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110.価値観<転ー前編>

 





 ―――バギィィンッ!!


「―――ん?」


 薬草採集に興が乗っていたルイナは、お目当ての薬草を大量に採集していたところ―――突然、何か硬い物が割れるような、甲高い音が響き渡ったのを耳にする。


 その音の発生源はすぐ近く。彼女の視界を大きく遮る大木の、ほんの向こう側から聞こえてきたようであった。


 ちなみに、彼女は今『長目飛耳』を発動させている最中であったが、このスキルの本質は集中である。スキル保持者が意識を集中し、何事かを見よう、何事かを聞こうとしない限り効果はない。

 つまり、今までの彼女は薬草採集に夢中になってしまっていた都合上、視覚にのみ集中していたのであった。その時の彼女の聴覚は通常のヒトと大して変わらない。これほど近くから音が鳴ったにもかかわらず、その音を立てた者の存在に気づいていなかったのも無理はないのである。


 そうして不自然な音が鳴り響き、そちらへ耳を傾けた瞬間。彼女の聴覚は爆発的に可聴域と可聴範囲を広げる。

 もはや彼女はどんな小さな音も聞き漏らさない。不要な音は遮断し、スキル保持者が興味を持った音だけを選別し、脳へ情報を伝える―――そんな経路を辿って伝えられた音は複数。いくつかの金属音と衣擦れの音、地に敷かれた葉を蹴散らし走る音、そして4人分の呼吸音である。


 それらの音はルイナの方へと近づいてくる―――その中の1人分の音は既に目の前、彼女が目にしている大木の裏にまで迫ってきて、


「―――ッ!?」

「あ……」


 そうして木の陰から躍り出てきたのは桃色がかった肌のたくましい半裸姿、豚の顔をした魔物―――オークであった。ひび割れた甲冑、肌を晒している至るところから鮮血を垂らしながらオークはルイナを睨む。


「クッ、マダ仲間ガイタトハ―――最早、ココマデカッ……!」


 彼―――勇ましい口調と乳を恥ずかしげもなく曝け出している姿から勝手にルイナは男だと判断したが、オークの彼はルイナを苦々しい表情でもって見下ろす。


 ―――いや、元々の造形が吸血鬼ともヒトとも大きく異なる豚顔である。口角を吊り上げ、しかし歯を食いしばりながら眉を顰めるその風体が苦々し気に見えただけであって、本当にそんな感情の表れであるのか、いまいちルイナに自信はない。


 そうして一方、ルイナは唐突な彼の出現に未だ思考が追い付いていない。薬草を詰めた革袋を左手に、常に持ち歩いている杖を右手にぎゅっと握りしめながら、事態把握に彼の様子をぼんやりと眺めているのであった。


「ダガ、タダデハ殺サレテハヤランッ! 我コソハオークロード、グリード様ガしもべ、名ヲ―――」


 そう言って彼はルイナの前に仁王立ち、手にしていた得物らしき何かを構え―――


 ―――ドゴォッ!!!


「グファッ!?」

「あ……」


 ルイナの視界が刹那にブレる。オークの彼を眺める位置から、彼の目前へと。


 『見敵必殺』―――敵意を持った脅威に対し、必殺の一撃を問答無用で放つスキルである。彼女は強制的に『光陰如箭』で彼の目前まで迫り、『蟷螂之斧』でもって殴り殺せるほどの威力で杖を振るい、彼を吹き飛ばしたのである―――もちろん、『回復する杖(ヒーリングスタッフ)』で殴っている為、殺傷能力は皆無である。


 しかし、殺傷能力がなくともその衝撃は甚大である。オークの彼は吹き飛ばされて地を転がり、やがて大木の根にぶつかって勢いが止まる。

 激突の衝撃で木が微かに揺れ、枝葉がまばらに降ってくる。ぱらぱらと落ちてくるそれらと、衝撃のあまり気を失ったらしいオークの彼を見比べながら、ルイナは―――


「……え~と……?」


 勝手に動いてしまった身体に対してばつの悪さを感じ、頬を掻いてその場に立ち尽くすのであった。


 ―――というのも、敵意らしいものは確認できたが、彼が明確に自分に対して悪意を持っているように感じなかったからである。


 彼女は今まで多くの魔物と対峙してきたが、その時々感じてきたものは明らかな悪意であった。


 食ってやる。

 犯してやる。

 殺してやる。


 そういった意思を眼に映していたからこそ、彼女は多少の罪悪感を感じることすれ、仕方がないと割り切ることができたのである。らねばられるのだ。


 それが今、自身が倒した彼にはそのような悪意を感じなかった。というよりも、不自然な点が多かった。


 それは切羽詰まっているように見えた彼の様子だったり、何故か現れた時には既に傷だらけの様子だったことだったり、彼が身に着けている装備が所々ひび割れ壊れていることだったりと、違和感を感じるそれらの要素は、彼女の首を怪訝に傾けさせたのであった。


