113.価値観<結ー中編>
「吸血鬼ノ娘ヨ。何故我ラヲ襲ウ?」
集団にて取り囲み、逃げ道閉ざした籠の中。
その籠より前へ、勇み出た王が問う。吸血鬼よ、何故同じ魔の者である自分達を襲うのかと―――
吸血鬼とは魔族、オークとは魔物である。その成り立ちにおいて素となったものが人間種であるのか獣であるのか、その差はあれど彼らは同じく魔を冠する者である。
魔とは、『人間種に災いをもたらすもの』の意。即ち、彼らは人間種に敵対している者達である。目に映った者全てを敵とする知能の低い魔物や戦闘狂の種族以外、互いに敵対しないのが不文律となっている。
それが何故、ヒトを助けるようなことをするのか。銀の髪を靡かせ、驚異的な力を振るう少女―――吸血鬼と思われる者へ、彼は訳を問うのであった。
「……私が誰であろうと、関係ありません」
それに対し、少女は見下ろすその眼を見上げ返し、震える声音でもって応える。
恐れではない。杖を固く握りしめ、睨む深紅の瞳の奥に、何某かの感情を燃え上がらせて彼女は語る。
「……どうして、こんなひどいことが出来るのですか」
果たして、それは怒りであるようだった。オークロードの彼はその声音でもって、目の前の少女の感情を悟るのであった。
「貴様―――マサカ、ヒトカ」
彼は喉の奥を一度鳴らし、見下ろす瞳の色を変える―――警戒から、憎悪へと。
ヒトを嬲って怒るのは人間種のみ。同じ魔の者たる吸血鬼が、それを咎めるはずがない―――彼らもまた、ヒトを嬲る性にある者だからだ。
故に彼は目の前の少女が、吸血鬼ではなく仇敵である可能性に思い至ったのであった。
「私が誰であろうと、関係ないと言ったはずです」
しかし、彼女は言葉を変えない。
「私は苦しんでいる他人がいるのを見過ごせない―――ただそれだけです」
「……フン」
オークロードの彼はつまらなさそうに鼻を鳴らし、少女の言を聞き流す―――今のやり取りで確信に至る。やはり、彼女はヒトなのだ。だから他人への非道を許さないなどと宣うのだ。
彼女にとって非道とは、つまりヒトを傷つける行為、それだけなのである―――人間種が魔物を虐殺している事実を棚に上げ、魔物が悪い、駆逐せよと声高に唱える。
そんな人間種本位の理屈、反吐が出る―――その理屈によって、いったい今まで何人の同胞が殺されたか。何人が残酷に殺されたか。何人が遺され悲しんだか。
何故このようなことをするのか? 問われたが答えるつもりなど毛頭ない。
―――憎しみである。彼がヒトを殺し、ヒトを嬲る理由は憎しみ以外の何でもなく、今もまたそれを目の前の少女へと注ぐのであった。
ヒトに対しての憎しみとは、つまり、彼らにとっての正義であった。
対して―――ルイナの思いとは、彼が考えているものとは全く違っていた。
彼女にとって他人とは即ち、分け隔てない他者のことである。彼女は魔族にして人間種。そんな彼女にとってすれば、人間種も魔物も魔族も違いはない。
だって、自分がそうなのだから―――
単純にルイナであった頃の、前世の自分。
単純にアリスであった頃の、吸血鬼の自分。
そしてその2つの記憶と意識を抱く、今の自分。
―――何ら、違いはない。他者への思いの原動は、全て自分という同一の心から生まれてきている。
魔族も人間種も、姿は違えど心に違いはない。自分の存在が、それを証明している。
だから―――彼女は魔物だからと無条件に敵意を抱かない。安易に殺してしまっていいとは、絶対に思えない。
その気持ちはナトラサの街を背に負ってから、ますます強くなった。ヒトらしく振舞おうとしていた以前の彼女であれば、魔物を倒すことを正義と言い聞かせ、それを貫いていただろう。しかし、今の彼女は単純にヒトではない。ましてや、単純に魔族でもない。
自分は自分である―――ヒトという種族にも、吸血鬼という種族にも、拘らない。自分とは、つまり、自分である。
―――そう。彼女は自分を見つけたのだ。種族に縋らず、自分を構成する心にこそ自分があると意識することが出来たのだ。
だからこそ今、彼女は信念に沿って行動できる。尊大な態度を目の前で取られ、鼻を鳴らして莫迦にされようとも、常の意思の強そうな瞳をますます尖らせ相手を睨み上げる。
この想いは、嘘ではない。
この想いは、不平等ではない。
もしヒトに捕らえられた魔物や魔族が同じ目に遭っていれば、彼女は必ずそれを助けるだろう。
彼女にとって許せぬものとは、他者の心を壊す行為であった。
持っている心はみんな同じものであるはずなのに。
通わせられる心を持っているはずなのに。
何故痛めつけられる? 何故傷つけられる?
痛いのはつらい。
傷つくのはつらい。
……それはみんな一緒の気持ちのはずなのに―――どうしてそのつらさを共感してあげられないのだろう?
どうしてみんな、同一の種であることにこだわるのだろう?
どうしてみんな、種が違うと心も別物であると思うのだろう?
話せば分かるはずなのに。
みんな一緒の心を持っているはずなのに。
獣も、魔物も、魔族も、ヒトも、みんな生きて、みんなそこに心があるのに。
どうしてみんな、他人という枠を自分達の種族の内側だけで収めてしまうのだろう?
どうしてみんな、他種族を決して相容れない存在であると思い込んでしまうのだろう?
……悲しみである。彼女の瞳の奥で揺らめいているものは怒りの炎ではなく、悲しみの波紋であった。
「………」
―――ルイナは目の前の巨体より目を逸らし、背に庇う彼女を見る。
『長目飛耳』は発動しない。発動させずとも、具に見れる距離である。
全身に痣、腕の付け根と足の腱に大きな切り傷―――歩けず、物も持てない状態であった。例え檻に閉じ込められていなくとも、彼女1人で逃げられる状態ではない。
そして彼女が横たわるその場所は―――積み重なった骸の上である。壊れ、中身が漏れ、蛆が涌く。腐臭がするし、それよりももっと酷い、ヒトの血の臭いがする。遠目には赤く見えたそれらであったが、所々に黒い、茶色い……いったい何人分の骸が、いつからそこへ置かれているのだろうか―――分からない。
とても正視できぬ状態に、ルイナは視線を逸らしながら瞼を閉じ、焼き付いた光景を拭い去ってから目を開く。
悍ましい、仕打ちである。尊厳を弄び、他人の心を壊す所業―――非道である。許すまじ悪行であった。
……だけど、もしかしたら、何か理由があるのかもしれない。
どんな訳であっても納得したくはないが、非道を行なっている彼らにも同情の余地があるのかもしれない。背にいる彼女も、これだけの仕打ちを受けるに足る悪事を働いたのかもしれない。種族の差だけではない何か、理由があるのかもしれないと―――
思い縋り、故に彼女は問うたのだ。何故、このような酷い事をするのかと。
―――未だその返事はない。鼻を鳴らされて後、彼は何事も答えない。
彼女は再度問おうと、口を開く―――しかし、それは叶わなかった。
「……ひっ、い、いやぁぁぁっ!!!」
夜の森を、つんざく悲鳴。それはルイナのものではない。背に庇う彼女でも、ましてやオークのそれでもない。
女の、悲鳴―――それは確かに近く、しかしルイナからでは見えぬ位置から聞こえてきたのであった。




