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105.価値観<起>





『ねえ! お母さん、まだー!?』

『あらあら、この子ったら。うふふ、まだですよ』

『えー、じゃあ、明日!? それとも明後日!?』

『うふふ、まだまだ―――もうちょっと先よ』

『えー、そうなのー?』


 ガチャッ―――


『母さん、あれどこやったか覚えてない?』

『……もう。あなた、「あれ」だけじゃ分かりませんよ』

『ああ、ごめんごめん。あれだよ、冬用のシーツ』

『―――ああ、それならたしか、3階の納戸に仕舞ったはずですよ』

『あれ、そんなところに仕舞ったっけ?』

『ええ―――もう、仕方ありませんね。私が探してきます』


 ガタッ―――



『ちょ、ダメだよ! 今は大事な時なんだから!』

『そうだよ! お母さんは動いちゃダメー!』

『あら? あらあら、はいはい、分かりました―――もう、うちの心配性が2人に増えちゃったわ』

『そうは言ってもねぇ……本当に、いつもと重心が違うから階段だって転びやすくなってるだろうし、ちょっとつまづいて転んだだけでお腹の―――』

『はいはい、分かりました、もう―――じゃあルイナ。お母さんの代わりにお父さんと一緒にシーツを探してきてくれる?』

『うん! だからお母さんは「あんせー」にしててね!』

『うふふ。分かったわ、ルイナ』

『じゃあ、またあとでね!』


ガチャッ、バタン―――


 ―――暗転。転回。明転。ルイナの夢はそこで終わる。

















 ―――カランカランッ……


「……ん?」


 入り口の方から聞き慣れた音が聞こえてくる。それは客の出入りを報せる為、扉につけている鈴の音であった。

 聞き違えだろうか。宿屋の亭主たる彼は訝しむ。今は陽が昇って間もなくの早朝である。宿泊客が起き出した気配も未だ感じず、何者かが受付フロントを横切っていった気配もなく、従業員が来るにしても早い時間である。


 こんな朝早くから、まさか客だろうか。彼は受付から連なっている厨房より顔を出し、入り口を覗く。


「あの~、朝早くからすみません。部屋は空いていますか?」


 まさかの客であった。真っ白な装束で身を包み、立派な白い杖を持った―――恐らく、魔術師。フードを目深に被っており容貌の仔細は掴めないが、身の細さと声の高さからして女だろう。

 女の魔術師が1人旅。冒険者登録の為に王都へ向かう途中の冒険者志望の者だろうか? 彼は見てくれから事情を推察しつつ、受付へ姿を現す。


「おう、空いてるぞ。1人か? うちは4人部屋からしかなくてね、女同士なら相部屋でも構わないか?」


 そうして宿帳を開きながら部屋の見当けんとうをつけ始める。丁度2人、連泊で部屋を取っている女冒険者達がいる。彼女達も相部屋で構わないと言っていたからそこへあてがってやるのが価格的にも身の安全的にも良いだろう。まさか、やろうと同室にさせるわけにはいくまい。


 そう思い打診したのだが、予想に反し首を振られてしまう。


「いえ2人です。もう1人仲間を外で待たせています―――2週間ほど2人だけで部屋を使わせてもらえないでしょうか?」

「ふむ」


 言われ、彼は宿帳を覗きながら脳内で情報修正を図る。2週間もこの町に滞在するということは王都へ向かう冒険者志望ではない。恐らく外で待つという、もう1人とパーティを組んでの冒険者だ。


 なるほど、言われてみれば彼女が持つ杖。十字に分かれている先端の中心部に魔石らしきものが込められている。十中八九、魔道具だろう。しかも、魔石だとしたらなかなか見ごたえのある大きさの一品である。

