115.価値観<結ー下編(下)>
「申シ訳ゴザイマセン、グリード様。ドウカ、吾輩ノ話ヲ聞イテ頂キタク…!」
ルイナとグリード、一触即発であった彼らを止めたのはジェネラルオーク。グリードに仕える、ダンテであった。
彼は鞘を支えにして、民の間を縫って歩く。そして辿り着き、2人の間に割って入るのであった。
「………」
そうしてその場へ跪いた彼を、グリードは見下ろす。
彼―――ダンテは他の民とは違う。将軍を冠する直近の配下の1人であり、この里で指折りの強者であり、忠義の者でもある。彼が制止の声を上げたのであれば、訳を聞かないわけにもいかない。
何か理由があるのだろうと推測したグリードは、しかし彼の装備が酷く壊れ、全身に傷を負っていることに気が付く。
「ドウシタノダ。イツニナク情ケナイ恰好デアルナ」
「……ハッ、申シ訳ゴザイマセン。ヒトニ遅レヲ取ッテシマイ、傷ヲ負ッテシマイマシタ」
「ヒトニ? ……フム」
そうしてグリードは目の前の少女を見下ろす。銀髪の少女―――夜闇に紛れ、吸血鬼かと思いきやヒトであった小娘である。
その力量は未だ分からない。民を薙ぎ払い、王たる自分の前に立ってもなお足を震わさない。ヒトにしては強者であり、雌にしては剛毅の者である。
―――なるほど、ダンテに傷を負わせた者はこいつであろうと悟る。それほどの力量の持ち主であれば、単なる民をいなすことくらい出来るかもしれない。
そこまで推測したグリードは、目の前に割って入ったダンテに再び向き直り―――思いを汲み取り、こう告げた。
「ナルホド、会稽デアルナ」
「ハ……?」
聞こえてきた言葉に、ダンテは間抜けにも声を返す。会稽―――復讐、仇討ちという意の言葉である。それが何故今王の口から出るのか、彼には理解できなかった。
しかし、その様子を見てもグリードは破顔し、満足げに頷き返すのであった。
「良イ、ダンテヨ。オ前ノ考エ、言ワズトモ分カル。敗レタ相手ヲ許サズ討トウトスルオ前ノ気概、余ハ好キゾ。
シカシ、万ニ一ツモ、徒ニオ前ヲ失クス恐レ、余ハ捨テ置ケン。万全ナル身デアレバ別ダガ、今ノオ前ヲ戦ワセルワケニハイカヌ。コノ場ハ余ニ任セ―――」
「恐レナガラ、グリード様…!」
主の言葉を遮り、ダンテは更に深く頭を垂れ、自身の思いを口にする。
「ドウカ、コノ娘―――見逃シテヤッテ頂ケナイデショウカ…!」
「…………何ダト?」
応える王の声音には、苛立ちの響きが混じって聞こえる。
「吾輩ハ、ヒトニ襲ワレタトコロヲ、コノ娘ニ救ワレマシタ。傷ヲ負イ、意識ヲ失ッテイタ吾輩ヲ、敵カラ守ル為ト、コノ娘ハ吾輩ヲ長ク見守リ続ケテクレタノデス。ソシテ歩ケヌ吾輩ヲ、コウシテ里ヘ送ルコトマデシテクレタノデス」
「………」
王は黙って応えない。それでも、ダンテは頭を垂れながら、話を続ける。
「コノ娘ハ、吾輩ノ、命ノ恩人デス! ダカラ、ドウカ―――ドウカ、無礼ヲ承知デ―――」
―――ザンッ…!
……言葉の続きは、語れない。
宙を舞う、舞う、視線が舞う。
ダンテは自分が軽やかに宙を飛び、空や地上、王や民を眼下に収める夢を見た。
―――果たしてそれは夢ではない。やがて空を飛ぶ奇跡の時間は終わり、地上に引かれ落下する。しかし、身体を襲う無重力感はない。気持ち悪さも恐怖もないまま、ごとりと地へ落ち、そして転がる。
目に映るのは、自分の身体―――今は傷つき、それでも今まで愛して鍛えた自分の身体。その胴の上に、首はない。
「……アァ……」
微かに、声が漏れ出る。既に息を吐き出す肺は無い。喉に残ったなけなしの空気で、奏でられたのは意味を持たない空虚なため息。
黒く靄がかかっていく視界の奥に、映るのは崇拝する王の姿と、こちらを向いて目を見開く銀髪の少女。
最早、それらへ何か伝えるほどの力も、何か考えるほどの力も残っていない。
目の前に迫る鈍色の何かが視界を埋め尽くすまでの間、それでも彼は何を思ったか―――
―――ああ、恨みます……。
―――ザシュッ!!
巨大な鉈が、地に落ちた首を叩き割る。
桃色の皮袋から、溢れ出る赤い果実―――
……慟哭が夜空に響き渡る。
なんで?
なんで? どうして? なんで? なんで?
なんで、なんで、なんで、なんで。
ああ――――――ああ、どうして? なんで?
「フン、ヒトニ騙サレ、ヒトニウツツヲ抜カストハ―――嘆カワシイッ!!」
私を守ったから?
私を守ろうとしたから?
私を守ろうとしたから、死んだの?
私のせいで、死んだの?
「聞ケ、我ガ眷属達ヨ! ヒトハ我ラヲ謀リ、ソノ魔ノ手ヲコノ里ヘ伸バソウトシテイル!
我ガ僕ダンテノ罪ハ、死ヲモッテ今、雪イダ! 恨ムナラ、卑劣ナル手ヲ使ウ、ヒトコソ恨メ!」
知らない。誰も、知らない。
私は、誰も、失っていない。
誰も、心の中に、入れていない。
誰も、心の中に、入ってきていない。
嫌だ。違う、嘘だ、それは。
私は、誰かを、心に、入れた。
私は、彼を、心に、入れた。
私の、信じる道を、応援してくれた。
私の、背中を、押してくれた。
私の、ことを、ちゃんと見てくれた。
なのに―――死んだ。死んだ。死んだ。
「最早雌伏ノ時ハ終ワリダ! 笛ヲ鳴ラセ、鬨ヲ上ゲヨ! 今宵、我ラニ仇為シタコトヲ、人間種共ニ後悔サセテヤルノダ!!」
死んだ。死んだ―――殺され、た?
誰が、誰を、どうして、殺した?
誰が、誰を、どうして、どうした?
「……」
奴だ。
奴らだ。
奴らが、殺した。
「…………」
奴らが、殺した。
奴らが、殺した。
誰を。誰を?
誰でもいい。いやよくない。
誰か。私の、心に、入れた、誰か。
心に、入れた、誰か。大切になったかもしれない、大切な、誰か。
「………………」
奴らが、奪った。
わたしから、大切な、ものを。
―――――――――――許さない。
許さない。許さない。許さない。許さない。
「……………………ぁぁ」
わたしは、許さない。
絶対に、許さない。
わたしから、奪う奴は。
わたしから、大切なものを、奪っていく奴らは。
殺してもいい。
殺してもいい。
殺していい。
殺して、やる。
「……ぁぁぁぁあああああああああっ!!!」
―――絶対に、殺してやる。
―――ふと、我に返る瞬間があった。
私の、目の前が、紅に染まる。
私は、どこにいて、何をしているのか。
何も、分からないまま。
私は、紅を、浴び続ける。
―――誰が悪い?
分からない。
―――誰が憎い?
分からない。
何も、私は、分からないまま。
私は、紅に、染まり続ける。
私は、空に、泣き続ける。




