幕間.吸血鬼達の夜、そして―――
Side:カネル
カネルは街の大通りを歩く。今は日中―――しかし、この街に陽は昇らない。
昼夜を示す大篝が街の中心で火を灯している。今、地上は日中、しかしここでは年中が夜である。
『太陽が無い』―――古い言葉が意味する通りである。民は大篝の火の大きさを見て時を読み生活している。今、その火は消えかかる程に小さくなっている。つまり、外では夕刻の時間であった。
遠征明けの初夜である。常なら狩った獲物を卸しに行ったり、使った得物の整備をしたりする頃であるが、今宵はしない。
彼を夜に誘った者がいたのである。誘ってくる者が珍しい相手だっただけに、彼は戸惑いながらも迷わず応と答えた。
「こっちだ」
そうして家を訪ねに歩いていると、目当ての屋敷の門前に待つ者がいた。今宵の相手である。カネルは手を挙げて応じ、誘われるままに屋敷の中へと入っていった。
吸血鬼において、飲むとはヒトの血以外にあり得ない。
―――いや、吸血鬼だって水も飲むし牛の乳も飲む。しかし、夜に語らう肴にヒトの血以外を飲む者がいれば、それは異端である。『異端』のことではない、単純に物の分からない阿呆を指して異端と酔っ払い共は呼ぶ。
彼らもその例に漏れず、飲み交わしているものはヒトの血である。ボトルの刻印には『赤毛の雄、33年物』―――なかなかに渋い選択であった。カネルは出されたそれを飲み、年季の入った赤毛物らしい重みのあるコクを楽しみながらに隣に座る者を見る。
「…………」
唇を尖らせ、杯の血をちびちびと飲み、しかし無言を貫いているのは隊の供であり、通された部屋の主でもあるソーライであった。
『話がしたい』―――そう言われたのはアリスと別れ、夜の荒野にて合流した時であった。何の話であるのかその場で問うたのだが、夜に改めてという返事を貰い、こうして家へとお邪魔した次第であった。
何か話しにくい内容なのであろう。カリーナやリカの前では話したくない内容―――恐らく、彼にとっての弱みになる部分の話だろうとカネルは予想していた。
「ありがとう。美味しいね、この血」
だからあえてそこより話を逸らす。彼が何を話したがっているのか分からないが、それでもいきなりは話しにくかろう。軽い話で口を動かしつつ、機を見て本題に入ってもらおうと思っていた。
「―――そうか。それ、俺の血なんだ」
「ぶ、ふぅっ!!」
しかし、彼の答えに思わず飲んでいた血を噴き出してしまう。
「げほっ、げほっ―――な、なんだよその冗談。脅かさないでよ、びっくりしたじゃないか」
「―――すまん。そうだな、間違えた。それは俺の父の、奴隷の血だ」
そう言って彼は再び杯を傾け、ちびりと血を口に含む。
―――まさかこの手の冗談がいきなり飛んでくるとは思わず、むせてしまったカネルは息を整え、噴いてしまった血を布巾で拭う。
「―――まあ、もういいや。それで、どうしたのさ今日は。何か気になることでもあったの?」
そうして彼はもう切り込み始めた。これ以上変な冗談が飛んでくるより前に、さっさと本題に入ってしまおうと思い直してのことであった。
「そうだな―――正直、お前に話したいことなど1つもない」
「………」
帰ろうか。そう思った。
あからさまに思い悩んでいる素振りを見せられて、話がしたいと言うから来たのだ―――いや、別に理由がなければ誘うなとは言わない。自身も前世では飲み語らうのは好きであったような気がする。だから、理由なく誘ってくれるのは別にいい。
ただ、なぁ……それならそうと、こちらも身構えてしまうから思わせぶりな誘い方だけはやめて欲しい。そう思った。
「……だが、誰かに話は聞いてもらいたい。そんな気分なのだ」
しかし、ソーライの呟きはそう続いた。
「……そっか」
カネルは一言、答える。そして手元の血を飲み干し、空のグラスを突き出した。
そのグラスを見やり、ソーライは問う。
「―――話は長くなるぞ。それでもいいのか?」
「構わないよ。だって、僕たちは同じ隊の仲間―――あの子に言わせれば『友達』ってやつでしょ?」
「……はっ」
鼻で笑われる。しかし、そこに嘲りの色はない。
彼はボトルを傾け、突き出されたカネルの杯へなみなみと血を注ぐ。
「―――俺の、前世の話だ……俺は―――」
そうして彼は語り始める。目にカネルではなく、遠い昔の出来事を映しながら。
