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111.価値観<転ー後編>

 






「……ン、ムゥ―――」


 森の天井の隙間から見える空の色が、俄かに赤みがかってきた頃合い。

 木陰に寝かされていた彼はうっすらと瞼を開き、己の意思の覚醒を感じるのであった。


「ム、朝―――イヤ、夕暮レカ? 吾輩ハ何故コンナトコロデ……」

「気が付きましたか……?」


 びくっ、と身体の芯が痺れる思いであった。飛び起き、振り返るとそこにいたのは白銀の髪をしたヒト族の雌。

 これほどまで近くにいるにも関わらず、寝起きとはいえ武人たる自身でも気づかなかった―――何と小さな気配を漂わせているのだろうか、この者は。


「…ッ、グゥッ……」


 警戒し、腰元の刀を抜こうとしたところ―――柄がない。それどころか、身体を動かした途端に全身を走る痛みの数々。見ると、自身の肉体に切り傷、火傷、矢傷といった創傷そうしょうがいくつもつけられていた。


 痛みに筋肉が強張り、喉元が締まったのは幸いである。情けない悲鳴を上げずに済んだのだから。


「その……歩けますか? 自力で家に帰ってもらえると有難いんですけど」

「ッ、グッ―――キ、貴公。ソウカ、思イ出シタゾ。吾輩ハ―――」


 はて、自分は何故生きているのだろうか。覚醒より時間が経ち、彼は次第と意識を失う前の記憶を思い出してくると同時に疑問を抱く。

 泉のほとりで休息を取っていたところいきなりヒト族に襲われ、先手を取られ冷静さを欠き、そしてそもそも多勢に無勢。殺されるのも時間の問題であったところを命からがらに逃げ出し―――そこで目の前のヒト族に出会ったところまでは覚えている。


 あの時、すぐ後ろには自分を襲ったヒト族3人組が迫っていた。そこに逃げ道となる前方を塞ぐ4人目の仲間。最早これまでと腹を括って刀をかざし―――果たして、そこからの記憶が欠けている。


 武装したヒトの前で気を失うなど、以降目が覚めぬが道理である。彼らがヒトを殺すのと同じく、ヒトは彼らを殺すことに躊躇いなど無い。それが即ち、道理である。しかし―――


「―――何故ダ。何故、吾輩ハ生キテイル…?」

「……質問に答えて下さい。歩けますか? 歩けませんか?」

「ッ、エエイ五月蠅イッ! 1人デモ歩ケ―――グゥッ!!」


 そうして重ねて問うてくるヒト族に対し、彼は苛立ち、立ち上が―――ろうとして、低く悲鳴を上げる。

 わき腹と背が痛む。どうやら骨が折れているらしい。立ち上がろうとすると、ずきりと鋭い痛みが走る―――だが、我慢できなくもない。痛くても、死ぬことはないのだから。


「…ッ、……ッッ…!!」


 彼は痛みを捻じ伏せ、立ち上がる―――しかし、どうしても表情が苦悶に歪む。半裸の肌に、嫌な汗がまとわりつく。腰より下が痛みから逃げる為に折れてしまい、今にも膝から崩れ落ちそうであった。


「―――分かりました」


 そんな彼に対して、呆れたようにヒト族の雌は嘆息交じりに応える。そしておもむろに近づいてきて―――


「よいしょっと」

「ナッ―――!?」


 彼を抱きかかえたのである。


 彼は驚く。どう見ても、ヒト族の雌である。その腕の細さは彼の親指程度しかない。体重の差も、恐らく十倍近くあるはず。

 それが両手で彼の尻を持ち上げ、抱きかかえる―――どう考えても、ヒト族の雌が有している力とは思えない。


「わっ、あ、暴れないでください。私が出来るのは力を出すだけで、バランスを取るのは私なんですから……」

「ム、ウム? スマナイ……?」


 そうして抱きかかえられてしまった彼は、ヒト族の雌が語る意味不明な言葉に首を傾げながら殊勝にも頷き返してしまうのであった。


 どうにも調子が狂う。自身が生きていることといい、自身が目覚めるのを待っていた節といい、このヒト族の雌は自身をどうしようというのか。

 まさか助けようと?―――いや、それはないだろう。何せ、ヒトである。自身(まもの)を救う道理は無い……無いはずである。


 そうして彼が思い悩む間にも、ヒト族の雌は重心を整え直し、頭上にある彼の顔を見て問うてくるのであった。


「それで、あなたの家はどちらですか? この辺りですか?」

「アア、ソレナラアッチダガ……イヤ、待タレイ。ソモソモ貴公ハ―――」

「それなら行きますよ。あまり暴れないでくださいね」

「イヤ、話ヲ―――ッ!?」


 問答無用に話を進めるヒト族の娘は、彼から帰路を聞くとその方角目掛けて歩き始める。

 まったく、上に十倍もの重りを乗せているとは思えないほど自然な足取りであった。彼はその所業に驚嘆し、目下、ヒト族の娘を眺める。


 先から感じる救いの道理以上に不可解である―――この雌、何者であろうか?


