小話『ルイナ、ミチに魔術のイロハを教わる(その1)』
◆ルイナ、ミチに魔術のイロハを教わる(その1)
「う~ん……ん~? う~ん……」
「………?」
それはクォ-ツ公国内、無事に国境を越えられ旅を続ける2人組―――ルイナとミチの間に起こった、とある会話の一幕である。
街道脇に野営の準備を終えた夕暮れ時。未だ寝るには早く、各々穏やかに過ごしていた頃合い、唸り声が響く。
ミチが常の杖の他に見慣れぬ短杖を持って試行錯誤に動かし、時たま首をひねっては再び動かす。その様子を地に座りながらルイナは不思議そうに目を丸くしながら眺めているのであった。
傍目からみれば、長短2本の杖を手に持ち珍妙な踊りをしているようにも見える。ただ、時たま杖の先端から魔素が白い光となって零れていくので何かの魔術を行使しようとしているだろうなとは思うのだが―――何やら集中している様子なので口は挟まず、しかしそれでは意図が掴めず。ただただ眺めるだけの時間が過ぎていくのであった。
「んー……駄目っ! 出来ないかぁ、くっそ~……」
やがて、ミチが悔し気に息を吐きながら地に座る。にぎにぎと両手の杖を握り返し、睨みつける―――が、諦めたように再び大きくため息を吐くのであった。
そしてふと、自分のことを不思議半分、不安半分といった表情で見ているルイナに気づくのであった。
「ああ……ごめん。なんの説明もなしに―――ちょっとね。ダメもとで実験してたのよ」
「はぁ、実験ですか…?」
言外に問うていた疑問にひとまずの返事があり、ルイナの視線は短杖の方へ移る。
常のミチが携帯しているのは逆の手に握られている樫製の長杖1本のみであった。所有者であるミチと同程度の背丈があるその杖は、途中で捻りがあったり瘤があったり、決して素直な形の杖ではない。
更に先の方では渦を巻いているように弧を描き、先端の瘤に引っ掛けられる形で多くの紐が吊り下げられている。紐の先にはそれぞれ何かの木の実であったり護符であったりが括り付けられており、装飾が賑やかしい。
以前聞いた話では、材料集めから手掛けた完全手作りの杖であるとのことであった。よくよくミチはその杖を指して『こんな杖』なんて貶めているが、定期的に先端の木の実の交換であったり紐を結び直していたりと手入れを欠かさない。
見た目はみすぼらしいが自分に最も合う杖に仕立てていると言っていたこともある。他の杖へ浮気しようという素振りも見たことがない。愛着有る杖なのだろうとルイナは思っていたし、そもそも彼女自身も賑やかで個性的なこの長杖のことが好きであった。
しかし、ここへきて1本見慣れぬ短杖が増えたのである。濃い焦げ茶色の素地から見るに樫製なのは長杖と同じであろう。しかし元となった木の性格を無視して真っすぐに削られたような直線形、先端にわざとらしくつけられた金属製らしい鈍色の台座は、ルイナの目には非常に安っぽく映った。
極めつけはその台座につけられている緑色の石である。魔石―――ではないだろう。ルイナが見たことがある魔石は彼女が持つ『回復する杖』と、耳につけているイヤリングに込められているものだけであったが、両方とも色を有しながらも透き通るような淡さと綺麗さを有していた。
それが今目に映る石は、べたっと塗られたような色をしている。透明感も何もない、ただの緑色をした石である。
吸血鬼としての母リリスフィーが日頃つけていた装飾品の数々、家々を飾る豪奢な調度品を幼い頃から見ていたルイナからすると、個性的でもなく安っぽく、作り物感が滲み出ているそれはあまり洗練されていないものに見えた。
―――さて、ミチがその短杖をどういう意図で今持っているのだろうか。ルイナは短杖と長杖、そしてミチを見比べ思慮する。
しかし、答えは浮かんでこない。そうこう思い悩んでいる間にミチは短杖を外套の裾部にしまい込み、常の長杖も地に置いて、小首をかしげながら何やら考え込んでいるルイナへ語り掛けるのであった。
「え~とね、魔術を同時に2つ行使できないかって実験してたのよ」
「……? えっと、魔術ってたしか一度に1つずつしか使えないんじゃなかったでしたっけ?」
「うん……まあ、そうなんだけどねぇ……」
ルイナの問いに、ミチは若干不満そうに唇を尖らせて応える。
ルイナの言い分は、この世で長く真実だと語られていた常識である。共に通った冒険者養成学校においても、講師が口酸っぱく口にしていたものだ。
『魔術師は一度に1つの魔術しか使えない。故に魔術師は常に場を見極め、適切な魔術を行使することを求められる。また周りもそのことを念頭に置いて動くべし』と―――
