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112.価値観<結ー前編>

 




「コノ辺リデ良イ。オロシテクレ」


 夜闇深まる森の奥、ヒト族の雌に抱きかかえられたジェネラルオークの彼ダンテは、周囲を見回し声をかける。


「……? こんなところが家なんですか?」


 一方、声をかけられたルイナも同様にきょろきょろと周囲を見回し、小首を傾げる。

 彼女の眼に映るのは今まで歩いてきた道と変わり映えのない獣道、鬱蒼と木々の生える森の真っただ中である。野に住む魔物と言えど、もう少しまともな住環境を想像していただけに戸惑いを隠せなかったのだ。


 しかし、そんな様子を見て彼は鼻を鳴らして笑う。


「ハッ、イヤ、マサカ。コノ先ニ里ガアル。ソコヘサスガニ、ヒトデアル貴公ヲ連レテハイケナイ。故ニ、ココマデデ良イ」

「なるほど」


 言われ、ルイナは納得して彼の身をゆっくりと降ろす。


 『蟷螂之斧』が発動していた為に全く重みを感じなかったが、彼を下ろした際に地が僅かに揺れ、ずしんと予想外に大きな音が立ったことに驚く。今更なことである―――自身が相当におかしな力を持っていることに、彼女は苦笑を浮かべるのであった。


「……ウム。痛ムガ、里マデナラ何トカ帰レソウダ」

「それは良かったです」


 そうして彼は鞘を支えにその場に立つ。足元がふらついている様子であったが、指摘しない。彼がそう言うのであれば見たままではなく言葉に従おう。ルイナはそう判断したのであった。


 そして彼女はふと周りを見渡し―――それから目を閉じ、聴覚に集中し始める。彼が里に帰れるまで、先ほどの冒険者であったり他の者であったり、彼の帰路を邪魔する者がいないか確認する為である。

 せっかく助かった命である。無事のまま帰ってもらいたい―――そう思っての行動であった。


「………」


 彼女の耳が捉えた音は、無数。その多くは彼が帰ろうとしている道の先にあり―――その他、周囲にはヒトほど大きな気配は感じない。いても小動物くらいである。つまり、彼の帰路は安全であるはずだった。


「……ふぅ…」


 安堵に一息つく。それから念のためにと彼が向かう先にある無数の気配、それらの中にヒトが混じってはいないか確認しようと聴覚へますます集中する―――









『たす……け、て……』









「……え―――」


 彼女は戸惑いに声を漏らす。まったく予期せぬ声が聞こえた。

 聞こえてきたのは乾き、掠れ切った声音―――助けを求める、誰かの声であった。


『たす、けて……』


 助けを、求める声。

 救いを、求める声。


 それは彼女が足を向けている先―――ダンテが語るオークの里より聞こえてくる……ヒトの声であった。


『……だれか、たすけて……』


 聞き間違いではない、確かに聞こえてくる、その声―――

 誰かに、誰でもいいから、救ってほしいと求める声―――


 ―――その声に、聞き覚えはない。

 だが―――だが―――その、救いを求める気持ちに、覚えはある。


「……っ―――」


 唇を噛む―――過去、聞いてきた言葉が、発してきた言葉が、彼女の脳裏を行き交い、胸を締め付ける。



 ―――『いやだぁ!! ひっ、ひとりはいっ、いやだよぉ!!!』―――

 それは助けを求め、でも誰にも手を取ってもらえなかった過去。


 ―――『だから、さっさとどこかへ行きなさい。私に、殺される前に』―――

 それは繋がりを求め、でも手を振り払おうとした過去。


 ―――『あんたは、もう無理をしなくてもいいの。あんたの心の弱さは、あたしが理解してあげるから』―――

 それは手を振り払おうとして、でも胸に抱かれた過去。


 ―――『あははっ! 行く! 行くよ、父様!! 殺す、殺すわ、あなたを絶対、絶対! 殺してあげるっ!!』―――

 それは何もかもから存在を否定され、何もかもを壊そうとしていた過去。


 ―――『私達はただお前が生きていてくれれば、それでいいのだ―――アリス。私達の、可愛い、アリス』―――

 それは何もかもを壊そうとして、でも最後に救われた過去。



 ―――いつも、自分は助けを求めていた。いつも、いつでも、自分を救ってくれる誰かを、何かを求めていた。


 ―――そうだ。自分はいつも運命に裏切られ、それでもいつも救われてきた。


 私は、いつも、救われる側だった。


 『誰か助けて…』―――その言葉はいつも、自分が心の中で発していた言葉だった。


 『誰か助けて…』―――その言葉を発した時、自分を救ってくれたのはいつも他人だれかだった。


 『誰か助けて…』―――その言葉を聞くと、衝動が、激情が、胸の中から溢れそうになってくるのは……何故なのだろう。


 ……そんなもの、関係ないっ! ルイナは何故()の思考を掻き捨てる。

 理由だとか得だとか、正義だとか悪だとか、そんなの全然関係ない!


