118.友を思う気持ち ―晴れ―
『……、……、……ぁ―――』
『あらルイナ。おはよう―――気分はどう?』
『おかあ、さん……? けほっ、けほっ……あれ、わたし―――どうし、ちゃったの?』
『うふふ、ルイナ、心配しないで。ほんのちょっと、熱が出ちゃっただけよ。もうじき良くなるわ』
『けほっ……ほんと?』
『ええ、ほんとよ』
―――ガチャッ……
『あっ、母さん! もう、やっぱりこんなところにいた! 駄目だよ、そんな身体でルイナについてたら。うつったりでもしたらどうするんだ!』
『―――もう、あなた。私よりもルイナのことを心配してあげたらどうなんですか?』
『そうは言っても、母さんの身体も―――』
『いいえ、私のことなんて関係ありませんっ! あなたが忙しそうだから、私が―――』
『……やだ』
―――ギュッ……
『…? ……ルイナ?』
『おかあさん、おとうさん―――けんか、しちゃ、やだ……』
『……ルイナ』
『ルイナ、げんき、だから……だから、おかあさんも、だいじょうぶ。ルイナより、おかあ―――けほっ、げほっ……!』
『ルイナ―――ああ、ルイナ……』
―――さわ、さわ……
『ごめんね、ルイナ。つらいのはあなたなのに―――ええ。もう喧嘩なんてしないわ。安心して』
『……けほっ……ほんと?』
『ええ、ほんとにほんとよ』
『けほっ……よかっ、た……ん―――』
『―――ふふ、おやすみなさい、ルイナ』
『……う、ん……おや、す―――』
―――暗転。転回。明転。ルイナの夢はそこで終わる。
「…………」
温かい微睡みの中から、意識か浮かび上がっていくのを感じる。
黒くて暗い底の方から、ふわりふわりと上がっていくのを予感する。
眩しい光が零れて見えて、やがてルイナは薄く瞼を開き―――
「っ―――」
全身を襲う熱と寒さに、身を震わした。
寒い―――背の裏側が、氷のように冷たい。
熱い―――首の内側が、灼熱のように熱い。
「……っ、っ!」
そして、何かが喉の奥からこみあげてくる。抑えることのできない圧が遡ってくる。
我慢できない、ルイナは口を咄嗟に押さえたものの、せり上がってきたそれを口から吐き出す。
「げほっ、げほっ、ごほっ―――!」
灼けるように熱い咳。喉の奥に違和感を伴いながら、乾いた咳をルイナは漏らす。
ああ、体が、熱い。でも、芯が、凍えるように冷たい―――震えが止まらない。ルイナは掠れる視界の中で手を動かし、己の身を掻き抱く。
「げほっ、げほっ―――ぅぅ……!」
寒い。熱い。苦しい。つらい。
身を抱いても、うめき声をあげてみても、何も変わらない。
もがいて、あがいて、彼女は縋れるものを求める。
「気が付いたのね、ルイナ」
その時、誰かの声が聞こえる。目を開き、ぼんやり霞む視界の中で姿を探す。
誰か、誰かが、そこにいる―――
「―――あ……」
そしてひやりと、冷たい感触が額を覆う。
「……う~ん、熱はまだあるっぽいわね。ルイナ、水飲める? それと芋粥くらいはすぐ作ってくれるみたいだけど、食べれる?」
「――み、ず……」
「分かったわ」
違和感だらけの喉を動かし、何とか一言だけ絞り出した。
返事のあとに水を注ぐ音が聞こえる。そして首の下に腕を回され、起こされる。
「はい、水―――ちょっと冷たいかもしれないけど、無理してでも全部飲みなさい。あんた、まる2日は何も飲んでないんだから」
「……ぐっ、うっ―――」
手渡されたコップは温かった。しかしそれを口に当て、飲み下した時には異常な冷たさに呻いてしまった。
それでも、水は、美味しかった。ルイナは水を飲み干し、空いたコップを返した。
「えらいわ。お粥は? いる?」
「………」
首を振る。何かを食べられる気分ではなかった。
視界の向こうで、赤茶色の何かが揺れ動く。
「そう―――じゃあ、寝てた方がいいわ。とりあえず安静にしておきなさい」
「………」
そうして再び首の後ろを腕に抱かれ、ベッドの上に寝かされる。