 そう考えると目の前の客、意外に手練れである可能性もある―――まあ、金持ちの道楽という可能性も捨てきれないが。


「別に構わないが、2人だと割高になるぞ?」


 言いながら、しかし彼は心配はしていない。手練れか、道楽か。どちらにしても4人部屋を2人で借りることを苦に思わない財力をお持ちだろう。

 それでも一応忠告するのは、商売人としての良心故である。


「いくらになりますか?」

「食事は?」

「1人分だけ、3食付けて頂いて」

「1人分……? まあ、いいか。2週間部屋を貸し切り、1人だけ3食付きなら―――え~、白金貨2枚と金貨8枚だな」


 4人部屋は相部屋で良ければ一泊1人銀貨5枚だが、貸切であれば1部屋で一泊金貨1枚と銀貨6枚、食事は3食で銀貨4枚である。

 彼が空で計算して値を答えたところ、しかし客は俄かに顔をあげ彼を見上げてくる。


 ……はっ、と彼は息を呑む。フードの影に隠れて今まで見えなかったが、そこにある容貌を目にし思わず喉を鳴らしてしまう。

 切れ長の瞼に宝石を思わせる鮮やかな深紅の瞳。薄紅色の花の蕾を思わせる小ぶりの唇と雪のように白い肌。触れたくなるような、しかし触れるとけがしてしまいそうな、存在感と儚さが共存した幻想的な美しさが、そこに存在していた。


 彼は既に虜。その美貌の中で最も存在を主張する深紅の瞳に惹き込まれ―――すぅっと細められたそれに睨み上げられる。


「…そんなにするのですか?」


 その視線は怜悧であった。途端、美の印象が大きく変わる。

 花の蕾から、茨の花へ。見る者、触る者の心を縛り、掌握する。


 彼はその冷たく尖った瞳から、目を離せない。

 息が詰まる。胸の内から苦しさが溢れてきて、それを押し出そうとすると勝手に口が動き始める。


「……い、いや、そうだな。丸めて、白金貨2枚と金貨5枚でどうだ?」

「………」


 自然と口が値を下げてしまう。しかし、それでもなお彼女の視線は尖ったままである。

 未だ彼の胸の苦しさは収まらない―――その苦しさに名をつけるとすると、それは美を歪めてしまったことに対しての罪悪感であった。


「わ、分かった。それなら白金貨2枚と金貨4……いや、3枚と銀貨5枚でどうだ?」

「……いえ、結構です」


 そうしてどんどんと値切っていく彼に対し、彼女はやがて力なく首を振った。

 そして腰に括りつけていた革袋の紐をほどき、中から白金貨を2枚、金貨を8枚取り出し手渡す。


「……いいのか?」

「大丈夫です、元々値切るつもりはなかったですし―――その代わりに、と言っていいのか分かりませんが、食事は部屋で頂けるようにできますか?」

「あ、ああ。それくらいならお安い御用だ」

「それなら良かったです。では―――」


 そうして彼女は部屋の鍵を受け取り、外へ出る。恐らく、外で待つ仲間とやらを呼びに行ったのだろう。


「……。ふぅ~……」


 その背を見送りながら、ようやく胸につかえていた苦しみが取れ、彼の口から自然と重い息が零れる。


 ……何だか、朝っぱらからどっと疲れてしまった。彼は、美とは花にも刺にもなるのだと謳った詩人の言葉を思い出していた―――情の機微は分からないが、今なら何となく腑に落ちると思うのであった。