剣や斧、弓矢など、得物が常に一定である他の職業と比べ、魔術師は火や水、土や風など様々な現象や物質を武器として扱える。その役割は臨機応変にして変幻自在。一点集中の火力も出せれば、広範囲にわたり牽制も出来る。戦闘中は攻守ともに後援を果たし、移動中も水を生み出せたり火を起こせたりと役立つ場面が多い。
1人では詠唱を唱える時間が作れないので無力たる彼女達であるが、その弱点さえ除けば『なんでもできる』というのが他の職業から見た魔術師像なのである。
故に、戦闘中の土壇場に魔術師へ多くの指示が集中してしまい、魔術師が混乱して何も為せず、結果パーティが危機に瀕してしまう―――というのが、初心者パーティがよく陥る話なのであった。
『魔術師は戦闘中遊ばせておくくらいが丁度良い』というのは熟練冒険者達の言である。戦況を眺め、的確なタイミングで適切な魔術を行使するのが彼女達魔術師の役割なのである。
そんなわけで、彼女たちが日夜研鑽しているのは効果的なタイミングで効果的な魔術が使えるよう、魔術の質と幅を増やす為であるのだが―――ミチはそことは別の軸、複数同時行使という未知の技術に手を出そうとしているのであった。
「この間会った、その―――『あいつら』よ。あいつらの中に、魔術師がいたでしょ?」
「あいつら……? ああ、もしかしてあい―――えっと、ソーライのことですか?」
ミチは周囲を見回しながら、それでも種族の名前を言うのを避けて『あいつら』呼びをする。
その微妙な言い回しにルイナは一瞬小首をかしげたものの、すぐに『あいつら』が吸血鬼のことを指していることに気づき、名を口にする。
「そう、多分そいつなんだけど―――実はね……」
「じ、実は……?」
そうしてミチは口元に片手を添え、いかにもな間を溜め始める。声も絞られ、街道脇に静寂が落ちる―――自然と、ルイナの喉がごくりと鳴る。
そして、ミチはとうとうその事実を告げるのであった。
「―――なんとそいつ……魔術を同時に2つも使ってたのよ」
「………へぇ~、そうなんですか」
神妙な顔をして語ったミチに対し、ルイナはあっけらかんと答える。
その顔は、『明日は雨が降るらしい』と聞かされた時と同じようであった。自分が教えてもらっていた常識は、もしかすると間違いだったのだろうか? まあ、そんなこともあるだろう―――そんな程度の、小さな驚きを映しただけの表情であった。
「いや、そうなんですか、って―――はぁ~……」
せっかく溜めに溜めて重大事項を暴露したのに、事の重大さをルイナが理解していないのを悟り、ミチは目を瞑ってこめかみに指をやる。これだから前衛職の奴らは―――いや、違うか。これは常識知らずが相手だからこうなっているだけかと、乾いた息を口から吐き出す。
「……あのねルイナ。魔術を同時行使できるってことが本当なら、今までの魔術理論の根底を覆す大事件なのよ」
「え、そうなんですか?」
「そうなのよ―――あぁ、これが使ってるのが吸血鬼じゃなければなぁ…言いふらして学者をけしかけてやるのに……」
そう言って、ミチは頭を掻きむしり、歯がゆい思いを吐露させる。
魔術とは日進月歩。学者の手により新しい魔術の開発が行われたり、失われてしまった古代の魔術を研究したりと手法様々、緩やかにではあるが日々進歩を遂げている。そうして開発・復元された魔術は世に広められ、魔物や魔族に対抗する術として人々の手に渡る。
ミチのように魔術を行動の手段として捉えている魔術師もいれば、研究対象として向き合っている魔術師もいる―――そんな彼らは、魔術師界隈では『学者』と呼ばれている。
そんな彼ら学者に、魔術の複数同時行使をしたソーライの存在を明かせば、砂糖に集まる蟻のように群がるだろう。取材し、研究し、研鑽し、己の力へと変えた後に世へ発表し、名とともにその術を明かすだろう。そうすればミチにもその手法が落ちてくる―――誰もが得する世界である。
しかし残念。ソーライは吸血鬼なのである。その存在を彼女は他人に明かせない。洗脳によってもそうであるが何よりも、ルイナの故郷の存亡にもかかわる話である。故に絶対、明かさない。
「あぁ~……知りたい、知りたいなぁっ、同時行使の秘密! どうやってんだろうなぁ……!」
しかし、倫理観と好奇心とは別である―――悶々とする。ミチは未知のものに目がない。普段は鳴りを潜めているが魔術関連の話になると垂涎である。
彼女らしからず身を抱き、目を輝かせたり難しそうに眉根を顰めたりする様子を見て―――そういえば初めて出会った時、杖を貸してほしいと頼んできたくだりもこんな感じに挙動不審だったなぁとルイナは昔の一幕を思い出し、微かに笑うのであった。




