120.風雲急を告げる
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私は大切なものを、守っていく。
私は大切なものだけを、守っていく。
それだけでいい。
それしかいらない。
私はこのまま、旅を続ける。
大切なひとと、旅を続ける。
そうだ。それだけで、私は幸せなんだ。
背中には故郷があって。
隣には友達がいて。
前には道が続いている。
幸せ。幸せ。今だけでとっても、幸せなんだ。
だから、だから―――
誰にも、邪魔なんかさせない。
道を塞ぐ奴らを、私は許さない。
ミチさん。
ミチさん。
ミチさんが隣にいてくれるだけで。
私は、幸せなんだ。幸せに、なれるんだ。
それを、私は、奪われないようにしないといけない。
それを、私は、絶対に失ってはいけない。
たとえ、この命に、代えたとしても……
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―――息を切らせ、駆ける少年がいた。
駆ける。駆ける。彼は全身を灰で汚しながらそれでも足を動かし、地を蹴った。
走り、走り、道なき砂丘を往ってはや幾時。足は棒に、腕は鉛に、肺から漏れ出る息は熱く短く、胸からせり上がってくる苦しみは痛みへと変わりつつある。
それでも少年は駆ける。砂丘を駆ける。
枯れ木を追い抜き、枯れ草を踏み抜き、灰色に乾いた荒れ野をひたすらに往く。
……かの少年には目的があった。成し遂げるべき正義があった。
少年は駆ける。吐くように息を漏らしながら、目の前が真っ白に霞んでいきそうになりながら。
彼は駆ける。
「……ジュレー…っ!!」
漏れ出る息の僅かな合間、憎々し気に吊り上げられた彼の口は、1つの言葉によって震わされる。
その名はジュレー……道の先、彼が目指す町にいる、とある男の名であった。
「ほ、本当なのっ、それっ!?」
時は10日ほど遡る。
場所はクォーツ公国内、センセンの町にある冒険者ギルド。
時刻は朝方。まだギルド内部には冒険に出かける前の冒険者達が集い、膝を付け合せて話し込んでいる時間帯である。方々冒険の相談をしていた彼らは、一際うるさく響いた声に顔をしかめ、赤髪の少女の後ろ姿を見る。
「ね、ねえっ! 本当っ!? それ本当に、本当なのっ!?」
「ちょ、落ち、落ち着い―――くび、が……ぁっ!」
その少女は衆目浴びていることに気づきもせず、なおも叫ぶ。手には常の杖ではなく、ギルド職員の襟が固く握りしめられている。
「ミチさん、落ち着いて、落ち着いてください!」
「っ、っ……! っ、ごめん―――あっ、いえ、すみません、でした。ちょっと動転してしまって……」
そんな彼女を隣から宥める者がいた。その声によってか、はたまたギルド職員の彼の顔色に青気が混ざり始めたのを悟ってか、赤髪の少女は奥歯を噛み締めて手を引いたのであった。
「はあ、ふぅ……いえ、お気になさらず」
一方、乱暴振るわれた彼も襟元を直しながら短く手を横に振る。相手は少女―――いや、もっと幼い。流石に幼女と形容するのは憚れるので、童女とでも言おうか。そんな童女相手へ頭ごなしに叱り付けたり嫌味を言ったりするほど、彼は若くも老いてもいなかった。
ただ『今後はお気をつけください』と体裁を重んじて注意をし、申し訳なさそうに首肯する赤髪の少女を見て、彼は事の顛末を忘れることにしたのであった。
……ところで件の赤髪の彼女、ミチはれっきとした大人である。
クォーツ公国に入国してより3ヶ月が経つ。1月前に誕生日を迎えた彼女は19歳となった、立派な淑女である。
ただし見た目は身長120センチにも満たない。彼女専用に仕立て上げられた黒の外套は寸法こそぴったりであるが生地面積が小さい故か、どうしても留め具や刺繍などの装飾がちまっとしてしまっている感が否めない。三角帽子にいたっては市販品であるが故、彼女の頭の大きさに合っていない。鍔が少しでも下がれば顔の半分が隠れてしまうほどにアンバランスであった。
彼女はその見た目を魔術師らしくて決まっていると好んでいるのだが……その姿を鏡でしか見ていない彼女は気づいていない。上から覗く者から見れば三角帽子がでかすぎて、外套が帽子を被って歩いているようにしか見えないということを。
……ちなみに上から覗く者というのは、子供を除けば凡そミチ以外の者全てといっても過言ではない。
よって、周囲から見れば彼女は魔術師の真似事をしている子供にしか見えない。たとえ冒険者証明によって正式に魔術師であることを伝えたとしても、第一印象は覆らない。
故に彼女は大人扱いされない。いつでも子供らしく扱われるのである―――ちなみに、この格好をしたミチに対してルイナが述べた感想は適性試験の時に述べた『(全体的に)可愛くて似合っている』くらいである。ミチはそれを『(服が)可愛くて(ミチに)似合っている』という風に拡大解釈して満足してしまっている。
その解釈の溝は埋まらない。ミチは身体は子供だが格好で大人の仲間入りを果たしていると確信しているし、周りは格好含めて子供だと思っている。
そのすれ違いは残念なことに、しばらく解決することはない。
―――と、そんなミチであるが、常は冷静沈着な女である。時に正義感に駆られ啖呵を切ったり、時に慈しみの心で他人を癒したり、感情に多少左右されつつも冷静に観察する芯を持っている。
しかし今、そんな彼女が激情に駆られ凶行に走ってしまった理由があった。それは―――