「……さてと―――」


 しかし、やり遂げたように息を零している暇はない。彼の仕事はこれからこそが始まりなのである。まずは宿泊客全員分の朝食を用意しなければならない。


 今日は朝からおかしなことがあったが、やるべきことはいつもと変わらない。彼は気を取り直し、凝った首をぐりぐりと手で解す。


「―――仕事するか」


 ―――カランカランッ……


 そうして彼は背中で鈴の音を聞きながら、元いた厨房へと戻るのであった。

















 ―――バタン……


「……ふぅ、何とかなったわね」


 部屋に入って早々に、三角帽子を深めに被った少女―――ミチは額の汗を手で拭う。

 ……実際には、彼女は汗をかいてはいなかったが、焦りの中にはいたのである。町の住民、宿の亭主や宿泊客、その誰かに今の姿を見られるのは非常にまずい。


 部屋を見回し、旅の供たるルイナ以外に誰もいないことを確認した後、彼女は帽子を脱ぐ。

 そこから現れるのは芯の細い金の髪―――以外にもう1つ。柔らかそうな赤茶色の毛が一房現れる。


 彼女はヒト族とエルフ族の血が混じった『異端ディート』である。常はヒト族の特徴が表に現れているが、吸血鬼に戦いを挑まれた時に魔素を全て消費し、『魔素枯渇』に至ってしまった。

 魔素枯渇になると『異端』は親より受け継いだ特徴が反転する。従来ヒト族の親から引き継いだ特徴はエルフ族の親のものに、その逆も然り。今の彼女の外見は、エルフ族の母から受け継いだものになってしまっている。


 そんな中―――あの『大地の割れ目』近くの林地よりここ、国境沿いの町オーレイに辿り着くまでに3日が経っている。その間保存食といえど食料を摂取していた彼女の身体は、僅かにではあるが魔素を回復させつつあった。

 未だ、特徴が再度反転し直す『魔素欠乏』の状態にまでは至っていないが、その回復の兆しが一房の毛に現れているのだった。


 ―――否、この場合現れてしまったと言うべきだろう。髪の色が混じるのは『異端』の証である。この一房を、誰に見られるわけにもいかない。見られたが最後、彼女は『異端』認定されてしまうのだ。

 ……まあ、縁もゆかりもない土地で『異端』認定を喰らおうが、行方をくらまし正体掴ませなければいいだけではあるが。


 そうして今のところ、自分達の正体を知る者はいない。あとは部屋に籠り切り、きちんとした寝食を繰り返して魔素を回復させていけば元の姿に戻れる。とにかく、今は辛抱の時である。


「ありがとうルイナ。助かったわ」


 そして、魔素回復に至るまでの間、宿屋に籠るミチを支援するのがルイナの役目であった。


 ミチが回復に専念する間、他人との接触は全てルイナが行うことになる。そのまず第一歩として無事に宿の手配を取り終えたルイナに対し、彼女は礼を言うのであった。


「……あ、はい。どういたしまして」


 しかし、ルイナよりの返事は暗い。見れば彼女は部屋の扉の前に立ち、革袋の中を物憂げな表情で見下ろしているのであった。


「どうしたのよ」

「あ、いえ。すごい高かったなぁと思いまして……」


 そう言ってルイナは預かっていた革袋をミチへと返す。このパーティの金勘定役はミチが担っており、2人の財産は全て彼女が握ることが常となっていた。今は先払いの勘定の為、一時的にルイナが預かっていただけなのである。


「ふ~ん……」


 そうして高いと言われ、ミチは返された革袋の中身を見下ろす。白金貨が十数枚、金貨がごろごろ。それが彼女達の全財産であった。


「―――いくらだったの?」

「…白金貨2枚と金貨8枚です」


 答えを聞き、ふむと一言返してから部屋を見回す。木造の建屋である。床は綺麗に掃除されており、ベッドのシーツは汚れなく白で揃えられている―――そのベッドが4つあるということは、恐らく4人部屋を貸し切ったのだろう。

 そして一日三食付き、国境間近で関所も近いことから交易の要所たり得る。つまり町自体ヒトの出入りが多く、宿泊施設の需要が高いことも推測できる―――そうした条件をもとに、ミチは判断し決を下す。