今より14年前―――彼が吸血鬼として生まれるよりも少し前。彼がヒトとして死を迎えるまでの道程を、静かに語り始めるのであった。
今宵、何故彼が突然前世の思い出話を語りたいと思ったのか。何故誰かに聞いてもらいたいと思ったのか。何故その相手としてカネルを選んだのか。
その理由を知る者は語る本人と、話を聞き終えたカネル以外、他にいない―――ナトラサの夜は常のように暗く更け、暗く明けていくのであった。
Side:カリーナ
アリスと別れを済まし、街へ戻って来たカリーナは前王アーデルセンの邸宅へと向かっていた。
長年住み込みで仕えていた為、彼女に他に住まいは無い。故に彼女にとって帰宅とは、主の家への帰還であった。
「お引き取り願いましょう、カリーナ嬢」
しかし、その道を阻む者がいた。大通りを行く彼女の目の前に、突如として影が湧く。
「―――ハヴァラ老」
その者は漆黒の燕尾服を纏った暗殺者―――グーネル現王の腹心、ハヴァラであった。
痩躯の身体に老いを感じる皮膚の皺。大通りにぽつんと立つその姿はまるで小枝。退かすも脇を通るも容易く見える。
しかし、それは不可能。彼の身に宿る力はカリーナでは足元にも及ばない。暗殺者としての格の違いも、昨日見せつけられたばかりである。
彼が道を阻むというのであれば、彼女に許されるのは退くのみである―――しかし。
「何故です。私を通さない理由を教えて頂けますでしょうか」
何故道を阻むのか。その理由を彼女は手繰れない。
彼女がアリスと共にいれば、道を塞がれるだろう。すぐに街より出て行くよう言われるのも納得できる。
しかし今、彼女は1人。家へ帰るのを邪魔される覚えは、全く無い。
―――だが、その理由を彼はあっさりと語る。
「簡単でございます。貴女に『異端』認定が下っております」
「…………」
絶句する。カリーナは何を言われたのか理解できず、口を開いたままに言葉を紡げずにいた。
『異端』―――それはこの街において、死刑に限りなく近い極刑である。
誰とも話してはならない。
誰からも施しを受けられない。
誰からも仲間と認められない。
吸血鬼であって吸血鬼でない者―――『異端』。何故、その認定が自分に下されたのか理解できず、彼女はなおも言葉を語れない。
「罪状はこの街を破滅へと導こうとしたこと、とでも申し上げておきましょうか」
「なっ、それは―――」
彼の言った罪状に、カリーナは異を唱えようとして口を開く。
だが、強く否定できない。心は叫んでいる、その判断はあまりに勝手すぎると。自分がアリスを連れてこなければ王は救われなかった。結果として、自分がアリスを連れてきたことによって王は救われたのだと言いたかった。
―――しかし、それは結果でしかない。途中、自身が気を失っている間に危機的状況になったということも聞かされていた。何かが違っていれば恐らく、この街の吸血鬼は根絶やしにされていた可能性だってあったのだ。
あながち罪状は間違っていない。しかし、それでも『異端』は納得できない―――したくない。相反する理性と感情が彼女の表情を歪めさせる。
だが、ハヴァラ老は柔和に笑い、カリーナに告げるのであった。
「御安心なさい。その『異端』認定も一時的なものでございます」
「……どういうことでしょうか」
未だに納得いかぬ状況に、表情を歪ませながらカリーナは言葉の意味を問う。
「カリーナ嬢。貴女の『異端』認定はけじめと思って頂ければ。此度の騒動、結果としてはアーデルセン様に防いで頂けましたが街の滅亡すら有り得た話。その原因となる貴女にお咎めが下るのは当然の話でございましょう?」
「―――話の筋は分かります。しかし、『異端』というのは如何でしょう。私から申し上げて良いのか分かりかねますが、重すぎる処分だと存じます」
話の筋は分かる―――とは言ったものの、カリーナは筋すらも納得していない。騒動を起こした原因であれば、自身もそうであるが自身だけ罪を負うのは納得がいかない。
アリスを追い込み、アリスを怒らせ、街を破滅へ導こうとした最後の一押しはグーネル公爵―――否、グーネル現王であったはずだ。彼が身を切らない限り、その処分には納得が出来ない。
しかし、グーネルは彼女の言い分でさえ、首を振って否定する。
「いえ、『異端』でなければなりません」
「何故です?」