「なんだ今の音―――誰かいたのかい?」


 そうして、その場に聞こえてくる第三者の、戸惑いの声。ルイナは既に気配と呼吸音を耳で捉えていた為、今度は驚かない。


「えっと……どうも、こんにちは」


 未だにばつの悪さを胸に抱えつつ、彼女は大木の脇から姿を現した者へと声をかける。

 現れたのは男―――肩口まで伸ばした金髪を片手で掻き上げ、もう片方の手で剣を握る、戦士か剣士の風体の男であった。


 ちなみにあと2人。大木の向こうで息を潜めている存在を、彼女はその心音によって捉えている。


「ああ、えっと……誰だい? あの町(オーレイ)の娘か? どうしてこんなところにいるんだ?」


 そうして先に姿を現した彼は、華奢ななりをしているルイナの風貌を見て問いを重ねる。


 やがて彼の語るその声の調子から危険はないと悟ったのか、木陰に隠れていた他2人の気配も姿を現す。


 1人は非常に軽装、町娘が着ているような服の上に皮の胸当てだけを重ねている赤髪の女性―――背に矢筒、右手に長弓を持っていることからレンジャーであろうと推測できる。

 そしてもう1人は深緑の外套を纏った、寡黙そうな女性―――黒い髪の上に三角帽子を被っているところを見ると、恐らく魔術師であろう。


 気配として感じ取れた者はこれで全員。彼らが現れた位置からでは大木の影になってしまって見えないオークと、それを追って現れた3人―――彼らは恐らく同業ぼうけんしゃであろう。ルイナはそこまでを推測した上で、問われた内容に返事をする。


「私は冒険者です。この森へは採集依頼の為に来ました」

「冒険者…? ふぅ~ん……」


 答えると、金髪の彼がルイナの全身を嘗め回すように見る。

 確かに、彼女の恰好は状況から考えれば違和感の宝庫である。神術士、もしくは魔術師と思われる恰好の少女が前衛もなしに1人で森を彷徨っているなど不自然である。疑心に満ちた目で見られるのは仕方がないかもしれない。


 しかし、それだけではない気色をルイナは感じる。何ともうまく言語化できないが―――彼が抱いているのは不信感だけではないのだと悟る。それは彼の視線が服装や杖といった装備にではなく、自身の胸や顔のあたりに集中しているのを感じたからである。


「………」


 あまり今まで感じた覚えのない感情が、ルイナの胸の中でくすぶり始める。それが何であるのかよく分からないなりに彼女は身をよじり、彼の正視から顔と体をずらしたのであった。


「ふーん…」


 そうして、疑念が晴れたのか、好奇心が収まったのか、彼はやがて小さく鼻で息を吐くと視線を外し、目線だけで周囲を見回し始めた。


「それで、こっちにジェネラルオークがやって来たはずなんだけど、どっちに逃げたか分かるかい?」

「えっと、オークならそこにいますよ?」

「え、っ―――!」


 問われ、ルイナは彼らの傍らを指さす。

 それに対して一瞬、ぎょっとした表情を浮かべて指差された方から跳び退った彼らであったが、やがて示された場所にいるオークが動かないことに気づき、慎重な面持ちと足取りでそれに近づくのであった。


「―――これ、君がやったのかい?」

「はい」


 そうして、地に伏したオークが意識を失っていることを確認し、問う。

 それに対してルイナは首を縦に振り、肯定するのであった。


 ―――ジェネラルオークである。C級ランクに該当し、中堅の冒険者が束になってかかっても油断すれば命を刈られる。此度、自分達も不意を衝いて追い詰めただけの、常であれば逃げ帰るのが鉄則の強敵であった。


 そんな魔物を、あんな短期間で無力化するなどとてもではないが現実的ではない。あり得ないと断じて然るべきである―――しかし現実、目の前に気絶したジェネラルオークがいる。


 この非現実な出来事に対し、彼は目を白黒させつつ、はたと目の前に立つ少女の風貌を改めて見返し、問うのであった。


「まさか君、あの『白銀』かい?」

「……そう呼ばれているらしいことは、知っています」


 そうして彼はとうとう白い杖、銀色の髪、美しい容貌等の特徴から、目の前の少女が最近世に謳われている『白銀と暴風』の詩に出てくる『白銀』その者であると悟ったのであった。


『白銀』―――絶世の美貌を持つ女戦士。B級の魔物であるオーガを一瞬で、それもほぼ1人で屠った超人。ヒトに対して不殺の心構えを抱いており、自制のために杖を得物にしているらしい―――と、恐らく王国の冒険者であれば誰でも一度は噂を聞いたことがあるであろう、噂の人物。


 はたして、彼自身もそうであったが、大概の者が噂は噂でしかないと疑念を抱いて聞いていたそれである。

 しかし、目の前に現実として現れれば話は別である。手負いとはいえ、一瞬でC級のジェネラルオークを倒してしまったのだ。彼も、噂全てを信じる気にはなっていないが、半信半疑の声音でもって尋ねてみるくらいの気持ちにはなっていたのである。