 ただ、私は、助けを求めているひとに―――救いを求めている他人ひとに、手を差し伸べてあげたいだけ……!


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――――――。行かなきゃ……っ!」

「ム、ドウシ―――ッ!?」


 何事か、決意を秘めたような声音で呟いたルイナに対し、問いかけようとしたダンテであった。

 ―――しかし、彼の視線は宙を彷徨さまよう。つい今しがた、そこに立っていたはずの彼女が……目の前で忽然とその姿を消したのである。


「ナッ、イ、イヤ、ナニガ―――!?」


 戸惑い、辺りを見回せど姿は見えず。影も形も匂いすら残さず、姿を消したルイナを探す彼は、果たして今まで白昼夢でも見ていたのだろうかと疑問に思いすら始める。


 ―――ガツゥゥンッ……!


「……っ!?」


 しかし、やがて彼の鋭敏な聴覚が俄かに反応する。遠く―――自身が目指していた先、里の方から何か硬い物同士がぶつかり合うような音が聞こえてくる。


 ―――ピュィィィィッ……!


 そして遅れることわずかに、続いて響くは高い笛の音―――聞き覚えのあるそれは警戒、もしくは異常を仲間に知らせる為の警笛の音であった。


「……マサカ―――ッ!」


 彼は事ここに居たり、とある可能性に思い至って表情を歪める。


 ルイナの消失と、異常を知らせる音の数々―――そこから推測される事態は、彼にとって決して好ましいものではなかった。
















「……っ!」


 木々や根葉ねは、様々な風景を置き去りにしながらルイナは跳ぶ。

 『光陰如箭』。目視範囲内に限り瞬時に駆けるそのスキルを駆使し、彼女は視界不良の森の中を一気に駆け抜ける。


 一度跳び、二度跳び、三度跳び―――そうして開けた視界へ躍り出て、彼女は眼前に広がる光景を目の当たりにする。


 桃色の肌をした豚頭―――オークの群れ。いや、群れというのは語弊がある。ここはジェネラルオークの彼、ダンテの言を借りればオークの里である。であれば、目の前にいる彼らを野の群れではなく、民と表すのが適切であるかもしれない。


 里には藁葺わらぶき屋根の建物が多く立ち、各家に石や骨などで飾り付けが為されている。各々の家の前には簡易であるが柵が設けられており、何にも燃え移らないような位置取りに篝火かがりびが焚かれている。野に住む魔物とは全く異なる、文明性の高さが垣間見える。


 ―――しかし、彼女の目線はそこではない、『それ』を確かに目に映す。


「たすけて……だれ、か……」


 様々な雑踏行き交う中で、彼女の耳を犯す音は多くある。その最中でさえも、彼女はその声を確かに聞き取る。

 か細く掠れ、息を詰まらせながらも助けを求めるヒトの声―――それを彼女は耳で捉え、そしてその姿を目で捉えた。


 里の奥に鋼の檻。星明りを鈍く照り返すその中に、敷かれているのは毛羽立けばだった赤色の絨毯。

 そしてそこに横たわるヒトの姿―――裸である。女である。見える肢体には無数のあざと裂傷。上げる顔にも痣だらけ。全身にこびりつく血は彼女が流したものであろうか―――それとも。


「っ……」


 ルイナは息を引き攣らせ、呻く。檻の中に敷かれた絨毯―――それは絨毯というには不格好であり、方々(ほうぼう)凹凸に盛り上がっていた。そして絨毯の毛羽立ちのように見える赤色のそれらは―――血に濡れたヒトの指、足、内臓であった。


「………」


 ―――彼女は悲鳴を上げない。むしろ、胸中に静かな水面が広がる思いであった。

 揺れ動くものは何も無い。己の為すべきことと、己の為したいことが一致した―――彼女にはもう、迷いも恐れも戸惑いもない。


 彼女はもう一度跳ぶ。檻の前へ―――道を行き交うオークの民は彼女の侵入に気づかない。彼女は光と同一の速さで動く。誰もその存在や動向を、視認も知覚も出来やしない。


「―――っ!!」


 そして彼女は、檻目掛けて杖を振るった。


 ―――ガツゥゥンッ!!!


