか分からないままに振るわれる暴力は、彼女にとって看過できぬ悪行であった。


「このヒト、早く治療を行わないと大変だと思って…ですから……」


 対して、ルイナは鼻をつまみながら地に伏す少年のことを見下ろす。苛立ちを瞳に乗せたままミチも見るが、髪が半分染まるほどに頭部は血に汚れ、足に裂傷のようなものが見える。そして変わらず、身じろぎすらしない。


「………」


 ミチは天を仰ぎ、肺を空気で一度満たした。今の状況、少年の症状、何も分からないままだが、この場でルイナへ説教し始めるのが最優先であるはずがない……そう、苛立つ心の波を飲み下し、彼女は前へ向き直って倒れている少年へ歩み寄った。


「ルイナ、話は後。とりあえずこの子の傷をみるからそこをどいてなさい」

「はい、ミチさん…」


 応えるルイナの声音が常より暗い。ミチが抑え込んだ怒りを悟ってのことであろう。それが分かる彼女であれば今は何も言うまい。ミチは少年の身体をひとまず、仰向けの状態にゆっくりと直した。


「………」


 その拍子に、薄らと少年が瞼を開けた。彼は掠れるような息を吐くとともに、弱々しく口を動かし呟いた。


「た、すけ……ねぇ、ちゃん…」

「……分かったわ、大丈夫。ちゃんとみてあげるから安心なさい」


 彼の意識は未だ半分失われているようなものであった。焦点合わぬ視線からミチの顔を探し、必死に助けを求めてくる。


 ミチがその縋るような眼差しに頷き返すと少年は再び目を閉じ、体を弛緩させた―――息はある。どうやら再び気を失ったようだ。


「……さて」


 それを見届けてから、ミチは傷を確認し始める。まず分かりやすいところで、遠目に見えた足の傷はやはり裂傷であった。右足のももを切られ、満足に歩ける状態ではない。先の男たちに斬られたのであろう―――幸い脈には傷が入っていない。


 取り急ぎは薬草で処置が可能であり、命に関わる傷ではない。そう判断を下してミチは次の傷を見る。


 薄手の衣から晒される彼の肌には、殴られた痕らしい内出血の痣が多数見られた。具合から最近出来たもの―――つまりは、これも先の男たちにつけられたものであると想像できた。


「……ひどい」


 呻くような声がミチの口から零れる。足を奪われ、抗う術なく大人2人に痛めつけられる―――どれだけ恐ろしい思いをしただろう。彼女の視線は自然と倒れた男2人の方に向けられた。


「………」


 しかし感情を瞳に表すのを抑え、彼女は引き続き少年を診ることにした。今は熱よりも冷静さこそが肝要である。


 そうして最後に頭部へ手をかける。彼の灰色の髪は半分ほど、真っ赤に染まってしまっていた。


 頭部の傷は素人の手に負えない。ミチには他人ひとより医学に明るい自負はあるが、一方で初歩的な医学知識をかじっただけだと程度をわきまえている。他の傷ならいざ知らず、頭部の外傷は医者による治療か、神術士による奇跡に頼らねばなるまい。


 この場でミチに出来ることは傷に布を押し当てて、出血と化膿を抑えることくらいである―――あとはこの少年の身寄りに、治療費やお布施を払えるだけの資産があることを祈るばかりだ。


 ……ともかく出来ることは少ないが、彼女はそれでも頭部の傷を探ろうとして―――


「……え、嘘…」


 やがて困惑の声を漏らした。


 血が出ていない……彼の髪を染めているはずの血の出所が、頭部のどこにも見当たらないのだ。


 足からの出血が頭部を染めるには無理がある。しかし他に出血部位は見当たらない―――それどころか、触れた髪はどこも乾き切っていて湿り気がない。もし血が乾いているならば、これほど鮮やかに赤を示すわけがない。


 それでは彼の髪を赤く染めているこれはいったいなんなのだ―――と、ミチが動揺に視線を脇へずらした時。


「っ……、まさか……」


 彼女はとうとう、『それ』を見つけてしまう。

 自分の『考え(まさか)』が間違っていることを祈りつつ、倒れている男の傍らに落ちていた『それ』に近づき、拾い上げて―――ミチは先よりも低く、『ぅっ』とうめき声を上げた。


 白金素地の記章―――手のひら大のその中に、赤十字と一振りの剣が刻まれたそれはまさしく、ラサ教の異端審問官の身分を証する記章であった。


 ミチは拾い上げたその記章と横たわる少年―――2色の髪を持つ彼とを見比べて、やがて頭を抱えてその場にうずくまるのであった。


「あぁ、もうっ! どうして、こうなんのよ…!!」


 彼女が吐き捨てるように出した問いへ答える者は、その場において誰もいなかった。







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