 一方、その問いに対してルイナの答えは、肯定であったが何とも歯切れが悪い。


 彼女自身、そう名乗ったことは一度もない。それに、何となく感じることであるが―――その詩の話になるとミチが不機嫌になる。その理由を聞いたことは無いが、恐らく『白銀じぶん』が主人、『暴風ミチ』が従者となっているその関係性か、それとも『暴風』なんてあまり可愛くない名前をつけられていることかのどちらかに嫌悪を抱いているであろうと推測していた。


 故に彼女も、その詩をあまり好んでいない。と、同時にその呼ばれ方もあまり気に入っていない。

 彼女はルイナ、そしてアリスである。勝手に他人が評した詩で自分の像が作られていくのは、何となく嫌であった。


「なるほどね……あ、僕はヒューイ。こんな見た目だけど、れっきとしたヒト族さ」


 そうしてルイナが件の『白銀』であることにひとまず納得し、自己紹介を始める彼。


 ―――ちなみにヒト族の自己紹介において自身の種族を名乗る習慣はない。ヒト族であるとあえて言うのは他種族に間違えられる風貌であると自覚している者だけである。

 つまりこの場合、彼は『金髪で見目麗しい者しかいない種族』であるエルフ族とよく間違えられると自ら語ったに等しいということだけは述べておこう。


「わたしはエルドラ」

「……チュイです」

「はじめまして、ルイナです」


 そうして、彼の後ろに立つ2人もそれぞれに名乗る。ルイナもそれらに対し名乗り返す。


「なるほど。しかし、あの短時間でジェネラルオークを気絶までに追い込むとは―――さすがは白銀、といったところなのかな」

「……ありがとうございます」


 名乗った後でも白銀と呼んでくるのはルイナにとって少し不満であった。しかし、あえて声を荒げる程のことでもない。彼女は受け入れながら、応じる。


「しかし、詰めが甘い―――」


 そう言って、彼は抜き身のままであった剣を手に歩み始める。その足跡そくせきは淀みなく、滑らかにオークの下へと進むのであった。


「きちんととどめを―――」


 彼の持つ剣が宙に銀の軌跡を描き、逆手に持ち替えられる。それは切る為でも突く為でもない持ち方である。


 突き下ろす為の持ち方―――刹那、ルイナは彼が何をしようとしているのかを悟る。


「刺さないと―――」

「ダメです」


 瞬間、ルイナの視界がブレる―――此度、それは彼女自身の意思で起こしたことである。











「………」


 振り上げた剣が宙で止まる。肩より上に振り上げられたそれは行き場を見失い―――やがてその場に力なく下ろされる。と、同時に剣の主は声を低くし、問う。


「なんのつもりかな、白銀」


 魔物に向けて剣を振り下ろそうとしたところ、白銀の髪が間に割って入ってきた。その動きの俊敏さは目に留まらなかったがその動きの意味だけは理解できる。

 それでも問うた。意味は解っても意図が分からないからだ。


「………」


 対する彼女は答えない。

 きっと瞳を鋭く尖らし、深紅の瞳の奥で何かを燃え上がらせているような―――まるで敵でも見るような視線で、彼を見上げているのであった。


「―――まさかとは思うけど、魔物をかばうつもりかい?」


 そんな視線でにらまれる覚えは、彼にはない。ヒトが魔物を殺す―――その道理に意見する者が、まさかいるわけがない。


「そうです」


 しかし、そのまさかが目の前にいた。


 彼は歯の奥をぎりっと鳴らし、それでも怒りを抑えながら訳を問い続けた。


「―――どうしてだ。どうして君はそいつを庇う?」

「むしろ、どうしてですか? なんで無抵抗の他人を殺せるんですか?」

「他人じゃない。そいつは魔物だ」

「魔物でも、同じ命です」

「………」


 最早、言葉にならない。魔物も同じ命? どんな脳みそしてたらそんな発想になるのだろうか。

 こいつは無抵抗な魔物なんかではない。起きればヒトを襲う、ヒトの敵だ! それを―――こいつは、何を言っているんだ?


 彼が怒りと混乱の最中黙ると、彼女もそれきりに黙る―――言い負かしたと思っているのだろうか? 反論できないと思っているのだろうか?


 それは大きな間違いだ―――単純に呆れと怒りが溢れかえり、もう語る価値すらないと思ってしまっただけである。


「―――この事は、ギルドに報告する」


 彼はオークと彼女に背を向け、その場を去る。仲間の2人は去る彼の顔と彼女を見比べ、戸惑いながらも彼について歩く。


 ―――目を覚ましたオークに食い殺されてしまえばいい。そう呪いを込めながら、彼は更なる戦果を求めて森の奥へと入っていくのであった。






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