「それは、これが閣下のけじめでもあるからでございます」
閣下のけじめ―――? 彼が閣下というのはグーネル、ただ一人である。
いったい自分の『異端』認定の何が彼にとってのけじめなのか。理解できずに彼女は首を傾げる。
「閣下はアーデルセン様が完全に回復された後、王位を返上するおつもりでございます。その時、貴女の『異端』認定を取り消すと、アーデルセン様と閣下の間で既に話が済まされております」
「っ―――、そう、ですか……」
カリーナは、話の内容を理解すると同時に、その事実にも傷を負う。アーデルセン―――心を捧げた彼に彼女は、『異端』の認定を認められているのだ。
……しかし、話は理解できた。『異端』とは、認定を外せる者がいる。民の半数以上の総意か、王である。そして『異端』認定が外された際、その者を『異端』とした者は爵位を返上しなければならない。
つまり、アーデルセンが復活した暁にはグーネルは起こした騒動の責を取り、元に戻るはずの公爵の地位を返上すると言っているのだ。それが彼の身の切り方だとハヴァラは説明したのだった。
「―――なるほど、話は分かりました」
と言ったものの、カリーナにはそれ以外の言葉は許されていない。その判断も認定も彼女には否定も拒絶も出来ないのだから。
「……それで、私はアーデルセン様にお会いすることすら許されないのでしょうか?」
「生憎でございますが、『異端』をアーデルセン様の前へお連れするわけには参りません。まさか、アーデルセン様を『異端』にさせるわけにはいきますまい?」
「………」
『異端』と話した者はその者も『異端』となる。その掟に従えば、彼女がアーデルセンに会ったとしても何も話すことすら許されない。
―――必要最低限の会話だけは許されるというが、線引きは無い。今こうしてハヴァラが話している内容は恐らく、彼女へ『異端』だと認めさせるにあたって必要だと認められるのだろうが。
「……一目、お会いするだけでも叶わないでしょうか?」
「カリーナ嬢、身を弁えなさい。貴女は『異端』なのです―――けじめとは、そういうものだと諦めなさい」
「…………」
やがてカリーナは小さく、『かしこまりました』と呟く。そしてハヴァラの背の向こう―――主の住まう邸宅を遠い目でしばらく眺めた後、背を向け、その場を立ち去る。
後に残されたのは柔和に微笑む老人のみ。彼もまた、現れた時同様に影となり消える―――後には誰も残らぬ大通り。
そしてこの日より受難の日々が始まる。そのことを、当人たる彼女は未だ知る由もなかったのである。
Side:???
「……ちっ、あー、くそっ! 相っ変わらず歩きづれぇな、この谷は!」
それはとある国、とある山々に挟まれた、とある谷間での出来事である。
1人の男が獣道を行く。刃がよく研がれた鉈を振り回し、行く先を阻む草木を刈り取っていく。
彼の腰には1振りの剣が提げられている。彼は冒険者の、剣士であった。
後ろには誰もいない。彼に冒険者の仲間はいない。1人で旅をし、1人で何でも為す―――熟練の冒険者であった。
「……お。おー、やっと着いたぜ。ひっさしぶりだなぁ……なんも変わっちゃいないぜ」
そうして谷間を進んだ彼の前に、一棟の家屋が現れる。木と藁で出来た、粗末な家である。
彼がここへ来るのは十数年ぶりである―――剣の道を究める為に門を叩き、身に着けた力を振るう為に旅立った。
ここを発ったあの時のことが、目を閉じれば昨日のことのように呼び起こされる―――それほどまでに変わり映えしない光景を、彼は感慨深く目に焼き付け、そして歩いてその戸を鳴らした。
「おーい、師匠ー。師匠ー! まだ生きてるかー?」
「なんじゃ、騒々しい……いったい誰じゃ、儂を呼ぶんは?」
「……ん?」
大声で呼ぶと、家屋の中より声が聞こえる。
その言葉はまさしく彼が覚えている通りの言葉遣いであって―――対して、声音はまったく聞き覚えが無い。
聞き違えか? 何か、記憶の声より大分高かったような―――
―――ガチャッ
そして彼が戸惑う間にも、戸は開かれる。
「―――なんじゃ、お主じゃったか。久しぶりじゃのぅ」
「…………」
そうして開かれた戸の向こうにいたのは―――はたして、見覚えのない者であった。
しかし相手は気さくに声をかけてくる。浮かぶは大量の疑問符。彼の疑問が解かれるのは、その少し後のことであった―――