 そして武人としての血が彼に自問を投げかける―――曰く、自身はこの者を倒せるであろうか?


 そもそもこの者―――最早疑いはない。自身を救わんとしているこの者は、何故に自身を助けようとしているのだろうか?


 様々な疑問が渦巻きながらも道は進む。やがて森の天井は夕暮れの赤から夜闇の紺へと移り行く。


 深淵へと誘う森の暗闇は、更にその暗さを色濃くしていき、彼らの行く先にぽっかりと暗闇の穴を産むのであった。















 ゆさ、ゆさと、桃色肌の巨体が目の前で揺れる。


 ルイナは今、ジェネラルオークと呼ばれていた彼を家へと帰す手伝いをしていた。彼が示した方角へひたすらに向かっているだけであるが、行先にずれが生じたら教えてくれるだろう。そう思い、ひたすらに歩みをまっすぐに保っていた。


 ちなみに彼女の視界は前述した通り、彼の巨体で埋まってしまっている。それではどのように真っ直ぐ、しかも木々や雑草など障害多い森の中を安定して歩けているかというと、それも『長目飛耳』の面目躍如めんもくやくじょであった。


 彼女は今、視界に集中しているわけではない。聴覚を頼りに障害物の位置を特定しているのであった―――彼女が道を歩く時の音、地に踏んだ葉の擦れ音、そういったものが響いた時、前方から反射してきた音の大きさや角度、遅れなどをもとに障害物の有無や大小を図っているのである。

 ―――ちなみに、ルイナがその現象の原理を理解して行っているわけではない。上級スキル『長目飛耳』が、聞こえてきた音からの分析結果を脳へ自動的に送っているだけなのである。


 『長目飛耳』―――それがただ単純に遠くの音を聞くだけだったり、小さな音を拾うだけであれば下級スキル『遠耳』の範囲拡大版でしかなかったであろう。

 そうではなく、そのスキルが人間種において伝説とも謳われている上級スキルに収まっている以上、その効果は下位のスキルとは異次元であって然るべきである。


 知覚した情報の取捨選択、それが重要であるかどうかの判別、最重要と判断したものへスキル効果のリソースを重点的に充てるなど、スキル保持者に対して最大限の効果をもたらせるよう常に自由自在に在り方を変える。

 それがこの規格外じょうきゅうスキルなのである―――彼女が持つスキルの中で、『長目飛耳』こそ最も汎用性に優れているスキルなのであった。


「………」


 そうして安定した足取りで歩き続けて早10分。ルイナと、彼女に抱えられている彼との間に会話はない。


 彼が何を考えているのかは分からない。初めこそ、何事かを問おう、言おうとしていたようであったが、その様子も今は無い。大人しく運ばれる気になったようであった。


 ―――そして一方、彼女自身も語らない。胸に去来する考えや想いは多く、失望や憤怒といった感情もちらつく。

 最早彼女から彼に対して、何か語る言葉はない。独り言を愚痴る趣味もない。


 故に、彼女から何かを語り出すことはなかったのである。


「……貴公ニ、たずネタイ」


 だからか、長い沈黙を破って口を開いたのは、抱きかかえられている彼であった。


 ……訊ねたいと聞いたが、彼女からは返事はない。しかし、否とは言われていないのである。彼はしばし胸の中で言葉を選びながら、眼下のルイナへ問いかけるのであった。


「何故、吾輩ヲ助ケタ。貴公ニトッテ吾輩ハ敵デハナイノカ?」

「敵って何なんですか」


 逆に問い返される。しかも素早く、冷たい返答であった。

 眼下の彼女を見下ろす。自身の腰回りの肉が邪魔をして、ようとして表情は伺えぬが、そこに暗さも冷たさも感じない。あるのは―――恐らく、何事かの感情を抑え込んだ無表情だけ。


 そうして彼は空を見上げ考える。敵……敵とは、何であるか。彼は問い返され、考える。


 考え、そして答えた。


「敵トハ、相容レヌ者ノコトダ」


 彼にとって、敵とは人間種。決して相容れぬ存在であり、共存叶わぬ存在である。どちらかが領域を侵犯すればたちまち争いが起きる。侵犯せずとも、向こうから押し寄せてくる。

 命の奪い合いも、対岸の損耗も知ったことではない。自身の生活、家族、仲間。そういったものが守れればそれでいい。それを侵そうとしてくる者達を、こちらからもあらかじめ間引いてやる。


 『自分達』という領域の外にいる者達―――それがつまり、敵であると彼は答えた。


「私、相容れない者同士でも共存できるって信じているんです」


 しかし、彼の答えに対し彼女は真っ向から対峙する。否定しているわけではないが、およそそれに近い言葉。


「本当に相容れない者同士って、ないと思うんです。だって、同じ言葉を使ったり、仕草で感情を伝え合ったりすれば、心を交わせないはずがないのに―――最初からそれを諦めているから仲違いする。最初から分かり合えないって思い込んでいるから敵になっちゃう。互いに歩み寄って、お互いを認め合えば、生きていていいよって言い合えれば。きっと共存することだって出来ると思っているんです」