 けたたましい音が鳴る。壊す意思をもって振るわれたその一撃は、『蟷螂之斧』の発動によって容易く鋼の檻を砕く。


「……、……?」


 中に閉じ込められていた彼女は、突然現れたルイナと壊された檻を呆然と見つめる。声はない。既に彼女の心は恐怖以外の感情を持つには擦り切れ過ぎていた。

 現れたルイナ、壊れた檻、それが救いであるのか罠であるのか。そんな風に縋ったり疑ったりする力すら彼女には最早残されていないのである。


「ナ、ナンダァッ!?」

「侵入者ダッ! 警戒、警戒ー!!!」


 しかし彼らは別である。この里の民であるオーク達は大きな物音に視線を集め、その場に姿を晒しているルイナを見て、戸惑い、声を荒げ―――そして取り囲む。


 ―――ピュィィィィッ……!


 甲高い笛の音が鳴り響く。笛の音を聞き、更に駆けつけてくるオークの民達。


 彼らは魔物である。誰しも普通のヒトより強い力を有している。孕んでいる雌や幼子以外の全てが戦士である。

 里に現れた侵入者を屠る為、皆で咆哮し、荒く息を鳴らし、得物を地に打ち付け鼓舞をする。


「………」


 ―――ルイナはそんな彼らに背を向けたまま、放心している檻の中の女を見下ろす。


 見たこともない顔である。彼女にとって赤の他人。それに、嫌な……彼女にとって嗅ぎたくもない、ヒトの血の臭いを漂わせている。近づきたくもない存在である。


 ―――しかし、ルイナを見上げるその瞳が、確かに救いを求めていた。


「……何故ですか」

「ガァッ!!」


 疑問の声を投げる彼女へ1人、先陣切ってオークが地を蹴る。その後を、他のオークも追って駆けだす。


 手には得物、目には獲物。

 捉え、今、振り返りつつある敵を討たんと腕を振るい―――








 真紅の瞳が彼らの姿を映した瞬間―――








 時が止まったと錯覚するほどの刹那の世界、白銀の閃光が駆け巡る。


 その姿、何人(なんぴと)たりとも捉えることなど出来ぬ。彼らが認識出来たもの、それは銀色に染まった風の形だけである。


 ―――ズダンッ!!!!


 そして刹那の後、轟いたのは1つの音。


 しかし音は重なり合っただけ―――その実、轟音は数多に鳴っていた。


「グファッ―――!?」

「ゴフッ―――」

「ゲゥッ―――!」


 吹き飛ばされるオーク達。その数、十を越える。得物は折れ、鎧は砕け、彼らの身は装備の残骸を撒き散らしながら宙を飛ぶ。


 その光景を、その現象を、その衝撃の余波を、見ていた者達は言葉を失くす。咆哮は止み、皆が息を詰まらせる。


 『奴』が振り返ったその瞬間、世界がくつがえった。襲う側から襲われる側へ―――民の心へ恐怖が刻み込まれる。

 今、杖を振り抜いた姿勢で自分達を睨む『奴』の牙が、次の瞬間には己を貫いているかもしれない恐怖に、民は怖気づく。


「……何故、こんなひどいことができるんですか」


 そうして誰もが凍える時間の中で、『奴』は冷ややかに問いかけてくる。


 その問いへ、聞いた民の誰もが答えぬ。彼らは凍え、思考を固めている最中である。何を問われ、何を返さねばならないか、判断つかない烏合である。


 故に、その場へ沈黙が降りる………


「―――何事ダ、騒々シイ」


 そうして誰も答えぬ波を割り―――何者か、威風堂々と歩く者が現れる。


 桃色の肌に豚頭―――その特徴は他の民と同じであるが、そのなりは大きく違う。

 他の者より倍の背丈、指の太さはヒトの胴程。一歩歩むごとに地を揺らし、纏わせた深紅の外套をひるがえす。


 その姿に、民は震える声で呟く。


「グリード様……」

「グリード様ダ……!」

「グリード様ガ、ヒト狩リヨリ戻ラレタゾ……!」


 その呟きはやがて歓声へと変わる。里の中はおろか、眷属の中で最も強くて偉大、オークの頂点に君臨する者の帰還である。窮地にあった彼らは喜び、王へと道を譲る。


「………」


 そうして王は民の先頭に出で立ち、見下ろし、見回す。


 目の前には1人の娘。杖を握り、見慣れぬ白い装束を身に纏っている―――銀色の髪を靡かせる者である。

 そして周り。彼女を取り囲んでいた民の籠の所々、倒れている眷属がいた。そのどれも息があるらしいが、砕かれた装備の散らばりよう、相当の衝撃があったに違いない。


「……フム」


 そして彼は腕を組み、鼻を鳴らす。腰から吊り下げた巨大な鉈に手をかけず、威風堂々と名乗りを上げる。


「我ガ名ハ、グリード。我ガ眷属ヲ統ベル者デアル―――問オウ、吸血鬼ノ娘ヨ。何故我ラヲ襲ウノカ」


 眷属オークを統べる者、オークロード―――グリードと名乗った彼は、夜風に銀髪を靡かせる少女を見下ろしながら、そう問うたのであった。





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