「別に高くないわ」


 至って相場であった。まあ、多少値切っても良かったかもしれないがそれでも悲痛な面持ちになるほど高いわけではない。


 そうして彼女はルイナを置いてベッドの1つに身を投げ出し、横になる。疲れた、眠い、頭が痛い。今の彼女の悩みの種はただそれだけである。


「そ、そうなんですか? でも、金貨28枚分ですよ……?」


 対して、ルイナは怯えるように周囲を見回す。

 ―――金貨28枚。彼女の感覚からすれば大金である。


 半年前まで在学していた冒険者養成学校、そこの月謝は月で金貨12枚であった。そこには講習料の他に宿泊費、食事代等々が含まれている。それを思えば、月謝の二倍以上もする大金を、僅か2週間ばかりで浪費することに彼女は違和感を覚えているのである。


 そしてもう1つ、彼女はその頃の月謝を薬草採集をして稼いでいた。その頃の日給は取れ高にもよるがならして銀貨5枚程度であった。

 ひと月まるまる働いて金貨15枚。やはり、此度の出費はそれの2か月分相当となる。


 ―――ここまで説明すれば分かるだろうが、彼女の金銭感覚は冒険者養成学校に通っていた頃より止まっている。彼女には物欲も食欲もなく、冒険者になって以来、ミチに選んでもらった今の服以外に、買ったものは装備品や食べ物を含めても1つとして無い。


 つまり、彼女が自ら財布を握り、収支に頭を悩ませていた期間はあの学校に通っていた時だけなのである。こうして、彼女の感覚は苦学生のそれを抜け出せず、金貨28枚という出費に恐れおののいているのであった。


「いや、まあ……あ~」


 そうしてミチは、金貨28枚というのが決して自分達にとってそこまで恐れるほどの出費でないことを言おうとして、しかしばつが悪そうに唸る。

 ルイナがこんな貧乏性になってしまった理由、間違いなく自分のせいだと悟ったからであった。


 冒険者になってより、数々の討伐依頼を各地でこなしてきた彼女達は通常の冒険者では考えられない程の貯蓄が出来ていた。

 ミチが持つ革袋―――白金貨が十数枚入っているそれは成人男性が稼ぐ年収のおおよそ半分に相当する。その額を、彼女達は僅か半年ばかりの冒険者稼業で貯めてみせたのだ。


 もちろん、それは片方が食事を必要としない吸血鬼であることだったり、買い替える必要のない得物を既に2人とも揃えていたりで出費が抑えられていることも要因の1つであるが―――本質はそこではない。


 B級冒険者である彼女達は安全を見てランクを下げ、Dランク相当の依頼ばかりを受けている。しかしそれは本来、Dランク冒険者達6人が受けて丁度良い難易度の依頼なのだ。

 Dランクと言えば、冒険者の中でも中堅どころである。冒険者稼業で立派に暮らしていける者達である。そんな彼ら6人分と、同等の働きを彼女達は2人でこなす。そうして払われる報酬は同額、人数割りで一人当たり3倍の稼ぎになる。


 つまり彼女達は高給取りであった。金が貯まらないわけがないのである。

 いざという時の為に―――今回のように、稼げもしないのに足止めを喰らってしまう事態を想定して貯金はしているが、それでも此度の損害は軽微である。それをミチは説明しようとしたのだ。


 ―――だが、よくよく考えてみればその道理をルイナへ説明した覚えがない。何となくの流れでパーティの勘定役となって財布を握ることになって以来、宿屋や通行料、情報料等の支払いは全て自分が行ってきて、ギルドでの報酬のやり取りも全て自分が行ってきた。ルイナに金銭のやり取りをさせたことは一度たりとも無かった。


 金銭感覚とは自ら稼ぎ、自ら払うことによって身についていく。その道理をミチは悟り、それを学ぶ機会を奪ってしまっていた自分の世話焼き加減に気づき、たしなめる言葉を改め、声音を柔らかくして言うのであった。


「……まあ、大丈夫よ。あたしを信じなさい」


 そうしてミチはルイナを宥めつつ、今後は機を見てルイナにもお金のやり取りをさせようと心に決めるのであった。







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