「魔術師ジュレーでしたら、トンイルの町にいますよ」
「トンイルの町……」
ギルド受付に立つ彼よりもたらされたその情報―――とある町の名前を、隣に立つルイナが復唱する。
「………」
それらの言葉はミチの耳に届くも脳に正しく伝達されない。反芻する『ジュレー』という響きが頭を埋め尽くし、やがて彼女の口から出たものは小さな呟きであった。
「……お父、さん……」
―――魔術師ジュレー。その名はまさしく、彼女が捜し求める父の名であった。
「………」
その日の夜、泊まった宿にてミチは黙考する。ベッドの上で胡坐をかき、眼を閉じて静かに経緯を振り返る。
―――3ヶ月。クォーツ公国へ入国してからの彼女たちの旅路は、キルヒ王国でしていたものとおよそ代わり映えのないものであった。
冒険者ギルドのある町に立ち寄り、ギルド職員に金を払って情報を買う。買う情報は『石造りの宿がある町村』と、『魔術師ジュレー』の2つである。
……ちなみに、何故か2つ目以降に立ち寄った町では情報が先に用意されており、しかも無償で提供してこようとする素振りが見えたのだが、ミチはそれら特別待遇の悉くをあしらった。
もはや押し売りに近い形で情報を渡してこようとしたギルドもあったが、その時のミチの抵抗は凄まじく、その場で渡された羊皮紙を破り捨て即座に町を旅立って行ってしまったほどであった。
後に残されたギルド職員達は背にいるお上の怒りを買い、誰も得しない結末となってしまったのはここだけの話である。
……さらにちなみに、町を出た後にようやく頭が冷えてきたミチは、振り返る頭でもってルイナへ平身低頭謝ったのであった。一時的な自分の激情にルイナまで付き合わせてしまったことが、彼女の矜持なりに許せなかったのだ。
ルイナはその謝罪を、朗らかに笑って受け入れてくれた。ミチはほっと息を吐き、そうしてこれからも同じような対応をギルドに取られたらどうするかと頭を悩ませたのであった。
しかし、ミチが強く拒絶したというその情報すらも共有されたのか、次に向かった町のギルドからは真っ当な扱いに戻っていた。とんだ肩透かしを食らい、ミチは振り下ろし先を見失った矛を収めることにしたのであった。
……そもそも、こんな特別待遇になる発端に心当たりがないわけでもない。ミチは事の顛末を思い返す度に隣に立つ者を眺めるのだが、常識知らずの友は小首を傾げてきょとんと目を丸くして見つめ返してくるのみであった。
―――とまあそんなこんなで。そうして情報を買ってきた彼女達であったが、大体は『石造りの宿』の情報しか入手できず、その情報を頼りに練り歩くというのが彼女たちの冒険の常であった。
しかしそれが今崩れたのである。クォーツ公国に渡って7つ目の町センセン。そこから街道沿いに西進して、一度道を外れて山を越え、砂丘を進んだ先にある町トンイル。馬の脚でおよそ8日ほどの距離にある町に、『魔術師ジュレー』と名乗る者がいるとの情報を入手したのであった。
「………」
ミチはため込んでいた胸の息を、静かに鼻から抜いていく。せり上がる激情は既に収まったが、胸の真ん中が居心地悪く透いているのを感じる。浮き立つ心が、落ち着かない。
……この胸の高鳴りの根幹は何であるのか―――
喜び?
怒り?
驚き?
それとも、やはり、戸惑いだろうか?
……分からない。ミチは常の冷静さでもって、自身が冷静さを欠いているという自覚だけを手に入れる。
「……?」
―――ふと、視線を感じて目線を上げるとルイナと目が合う。
不安そうな面持ちをしていた―――ように見えたが、それは幻覚であったのかもしれない。瞬きもしない間に負の印象は掻き消え、代わりにそこへは笑みが浮かべられていた。
「良かったですね、ミチさん! お父さんが見つかって」
「……ええ、そうね」
答える。しかし、その返事が自身の本心であるのか自信がない。
此度情報を手に入れた『魔術師ジュレー』の所在。同姓同名の別人である可能性もあるが、そもそも数の少ない魔術師である。探していた父である可能性こそ高いとミチは考えていた。
……本当に見つかるとは思っていなかった。自分が生まれる前に消えた父など―――20年も前に消息を絶った者など、どこかで野垂れ死んでいると思っていた。
だから、自分と母を捨てた父を殴りに行くなんて名目で旅に出たけど、本当は死んでいることに少しだけ―――いや、結構期待していた。どこかに行ったけど、本当は自分たちのもとへ帰りたがっていたけれど、死んでしまったから帰ってこられなかった。捨てられ、忘れ去られていたわけではなかったんた……と、そんな真相に期待していた。
だけど生きていた―――なんで? どうして死んでくれていなかったの? どうしてあたしを迎えに来てくれなかったの? どうしてあたし達を……あたしを、捨てたの?
……おかしいな。あたし、どうしたいんだろう。
「ミチさん。せっかくお父さんが見つかったんですから、とにかく会いに行ってみませんか? きっと、話せば何とかなりますよ!」
「……そうね。ありがとう、ルイナ」
ルイナより気遣いの言葉を貰う。父との誤解を言葉によって解した彼女に言われると、何となく勇気づけられるものがあった。
―――しかし果たしてそれは、自分が今望んでいる言葉であっただろうか?
分からない。自分が父に会いたいと思っているのか。会って何を話したいと思っているのか。
……そもそも、会って何を話すのが正しいのか、全部分からない。
「………」
そうしてミチは1人、思考の海に溺れるのであった。