……ああ、気持ちいい。喉の奥に落ちて行った水の冷たさ。身を抱く腕の心地よさ―――先に覚めた時よりも、ましな気分であった。
「……ぁ」
しかし、ベッドの上に寝かされた途端、腕が引かれる。どこかへ行ってしまう。
ルイナは声を漏らし手を伸ばす。霞む視界の中、宙を掻く。
「……仕方ないわね」
追いかけた先から、声が聞こえた。
伸ばした手の先に、何かが当たる。そして優しく包まれる。
「あたしはここにいるから―――安心して寝なさい」
「………」
握られた手の、温かさ。じんわりと腕を伝って、安らぎが胸に灯る。
ルイナは目を閉じ、温もりに包まれながら―――緩やかに、眠りに誘われる。
「……ありが、とう―――おかあ、さん……」
「お母さんて―――はぁ、まあいいか。おやすみなさい、ルイナ」
髪を撫でられる。そうだ、私は、頭を撫でられるのが好きだった―――
瞼を薄く開く。向こうに見えるのは、赤茶色の何か―――
……あれ、おかしいな。お母さんの髪の色は―――白くて―――わたしも――――
「………」
瞼が落ちる。ルイナは再び、微睡みの中に落ちて行ったのであった。
―――その後。
熱に浮かされていたルイナの意識が回復したのはさらに1日が経ってのことであった。
ルイナの身体は吸血鬼のものであり、ヒトよりも丈夫である。
ただし毒も効けば病にも侵される。彼女は抑えられない身の震えと咳に襲われ続け、三日三晩の時を過ごしたのであった―――とはいえ大半を寝て過ごしていたわけだが。
そうして4日目明けた朝のこと、ようやく自力で立ち上がれるほどに回復した彼女はしかし、ぼんやりと宙を眺める。
付きっきりで看病していたミチが問いかけるも反応は小さい。『今は、まだ……』と言葉少なく語るのみで、最後に『ごめんなさい』と謝り、再び寝入る。
それよりずっとルイナは目を閉じ、寝ているのか起きているのか傍目に分からぬ時を過ごす。たまに起きては水を飲み、そうして再びベッドに横になって目を閉じる。
その間、語る言葉はなく、ミチは日がな一日瞑想に耽り時を過ごす―――そんな風に2人は過ごし、更に3日が経ったある日のことである。
「ごめんなさい、ミチさん。もう大丈夫です」
「……そう」
朝食を一階にて済ませてきて、部屋へ戻ったところを起き上がったルイナに迎えられる。
その言を語る彼女の表情は、微笑。ミチは心の深奥覗けぬその笑みを、信じきれずにいた。
故に、問う。
「―――聞いた方がいい? それとも、黙って頷いた方がいい?」
「今は、聞かないで下さい。整理がついたらお話しします」
「―――分かったわ」
ルイナの答えに、ミチはほんの少しの寂しさを覚える。今、自分の支えは不要なのだと知って。
―――ただそれは、自分も求めていたことでもあるのだ。ルイナが自分の足で立とうとしている。あの、誰かに支えてもらわないと生きていけないという顔をしていた、あの、ルイナが。自分に心配させまいと笑みを浮かべながら、心の傷を認めつつも立ち上がろうとしているのだ。
応援せねばなるまい、共に立ち向かっていかねばなるまい、友として―――ミチは部屋を横断し、窓の枠に引っ掛けていた愛用の三角帽子を手に取り、被る。
「それなら今日、出発よ! まだ3日くらい泊ってもいけるけど、休みはもう十分でしょう―――ルイナ、支度をしなさい!」
「はい! 分かりました、ミチさん!」
こうして彼女達はその日、オーレイの町を発った。旅の供テトに跨り、目指すはクォーツ公国へ渡るための関所。
ミチは背にいるルイナを信じ、心で応援し、前を向く。
自分達は1人と1人。別個の者であり、いつかは道を分かつ者である。
それでも今は、彼女に寄り添う。1人で立ち上がろうとするその勇気を近くで見守る。
手を伸ばされたら握ってあげる。膝を折ったら頭を撫でてあげる。
彼女は友である。手を取り合う者である。
彼女の行く末に幸あらんことを―――良き道が広がっていることを願いながら、彼女は駆ける。晴れやかな空が見渡せる、広大な大地を―――