「綺麗事デアルナ」


 出会ってより言葉数少ない彼女であったが、存外に言葉を返してくるのに驚きつつ。

 彼はその返答(ことば)を切り捨てる。


「別にいいんです、綺麗事でも―――私が信じたいだけですから」

「………」


 否定の言葉に言い返してくるつもりもないところを見ると、そうした言葉遊びをしたいわけではないということを察し、彼は黙る。恐らく、語りたい言葉は別にあるのだろうと察し―――やがて、彼女は再び口を開き、続きを語る。


「―――私は、私のせいで誰かを死なせたくないだけなんです」

「フム」


 そしてそれ以上に語らない。彼も、そこより先を語らぬ彼女の考えを思い量る。


 何故殺さぬのか、その問いに対しての答えが自身のせいで誰も死なせたくないとのことである―――つまり、自分の意識を刈ったのは彼女で間違いないだろうと考える。

 気を失った自身が殺されてしまうことに責を感じ、命を助けたと。そして歩けぬ自身を放っておくことも見殺しに近い所業だと思い、今もって助けていると―――恐らく、そういう顛末であろうと推測したのである。


 その道理は、理解できるが納得はできない。それは同一種族の間であれば美徳であろう。しかし、彼女が救ったのは敵である自身(まもの)である。

 ―――いや、そこの道理は先に彼女から否定されていた。なるほど、彼女にとって少なくとも自身は敵ではないのであろう。故に助けた……なるほど。やはり―――


「ヤハリ、綺麗事デアルナ」

「………」


 彼女は黙る。それでもなお彼は言葉を続ける。


「貴公ハ己ノ責デ他者ガ死ヌコトヲ恐レテイルト言ウ。シカシ、吾輩ヲ助ケタトコロデ何ニナル? 吾輩ハ再ビヒトヲ襲ウゾ? 貴公ガ吾輩ヲ助ケタコトニヨッテ別ノヒトガ死ヌノダ―――言ッテオクガ吾輩ハ強イゾ? 今マデモヒトデアレバ何十モノ―――」

「言わないで」


 言葉を遮るのは、冷たく刺のある声音―――それを発した唇は次第に震え始め、次に漏れ出てきたのは掠れいく、か細い声であった。


「……私だって、よく分かってない。だけど、あの時は助けたいって思ったの。今でも、それは後悔はしていない―――だから、後悔させるようなことは言わないで……」

「……あい分カッタ」


 そうして彼は口を閉ざし空を眺める―――暗く澄みゆく星空が、木々のとばりの奥に覗ける。


 ……彼女の身から感じる強さと、言葉から感じる儚さの、差はいったい何であろうか。その疑問が夜空に浮かぶ。

 身と心は密であり、心身合わせて育つものである。特に強者になればなるほどに心とは強く、鋼のように確固たるものになる―――と彼は信じている。


 それであるのに目下のヒト族の心根は果てしなく、儚い。

 頑なに意思を曲げず、己の道を正しいと信じるものの、その芯は果てしなく頼りない。


「………」


 ちらと見下ろす―――目下、ヒト族の娘は無心の表情で歩み続ける。その首の根は細く、握り潰すに容易であるように見える。


 しかし、それは叶わないのであろうと彼は悟る。武人としての勘といっても良い、これは殺せぬ何かであると感じる。


 足捌あしさばきや体重移動の仕方などを見るにとんだ素人であるが……そこに底冷えするほどの気持ち悪さを感じる。

 彼の身を持ち上げている力、視界を遮られているにも関わらずよろけぬ歩み。ちぐはぐである、解せぬことが多すぎる。


 これは殺せぬ。得体の知れぬこれには触らぬ方が良い。そう思った。下手に動けば次の瞬間、首を絞められているのは自身であるかもしれないのだから。


「……フッ」


 ―――そうして同時に、思って笑う。彼女が語ったのは綺麗事である。綺麗事とは弱者が世を恨み、叶えられぬ道理を吐くからそう呼ばれるのだ。


 だが、力ある者が語る綺麗事を、彼は違う言葉で呼ぶ―――即ち、(あざけ)るべからず『信念』であると。


「―――吾輩ノ名ハ、ダンテ。貴公ノ名ハ?」

「……ルイナです」


 『ソウカ』と彼は答える―――ジェネラルオークである彼、ダンテはその時より彼女ルイナへ興味を持ったのである。


「貴公ノ語ル信念、道理ハ相分カッタ。シカシ、吾輩ハ『ソレ』ヲ追エヌ。ヒトハ我ラヲ襲ウカラダ……ダガ―――」


 強き者、それでいて儚き者に対して彼は言葉を送る。


「ソノ『理想』、イツカ叶ウト良イナトハ思ッタ―――ダカラコソ己ヲ信ジ往ケ、ルイナヨ」


 儚き心を支える、応援の言葉を―――


「……? どうも、ありがとうございます…?」


 一方、ルイナは態度の急な軟化に戸惑いつつ、小首を傾げながら礼を言う。見上げてみるが、彼は変わらず空を見上げるのみ。


 ジェネラルオークのダンテ―――ルイナはその時より、彼へ興味を持ったのである。






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